方面長協議会(下)
島崎藤村 新時代を開くためには自分自身を新しくせよ
一、日蓮大聖人の仏法は、闇を打ち破る太陽の仏法である。
新しい太陽を昇らせよう!
わが生命に!
わが一家に!
わが地域に!
大聖人は仰せである。
「大闇をば日輪やぶる」(御書1114ページ)
どんな悩みがあっても、胸中に「信心の太陽」を昇らせれば、苦悩の闇は消え去っていく。希望の夜明けは、必ず到来する。
自分が太陽となるのだ。自分の中に太陽はあるのだ。
新しい「夜明け」を望んだ文人・島崎藤村は、こう綴っている。
「誰でもが太陽であり得る。わたしたちの急務はただただ眼の前の太陽を追いかけることではなくて、自分等の内部に高く太陽を掲げることだ」(「太陽の言葉」、『藤村全集第九巻』所収、筑摩書房。現代表記に改めた)
いい言葉である。大聖人の仏法にも通ずる。
心が老いてはいけない。心が負けてはいけない。
日々、太陽の大生命力をわきいだし、健康になって、言々句々に力をみなぎらせ、勢いよく行動していこう!(大拍手)
若き人のつとめ
一、文学の革新にも挑んだ藤村は、こう記している。
「ほんとうに自分等が新しくなることが出来れば、旧いものは既に毀れている」「来るべき時代のために支度するということも、わたしに取っては自分等を新しくするということに外ならない」(『千曲川のスケッチ』奥書、岩波文庫)
自分を新しくする──非常に大事な視点である。
環境が変わらないと嘆くより、まず自分が変わることだ。生まれ変わることだ。まさしく、人間革命である。
藤村は「早春記念」と題する一文に綴った。
「おのがじし(=それぞれ)新しきを開かんと思へるぞ、若き人々のつとめなる」(『藤村全集第一巻』所収、筑摩書房)
一人一人が、新しい生涯を開こうと思うことこそ、若い人々の使命だというのである。
若い人の時代である。私は、青年の成長が待ち遠しい。
青年部、よろしく頼みます! 先輩は、青年を育てよう!(大拍手)
女性の目覚めが時代を変える!
一、藤村は、新しい時代を開く女性の役割に期待を寄せた。
否、女性が目覚めて立ち上がらない限り、決して社会は変わらないと断言した。
「いかなる時代の革新にも婦人の覚醒を伴わない場合はない」(「婦人の眼ざめ」、『藤村全集第九巻』所収。現代表記に改めた)
「婦人の覚醒を伴わないような時代の革新は真に根本的なものとはなり得ない」(同)
「覚醒」とは「目覚めること」である。
何に目覚めるのか。一つには、女性が自分の持っている大きな可能性に目覚めるということだ。そのためには、生命を深く洞察した哲学が必要である。
わが大便命に目覚めた女性。その先駆者こそ、創価の女性たちなのである。
大聖人は仰せである。
「法華経を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男性にも超えている」(御書1134ページ、通解)
「たとえ、太陽と月が地に落ち、須弥山が崩れたとしても、(妙法に尽くす)あの女性が仏になられることは疑いない」(同1390ページ、通解)
妙法を待った女性は、必ず最高の幸福境涯に至る。それは絶対に間違いない。
婦人部、女子部の皆様は、その深い確信を持ち、希望を燃え上がらせて、わが道を、堂々と進み抜いていただきたい(大拍手)。
太陽の仏法で人間革命に前進!
