代表幹部研修会(下)
師弟不二!求道の心で師匠にぶつかれ
一、人間の本当の偉大さは、どこにあるのか。
それは、華やかな表舞台で活躍することでは決してない。
脚光もない。喝采もない。それでも、自分が決めた使命の舞台で、あらんかぎりの、師子奮迅の力を出し切って、勝利の金字塔を、断固、打ち立てていく。
その人こそが、最も偉大なのである。
慧眼の士は、その陰の労苦を見逃さない。
また、そうした戦いに徹し抜いてきた人の風格は、おのずと、にじみ出てくるものだ。
大歴史学者のトインビー博士が、社会に注がれる眼差しも、まことに奥深く、温かかった。
1969年(昭和44年)の7月、人類初の月面着陸の壮挙が、アメリカの宇宙船アポロ11号によって成し遂げられた時のことである。
博士は、打ち上げが成功した翌7月17日何の朝日新聞に、「月は人類にどう役立つか」という一文を寄せられた。
そのなかで次のように綴っておられる。
「宇宙飛行士の冒険心と勇気は全面的に称賛すべきものだ。
しかしここで想起せねばならないのは、何百人、何千人という科学者、技術者の熟練、苦労、献身、忠誠の支援がもしもなかったとしたら、宇宙飛行士という人類のスターは地面を飛び立つことすらできず、まして月に到着することも無事帰還することもできなかろうということである。
地上で働くこの無数の功労者の業績の方が、宇宙飛行士の功績より倫理的にはずっと感動的なのである」(秀村欣二・吉沢五郎編『地球文明への視座』経済往来社)
世界中の目が、人類初の舞台に立つ宇宙飛行士の姿に注がれるなかで、トインビー博士は、その大偉業を陰で必死に支える、たくさんの科学者や技術者たちを見つめておられた。
さすが、トインビー博士の着眼である。
戸田先生も言われた。
「いかなる偉大な事業でも、すべて、それぞれの部署で、責任を果たす、各人の力が集まって、全体の進歩、発達があるのである」
博士と私の対談は、この月面着陸から3年後のことであった。
勇気は逆境における光だ!
一、ともあれ、「陰徳あれば陽報あり」(御書1178ページ)──これは絶対の「因果の理法」である。
戸田先生の事業が窮地に立たされた時、私は先生のそばに残った。いつでも駆けつけた。一切を捧げて、お応えした。
私は先生と28歳の年の差がある。私より年長の弟子もいた。しかし先生は、ほかのだれも、あてにされなかった。
恩知らずにも、多くの弟子は、先生のもとから去っていった。
押しかける債権者。冷酷な世間の目──。夜通し戸田先生の自宅でお守りしたこともあった。
ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセは述べている。
「人間の本性は、逆境に陥ったときにはじめてはっきりと現れてくる」(岡田朝雄訳『地獄は克服できる』草思社)
また「勇気は逆境における光である」とは、フランスの思想家ヴォーヴナルグの名句である(竹田篤司訳「省察と箴言」、『世界人生論全集9』所収、筑摩書房)。
私は阿修羅のごとく、必死で戦った。
峻厳であった。
崇高であった。
先生は言われた。
「大作、仏法は勝負だ。男らしく、命のある限り、戦いきってみようよ。生命は永遠だ。その証拠が、必ず、何かの形で今世に現れるだろう」
その通りの「師弟勝利」の確たる証拠を、私は示し切ってきた。
師とともに生き、師とともに勝ち、師とともに未来を見つめた、わが青春──それは苦闘の連
続だった。だが、最高の誉れの日々であった。
恩師が発した言葉は、一言一句も、もらさずに、すべて実現してきた。
この不屈の師弟ありて、今の学会がある。
皆さんも、そういう人生を生き抜いていただきたい。
だれが、ほめ讃えなくとも、師匠にはわかる。
もっと、もっと、まっすぐに師匠にぶつかっていく──それが弟子だ。師弟は「不二」であるからだ。
求道の人の、勝利と栄光の証しは、一家眷属が勝ち栄えゆく福運となって必ず現れる。
「冥の照覧」は厳然であることを、どうか、晴れ晴れと確信していただきたい(大拍手)。
「御書」は希望の経典!魔を破る宝剣! まず最高の哲学を学ベ
永遠の指針 女子部は教学で立て 女子部が輝けば創価の未来が輝く
まずエレベーターで最上階へ
一、本年は、『御書全集』の発刊から55周年である。
学会は永遠に御書根本で進む。一切の勝利の源泉は御書にある。
戸田先生は、常に教えられた。
「不思議なもので、御書を拝せば、他の一切のものが易々と読めるようになる。生活のことも、明確な判断ができるようになる。ゆえに人生に行き詰まりはないのだ」
「最も高き思想から学べ! 御書を拝していけば、あとのことは、全部、わかってくるものだ」
