婦人部最高協議会 上


女性の声で時代を動かせ
御聖訓 力あらば一文一句なりとも かたらせ給うべし
勇んで進め! 風雪を越えて!





  一、きょうは、お忙しいなか、また寒いなか、本当にご苦労さま!(大拍手)
 窓の外には、美しき満月が輝いている。
 最初に、高貴なる月天子を見つめて読んだ句を、敬愛する婦人部の皆様方に贈りたい。

 満月や
  地涌の陣列
      輝けり

 満月や
  同志の勝利を
     照らしゆく


 満月や
  我らの勝利を
      讃えなむ

 早いもので、まもなく師走である。
 寒さも、いよいよ厳しくなってきた。
 特に北国の同志の健気なる奮闘に、私は心から感謝申し上げたい(大拍手)。
 私が最も信頼する婦人部の皆様、そして全同志の皆様が健康で、風邪などひかれないように、私も妻も一生懸命に題目を送っている。
 作曲家シューベルトの歌曲集「冬の旅」には、「勇気」と題する歌曲がある。その歌詞を紹介したい。
 「顔に吹きつける雪を
 決然と振り払う。
 わが心 迷える時も
 明るく快活に歌うのだ。
 儚き言葉に
 耳は貸さない。
 哀愁の声にも
 心を動かさない。
 ただ嘆いているのは
 愚かである。
 風雨に向かって
 勇んで進みゆけ。
 世界に向かって
 生き生きと進みゆけ」
 寒さに負けず、頭を上げ、胸を張って、勇敢に朗らかに前進してまいりたい(大拍手)。



 「希望の対話」「確信の対話」を

 一、スイスの思想家ヒルティは綴った。
 「勇気をもちつづけることが、この世におけるすべてである」(登張正実・小塩節訳「眠られぬ夜のために2」、『ヒルティ著作集第5巻』所収、白水社
 信心とは、最極の「勇気」である。勇気があれば困難を勝ち越えていける。道を開いていける。
 また、ヒルティは述べている。
 「真に善いことや偉大なことで、最初は小さなところから出発しないものはまれである。そればかりか、たいていは、その前に蔑みと屈辱とが加えられる。そこで、春先の嵐から春の近づくのを予感できるように、屈辱からその後に来る成功を確実に推測しうる場合が多い」(草間平作・大和邦太郎訳『眠られぬ夜のために 第1部』岩波文庫
 わが婦人部の皆様方は、常に少人数の対話から出発して、新しい、偉大な歴史を築き上げてこられた。
 御聖訓の通りの悪口罵詈も、不屈の精神で耐え抜き、大きな信頼と友情の連帯を世界に広げてこられたのである。
 さらに、ヒルティは、こう綴った。
 「克服すること、つまり、この人生においてあらゆる悪いことや醜いことに敵対してあくまでも勝利者であること、これこそ人生の真のモットーである」(同)
 我らの合言葉は、「勝利」そして「断固たる勝利」である。
 日蓮大聖人は、「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書1361ページ)と仰せになられた。
 ゆえに声を惜しまず、一日また一日、「励ましの対話」「希望の対話」「確信の対話」「拡大の対話」を、積み重ねゆくのだ。



 「本物の弟子」よ、躍り出よ!

 一、日蓮大聖人は、富木尼御前(富木常忍の夫人)に宛てて、こう御手紙を認めておられる。
 「私は今でも楽をしているわけではありませんが、昔、特に不自由であった時から御供養をお受けしてきたので、貴女の御恩をまことに重く思っています」(御書990ページ、通解)
 三障四魔、三類の強敵が打ち続くなか、来る年も来る年も、勇気ある信心を貫き、真心を尽くしてきた一人の女性の弟子を、大聖人は、このように讃嘆されている。
 信心とは、最極の心の世界だ。
 そして、その根幹こそ「師弟」である。
 いざという時、師匠にどう仕えたか。どう師匠をお護りしたか。
 そこに信心の実像が凝結する。
 広宣流布の大指導者である師・戸田城聖先生にお仕えし、先生をお護りし抜いたことが、私と妻の永遠の誉れである。
 “二人して広布へ進みゆけ!”──これが、私たちの結婚に際しての先生の指導であった。
 師匠が言った通りに生き抜く。師匠が言ったことを実現する。これが弟子の道だ。
 師匠の教えをないがしろにするような者は、断じて弟子ではない。
 ただ「師弟」という一点で、私は戦い抜いた。1から100まで、師匠のため、学会のため。そしてすべてに勝利した。
 師匠を護ることが、学会を護ることになる。学会の全同志を守ることになる。
 そして、師匠を守ることが、広宣流布の前進である。私は、そう決めて戦い抜いた。
 戸田先生は、「私は本当にいい弟子を持った」と深く感謝してくださった。心から喜んでくださった。
 戸田先生と私の師弟の絆は、それは神々しいほどであった。太陽のように、そして、きょうの月天子のように──。
 戸田先生は牧口先生に対して、報恩の誠を尽くされた。私もまた、同じ決心であった。
 牧口先生と戸田先生。そして戸田先生と私。
 この三代を貫く師弟の精神こそ、学会の根幹である。初代、2代、3代の会長以外に、本当の「師匠」はいない。
 後世のために、明確に言い残しておきたい。
 権力の魔性を打ち破り、学会は、ここまで大発展した。世界に広布の城をつくり上げた。
 仏法は実証である。私という、一人の「本物の弟子」がいたからこそ、戸田先生は勝利したのである。
 今また、歴史を開く「本物の弟子」が躍り出ることを、私は強く願っている。


