山梨最高協議会 上


常勝の人材城を築くには
「一人を大事に」「皆を尊敬」
人を見下す魔性を許すな いざ出陣!わが同志と共に 

一、きょうは、ご苦労さま!
 すがすがしく前進する山梨を久方ぶりに訪れ、元気な皆様にお会いすることができた。
 これほどうれしいことはない。
 待望の大月池田文化会館の開館も、おめでとう!(大拍手)
 ここから、きょうから、世界広布の新しい一歩を踏み出してまいりたい。
 北欧ノルウェーの国民詩人ビョルンソンは戯曲に綴った。
 「最も強いものとは、新しくする意志のあるもののことだよ!
 永遠の炎、爆発する力! 開拓者にはそれがあるんだ。
 それが肝心なところだ。開拓者に勇気があればあるほど、続くものは多くなる」(毛利三彌訳「人の力を超えるもの」、『ノーベル賞文学全集19』所収、主婦の友社
 わが信頼する同志の皆様は、たくましき広宣流布の開拓者である。
 この北欧の大詩人が謳い上げたごとく、創価の人材山脈には、「永遠の炎」がある。「爆発する力」がある。そして「開拓の勇気」がある。
 法のため、人のため、皆様は、本当によく戦ってこられた。
 一人一人が大成長しておられる。
 堂々と前進また前進を続けておられる皆様に、心から感謝申し上げたい(大拍手)。
 「山梨といえば、16世紀の武将・武田信玄が有名である。
 上杉謙信と覇を競った「川中島の戦い」。徳川家康織田信長の連合軍を破った「三方原(みかたがはら)の戦い」。武田軍団は「最強」とさえ言われた。
 信玄に対する人物評はさまざまだが、戦乱の世に、飢饉や疫病にも襲われるなか、戦い続け、防ち抜いた。甲州の黄金時代を築いた足跡は、歴史に不滅である。
 我らの広宣流布の言論戦にあっても、山梨は、皆が刮目(かつもく)する、偉大なる人材城を築いていただきたい。首都圏を、さらには日本と世界を、堂々とリードしていっていただきたい。
 そうした期待をこめ、数ある信玄の逸話の一端に触れておきたい。

 「実力主義」の人材登用 
 一、信玄は、実力主義で人材を登用した。適材適所で人を生かした。
 社会的地位や肩書などではなく、「行動」と「結果」を重視したのである。
 甲州武士の歴史物語に『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』がある。
 このなかに信玄の言葉として、忠義を尽くし功労を立てた武士には、立場や身分にかかわらず、その手柄に応じた恩賞を与えることが記されている。〈品第三十九〉
 さらに『甲陽軍鑑』に、信玄の戒めとして次のように綴られている。
 「ほんとうの手柄のないものは、そのためかならず軽薄をもって上辺(うわべ)をつくろい、お追従(ついしょう)などいってごまかそうとする。またほんとうの忠節や忠功の人をそねみ、悪口をいって、自分につごうのいい仲間だけをほめてしまう」(品第三十九。上野晴朗著『武田信玄潮出版社から)
 どす黒い嫉妬は許さない。本当に戦っている人に最大に報いる。それが信玄の心であった。
 一、『甲陽軍鑑』のなかでも、国を滅ぼす武将についての指摘は重く、鋭い。〈以下、佐藤正英校訂/訳『甲陽軍鑑ちくま学芸文庫を参照。品第十一〜十四〉
 その一つ、「愚かな武将」は、「わがまま」で「自惚れ」。「家臣の誉めるままにいい気になって、自分がなすことのよしあしもわからなくなってしまう」
 また、「利口過ぎる武将」──すなわち、ずる賢い武将も、「すぐ天狗になるかと思うと、意気消沈しやすい」「口では立派そうなことをいっていても、心底は無慈悲である」。
 そして「臆病な武将」は「愚痴っぽく」「他人を猜(そね)み、こびへつらい」「ことをこねくりまわしすべてを遅怠させる」。
 さらに、「強過ぎる武将」は、「前もって考えず」、正しい「諌言」も聞かず、「気負ってばかり」で、ついには滅びると述べている。
 ともあれ、悪い人間がリーダーになれば、皆が苦しむ。よい人間がリーダーになれば、皆が力を発揮する。
 すべては「人」で決まるのである。