そして、こう、わかりやすく話をされた。
「牧口先生はーデパートの8階ヘエレベーターで上って、それから歩いて下りるのと、8階まで歩いて上り、エレベーターで下りるのと、どちらが楽で価値的であるか──と、よく言われた。
まず大宇宙の根本原理の当体である、御本尊を信ずることにより、すべてが、はっきりするのである。同じように、御書をまず学ぶことが大切である」
一日に一節だけでもいい。日々の広布の戦いの中で、徹して御書を拝していくことだ。
御書は"希望の経典"である。
障魔を打ち破る"宝剣"である。
一、とくに女子部の皆さんは、御書に親しみ、一生の幸福の土台をつくっていただきたい。
戸田先生は最大の期待を込めて語られた。
「女子部は教学で立ちなさい。
どんな問題が起ころうとも、御書を根本とすれば、決して紛動されることはない」
教学で立て!──これが女子部の永遠の指針である。
心に深き哲学がなければ、浅薄な人生になってしまう。
草創期の女子部の凛とした心は、じつに立派だった。邪悪は許さない。勇敢に正義を語り抜く。その先頭が、故・多田時子さんであった。
私は心から女子部の友の奮闘を讃えたい。
戸田先生は、女子部のリーダーを、ある地域の御書講義に派遣されたことがあった。
その地域の幹部に先生は「この女性は、私が手塩にかけて育てた女子部だ。私の代わりに講義に入ってもらうのだから、粗末にしてもらっては困る」と厳命された。
大聖人は「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず」(御書1360ページ)と仰せである。
女子部が輝けば、創価の未来が輝く。
新世紀の女子部の模範を、今こそ築き上げていただきたい(大拍手)。
なぜ対話の道を
一、このほど、ヨーロッパ科学芸術アカデミー会長であるフェリックス・ウンガ一博士との対談集『人間主義の旗を──寛容・慈悲・対話』が、東洋哲学研究所から発刊された。
博士はオーストリアの方で、世界的な心臓外科医としても知られる。
思えば、この対談の開始に当たって、ウンガ一博士は、私に、こう鋭く質問された。
「池田会長は、国際的な文化交流を通じて、驚くべき勢いで平和のメッセージを発信しておられます。そこで、『対話』を始めるにあたって、まず、その個人的動機がどこからくるのか、ぜひ、うかがっておきたいのですが」と。
その返答の一つとして私が挙げたのは、「師の精神の継承」ということである。
第2次世界大戦のさなか、生命尊厳の哲学である日蓮大聖人の仏法の精神のままに立ちあがったのが、創価学会の牧口初代会長であり、戸田第2代会長であった。
軍国主義と戦った両会長は逮捕され、牧口先生は獄死。
生きて出獄された戸田先生は、師の精神を継いで、平和の闘争を開始された──。
私はウンガ一博士に申し上げた。
「私も今、戸田会長の精神を、まっすぐに受け継いでいるつもりです。
『この地上から悲惨の二字をなくしたい』──この戸田会長の『夢』の実現に向かって行動することが、私の人生のすべてなのです」
文化国家を創れ
一、私が大聖人の仏法を信奉したきっかけについても、申し上げた。
それは──ひとえに恩師・戸田会長と出会い、その深き人間性にひかれたからである。
恩師は、初対面である19歳の私に、旧知のような親しみと、誠実さ、率直さで、「安穏な、平和な文化国家をつくろうではないか!」「世界人類のために貢献する国を築こうではないか!」と語られた。
ウンガ一博士は、この師弟の出会いに深く共鳴して、述べられた。
「その戸田会長の呼びかけのとおり、現在も池田会長は、人類の平和な未来に不可欠な『文化交流』という作業に、たゆみなき努力を続けておられます」と。
「わが師の言われた通りに」戦い、「わが師の構想の通りに」実現する。これが私の人生の実像である。
民音推進委員の皆様ありがとう
一、きょうは、創価の平和と文化の大城を、厳然と守り支えてくださっている方々の代表も、出席されている。
ウンガ一博士は語られていた。
「宗教とは、さまざまに解釈することができますが、『すべての文化の源』です」
宗教も、哲学も、美しい文化へと結実してはじめて、多くの人に深く理解されていく。
文化の否定は、人間性の否定にほかならない。
私は、民衆の手に文化を取り戻すために、民音(民主音楽協会)を創立した。1963年(昭和38年)のことである。
文化は、国を超えて、心と心を結ぶ。
今や、民音が招へいした海外交流国は、95カ国・地域に広がっている。
この民衆の「妙音の大城」を、私とともに支えてくださっているのが、尊き民音推進委員の皆様である。深く感謝申し上げたい(大拍手)。
