信越最高協議会(上)

迅速果敢!勝利への先手を打て

 信越最高協議会が8月24日、長野研修道場で行われ、池田名誉会長がスピーチした。

    ◇

 一、この8月、広宣流布の偉大な推進力である学会伝統の研修会が、有意義に開催されてきた。
 本日の協議会をはじめ、これらの諸行事を陰に陽に、厳然と支えてくださっている同志の皆様方に、私は改めて心から御礼を申し上げたい(大拍手)。
 師匠・戸田先生は繰り返し教えられた。
 「形式ではなく、事実の上で、皆のため、社会のため、人類のために働き、貢献している人をこそ、最大に尊敬していかねばならない」
 まさに、わが尊き同志の姿である。
 私が、戸田先生のもとで広宣流布の使命に立ち上がって、この8月24日で60周年。ありがたいことに、世界がこの日を祝賀してくださっている。
 ブラジルからは、パラナ州のシアノルテ市で、この日を記念して、私と妻への「名誉市民」称号の授与式が行われるとの連絡をいただいた。
 真剣に、誠実に、社会貢献を積み重ねておられる、敬愛する同志とともに謹んで拝受したい。
 また、これまで私は、全同志を代表して、世界の五大州の大学・学術機関から218の名誉学術称号をお受けした。アメリカのハーバード大学をはじめ、海外の諸大学・学術機関での講演も32回に及んでいる。
 どうしても日程の都合がつかず、長男(池田副理事長)が代理として各国を訪れ、名誉市民称号や名誉学術称号を拝受したり、講演を代読したことも多くあった。
 ともあれ、こうした栄誉はすべて、各国・各地域で「良き市民」として活躍する創価の同志とともに、お受けしたものである。
 私たち夫婦は、これら全世界からの栄誉を、偉大なる師匠・戸田先生に捧げたい(大拍手)。

 豊かな人間性
 「現在、私は、北欧デンマークの著名な教育者へニングセン先生(アスコ一国民高等学校・元校長)と対談を重ねている。〈月刊誌「パンプキン」に連載中〉
 このデンマークの名門アスコ一国民高等学校では、今夏も、わが創価大学生と創価学園生が、充実の研修の歴史を刻んでいる。
 教育が、人類にとってどれはど重要であるか。
 チェコの教育思想家コメニウスは述べている。
 「教育されなくては(中略)人間は人間になることができない」(鈴木秀勇訳『世界教育学選集24 大教授学1』明治図書出版
 「学校は人間を本当の人間にする」(同)
 英知と豊かな人間性を備えた人材を育てていく。それが教育の真の目的である。
 牧口先生、戸田先生が注目していたアメリカの教育哲学者デューイは綴った。
 「教育は、あらゆる人が、社会全体の幸福に関心を抱くようにさせねばならない。そうすることで、彼らは、人々の状況を良くしようと尽くす中に、自らの幸福を見出していけるようになるであろう」
 自分のことだけでなく、社会や世界のために行動する。それでこそ、より価値のある人生を築いていくことができるのである。
 「デンマークが誇る大哲学者キルケゴールは述べている。
 「人が信念を自分自身の生を通じて、行為の上で現わすとき、これが信念をもっていることの唯一の真の証明ではないだろうか?」(田淵義三郎訳「さまざまの精神における建徳的講話1」、『キルケゴールの講話・遺稿集3』所収、新地書房)
 まったく、その通りと思う。「信念」といっても、口先ではわからない。それが、いかなる
「行為」となって現れるかで決まる。
 キルケゴールは、こうも語っている。
 「確かに、機先を制することはそれだけでも偉大な勝利である。しかし同時に、まさに初心を忘れないように行動することが重要である。
 初めはとてもすばらしくても、その次の瞬間には、まずもって役に立つどころか、邪魔になるような場合ほど、人間にとって破壊的なものは何もないであろう」(浜田恂子訳「四つの建徳的講話」、『キルケゴールの講話・遺稿集2』所収、新地書房)
 深い示唆に富んだ言葉である。
 「初心」を忘れず進み続ける──その人こそ、栄光の人生を歩むことができるのである。

 「信仰から不屈の忍耐と勇気が」
 一、昭和22年(1947年)の8月24日──。
 それは、大変に暑い一日であったと記憶している。
 その日に、戸田先生のもとで「師弟の道」を歩み始めた青春の「初心」を、私は60年たった今も、いやまして赤々と燃え上がらせている。
 これが、わが人生の誉れである。
 フランスの大数学者ポアンカレは、こう述べている。
 「行動を起させる動力はすべて信仰です。百折不撓の忍耐を与へ、勇気を与へるものは信仰のみです」(平林初之輔訳『科学者と詩人』岩波文庫
 正しい信仰を持った人生ほど、強いものはない。
 戦後、広宣流布のため一人立たれた戸田先生の確信は、それはそれは、すさまじかった。
 ある時は、こう語っておられた。
 「地球上にただ一人、戸田城聖という不思議な人間が生まれてきたのだ。みんな覚悟して、ついてきなさい。私を知った人間は幸せなのだ」

