山梨最高協議会 中


「団結」日本一!「朗らか」日本一!
わが地域を何かで日本一に!!
ケネディ米大統領 夢を実現できる指導者

一、私が創価学会の第3代会長となった昭和35年(1960年)の秋、11月。
 アメリカのケネディ大統領誕生の知らせを、山梨の地で聞いた。
 彗星のごとく、さっそうと現れた、若き英邁なリーダーであった。
 私には、ケネディ大統領と会見する予定もあった。
 残念ながら実現しなかったが、後に、大統領の心を携えて、弟のエドワード・ケネディ上院議員が、わざわざ聖教新聞社へ来訪してくださった。
 わが忘れ得ぬ歴史である。(昭和53年(1978年)1月12日)
 ケネディ大統領は、こう凛然と語っている。
 「われわれは、ひとりよがりや、尻ごみや、とまどったりしてはいられない。
 現在は、勇気と行動のときなのである。強い指導者に出てもらわなければならぬ時代である。
 新しい開拓線を恐れない指導者、事実を恐れない指導者、また、われわれの夢を現実化することのできる指導者を求めているのである」(古幡公靖著『ケネディ語録』しなの出版)
 現在も大きな転換期である。
 地球一体化のなかで、平和へのうねりを一段と高めていかねばならない。
 勇気と情熱と行動力のある指導者、民衆の期待に応える強い指導者が、今ほど、求められている時はない。
 ケネディ大統領は、こうも述べている。
 「指導力の唯一の有効なテストは、先に立つ能力、それも旺盛な気迫をもって先導する能力である」(ウェスレイ=ピーターセン編『ケネディの遺産』講談社
 民衆のために先頭に立って戦う。それが指導者の当然の責務だ。
 そもそも、民主主義の社会である。民衆が支持するから、指導者がいるのだ。
 その原点を、指導者が忘れて、私利私欲のために立場を悪用する。そんな人間がいたら、民衆の手で叩き出すのだ。遠慮などいらない。断じて許してはならない。

 平和へ!歴史の底流を創りゆけ 
 一、思えば、昭和60年(1985年)の春3月、ゴルバチョフ氏が、ソ連の新書記長として登場したニュースを聞いたのも、山梨であった。氏は、私の大切な友人の一人である。
 きょうもまた、私は世界各地から、さまざまな報告を受け、未来への手を打っている。次の時代を切り開いている。
 今再び、新しい広布のリーダーが陸続と躍り出ることを、私は、だれよりも信じ、深く祈っている。
 ケネディ大統領は語った。
 「新聞の大見出しやテレビのスクリーンは、われわれにその場その場の短期的な見解を伝える。
 それはわれわれに歴史の大きな流れを見失わせるほど大量の詳報をとめどなく伝える。
 しかし将来を形作るものは、その場限りの興奮ではなくて、深いところを流れている底流である」(前掲『ケネディ語録』)
 私が対談したトインビ一博士も、歴史を創るのは水底のゆるやかな動きであると見ておられた。
 私たちの広宣流布こそ、平和への歴史の底流を厳然とつくりゆく運動である。最も確かな未来創造の力であることを、確信していただきたい。
 一、そしてまた、ケネディ大統領は、人々に、こう訴えている。
 「結束すれば、多くの新しい、協力して行なう冒険的事業において、不可能なことはなにもない。
 分裂すれば、われわれは無力にちかい──なぜなら、互いに争い、ばらばらに分裂していては、とうてい手ごわい挑戦に立ち向かうことはできないからである」(高村暢児編訳『ケネディ登場』中央公論新社
 その通りである。団結こそ勝利だ。
 山梨は、最強の武田信玄の軍団を生み出した天地である。
 同じ生きるなら、誇り高く生きるのだ。
 仲良く前進!
 朗らかに勝利!
 そして日本一の充実した山梨を築いていただきたい。
 何かで「日本一」を目指すのだ。
 折伏日本一! 人材日本一! それも、すごい。
 「団結日本一!」「朗らか日本一!」。これもまた素晴らしい。
 ──あの山梨の団結を見よ!
 山梨は、どこか違う。あの姿の中に、真実の創
価学会の魂がある!──
 こういわれる模範の県
を、築いていただきたいのだ。
 それには、お金はいらない(笑い)。
 心で決まる。難しい話も、必要ない。心一つで決まるのだ。
 ほかのどこよりも麗しい、異体同心の前進をお願いしたい(大拍手)。

