全国青年部幹部会・全国学生部幹部会

新時代へ!平和と幸福の大道を
わが青年よ 大願を起こせ
「私がやる!」「必ず成し遂げる!」と
誠実 勇気 行動で勝ち抜け




 本日は、新世紀を開きゆく「全国青年部幹部会」、そして「全国学生部幹部会」、本当におめでとう!
 未来部の皆さんも、ご苦労さまです。
 私と青年部の魂の間には、何の夾雑物もない。一対一で結ばれている。
 私は青年を信ずる。一点の曇りもなく、わが弟子を信じている。
 青年には、限りない宝がある。それは、誠実だ。正義だ。勇気だ。
 青春には、誇り高き使命がある。それは、行動だ。前進だ。勝利だ。
 どうか、君たちよ!あなたたちよ! 青春の生命の本領を大いに発揮し、私と共に、広宣流布の新時代を断固として勝ち飾ろうではないか!
 私は19歳で、自ら願って、戸田城聖先生の弟子となった。この方こそ、人類の平和と幸福の道を・開かれゆく大指導者であられる。世界第一の大師匠であられる。そう、心に定めた。
 いまだかつてない宗教革命の道である。
 正義の中の正義である法華経の行者に仕えれば、悪口罵詈もある。猶多怨嫉の大難もある。三類の強敵の迫害もある。
 それも、すべて覚悟の上であった。
 御聖訓には仰せである。「仏になる道は必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと・をしはからる」(御書891ページ)と。
 御本仏の仰せのままに、創価の師弟は、あらゆる悪戦苦闘を突き抜けた。師と愛弟子の二人きりの死闘だった。
 阿修羅となって一心不乱に戦い抜いた、あの一日一日が、すべて今の私の血となり、肉となった。
 嵐の中に、厳として凱歌が轟いた。私は恩師のもとで、若き広宣流布巌窟王として戦い切った青春を、三世永遠の誉れと感謝してやまない。
 草創の、ある日ある時、20人ほどの青年の集いに、恩師は臨まれた。
 戸田先生は、厳然と「広宣流布は私がやる!」と叫ばれた。
 そして、「君たちも一人ずつ言いたまえ!」と強く促された。
 全員が、一人ずつ「広宣流布は私がやります」と口にしていった。なかには、臆病な目や、弱々しい声の青年もいた。
 先生は、その青年たちの実像を、じっとご覧になっておられた。
 私は立った。
 「先生、広宣流布は必ず私の手で成し遂げます!」。全生命からお誓い申し上げた。
 私には、戸田先生しかなかった。他の弟子がどうあれ、先学がどうあれ、まったく関係なかった。
 師匠との出会いより60年──。生死を超えて、師弟不二で戦い続け、世界広宣流布の基盤を、私は盤石に完成させた。
 仏法は観念ではない。抽象論でもない。行動であり、結果である。
 師匠に弟子が勝利を誓う。そして必ず勝つ。この「誓願」と「勝利」にこそ、大仏法の血脈は流れ通うのだ。
 だからこそ、私は、初代から2代へ、2代から3代へ、命を賭して受け継いできた「広宣流布の血脈」を、今、青年部の君たちに託したい。
 初代・牧口常三郎先生と3代の私には、何歳の年齢の差があるか。それは57歳である。
 そして、この私と同じ年齢の差がある世代こそ、今の青年部、学生部の君たちである。
 3代から、わが真正の弟子である21世紀の青年部へ。厳粛な師弟の相伝の時代にすでに入っていることを、聡明なる君たちは、深くまた深く自覚し、自負していっていただきたい。
 蓮祖は、若き南条時光に宛てた御手紙で叫ばれた。「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(同1561ページ)
 わが青年よ、若き弟子たちよ、私と同じ心で、今こそ大願を起こせ!
 人類の希望である広宣流布の全責任を受け継ぐのは、君たちである!
 わが青年部の健康と大活躍、そして勝利と栄光を心から祈り待っております。
 親孝行を忘れずに!
 職場で、大学で、地域で、社会で、そして世界で、堂々と信頼の旗を打ち立てよ!
 断固として勝ち抜け!


 2007年10月21日朝
  富士を仰ぎつつ  池田大作

【代読=池田副理事長】