尊き役員に感謝
一、私が初めて長野研修道場を訪れたのは、1979年(昭和54年)の8月20日である。以来、交流の歴史を幾重にも刻ませていただいた。
〈同研修道場には、世界的作家アイトマートフ氏(90年)、国連協会世界連盟一行(99年)、フィリピンのアンヘレス大学一行(同)、中国の華南師範大学一行(2000年)、インドのヒマーチャル・プラデーシュ大学一行(2002年)など、多数の海外の識者を迎えている)
アメリカ、ブラジル、イタリア、韓国などの同志の代表とも、この他で縁を結んできた。
韓国男子部の皆さんは1986年の出会いの日、8月18日を「部の日」と制定し、原点とされている。
良き市民として、信頼の根を張っている姿は、じっに素晴らしい。
さらに現在、第20巻を連載中の小説『新・人間革命』の執筆を開始したのも、ここ長野であった。(93年8月6日)
長野そして信越の目覚ましい広布前進の様子も、本当にうれしい。
すべてが、世界広宣流布の勝利の道を開く、大いなる歴史である。陰で支えてきてくださった信越の同志の皆様方に、改めて感謝申し上げたい。
尊き役員の皆様、そして、ご家族の皆様方、大変にありがとうございます(大拍手)。
とくに、研修の食事を担当してくださっている白雲会の皆様、婦人部の役員の皆様方には、重ねて御礼を申し上げたい。
戸田先生も、よく言われた。
「腹が減っては戦はできない。いかなる戦いでも、これが鉄則だよ。
幹部はまず、みんなが腹を減らしていないかを考えることだ。食の調達はすべての戦いの生命線でもある」
白雲会の最高参与であった、亡き島崎光次さん、また現在の委員長であられる中楯績夫さんをはじめ、本当に献身的に同志のために尽くしてくださっている。
この席をお借りして、私は声を大にして宣揚させていただきたい(大拍手)。
大聖人は「生あるものに食事を施す者は、長寿の果報を招く」(御書1296ページ、通解)と仰せである。
これは通常の因果を教えられたものだ。いわんや、広宣流布に戦う同志のために尽力してくださる白雲会の方々の功徳は、三世永遠にして無量無辺である(大拍手)。
三代の闘争に大乗仏教が脈動
一、創価三代の正義の大闘争を、世界の一流の識者は、高く評価してくださっている。
ハーバード大学のドゥ・ウェイミン博士は、私との対談集の中で、こう言われていた。
「(国家主義や宗門の権力と戦い抜いた)創価学会の指導者たちの勇気ある良心的態度に、深く感動します。
牧口会長から戸田会長、池田会長に至る三代の系譜にこそ、大乗仏教の本来の精神が脈動していることを、改めて感じます。
反対に、偏狭で保身の僧らに見られる、世俗主義と権力への服従は、大乗仏教の核心である人間主義を深刻に害したといえます」(『対話の文明──平和の希望哲学を語る』第三文明社)
深いご理解に感謝したい。
三代の死身弘法の魂を、何があっても受け継いでいくのだ。師弟の精神こそ、学会の魂である。この魂ある限り、永遠に創価は栄える。 師匠がいるうちは仮面をかぶって忠実を装っているが、厳しい眼がなくなると、途端に己の欲望をむきだしにする。そういう輩は、いつの時代にもいた。勝手気ままな振る舞いを、決して許してはならない。けなげな庶民が、かわいそうだ。
創価の民衆の城を、わが身を大地に叩きつけても護り抜いていくのだ。私は、そうやって戦ってきた。だから学会はここまで発展したのである。
「名誉欲、高慢は敵に利用される」
一、人類の英知の言葉に学びたい。
古代ローマの大歴史家ポリュビオスは喝破した。
「無思慮、向こう見ずなこと、盲目的情熱、虚栄心の強い名誉欲、高慢は敵に利用され易く、味方を危険にさらす」(竹島俊之訳『ポリュビオス 世界史(1)』龍渓書舎)
広布の敵は、虎視眈々とスキをねらっている。
「すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(御書1190ページ)
ゆえにリーダーは、つねに自らを強く戒めていかねばならない。立場が上がるほど、責任は重くなり、魔も強くなる。
「仮面の後ろに隠された嫉妬」
一、私がともに対談集を発刊した、ヨーロッパ統合の父・クーデンホーフ・カレルギー伯爵は、次のように洞察された。
「ソクラテスは嫉妬から毒殺され、シーザーは嫉妬から刺殺され、アルミニウス(=ローマ軍を破った将軍)は嫉妬から撲殺されている。
すぐれた者にたいするこのような闘争は、中世においても、近世においてもつづいている」(鹿島守之助訳『クーデンホーフ。カレルギー全集5』鹿島研究所出版会)
「ヨーロッパの歴史においては、人間の嫉妬が偉大な指導者を倒して滅亡させている。この嫉妬は、幾千もの仮面のうしろに隠されているのである」(同)
嫉妬が偉大な指導者を倒そうとする。これが歴史の語るところである。
歴史観を養えば、複椎な現実も、すっきりと見えてくる。
無冠の民衆こそ偉大
キング博士 団結して変化を生み出せ!
多彩な人々を生かし切れ!
