各部代表研修会(2)

アショカ大王
指導者の人間革命が歴史を変えた
仏法に基づいた「平和」と「福祉」の政治改革
軍事力による征服から法(ダルマ)による統治へ
一、かつて、「王の中の王」と呼ばれた指導者がいた。
 彼は、仏法の思想を基調として、平和と福祉の政治改革を行い、人類史に名を留めた。
 その名は、インドのアショカ大王である。
 アショカ大王については、これまでも幾たびとなく語ってきた。
 東京富士美術館創立者として、「アショカ、ガンジーネルー展」を開催したこともある。
 〈1994年10月から95年3月まで、東京・仙台・福岡・名古屋で行われた〉
 アショカ大王は、今から約2300年前、マウリヤ朝の王子として誕生した。
 イギリスの著名な作家H・G・ウェルズは、アショカ大王を「これまでに世界に現れた最も偉大な帝王の一人」と讃えている。
 私が対談した、「ヨーロッパ統合の父」クーデンホーフ。カレルギー伯爵も、「世界で最高に尊敬したい大王だ」と強調された。
 イギリスの歴史学者トインビー博士も、大王を讃嘆してやまなかった。
 また、フランスのアンドレ・マルロー氏、美学者のルネ・ユイグ氏、アメリカのポーリング博士、キッシンジャー博士とも、アショカ大王をめぐって語り合ってきた。
 大王は、自身の信念を直接、民衆に訴えるために、岩石や石柱に「法勅」を刻んで残した。この法勅文は、欧州の諸言語に翻訳されている。
 一地域にとどまらず、世界が、アショカ大王を理想の指導者として敬愛しているのである。

 戦争の惨劇に直面し、改心
 一、アショカ大王の生涯は波乱に満ちていた。
 当初、彼は暴虐を極め、人々から恐れられる悪王であった。
 その大王の転機となったのは、カリンガ国(現在のオリッサ地方)との戦争である。
 カリンガ国では10万人の命が奪われ、15万人が捕虜になったといわれる。
 無数の民衆が家を焼かれ、親を失い、子どもを失った。嘆き、悲しみ、絶望、怒りが満ちた。
 まことに、戦争ほど残酷なものはない。
 アショカ大王は、こうした民衆の苦しむ姿を目の当たりにした。そして、痛切な悔恨にさいなまれた。
 そして、「軍事力による征服」から、「法(ダルマ)による統治」へと、大転換をしていったのである。
 この点をめぐって私は、インドのラジブ・ガンジー現代問題研究所の招聘で、講演も行った。
 〈池田名誉会長は1997年10月、ニューデリーラジブ・ガンジー財団本部で「『ニュー・ヒューマニズム』の世紀へ」と題して講演を行った〉
 また、インドの哲学者ラダクリシュナン博士との対談でも、大いに論じ合った。
 ラダクリシュナン博士は語っておられた。
 「ガンジーはアショカ大王に、理想的な国家の統治者としての姿を見いだしました。
 大王が、戦争が無益であることを深く理解していたこと、そして彼がのちに国家政策として戦争を放棄したことに、ガンジーは強く惹きつけられたのです」
 「最初は暴君と恐れられたアショカ大王でさえ、平和の指導者へと変わることができた。自己を変革することができた。
 つまり"アショカ"は、一人ひとりの心の中にいる。だれもが自分を変えることができる──そうガンジーは見たのです」
 「ガンジーは、『征服王』が『平和の使者』に変わったことは、仏教の教えの偉大な勝利であると言っています。
 アショカ大王の偉大さは、彼が仏教の教えのなかに、変革、啓発、能力の強化のための、合理的で倫理的な原理を見いだしたことにあります」
 一、アショカ大王が自らの過ちを悔い、改心するうえで、彼の甥ニグローダに大きな影響を受けたという伝承がある。
 はつらつと修行に励む若い生命が、王の胸を揺さぶり、暴虐の心に慈悲の光を灯したというのである。
 ニグローダは、今でいえば、ちょうど青年部か未来部の年代だったであろう。
 正しい信仰に励む「一人」が、どれほど大きな存在であるか。
 真面目に、希望をもって生きる青年の凛々しい姿は、人々にどれほどの感動を広げるものか。
 一、戸田先生は、「一人の青年が命を捨てれば、広宣流布は必ずできる」と断言された。
 戸田先生にお会いしてより、60年。私は、その「一人」となることを深く誓願し、命を賭して戦い抜いてきた。
 今、本門の青年部の諸君に、私は「時代を変えゆく『一人』たれ」と呼びかけたい。
 君たちこそ、「法華経の命を継ぐ人」(御書1169ページ)だからである(大拍手)。

