第13回 インド文化国際アカデミー理事長 ロケッシュ・チャンドラ博士 


SGIの「法華経を現代に蘇らせた生きた仏教」運動を賞讃

◆ロケッシュ・チャンドラ 1927年〜
インド文化国際アカデミー理事長。インド国会議員(1974〜1986)、ジャワハルラル・ネルー記念財団終身評議委員、ICCR(インド文化関係評議会)副会長、インド歴史研究評議会議長、タゴール国際大学理事などの要職を歴任。仏教文化研究の世界的権威の一人。政治思想家、教育者、社会福祉活動家、作家としても活躍している。

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◇師匠は父・ラグヴィラ博士、弟子は子・チャンドラ博士

師匠を持つ人は強い。使命感、目的観が定まる。迷いがない。どんな嵐に人生が揺れても、必ず進むべき方角を示してくれる。

ロケッシュ・チャンドラ博士にとっての師匠は誰か。父君のラグヴィラ博士であった。それを年頭に私は質問した。

「なぜ、お父さまはアカデミーを創立されたのでしょうか」 父君はサンスクリット語(梵語)の世界的権威。インド文化国際アカデミーを創立した大学者である。

答えは明快であった。「新しい時代へ、新しい世紀へ、父は大志を抱いていました」

その実現には、過去の歴史を研究するだけでは足りない。「新しいものを創り出す創造的な面が、どうしても必要でした」

瞳に哲人の輝きがあった。父君の創立の大志を深く抱いておられた。仏典を現代に蘇らせ、インド文化の深層を再発見していく。父子一体となって、この理想に生き抜いてこられたことが伝わってきた。

父君は迫害にも遭った。

第2次世界大戦中、敵国の日本語を教えていたとの理由で、イギリス政府から投獄。その後、ロシア語を教えていた時には、共産主義のスパイと疑われ、再び捕われの身になった。

いつしか父君の姿に、私は我が師の面影を重ねていた。「嵐の大きさこそが、偉大さの証明です」

チャンドラ博士は、にっこりと頷かれた。父君の苦難の時に、陰の身に添うが如く、厳然と支え、護り抜かれたのが博士であったのだ。


アメリカ、中国、インドの3国主軸の世界

戸田城聖先生は三国志が、お好きであった。「魏」「蜀」「呉」。三国の治乱興亡を通して、現代の国際社会を鋭く直視されていた。

二つの大国が拮抗をつづけると、世界は硬直する。その均衡による平和を追求する方途がある。2本の脚では倒れやすい。写真機も伸縮自在の三脚によって安定するではないか。

巨視的に歴史を見はるかせば、21世紀はアメリカ、中国、印度の3国が主軸となる可能性が高い。インドは世界の安定に、かけがえのない国である。

そのインドの代表的知性・チャンドラ博士に初めてお会いしたのは、1979年(昭和54年)2月、インド訪問の折であった。ニューデリーのインド文化関係評議会の本部で行われた歓迎レセプションに出席してくださった。

この年は、宗門の陰謀が吹き荒れていた。深く未来を見据えたインドの旅であった。後に大10大の大統領に就任されたナラヤナン氏にも、お会いした。

この2カ月後、会長を辞任する直前の4月には、周恩来総理夫人の勝g穎超女史と、赤坂の迎賓館で再会を果たした。アメリカのキッシンジャー国務長官とも、東京国際友好会館で語り合った。

精神の大国であるインド。4千年の歴史を誇る中国。世界経済をリードするアメリカ。人類の融合のために、世界の平和・安定のために、3国の指導者との語らいが21世紀において、大きく花開く」ことを信じてやまなかった。


◇だからこそ、私は打って出た

1979年、インドから帰国後には、日本の新聞社や雑誌社に請われて、インドの悠久の哲学、マハトマ・ガンジーの思想などをテーマに原稿を綴った。「朝日ジャーナル」「読売新聞」の寄稿。「岐阜日日新聞」をはじめ、各地方紙31紙でも掲載された。

初めて中国、さらにソ連を訪問した後も、私は多数の紀行を発表した。真の友好への行動は、帰国してタラップを降りてから始まる――。これが私の信条だからである。

とくに当時、卑劣な言論の暴力が渦巻いていた。だからこそ、私は打って出た。世界に広々と開かれた、正義と真実の活字文化の興隆を願って、自らペンを執ったのである。


マハトマ・ガンジーも南無妙法蓮華経と唱題していた

チャンドラ博士は、法華経の真髄である日蓮仏法に、強い強い関心を持たれていた。それもまた、父君譲りである。

父君のラグヴィラ博士が、かのマハトマ・ガンジーに南無妙法蓮華経の題目を教えたこと、ガンジーもまた唱題していたことは有名な逸話である。


創価学会の「生きた仏教」を賞讃

1991年。「日本はニチレンダイショウニン(日蓮大聖人)の生誕された国。この日出(ひい)ずる国を訪れると、私の心も旭日のように上昇します」

実に嬉しそうなチャンドラ博士を愛知県の名古屋にお迎えした。12年ぶりの再会とは思えないほど、心は結ばれた。

有り難いことに博士は、7、8世紀ごろの法華経写本のマイクロフィルムを寄贈してくださった。さらには、ギルギットで発見されたサンスクリットの経典の写本と、中国・敦煌の漢語経典の写本も後に贈ってくださった。学会の重宝となった貴重な資料は、ともに父君の所蔵品である。

博士は、贈呈にあたって語られた。

「生きた仏教であるSGI(創価学会インタナショナル)の運動に最大の敬意を込めて、この人類の重宝を贈ります」

博士は、SGIの現代的意義を、深く洞察してくださっている。

「特に、私が創価学会を評価するのは、その『社会性』です。空理・空論をもてあそぶのではなく、現実のなかで仏法を展開している点です」

法華経の精神のままに実践することがいかに尊く、いかに難事であるか。インドの大碩学は、知悉している。

インドは仏教発祥の地でありながら、仏法が衰退してしまった。白法穏没(びゃくほうおんもつ)。法華経の輝かしい叡知も、ひとたびは光を失ってしまった。その現実を知るからこそ、チャンドラ博士は私どもの生きた仏教に賞讃を惜しまれない。


◇学会の折伏精神が法華経を現代に蘇らせた

なぜSGIによって、法華経が蘇ったのか。声に出して叫んだからである。獄中で法華経を身読した恩師が、戦後の焼け野原で、民衆に語りつづけたからである。

いかに高邁な理想を掲げた思想も、宗教も、黙っていたら死んでしまう。

沈黙は死。雄弁は活。現実の人間社会の中で思想戦を繰り広げ、言論戦に勝ち抜いてこそ、宗教に「生の輝き」が宿る。

法華経を現代に蘇らせたものは、学会の折伏精神である。攻撃精神である。破邪顕正の心である。

200番目となる名誉学術称号を頂戴した折、チャンドラ博士からも祝福の言葉をかけていただいた。

「『法華経』の価値を宣揚し、人類の精神文化を豊かにしてくださいました。法華経の精神の眼をもてば、天地万物が自身の生命の中に収まると説かれています」

私個人ではなく、世界の全同志への賞讃の証しである。法華経に説かれる「普賢菩薩の守護」「多宝の証明」が今、創価の師弟を燦然と包んでいる。

聖教新聞 2006年11月12日掲載

わが心の師池田大作

わが心の師池田大作