全国代表者会議 下
新しき時代へ 若き君たちよ 雄々しく進め!
一、私は民衆のため、正義のために戦ってきた人間である。戸田先生のもとで訓練を受けた人間である。
本物の信心の人であるかどうかは、すぐに分かるつもりである。
牧口先生は、厳然と言い残しておられる。
“究極の目的をもち、その目的が明瞭であってこそ、初めて実践への信念が起こり、勇気が湧くのである”
私には、広宣流布という、そして師弟という「究極の目的」があった。 ゆえに、どんな大難にも揺るがなかった。恐れなかった。
厳窟王になれ!
一、戸田先生は言われていた。
「青年はあくまで信心というものに挑戦していけ。将来、大成するかどうかは、信心即生活の原理からいって、結局、当面の仕事を真剣にやりきれるかにかかっている」
夢を描くのもよい。理想を語るのもよい。しかし、目の前の課題に一つ一つ、真面目に、体当たりで取り組んでいく以外に、未来は開けない。
また「巌窟王のように、何でも貫き通せ! 強い精神はよいことだ!」とも戸田先生は言われた。
「巌窟王になれ!」──それは、戦時中、過酷な獄中闘争を耐え抜かれた、先生の口癖であられた。
国家権力によって迫害され、獄死させられた牧口先生の仇を討つ。これが戸田先生の人生であられた。
戸田先生に仇なした人間たちを見返し、先生の真実を世界に宣揚する。先生の夢であった世界広宣流布を実現する。
これが私の人生である。そのために、ただ一人、着々と手を打ち、戦ってきた。
諸君もこの「師弟の道」に続いていただきたい!(大拍手)
良書を読み悪書を叩け
「モンゴルのエンフバヤル大統領が、かつて、おっしゃってくださった。
「池田会長は、創価学会という最大の組織をまとめ、創価大学など数々の機関を設立されました。平和のために戦ってこられました。私は心から感謝したいのです。
池田会長にお願いがあります。
奥様とともに、一度、モンゴルにおいでください。モンゴルの青年と語り合っていただきたい。モンゴルの多くの人々に、会長のお話を聞かせてください」
本当に、ありがたいお言葉である。
今、私は青年と語り合いたい。青年に教え、すべてを託したい一心である。
アメリカの思想家エマソンは「良書を読むのは良い人との交りに似ている」(入江勇起男訳『エマソン選集2』日本教文社)と言った。
どんなに忙しくとも、青年は、良書をひもとき、あらゆる一流の人間と対話できる力を身に付けてもらいたい。これも私の願いである。
反対に、悪書を読むことは、悪い人間と付き合うことに通じる。
戸田先生は、低俗な雑誌を読んでいる青年を見つけると、烈火のごとく叱られた。
「学会は、崇高な理念をもった大指導者の集まりではないか!」と、大変な剣幕であられた。
金儲けのために、デマで人を傷つけるような卑劣な言論とは断固戦い、論破していってこそ、青年である。学会魂である。
また、低俗な次元で、学会の前進に、いわれなき非難を投げかける勢力に対しては、正義の言論で痛快に打ち破っていくことだ。
私自身、戸田先生のもとで、そうやって行動してきた。
先生のため、学会のために、どんなところにも一人で勇敢に足を運び、誠実に対話した。偏見と誤解を、理解と共感に変えていった。これが弟子の戦いである。
新渡戸稲造博士
悪い奴が社会に大きな顔をしている。
善いことをする人が悪口を言われている。
道理が通らない社会を変えよ
一、牧口先生と親交があり、戸田先生も尊敬しておられた新渡戸稲造博士は、次のように語っている。
「社会にはろくなことをしないで、賞讃を博している人がたくさんある。悪い奴が社会に大きな顔をしている。また善いことをしておっても社会に悪口言われる人がある」(『人生雑感』講談社学構文庫)
そういう社会では、優れた人であればあるほど嫌な思いをしてしまう。ゆえに、いい人物が外部に出て行ってしまう。日本の社会にも、あてはまる指摘であろう。
正しい道理が通らない社会は、改革せねばならない。
私たちの世界でも、学会員の皆様のおかげで偉くなったことを忘れ、恩を忘れる愚か者が、これまでもいた。断じて許してはならない。
「知恩」「報恩」こそ、仏道修行の要であり、不惜身命、師弟不二の実践を支える柱であるからだ。
また、広布が前進すれば、嫉妬の輩が必ず現れる。御聖訓に「仏と提婆とは身と影とのごとし」(御書230ページ)と仰せのように、これまでの学会にも、そういう輩がいたことは、皆さんもご存じの通りだ。
これからの時代、青年の君たちは、御本尊にほめられ、庶民にはめられるような人生を生きてはしい。それが勝利者の人生である。
私は、戸田先生と学会を守り抜いた。謙虚に、師に仕えた。
私は今、もう一度、新しい学会をつくる思いである。
ポルトガルのことわざ 第一印象は永遠に続く
爽やかな振る舞いを! 誠実な笑顔の対話を!
