大使命に生き抜く 君と私の宝冠

                    山本真一



君は常に
失敗の連続の人生と
思っている。
それは
あまりにも愚かだ。

恥の上塗りを
するような人間は
いつまで経っても
勝利できない。
希望もなく
幸福も湧かない。

デンマークの哲学者
キルケゴールは叫んだ。
「人間は生きている限り
 自分自身を
 投げ棄ててはならない、
 人生のある限り希望がある」

切なくとも
自分らしき夢を持って
大きな希望と
幸福の生命の建設へ
走りゆけ!

たまには
大空に向かって
大声をあげていくのだ。
私は必ず勝ってみせる!
天下一の幸福者
なってみせる!
正義の英雄として
天に煌(きら)めく幾千万の星から
賞讃の光を浴びるのだ!

キルケゴール
さらに言った。
「決意とは、善のために
 あらゆることを為(な)そうと
 願うことである。
 それは利巧ぶって
 善から利益を引き出そうと
 いうことではない」

歴史に輝く
偉大な人間は
必ず無量の中傷と
死に追いやられるほどの
迫害を受けている。

しかし彼は
偉大なる思想を持ち
自らの英雄的行為の
大いなる喜びと誇りに
燃えていた。

彼は負けなかった。
彼は勝った。
喜びにあふれる瞳を
光らせながら
彼はまた
大いなる挑戦に
励んでいった。

アメリカの民衆詩人
ホイットマン
若き弟子に語った。
「どんな困難であろうと
 人が最後まで
 克服できないようなものは
 決してない」
その通りだ!

いかなる苦難の集中を
全身に浴びても
彼の正義に打ち震える
痛烈な絶叫は
多くの敵の胸を砕いた。

彼は自らの任務に
彼は自らの正義に
彼は自らの信念に
悠然と立ち上がって
生き抜いていった。
そして
勝ち抜いていった。

仏法では
「心こそ大切なれ」と
結論する。
八万宝蔵の究極は
「心」の偉大さを
説き明かしているのだ。

心とは何か。
心をどうすべきか。
ここに人生の
そしてまた
人類の一切の鍵があることを
忘れてはならない。

正義に戦う君の心は
常に黄金に包まれ
光を放っている。
君は
ついに立ち上がった。
正義と信念のために
戦い始めた。

真実の人生の
開拓者である君は
高邁な精神を輝かせながら
厳然と行動を起こした。

蓮祖大聖人は
師子吼なされた。
「各各師子王の心を
 取り出して
 いかに人をどすとも
 をづる事なかれ
 師子王は百獣にをちず
 師子の子・又かくのごとし」

多くの峨々たる
山径(みち)を越え
峻厳な山々を
よじ登りながら
君は敢然と
師子王の心で
戦いを開始したのだ。

「私たちは
 もっと勇敢に語ろう」とは
古代ローマの哲人
セネカの呼びかけである。

君の偉大なる母は
若き英雄たる君の
戦闘の限りなき前進を
誇りも高く
静かなる心で
来る日も 来る日も
祈り見守っていた。

慈愛の心で
皆に幸福の光を
贈りながら
雨の日も 風の日も
暑い日も 寒風の日も
尊き決意も静かに深く
崇高な母の魂の戦いは
不滅の輝きを放ち始めた。

最も尊敬する
高貴な母は
君の正義の戦いの
勝敗を見ずして
死んでいくかもしれない。
彼は老いたる母に
苦しみを与えてはならないと
痛感していた。

しかし
母が彼と語り合う姿は
その尊貴なる正義のために
完璧な一致を見ていた。

いな 調和ある
理想的な母と子の
語り合いには
最高の人間としての
拍手喝采を贈りたい。
どんなにか嬉しい対話が
続いていったことであろうか。

大科学者マリー・キュリー
共に人道と探究の道を歩む
愛娘のイレーヌに言った。
「あなたの若さ、
 あなたの感じている
 生きて働くよろこび、
 あなたの
 母親をおもう心が
 私を力づけるのです」

天空の星々の輝き以上に
君の正しき信仰の塊は
永遠なる全宇宙と共に
終局も休止もない。

晴れやかに
生き生きと
生命の奥義の法則に
則りながら
今日も
そして明日も
楽しく
無上の歓喜を浴びながら
永遠に正義の旅路を
生き抜いていくことだ。

わが師・戸田城聖先生は
語られた。
「決して特別な
 偉い人というのはいない。
 凡夫の姿
 凡夫の位でありながら
 あらゆる人を
 救える力を持てる人が
 真実に偉い人だ」

決して
君には
敗北の疲れがない。
永遠に動いても
疲れがない。

これを
妙法の最極の
リズムというのか。
生命の極致の
法則というのか。
常に仏の命と融合し
合致しゆく君の人生には
一切の悔いはない。
永遠の生命の功徳が
残りゆくのだ。