出会いとは発見
一、人類にとって最大の発見──それは「他者の出会い」であると、ウンガ一博士は言う。
「対話によって人は、他者の経験を聞けますし、視野を広げることもできます」
「ある一つの意見と別の意見が真に交われば、三つめの意見、新たな意見が生まれます」
「それは、『1たす1は、2でなく、3になる』という人間的算数の好例です」
このように博士は語っておられた。
まさしく、真の対話は、自分を大きくする。
真の対話は、新しい価値を創る。
博士は、情報通信技術が進歩し、情報量や情報交換のスピードが増した今日では、その分、ますます対話が必要である、それだけ対話のチャンスが広がっていると言われているのである。
一、オーストリアの女性作家ズットナーについても博士と語り合った。
オーストリアの2ユーロ硬貨にも肖像が措かれている。反戦小鋭『武器を捨てよ!』で有名な、「平和の文化」の先覚者である。
一人の人間も、歴史を変えられる──これが彼女の確信であった。
彼女は、無理解や中傷にも負けなかった。勇敢に書いて語って、平和の連帯を広げていった。
かのアルフレッド・ノーベルが、ノーベル賞のなかに平和賞を設けたのも、ズットナーとの交流で啓発を受けたことが、一つのきっかけとなったといわれている。
すべては、真剣な一人で決まる。
なかんずく、妙法に生きゆく一人の女性の心には、家族から、地域へ、社会へ、世界へ、そして現在から未来へ、子孫末代へと、無限の「幸福」と「勝利」の門を開く力があるのである。
ウンガー博士 文化交流から平和が
戸田会長の構想を池田会長が実現
95カ国と友好 民音で世界の心を結びたい
草の根を噛み岩盤に爪を立て
一、戸田先生は語っておられた。
「私は、全部、牧口先生の言われる通りにした。牧口先生とお会いしていなければ、今の私はない。常に師匠の広大な恩を心に思っていくのだ」
これが師弟である。
私も、戸田先生の言われる通りに戦った。一言たりとも違えていない。
先生は言われた。
「たとえ、草の根を噛み、岩盤に爪を立てても、前へ進み、勝ち抜いていけ!
誓いを果たし抜いてこそ、師子である」
戸田先生とお会いしてからの60年間、私の心には、ただ「報恩」しかなかった。
先生は、"雇われ根性が、最も醜い""青年にそんな根性があれば、将来の見込みはない"と厳しく言われた。
中途半端な気持ちでは広宣流布の大事業は成し遂げられない。
正義なればこそ、迫害される。これが多くの歴史である。
先生は「何が起きても潰れない、鉄の塊のような団体をつくっておきたい」と言い残された。
すべてを弟子に伝え、託そうとの甚深の思いであられた。
「全責任は、幹部にある。自分で責任をもつのだ。絶対に、人に任せてはいけない」
これも、恩師の叫びである。
リーダーが模範を示してこそ、皆が奮い立つ。
とくに青年部は、若いのに、人任せにするような、ずるい人間には断じてなってはならない。
学会精神を「持ち続ける」とは、どういうことか。
それは、実行である。絶え間なく行動することである。
実践にこそ、日蓮仏法の魂があるのだ。
一、古代ローマの哲学者キケロは言った。
「善く生きること、幸福に生きることとは、なんと申しても、高貴に生きること、正しく生きることに、ほかならないのです」(鹿野治助責任編集『世界の名著』中央公論新社)
しかし愚かな人間は、傑出した人物を、ありのままに讃えることができない。それどころか、不当に貶(おとし)めようとする。
ドイツの哲学者ショーベンハウアーは指摘している。
「嫉妬は、あらゆる種類の個々の傑出した人物に対して、凡庸(ぼんよう)者どもが申し合わせなど抜きに暗黙裡にとり結び、いたるところで栄えている同盟の魂なのだ」(秋山英夫訳『随感録』白水社)
悪らつな嫉妬の心を叩き壊すものこそ、強き信心の力である。
一、いよいよ、本年の後半戦である。
怒涛のごとき上げ潮で、民衆救済の対話の渦を巻き起こすのだ。
そのためにも、一つ一つの集いに力を入れていくことだ。
戸田先生は強く言われた。
「同志を大切にしていくことだ。この会合に集った同志から、すべて始まるのである。この会合から、勝っていくのである」
小さな会合だからと決して疎かにしてはならない。
集われた同志に感動を与えるのだ。
来てよかったと満足を与えるのだ。
リーダーが、来てくださった方々に、励ましの薫風を送るのだ。
そして一人一人が、自分が「創価学会の会長である」「広宣流布の責任者である」との深き自覚と使命に立って、新しき「創価の第2幕」を開いていただきたい(大拍手)。
(2007・8・26)