皆が納得できる論調で語れ
「最高幹部は、皆に最敬礼して、誠意を尽くし、真心を捧げていくのだ。
話をするときも、調和のとれた温かな声で、皆の心に慈愛と安堵を贈ることである。
ただ一方的に押しつけるだけでは、だれも、ついてこない。新鮮味があり、変化があり、時には短くするなど、工夫しながら、皆が納得できる論調で語らねばならない。
何よりも、自分自身が、正しい人として光ることだ。エゴや虚栄など、かなぐり捨てることである。
一、かつて戸田先生は、私の妻を"送迎部長"に任命された。
それは、戸田先生が地方指導に行かれる折に、上野駅、東京駅など、朝早くとも、夜遅くとも、いつも最高の笑顔で、お見送り、お出迎えをさせていただいたからである。
妻は、弟子として当然の務めと決めていた。それは、駅や空港で戸田先生をお守りする、真剣な「祈り」を込めた戦いでもあった。
その心を知る戸田先生は、深く喜び、安心しておられた。
後世のために、真実を伝え残しておきたい。
「松葉ケ谷の法難の際、なぜ日蓮大聖人は、暴徒の襲撃の中、難を逃れることができたのか。
御書には、「十羅刹の御計らいにてやありけん日蓮其の難を脱れしかば」(御書1294ページ)と仰せである。
十羅刹女とは、諸天善神であるが、大聖人をお守りした、具体的な人がいたとも推察される。
たとえば、大聖人の身に危険が迫っていることに気づき、知らせに走った女性門下の存在があったのではないか──こう考えることもできよう。
インドネシアの国民作家
自分の力を自覚すれば どんなことだってできる!
“急所”を見抜け
一、先日、ある大手の会社の首脳が、しみじみと感嘆されていたとうかがった。
「創価学会の受付は、断トツに優れている。動作も洗練され、すべてがスムーズである。実に訓練されている。わが社も見習うべきだ」と(大拍手)。
学会本部、聖教新聞社をはじめ、全国で尊き受付業務に携わっておられる皆様に、心から感謝したい。ありがとう!(大拍手)
一級の人物は、まず受付に光を当てる。そこから、その団体の実力を判断する。
ポルトガルのことわざに、「第一印象は永遠に続く」とある。
そうした"急所"がわからず、本当に重要な役割を担っている人を低く見て威張るのは、愚劣だ。とんでもない間違いであり、自分自身の心がどんどん悪くなってしまう。
一、私は、戸田先生の会社で働いていた時、人を出迎え、見送るにはどうすればいいかを、徹底的に教わった。
どんな相手であれ、丁寧に、誠実に対応してきた。
時間通りに来られた方を待たせたり、別れ際、先方がお辞儀をしているのに、こちらが早々に立ち去ったり、そんな態度は論外である。
そういう基本をわきまえず、ただ威張っているだけの人間は、必ず失敗する。
私はこれまで、たくさんの人に会ってきた。今も、そうである。
誠実に相手を迎え、見送る。その模範を率先して示していくように、努力している。これも、すべて戸田先生から学んだことだ。
〈戸田先生の会社が入っていたビルの受付をされていた女性の方から、次のような証言が寄せられたことがある。
「池田先生が、いつも礼儀正しく、誠実で『おはようございます!』『こんにちは!』と大きな声であいさつされていた姿が忘れられません」
「わざわざスイカなどを持ってきていただいたこともあります」
「いつもいつも、まめに動かれて、戸田先生にお仕えされていました」