 無料の宿泊所や病院を充実
 一、アショカ大王は、自らの信念を現実の政治に反映していった。
 とくに、公共事業の発達は目覚ましかった。
 病院を充実させ、各地に薬草を植えた。暑さを防ぐため、道ばたに井戸を掘り、樹木を植えた。
 「女性のための奉仕者」という役職も新設。無料の宿泊所を作って、旅行者の便もはかっている。
 インドの歴史上、このように民衆のための公共事業を行ったのは、アショカ大王が初めてだったと考えられている。

 「私は政務で満足したことはない」
 一、インド哲学研究の大家・中村元博士は、アショカ大王の政治姿勢についてまとめておられる。
 「独裁的あるいは専制的傾向は排除され、大官(たいかん)のあいだではつねに会議を開いて事を決した。
 しかし、その会議において論争がおこり、あるいは修正動議が提出されてまとまらなかった場合には、王自身がこれを決裁した」
 合議を重んじ、自らの責任において決断する。名指導者の采配であったようだ。
 大王の法勅には、次のようにある。
 「わたしはみずからその精励に関しても、また政務の裁断に関しても、いまだかつて満足を感じたことがない」
 独善を排して、常に向上、常に前進、常に変革──この大王の姿勢は、すべてのリーダーにとって、重要な手本であろう。
 大王は仏教に基づくダルマ(法)を広めるために、自ら各地に赴いた。また、遠くシリアやエジプト、マケドニアなどにも使節を派遣している。
 しかし、他の宗教を排斥することはなかったようだ。
 「一切の宗派のものが、一切処(=あらゆる場所)において住せんことを希う」との寛容の心で、宗教間の平等を重んじたのである。

アショカ大王のメッセージ
 王は皆の換範たれ 道徳的実践者たれ

一、アショカ大王の法勅には、次の文言が刻まれている。
 「実にわたしがなしたいかなる善いことも、すべて世人がすでにこれを遵奉(じゅんぽう)実行し、また今これに随順している」
 この法勅について中村元博士は、「(アショカ大王は)帝王は人民一般の師範となり、世人が彼を模倣するであろうことを要求していたのである。
 そうして、帝王が自ら模範となりうる道徳的実践者であるべきことを、未来のすべての国王に要求している」と論じている。
 あらゆる指導者の条件は、自らが民衆の模範なることだ。そして、自身と同じ、否、それ以の後継者を育てることだ。