 立ち上がれ! 波を起こせ! 
 一、エドワード・ケネディ上院議員は語られていた。
 「私は創価学会の活動を大変に尊敬しています」
 「私は思います。人々が互いに理解し合うには『まず自分が人間的行動を起こす』ことだと。
 私は池田会長の思想に賛同します。復帰すべきところは『人間』です。『人間に帰れ』です」
 あらゆる変革は、自分自身の人間革命から始まる。
 ケネディ上院議員はまた、今年の7月、アメリカSGIの東部方面総会にメッセージを寄せ、兄君の故ロバート・ケネデイ司法長官の次のような言葉を紹介してくださった。
 「信念のために立ち上がるたびに、ひとびとの幸福のために行動するたびに、そして、不正に立ち向かって闘うたびに、人は、小さな希望のさざ波を起こすことができる。
 幾百万の情熱と勇気を泉とするこうしたさざ波は、互いに交差し、重なり合いながら、やがて大いなる潮流となる。
 この潮流は、抑圧や抵抗の強固な壁をも押し流す力となるのである」
 立ち上がるのだ。
 行動するのだ。
 波を起こすのだ。
 外へ、外へと打って出るのだ。折伏精神を胸に!
 小さな世界にいるだけでは、新しい発展はない。停滞してしまって、傲りの心、退転の心に侵されてはならない。
 列車も、飛行機も、どこかへ向かっていく。進まなければ、目的地には着けない。これが道理である。
 人もまた、生き生きと、新天地に向かって飛び出すのだ。心を外へ開くのだ。自分の殻を破るのだ。そこに希望の拡大がある。幸福の光が広がる。
 勇んで、外へ打って出る──これが、勝利し、発展し続けていくための原則なのである。
 山梨だけにとどまらないで、「よし、私は関西へ対話に行こう」「私はヨーロッパに友情を広げよう」──それくらいの大きな気持ちで、悠然と進んでいっていただきたい(大拍手)。

 日蓮大聖人の総仕上げの旅 
 「さて、ここ山梨・身延から東京・池上に向かわれた、日蓮大聖人の御一代の「総仕上げ」の旅について振り返りたい。
 弘安5年(1282年)9月8日。大聖人は、身延を出られ、旅を始められた。
 身延から池上までは、通常、富士山の南側の駿河を通る旅となる。比較的、緩やかな道である。
 しかし、大聖人は、富士山の北側を通る、坂の多い甲斐の道を選ばれたとされる。
 ある伝承によれば、次のような行程であられた。
 身延を出られて、下山、鰍沢から笛吹川沿いに曽根、黒駒へ。御坂峠を抜けて、河口、暮地。三国峠を経て、竹之下、関本、平塚、瀬谷、池上へ、という行程であられたようだ。
 約200キロにおよぶ道のりであり、馬に乗られていたようだが、病身には決して楽な旅ではなかったにちがいない。
 先ほどの記録によれば、大聖人はこの旅路では、門下の家に泊まられていったようである。
 一人でも多くの弟子たちを激励し、信心の魂魄を留める──仏法は、どこまでも一対一の対話を重んじる。一人また一人と励ましを続けていくのだ。
 友のもとへ!
 民衆の中へ!.
 ここにこそ、広宣流布の大道がある。
 釈尊もそうであった。最後の最後まで、一人でも多くの仏縁を結んでいく歩みを貫き通したのである。

大聖人は最後まで立正安国の大闘争
さあ外へ!希望を拡大 新天地へ飛び出せ

 一、9月18日、大聖人は武蔵国の弟子・池上宗仲の屋敷に到着された。
 釈尊も、そして大聖人も、最後まで、民衆のために「進み続ける」「戦い続ける」足跡を残された。
 伊勢法印という学僧が問答を求めてやってきた。この時、大聖人は若き日目上人に命じて法論させ、弟子の勝利の姿を喜ばれた。
 9月25日には、門下に対して立正安国諭の講義をなされた。
 大聖人は、病身をおして御入滅のその時まで、弟子たちに「広宣流布の大願」を訴えられ、「立正安国の戦い」を託されたのである。
 大聖人が身延を離れて、最後の指揮を執られたこの池上は、鎌倉、安房、上総、下総から、主な門下が集いやすい場所であった。
 そこで大聖人は、広宣流布の大闘争の総仕上げをされたのである。
 一、まことに宿縁深厚にも、大聖人が入滅なされた池上(東京・大田区)の天地は、わが創価学会広宣流布の大前進の起点となった。
 戦時中、創立の父・牧口先生は、特高警察の監視のなか、この大田で、師子王のごとく大法弘通の座談会を行われた。
 私の妻は、幼き日に、その牧口先生の手を引いて自宅に案内し、「不惜身命」「死身弘法」のお姿を生命に焼き付けたのである。
 戸田先生も、大田へは、幾たびも足を運ばれた。そして、大田での座談会で、私は先生にお会いした。
 その時、戸田先生が講義されたのが「立正安国論」であったのである。

 恩師の精神を人類の規範に 
 一、戸田先生の「原水爆禁止宣言」の50周年を記念する行事が、日本列島の各地、そして全世界で、有意義に行われた。
 先生も、さぞかし喜んでくださっているにちがいない。
 核廃絶を目指す科学者の連帯である「パグウォッシュ会議」のスワミナサン会長は、私との対談のなかで、こう語ってくださった。
 「今日、『原水爆禁止宣言』と『ラッセル・アインシュタイン宣言』は、すべての言語で出版されるべきだと思います。
 マスメディアが、毎日はんの一分ずつでも時間を割いて、二つの宣言のいろんな部分を人々の意識に刻み込んでもらいたいと思うのです」
 世界最高峰の知性の言葉である。
 宣言の発表から半世紀──この間、私は、恩師が青年への「第一の遺訓」とされた精神を世界中に宣揚してきた。
 今このように、恩師の魂を人類の規範として広め、打ち立てることができたことは、弟子としてこのうえない喜びであり、誉れである(大拍手)。
    (下に続く)