「池田先生は、姿勢が正しく、常に前を向き、堂々とされていましたね。人間はいつも前向きであらねばならないと、私や同僚は、池田先生のお姿から学んだのです」〉
良心の声を聞け
一、イギリスの"議会の母"と称されたナンシー・アスターの言葉を紹介したい。
〈アスター(1879〜1964年)は、イギリス初の女性国会議員〉
「政治家はまず自分の胸に手を当てて、良心の声を聞き、他人の問題に取り組む前に、自分が襟を正さなければなりません」(井上一馬編著『後世に伝える言葉──新訳で読む世界の名演説45』小学館)
政治家はもちろん、すべての指導者が銘記すべき言葉である。
一、大聖人が四条金吾に送られた御書の一節を拝したい。
「わが一門の中でも、信心を貫き通せない人々は、(初めから信じないよりも)かえって罪があるのです」(1164ページ、通解)
重要な御聖訓である。
仏法を持ち、その偉大さを知りながら、愚かにも捨て去ったり、責任ある立場にありながら堕落して反逆するような人間は、信心していない人より、何倍も何十倍も罪が重いのである。
御本仏の戒めを深く心に刻んでいただきたい。
人間の偉さとは
「インドネシアの国民作家であるプラムディヤ氏の言葉に、こうある。
「行為の偉大さ、思想の偉大さ、魂の偉大さゆえに人は偉大になる」(押川典昭訳『プラムディヤ選集7 ガラスの家』めこん)
至言である。
人間の偉さを決めるのは、地位や肩書ではない。財産や名声などではない。
どのような行為をしているか。どのような思想を持っているか。魂が偉大かどうかなのである。
プラムディヤ氏はまた、こうも綴っている。
「ひとりひとりの人間がそうやって強くならないかぎり、人間どうしの真の結びつき、連帯というのは生まれないでしょう」(押川典昭訳『同選集4すべての民族の子(上)』同)
「きみが自分の力を自覚すればどんなことだってできる」(前掲『選集7』)
一人の人間が持っている偉大な可能性を発揮させ、大いなる民衆の連帯をつくりあげていく運動こそ、我らの日々の実践である。
一、古代ローマを代表する詩人の一人、オウィディウスの詩に、こういう一節がある。
「嫉妬や臆病な悪徳は高潔な性格の中には入らず」(木村健治訳『悲しみの歌/黒海からの手紙』京都大学学術出版会)
高潔な人格は悪徳を寄せつけない。
逆に、嫉妬や臆病に心が侵されている者は、高潔な人間ではないということである。そういう人間の悪口など、悠然と見おろして進んでまいりたい。
トルストイ 人間は宗教なしに生きられない
宗教のみが人生の意義を与える
宗教のみが利己主義を亡ぼす
宗教はなぜ必要
一、文豪トルストイは、"人類は、宗教なしには生きられない"と論じ、その理由について、こう書いている。
「第lに、宗教のみが善意の決定を与えるからである」
「第二に、宗教なしでは人間は自分のしていることが善いか悪いかを知ることが決してできないからである」
「第三に、ただ宗教のみが利己主義をほろぼすからである」
「第四に、宗教のみが死の恐怖を打ち消すからである」
「第五に、宗教のみが人間に生の意義を与えるからである」
「第六に、宗教のみが人間の平等を樹立するからである」(原久一郎訳『大トルストイ3』勁草書房)
社会における宗教の重要性は、混迷の時代にこそ、いやまして高まっているのだ。
青年は庶民から賞讃される生き方を
島崎藤村の励ましの歌
清さあり何かおそれむ 若さあり何かおそれむ
