昨日の会合で学生部書記長が新任抱負で「昭和54年、会長勇退問題」に言及した。新体制の学生部最高幹部には昭和54年以降の生まれの幹部が多く、第一次宗門問題決着世代であるとした。


メモはとれなかったので自分の感想程度で書きまとめる。

当時に身をおいて考えてみると、自分が20代である学生ならば一切の名誉や保身、利害その他諸々の命は関係ない筈であり、『時のは流れには逆らえません』発言をした当時の幹部、またそれを傍観していた者には憤る以外にない。
自分には何が出来たか。
一学生部員が声を上げたところで、本部に乗り込んでも最高幹部の決定が変わるわけもない。そんなことは百も承知だ。


師匠から、御家族からお預かりした部員さんを守ることに躍起になっていただろう。首都圏といえども片田舎の学生部なんて本部とは隔世の感がありすぎる。

まだ信心を初めて1、2年そこらの部員は自覚も薄いしブレやすい。幹部になっていようがいまいが。魔に峻働され信心が喰い破られてしまえばそれこそ、『我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけん』の御文の通りである。

部員の決意を完遂させるために幹部はいる。