一、中国の古典『法言』では、天下を争った項羽と劉邦を対比分析しながら、こう述べられている。
「衆智を尽す者は勝ち、独力で戦う者は負ける」(鈴木喜一著『法言』、明徳出版社)
自分だけで、何から何までやろうとすれば敗れる。それは器の小さいリーダーのすることだ。
多くの人々の知恵を集め、多彩な人々の力を十分に生かし切ってこそ、勝利は得られる。
そのためにリーダーは、公平でなければならない。私利私欲や、小我にとらわれては、リーダー失格である。大きな人格を培ってこそ、将に将たる者の資格が生まれる。
一、「人びとが互いに交わり合う場合には、味方を敵にするのではなく、敵を味方にするように振舞うこと」(ディオゲネス・ラエルティオス著、加来彰俊訳『ギリシア哲学者列伝(下)』岩波文庫)
これは、古代ギリシャの大哲学者ピタゴラスの言葉とされている。
外交で勝つ。言論で勝つ。振る舞いで勝つ。その根本は誠実である。
陰の人が偉い
一、アメリカの人権の指導者キング博士は、次のような体験を語っている。
──以前、キング博士が乗っていた飛行機が離陸する直前、故障が見つかった。しばらくすると、窓の外で、汚れた仕事着を着た6人ほどの地上整備員が、油にまみれて作業を始めるのが見えた。その後、修理は成功し、飛行機は無事に飛び立った。
飛行中、しみじみと博士は思った。皆から注目される場所にいる人が偉いのではない。目立たないところで、汗と油にまみれ、だれからも賞讃ざれずに奮闘している、彼ら地上整備員がいるからこそ、巨大なジェット機は飛べるのだと──。
私は、航空業界で活躍してこられた、わが空友会、地友会の同志と重ね合わせながら、このエピソードを心に留めた。
キング博士は、この話を通して、日々の生活の中で人権の勝利のために懸命に戦っている、幾千幾万の「無名の戦士」たちへの感謝を語った。
「人間進歩の道を計画することのできるすばらしいパイロットはいる。(中略)だがもし地上整備員がいなかったとすれば、人間の尊厳と社会正義への戦いは軌道に乗ることはないであろう」(クレイボーン・カーソン編、梶原寿訳『マーティン・ルーサー。キング自伝』日本基督教団出版局)
キング博士の言葉通り、アメリカの公民権運動の勝利は、一握りのリーダーの手柄ではなく、無冠の民衆による不屈の団結のたまものだった。
キング博士は叫んだ。
「変化を生みだすためには、人びとは力をあわせていっしょに仕事ができるように組織しなければならない」(猿谷要訳『黒人の進む道』サイマル出版会)
「心のなかの強さと誠実さが、われわれをもう一度完全なものとするだろう」(同)
リーダーは謙虚に!一心不乱たれ!
戸田先生 汝自身に力をつけよ
「一日見ず、三月の如し」
一、同志の団結が勝負を決する。
戸田先生は、近代日本の夜明けを開いた志士の一人、高杉晋作がお好きだった。晋作といえば、「奇兵隊」が有名である。
晋作の師匠・吉田松陰は、時代を変えるには民衆の力しかないと結論した。晋作は、身分を問わず有志を集め、民衆の部隊・奇兵隊をつくった。
晋作が、同志の桂小五郎に送った書簡には、次の一節が見える。
「一日見ず、三月の如し」(堀哲三郎編『高杉習作全集(上)』新人物往来社)
"一日会わないでいると、三カ月も会ってないように思える"との意である。同志を大切に思う真情があふれている。
学会もまた、同志を大事にしてきた。位や権威ではない。同志の心と心の結びつきで勝ってきた。
"自分さえよければいい"というのは権力の魔性だ。傲慢な人間、威張る人間は、学会に必要ない。
「身軽法重(身は軽く法は重し)」である。「不自惜身命(自ら身命を惜しまず)」である。大事なのは「自分」ではなく「法」である。それが仏法だ。また、広布を進める唯一の和合僧団たる学会を護ることである。
学会は、師弟の精神を根本として、全員が平等の世界だ。特権や差別など、断じて許してはいけない。学会は、どこまでも民衆のために存在し、民衆のために戦う団体として前進していくのだ。
上の立場にある人間が、謙虚に、謙虚になっていくことである。
リーダー一人一人が、断固たる自信と、崇高な信念を持ちながら、最高の礼儀と慈愛にあふれた指導者に成長していただきたい。
皆が喜び勝てる名指揮を執れ
一、戸田先生は、よく言われていた。
「汝自身に力をつけよ。汝自身に悔いなき信念を持て!」
「力を持て! 全軍が勝利の方向に進めるよう、模範となっていけ!」
広布の戦いに、全部、勝てるように、そしてまた、皆が喜んで戦い、勝っていけるように、しっかり祈って、名指揮を執っていただきたい。
祈って祈って祈り抜いて、語って語って語り抜いて、礼を踏み、誠意を尽くし抜いていくのだ。
気取りがあってはならない。師匠のため一心不乱に戦い、身を粉にして同志に尽くしてこそ、本物の弟子である。
皆からよく見られようとお世辞を使ったり、人気取りに走るのは、本物ではない。それは見栄である。その点、戸田先生は、本当に厳しかった。要領があってはならない。ずるい幹部ではいけない。
私は、戸田先生のもとで、先生に喜んでいただき、社会から「さすが学会だ」と讃嘆されるような前進を期していた。日本中の度肝を抜くような勝ち戦をしようと決めていた。そして、その通りに実行した。
さあ、きょうから、全員が「勝利」を合言葉に戦っていこう!
同志のため、日本のため、世界のために。
そして、自分自身の栄光の人生と、創価の師弟の勝利のために!
どうか、体を大事に。
壮年部は、奥さんによろしく!
婦人部は、ご主人によろしく!
青年部は、お母さん、お父さんによろしく!
同志の皆さんに、くれぐれもよろしく!(大拍手)
(2007・8・28)