 民の生活を守れ 
 一、信玄は中国古典の素養も深かったようだ。
 実弟・信繁によるとされる武田家の家訓にも、中国の古典の引用が多い。書経からは、次の言葉も引かれている。
 「徳とは善政を施すことであり、為政とは民の生活を守ることである」(佐藤正英訳)
 また、信玄が制定した法律に「甲州法度之次第」がある。その中には、信玄自身が法度の趣旨に反したことがあれば、"貴賎を問わず陳状をもって申し立てよ"と明確に記されている。
 「民の芦」を「天の声」として重んじる。そうした理念がうかがえよう。

 「人は石垣」「人は城」 
 一、武田信玄は、地域の経済を発展させ、人々の喜らしを安定させる指導者としても、類いまれな手腕を発揮した。
 甲府盆地は昔から水害が多かった。よく知られるように、信玄は大規模な治水に力を入れた。それにより、新田開発も進んでいった。
 「信玄堤」と呼ばれる堤防は、子々孫々に恩恵をもたらしたのである。
 どれだけの人が幸福になったのか。それが、地域の発展を示す、根本の指標といえよう。
 一、口先だけ、要領だけでは、皆の心はつかめない。人も育たない。
 未来の決勝点を目指して、粘り強い行動を重ねることだ。
 「人は石垣」「人は城」──何よりも、一人一人を大事にすることだ。皆を尊敬することである。傲慢に見下すことなど、あってはならない。それは権力の魔性の姿だ。
 友を守る。友に尽くし抜く。それを貫いてこそ、何があっても揺るがない、正義の「石垣」が築かれる。人材の「城」が、そびえ立つ。
 育て上げられたその人自身が、難攻不落の「城」となるのである。

 歌声とともに勝利の大行進! 
 一、戸田先生は、天下の要所である山梨をこよなく愛し、大切にされた。この地で、青年を薫陶してくださった。
 山梨には、創価の師弟の深い緑がある。重大な使命の天地なのである。
 山梨創価学会の前進は、まことに立派である。偉大なる広宣流布の歴史を現実に大きく切り開いてくださっている。
 私はいつも、戸田先生のお心を思い、そして、広宣流布の新時代を展望して、山梨を訪問させていただいている。

ノルウェーの詩人
「新しくする意志」がある者こそ最強!

 一、武田軍の心意気を歌った「武田節」は、多くの人に愛されてきた。
 勇ましい「武田節」の歌詞は、学会魂と響き合う。
 どうだろう、ひさびさに、皆で歌おうではないか!(大拍手)
 〈ここで、参加者が、名誉会長とともに、力強く「武田節」を歌った〉
 いい歌だ(大拍手)。
 この「武田節」を声高らかに歌いながら、山梨の皆様は、朗らかに前進していっていただきたい。
 皆、武田節の英雄として!
 心も軽く! ゆとりと微笑みをもって!
 歌にこめた「戦う心」は、一念三千の法則で、勝利のリズムをつくり、大いなる前進の力となっていく。
 学会は、歌を歌いながら勝ってきた。大事なことは、いかなる苦難も吹き飛ばすような強さと明るさで、生きて生きて生き抜くことだ。
 我らには「法華経の兵法」がある。
 楽しく肩を組みながら、わが同志とともに、常勝の大行進を続けていこう(大拍手)
 武田信玄については編集部でまとめる際、柴辻俊六編『武田信玄大事典』新人物往来社小和田哲男著『史伝 武田信玄』学研M文庫、笹本正治著『武田信玄ミネルヴァ書房、同『武田信玄』中公新善、平山優著『武田信玄吉川弘文館小和田哲男著『甲陽軍鑑入門』角川ソフィア文庫酒井憲二編著『甲陽軍鑑大成』汲古書院、磯貝正義・服部治則校注『戦国史料叢書 甲陽甲鑑』人物往来社などを参照した〉


師弟直結の輝く模範を
精神の土台ができれば未来は必ず大発展!