「おお若者よ、
 稀有の美徳をあらわして、
 ほまれを
 星天にまで謳われたまえ」
これは
イタリアの桂冠詩人
ペトラルカが
大切にした詩句である。

君が
正義のために
権力の犠牲になり
たとえ
暗き牢獄の中に行こうとも
私は断固として
腐敗した
陰気な弾圧者どもと
一生涯 戦い続けて
絶対に勝ってみせる。

私の人生は強い。
私の魂は若い。
「断じて負けぬ」
これが
私が師匠から遺言された
一言であるからだ。

ある国の格言には
「親は体をつくり
 師匠は心をつくる」
と教えられている。
巌窟王の師匠に
鍛え抜かれた私の心も
巌窟王である。

近代看護の母
ナイチンゲールは明言した。
「最も優れた弟子こそ
 最も優れた師となり」
そうだ。
だからこそ
師弟の道は永遠に続くのだ。

御聖訓には
捏造の中傷を
明確に喝破されている。
「是偏に
 日蓮を失わんと為(し)て
 無かろう事を
 造り出さん」
「そねみ候人の
 つくり事」

私のことを妬み
全く無いことまで
穿(ほじく)り回そうとする
卑しき者どもや
残酷にして不条理な
悪党の連中どもになど
断じて負けてたまるか!

ある偉人が書いていた言葉を
今でも覚えている。
「怨みの傲慢 嫉妬は
 人間の行為の
 かくれた動機であることが
 大変多い」

正義に傷をつけ
侮辱しようとする
卑劣な変節漢どもに
笑われてたまるか!

オーストリアの作家
ツヴァイクも見破っていた。
「利己主義というやつは、
 他人の所有であるものも
 残らず乱暴に自分の方へ
 ひったくろうとする。
 それは
 貪欲な手と
 嫉妬にゆがんだつらを
 している」と。

君も 私も
青年時代は貧しかった。
しかし
貧しいことが
誇りであった。
劇の如く勝ちゆく
私の魂は
貧しいことなど
ひとつも気にしなかった。

若き私は
常に立ち上がった。
若き私は
常に前進した。
そして勝ち抜いた。

意気揚々として
確かなる
勝利と希望の道に向かって
学んだ!
戦った!

貧しき母の笑顔も
朗らかな母の笑顔も
いかなる裕福な金持ちと
うぬぽれる人々よりも
何千倍も
尊く美しく映った。

人生は劇だ。
この世の瞬間の
権力も地位も名声も
一瞬の夢であり
幻の如く
消え去っていくことを
忘れまい。

三世永遠の生命から
見るならば
偉そうな顔をした
傲慢な連中など
全く微々たる瞬間の
自己満足のようなものだと
綴った哲人がいる。

ロシアの巨人
トルストイは宣言した。
「われわれの魂の完成が
 われわれの生活の
 唯一の目的である
 ということは、
 他のあらゆる目的が
 死の前に
 無意味であるがゆえに
 正しいのである」

この生死の打開と
魂の完成の結論が
大仏法であり
正しき信仰である。

真実の幸福とは何か。
真実の勝利とは何か。
真実の人生とは何か。
そして
真実の平和とは何か。

その確固たる法則を
大仏法が明かしている。
釈尊
大聖人も
宇宙の根源の大法則である
生命の真髄
仏法の真髄の世界のみが
全人類にとって
永遠に平和と幸福と
満足の宝土であることを
明確に説かれた。

誰人たりとも
大仏法を知る以外に
真実の平和と
真の安住と
常楽我浄の
極善の生活はあり得ないと
結論しておられるのだ。

ゆえに仏勅として
この仏法の
世界の広宣流布
宣言なされたのだ。

ドイツの文豪
ゲーテは謳った。
「善意の人を結ぶ絆以上に
 確かなものが
 あるだろうか」
人生は共に生きる人で
決まってしまう。

中国の孫子の兵法は
教えている。
──決戦に臨んでは、
一気呵成に進め、と。
「満々とたたえた水を
 千仞の谷底へ
 きって落すような勢いで」
滝の如く 激しく!
これが勝利の要諦である。

生き抜くのだ!
徹して強く
生き抜くのだ!
そして
人間の究極の王者として
勝ち誇って生き抜くのだ!

大使命に生き抜く
君と私の宝冠よ
永遠なれ!

 二〇〇七年九月十三日
  学会本部・師弟会館にて
  広布第二幕・第一回 全国青年部幹部会の開催を祝福して
           桂冠詩人

最初のキルケゴールの言葉は若山玄芳訳。次は田淵義三郎訳。セネカ大芝芳弘訳。キュリーは西川祐子訳。ベトラルカは近藤恒一訳。ナイチンゲールは薄井坦子他訳。ツヴァイクは中田美幸訳(傍点は常葉部による)。トルストイは原久一郎訳。ゲーテは小栗浩訳。孫子金谷治訳。