 「どのような時もどこでも報告を」
 一、アショカ大王は、大勢の人に分け隔てなく接する姿勢であった。
 ある時、仏教の修行者のだれに対しても差別なく礼拝する大王を、家臣が見咎めた。
 ──王よ、一切の階級からの出家者に礼拝するのはよくありません── 大王は答えた。
 ──仏教の修行者たちの間では、生まれの区別は滅び去っているが、徳の区別は滅んではいない──
 すなわち、修行者の尊さは、身分で決まるのではなく、「徳」で決まる。これが大王の確信であった。
 広宣流布においても、まったく同じである。
 役職ではない。社会的な肩書でもない。
 「信心」が、どれだけ強盛であるか。「人格」が、どれだけ誠実であるか。そして、「広宣流布」のために、どれだけ苦労し、汗を流して戦っているか。これが絶対の基準なのである。
 さらに、法勅には刻まれている。
 「どのような時にも、どこにおいても、上奏(じょうそう)官(報告する役人)は人民に関することを私に奏聞(そうもん)しなければならない」
 いつ、いかなる時も、民衆の幸福のためには、わが身を惜しまない。これが、真の指導者の一念である。
 あの友は、元気だろうか。病気は治っただろうか。あの青年は、生活は大丈夫だろうか。悩んでいることはないか。ご家族の様子は、どうだろうか──。
 本当の指導者は、同志のことが、片時も心から離れないものである。

 人間愛に燃えて
 「法華経の寿量品には、「毎自作是念」(毎に自ら是の念を作す)とある。
 仏は衆生の成仏のために、常に心を砕いている、という意味である。
 日蓮大聖人は、「日蓮は、生まれた時から今にいたるまで、一日片時も心の休まることはなかった。ただ、この法華経の題目を弘めようと思うばかりであった」と仰せである(御書1558ページ、通解)。
 この御心に、まっすぐにつながって、広宣流布のため、「死身弘法」を貫いてこられたのが、初代・牧口先生であり、2代・戸田先生であられた。3代の私も、まったく同じ「不惜身命」の決心で、60年間、戦い抜いてきた。
 仏法の「慈悲」と「正義」の精神に目覚めて立ち上がったアショカ大王の生涯は、壮大なる「人間革命」の劇であったといえよう。
 大王の人徳と業績は、あらゆるリーダーの模範として、21世紀の指標として、ますます輝いている。
 私たちの「立正安国」の前進も、アショカ大王のような優れた指導者を輩出する「指導者革命」が重要な側面となる。
 今、私は何も欲しいものはない。欲しいのは、ただ「人」である。
 平和、文化、教育、ありとあらゆる分野で、正義と人間愛に燃える指導者よ育て!
 命を注いで民衆を守り、民衆の幸福のために戦い抜く大指導者よ、陸続と育て!
 これが私の祈りである。

 悠然と朗らかに創立80周年へ! 
 一、日蓮大聖人の仏法は、「立正安国」から出発し、「立正安国」に帰着する。
 60年前、私が戸田先生と初めてお会いした座談会で、先生が講義されていたのも「立正安国諭」であった。
 「立正」──正しきを立てて、「安国」──国を安んずる。
 この「国」は、何を指しているのか。
 日寛上人は「安国」の両字について、「文は唯日本及び現世に在り、意は閻浮及び未来に通ずべし」と記されている(「安国諭愚記」)。
 文の上では、日本および現在を指しているが、その真の意義は全世界、そして未来に通じている、との仰せである。
 創価の「立正安国」の行動は、日本一国にとどまらない。
 私たちの舞台は全世界だ。全人類が、私たちの友人である。
 「世界広宣流布」の雄大なスケールから見れば、島国の毀誉褒貶の風など、小さなことだ。
 広宣流布は「末法万年尽未来際」を目指す、長い長い、永遠の戦いなのである。目先の変転などに、一喜一憂する必要はない。
 アショカ大王は、自身の信念を法勅に刻んだ。
 「われわれは人びとの信頼を得なければならない。すべての人は私の子である。私は王子のためと同様に、〔かれらが〕現世と来世の、すべての利益と安楽を得ることを願う」
 創価の精神も同じである。
 3年後の2010年は、「立正安国論」の国主諌暁から満750年の佳節である。
 また、学会創立80周年、私が会長に就任してより50周年となる。
 悠然と前へ向かって、正義と平和の信念の行動を、一段と朗らかに進めてまいりたい。
 アショカ大王のごとき大指導者を育成しながら、威風も堂々と!(大拍手)
 
(2007・8・15 群馬多宝研修道場)