キルケゴール 行動が信念を証明する
この60年、師弟共戦の炎は わが胸に赤々と
君よ『青春の誓い』に生き抜け

 またある時は、弟子たちを、こう叱咤しておられた。
 「おまえたちは、私の本当の偉さがわかっていない。私の言うことを、『そうだ!』と信じなさい。『そうだ!』と思ってやりなさい」
 先生は戦時中、獄中で唱題を重ねる中で"我、地涌の菩薩なり"との大確信を得られた。広宣流布という自らの使命を、深く深く覚知された。
 妙法流布の指導者としての大確信と覚悟があったからこそ、先生の指導は厳しかった。魂を射抜くような鋭さがあった。
 そして先生は、実際に75万世帯の弘教を成し遂げ、広宣流布の基盤を築かれたのである。
 また、先生は語っておられた。
 「迅速果敢な行動──そこに勝利がある!」
 私は、この指導のままに行動した。大変なところがあれば、飛ぶようにして駆けつけた。電光石火で手を打った。そして、各地で勝利の旗を打ち立てた。
 折伏でも勝った。先生の事業の苦境も打開した。
 先生は、本当に喜んでくださった。「本物は大作だけだ。大作がいて、私は本当に幸せだった」とまで言ってくださった。
 師匠のため、広宣流布のために、汗を流す。痩せる思いで戦う。それが真実の弟子だ。私は、この覚悟でやってきた。
 古代ローマの哲人皇マルクス・アウレリウスは述べている。
 「行動においては杜撰(ずさん)になるな。会話においては混乱するな。思想においては迷うな」(神谷美恵子訳『自省録』岩波文庫
 綿密かつ大胆な行動。敵の肺腑をえぐるような鋭い言論。そして、確固たる哲学──これがあれば、すべてに勝っていくことができるのだ。

 一つ一つが挑戦
 一、60年前、私が入信した当時は、勤行をはじめ、入信のための儀式が非常に長かった。
 私は、戸田先生の人間性には深い感銘を受け、先生についていこうと決めていた。しかし、信心のことは、まだよくわからなかった。
 戦争が終わり、ようやく自由で、新しい世の中になった。私は19歳の青年。青春のさなかである。
 正座をしてお経をあげたりすることが、なんとなく時代遅れで、気恥ずかしく思ったことも事実だ。
 また、実家には先祖代々の宗教があった。信心を始めることについて、家族に理解してもらうのも簡単ではなかった。一つ一つが挑戦であった。


 そのころから、宗門の坊主はずいぶん、威張っていた。衣の権威をかさに着て、学会を従わせようとさまざまな文句や注文をつけてきた。
 戸田先生は、こうした宗門の体質を見抜いておられた。
 だからこそ、広宣流布を忘れた坊主を厳しく責められた。日蓮大聖人の精神に立ち返れと、叫ばれたのである。

 一歩ずつ着実に
 一、私はこれまで多くの世界の指導者と語り合ってきた。
 その中でも、とりわけ印象深い一人が南アフリカの大統領を務めたマンデラ氏である。
 氏は、1万日に及ぶ獄中闘争を乗り越え、アパルトヘイト(人種隔離政策)を撤廃に導いた、人権の闘士である。
 出獄した年に来日し、私に会うために東京の聖教新聞本社を訪れてくださった(1990年10月)。大統領に就任された後、迎賓館でお会いしたことも忘れられない(95年7月)。
 マンデラ氏は述べている。
 「人間として、何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、また、自分たちにとってのよい社会、よ生活を追い求めずにいることは、不可能なのです」(東江一紀訳『自由への長い道──ネルソン・マンデラ自伝(下)』日本放送出版協会
 不正や抑圧とは断固として戦う。よりよい社会を求めていく。それが本当の人間である。
 氏は、こうも言う。
 「指導者には、民衆を正しい方向へ導いているという自信のもとに、群れより先を行き、新たな針路を拓かなくてはならないときがある」(同)
 リーダーが先頭に立って戦う。道を開く。それでこそ、大きな戦いのうねりを起こすことができるのだ。
 「勝利をつかむその日まで、一歩ずつ、着実に進んでいきます」(前掲『自由への長い道(上)』)
 これも、氏の言葉である。少しずつでもいい。前へ、前へと歩み続けることだ。絶対にあきらめないことだ。
 イギリスの歴史家トインビー博士は、私との対談で語っておられた。
 「あらゆる生物は、本来、自己中心的であり、貪欲ですから、権力を握った人間は、その掌中にある人々の利益を犠牲にしても、なおその権力を己の利益のために乱用したいという、強い誘惑にとらわれるものです」
 権力は魔性である。だからこそ、権力者を厳しく監視していかねばならない。これは、戸田先生が強く訴えておられたことである。