弟子を愛した師  師を守った弟子 
 一、さて、戸田先生が亡くなられてから、明年で、ちょうど50年となる。
 ご逝去されたのは、昭和33年(1958年)の4月2日。その直前の3月に、ある幹部が戸田先生に質問をした。
 「これからの学会の前進のために大事なことは何でしょうか」
 戸田先生は、明快にご指導された。
 「第3代会長を、全魂込めて、皆で護ることだ。
 第3代会長を中心に、仲良く生き抜いていくことだ」
 戸田先生は、弟子を何よりも大切にしてくださった。
 何がどうなろうと君さえ健在ならば、学会の未来は安心だ。君が大事なのだと言って、私を、心を尽くして育ててくださった。
 そして私は、戸田先生を、命をかけてお守りした。戸田先生のため、あらゆる戦いを勝った。
 戸田先生は、広宣流布の大指導者であられる。ゆえに、その戸田先生に、私は命を捧げた。
 私は、ただ師匠のために戦った。
 師匠に直結しない戦いは、いかなる戦いも意味がない。そう、私は決めていた。
 全部、戸田先生の言われる通りに戦ってきた。
 これが師弟である。
 口先だけの生き方は、結局は不幸である。嫉妬や偏見は、何の得にもならない。自分も、子孫も、損をするだけだ。
 山梨の皆様には、本物の師弟直結の人材城を築いてもらいたい。
 皆様はどうか、私とともに、真実の師弟の道を歩み抜いていただきたい。そして、勝ち抜いていただきたい。
 師弟の精神が盤石であれば、それが土台となり、因となって、「大山梨」を築くことができる。
 そうした見事なる「大山梨」ができれば、日本中、いな、世界中に、勝利の波動は広がっていくのである(大拍手)。

 幸福の最高峰へ
 「いよいよ、「行動の秋」「挑戦の秋」「新しい前進の秋」がやってきた。
 9月9日は「重陽節句節供)」である。重陽とは、中国で、めでたい数とされる「九」が重なる吉日という意味である。
 また中国語では「九」と「久」の発音が同じであることから、"長久の繁栄"を願う日ともされているという。
 中国では古来、この佳き日に、「登高」といって、秋の澄み切った大気の中、高き丘や山に登る風習がある。そこには、さらに高い境涯を目指そうという意義も込められているようだ。
 日蓮大聖人は五節句の意義を釈され、9月9日は妙法蓮華経の「経の一字の祭り」(御書1070ページ、通解)と説かれている。
 「経」とは、三世常恒を表し、声を表す。
 あの王者の富士のごとき、永遠の幸福の最高峰に向かって、私たちは、勇んで語り、行動してまいりたい(大拍手)。

 皆が元気になる賢明な指揮を 
 「季節の変わり目である。疲れをためないよう、上手に休息をとりながら、聡明に、健康第一で進んでいきたい。
 題目を朗々とあげ、生命力を満々とたたえて、価値ある一日一日を勝ち取っていくことだ。
 リーダーは、皆が元気になる、賢明な指導をお願いしたい。
 同志を大きく包容し、一人一人が胸を張って進めるよう、名指揮を執っていただきたい。
 全同志の皆様のご健康、ご多幸、そしてご長寿を、私も妻も、毎日、一生懸命、祈っています。
 ともどもに、偉大なる師弟の勝利劇を綴り残してまいりたい(大拍手)。
    (中に続く)