私がお会いしたインド最高裁判所の元判事で、著名な詩人でもあるモハン博士は、こう語っておられる。
「理想的な社会をつくりあげていく、そういう働きは宗教、あるいは宗教団体の働きです。したがって、宗教と政治が相容れないというのは、まったくの間違いです。宗教は社会のモラル、道徳などの根幹になっていくものですから」(月刊誌「潮」1996年6月号)
これが、社会に果たす宗教の役割についての世界の良識の見方である。だからこそ、学会に期待してくださっているのである。我らは、ますますの確信と誇りを持って、社会貢献の大道を邁進してまいりたい(大拍手)。
勝ち抜く力を
一、戸田先生は、こう指導された。
「青年は実力である。真剣勝負で自分を鍛えよ! 死にものぐるいになって、勝ち抜く力をつくりあげよ!」
私も、今の青年部に対して、まったく同じ心情である。
文豪・島崎藤村は謳った。
「清さあり何かおそれむ 若さあり何かおそれむ」(『藤村全集第十三巻』筑摩書房)
藤村が昭和の初めに作詞した、長野の松本女子職業学校の校歌の一節である。
清らかな生命を持ち、若さにあふれた皆様に、恐れるものなど何もない。また、恐れてはならない。
一、藤村は「誰でも人間の笑顔を見たいと思わないものはない」(同、現代表記に改めた)と書いた。
笑顔は、最高の贈り物である。幹部は、笑顔で同志と語らい、同志を励ましていくのだ。
不機嫌な表情や、つんとした顔をしていてはいけない。偉そうな態度など、もってのほかだ。
戸田先生はよく、私の妻に「香峯子の笑顔は、学会の笑顔だよ」と言われていたことを思い出す。
リーダーは、同志にどこまでも心を配り、その人々のために、一つ一つ手を打っていくことだ。一日に一つ手を打つだけでも、一年で365の手を打つことになる。そうすれば、学会は、何十倍もの力を発揮していける。横着になってはいけない。一つ一つの積み重ねである。
友情を結べ
一、藤村は、母校・明治学院(現在は明治学院大学)の校歌でも、青春の気概を謳っている。
「こころせよまなびの友よ 新しき時代は待てり もろともに遠く望みて おのがじし道を開かむ」「ああ行けたたかえ 雄々しかれ 眼さめよ起てよ畏るるなかれ」(『藤村全集第六巻』同、現代表記に改めた)
青年に対する、文豪の深い深い期待が、胸に迫ってくる。
未来はすべて、若き君たちのものである。新しい時代へ、雄々しく進むのだ。
藤村は「好い友情は若いうちに結んで置きたい」(『藤村全集第九巻』同)とも記している。
藤村自身、青春時代の友情から、生涯にわたって啓発を受けた。若き日の友情は、一生の宝であ
る。
いつまでも生き生きと!
一、どうか、いつまでも、生き生きと、若々しく生き抜いていっていただきたい。
何歳になっても青春の気概を忘れず!
戦っている人は、顔を見ればわかる。目でわかる。輝きと光を放っている。
どうか体を大事に。病気にならないよう、賢明な生活を送ってほしい。病気になれば、自分が損をする。家族もかわいそうだ。根本は、病気にならないよう、しっかりと祈っていくことである。
女子部の皆さんは、福運を積んでください。その人が最後は勝つのです。
皆様が、ますます福徳に包まれ、健康に生き抜かれることを、私たち夫婦は、毎日、真剣に祈っています。
お父さん、お母さん、ご家族の皆様、同志の皆様にくれぐれもよろしく。長時間ありがとう!
ご苦労さま!(大拍手)
(2007・10・30)