 「原点がある人は揺るがない」 
 一、今年は、「日中国交正常化」35周年である。
 その記念の意義も込めて、私は、中国学術界の至宝であられる、国学大師の饒宗頤(じょうそうい)先生(香港中文(ちゅうぶん)大学・終身主任教授)と対談を進めている。
 司会は、傑出した言論人の孫立川(そんりつせん)博士(香港最大の出版社「天地図書」副総編集長)が務めてくださっている。
 〈この対談「文化と芸術の旅路」は、香港文壇の最高峰である月刊の中国語文芸誌「香港文学」と、日本の月刊誌「潮」の両方で、掲載されている〉
 対談では、「師弟」という人間の真髄の道について、幾重にも語り合ってきた。
 私は、饒先生に申し上げた。
 「青春時代の私の誇りは、事業の蹉跌(さてつ)などで師が最も苦境に立たされた時に、ただ一人、支え抜いたことです。
 そのために進学も断念した私に、戸田先生は約10年間にわたって、毎朝のごとく個人教授をしてくださり、それは文学や科学、政治、歴史など学問全般に及びました」

11世紀宋の大詩人・蘇東坡の弟子は叫んだ
  「わが師こそ第一の人物なり」

 「私という人間の98%は、戸田先生から受けた薫陶によるものと言っても過言ではありません」
 饒先生は、私の真情に深く共感され、こう応じてくださった。
 「どこまでいっても、師弟一体なんですね。
 この人生の原点を持った人は、何があっても揺らぎません」
 「師弟」という原点を持つ人生には、揺らぎはない。恐れもない。後退もない。「師弟」こそ、人生の勝利の究極の力である。

 学生のために!戦火の中の教育 
 一、対談では、戦時下における、饒先生の不屈の教育闘争も話題となった。
 餞先生は1943年の秋、桂林の地で、中国学術史に輝く、有名な学府「無錫国専(むしゃくこくせん)」の教壇に立たれている。
 この学府は、本来、江蘇省の無錫にあったが、戦乱によって閉鎖を余儀なくされ、桂林に分校を開いたのである。
 非道な日本軍は、この麗しき桂林にまで攻撃を加え、饒先生をはじめ「無錫国専」の先生方や学生たちは、さらに南の蒙山(もうざん)に避難された。
 その筆舌に尽くせぬ苦難のなかでも、饒先生たちは、断じて教育と学問の火を絶やされなかった。避難の地である蒙山でも、学生たちのために、授業を続けられたのである。
 そうした姿は「山の洞窟に教室を開き、学生を育成する。文化の光は、戦争を圧倒するにちがいない」と歴史に讃えられている。
 以来、60余星霜──先日、私たちの対談の名司会の孫博士は、この蒙山を訪問されて、戦時中、饒先生が心血を注いで教えられた方々に出会った。
 その一人は、戦乱と混迷のさなか、教育をしてくださった饒先生へのご恩返しをしたいと、その後の生涯を、小学校教育に捧げておられたというのである。
 自分の使命の場所に厳として立って、断じて恩に報いる。これほど神々しい人生はない。
 一、饒先生と私は、中国の書の歴史に名高い、大詩人・蘇東坡(そとうば)(蘇軾(そしょく))と黄山谷(こうさんこく)(黄庭堅(こうていけん))の師弟についても語り合った。
 11世紀に活躍した蘇東坡は、「宋の四大家」の一人として著名な書家でもある。
 しかし、技術以上に「人間性」を重んじて、新たな書の歴史を切り開いた蘇東坡は、波乱に富んだ人生を送り、さまざまな中傷を受けた。
 そうした中、弟子の黄山谷は、師匠に浴びせられた、いわれなき誹謗に断固と対抗して、繰り返し、また繰り返し、師匠を宣揚していったのである。
 黄山谷は記した。
 「本朝(わが国=編集部注)の能書家は、東坡をもって第一とすべきである」
 「東坡先生の晩年の書は豪壮をきわめ、海上の風や濤(なみ)のような気象をもっている。こうした点が、他人のどうしても到りえないものなのである」
 「俗人たちが喜んで妄(みだ)りに先生の書を譏(そし)るので、このような文を書いておく」(以上、足立豊訳「山谷題跋」、『中国書論大系第4巻』所収、二玄社
 わが師匠の真実を、厳然と語りに語り、書きに書いて、広め抜いていく。この弟子の執念の闘争に、師匠への報恩の誠がある。

 使命の大道を! 
 一、国と国の間においても、忘れてはならない文化の恩義がある。
 私は、仏教伝来の大恩ある中国、韓国、またインドなどの国々と、深い報恩の心と、未来の青年の道を開く決心をもって、平和友好の橋を結んできた。
 そうした私の行動を、饒先生は深く温かく理解してくださっている。
 〈対談で、饒教授は述べている。
 「池田先生は、1968年、いち早く中国の国際社会への復帰を盛り込んだ『中国提言』を発表し、中日友好の先鞭をつけられた万です」
 「(次代を見据えて池田先生が推進される)『青年』『教育』に焦点をあてた交流は、実に素晴らしい。
 中国と日本の架け橋として尽力された方は少なくありませんが、池田先生のように、"未来"という縦軸と"民衆"という横軸に、友好の心を広げてきた方は稀なのではないでしょうか」〉
 私は、さらに一段と、平和への対話の波を広げてまいりたい。これが、恩師から託された使命の大道だからである(大拍手)。
    ((下)に続く)