 
 全員が幸福に 

 一、病気がちの身であった富木尼御前に、大聖人は、こう仰せである。
 「それにつけても、命は鶴亀のように、幸福は月の満ち、潮の満ちるようにと、法華経に祈っています」(同ページ、通解)
 門下一人一人の状況に深く心を砕き、その幸福を願われる大聖人の深い御心が伝わってくる。
 わが同志が一人ももれなく、月天子が満ち、冴えわたっていくように、福徳の光を増していかれることを、私は祈ってやまない。
 「一家和楽」の信心である。「幸福をつかむ」信心である。
 「難を乗り越える」信心である。
 そして、「健康長寿」の信心であり、「絶対勝利」の信心である。
 この妙法を持ち、広宣流布に生き抜くならば、必ず幸福になる。最高に充実した、所願満足の境涯を築いていけるのである。
 一、御書には「一は万が母」(498ページ)とある。
 すべては、一人との出会いから始まる。一人を大切にすることが、万人への広がりに通じる。
 SGI(創価学会インタナショナル)の連帯が世界190カ国・地域へがったのも、わが婦人部の皆様方が、来る日も来る日も私と同じ心で、勇敢に誠実に、また忍耐強く、一人一人との対話に徹し抜いてくださったからである。


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エレノア・ルーズベルト大統領夫人
誠実に、勇敢に生きよ 全部、成長の糧になる
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 力を合わせよ! 

 一、アメリカの人々から、今も深く敬愛されている女性に、エレノア・ルーズベルト大統領夫人と、ローザ・パークスさんがいる。
 このエレノア夫人の姪に当たるエレノア・ルーズベルト2世さんからは、夫人の著作や書簡、写真など、貴重な遺品をお贈りいただいた。すべて、学会の宝として、大切に保管させていただいている。
 エレノア大統領夫人は言われた。
 「人間は、誠実に、また勇敢に生きていけば、人生のさまざまな経験が糧となり、成長していくことができます。
 人格は、このように形成されていくのです」
 本当に、その通りだ。
 誠実と勇気こそ、人間革命への力である。
 〈エレノア・ルーズベルト2世さんは、こう語っている。
 「思慮深く、力強さにあふれた叔母(エレノア大統領夫人)は『世界人権宣言』の起草に携わり、その精神を自身の信念としていました。
 彼女が生きていれば、池田SGI会長とお知り合いになり、人間に内在する力や、さまざまなことについて対話したいと思ったでしょう」〉
 一、リーダーの皆様は、どこまでも誠実に、謙虚に、会員の方々に接していっていただきたい。自分勝手になったり、増上慢になって、同志を見下すようなことがあってはならない。
 特に最高幹部に対して、将来のために、あえて厳しく申し上げておきたい。
 リーダー自身が指導を求めていくのだ。
 責任ある人間に対して、戸田先生は峻厳であった。それこそ、私の1万倍も厳しかった。
 ともあれ、師の教えを生命に刻み、まっすぐに広宣流布の道を進んでいく。皆で力を合わせて団結し、学会を守りきる。悪とは断じて戦う。
 そして、全同志の幸福を祈り抜いていく。そういう一人一人であっていただきたい。


 「勇気とは絶望を拒否し進むこと」

 一、私たちが親交を結んだ、大切な友人であるローザ・パークスさんも、どんなに有名になろうと、その誠実な人間性が少しも変わらなかった方である。
 いうまでもなくパークスさんは、アメリカの「バス・ボイコット運動」の端緒を開いた、「アメリ公民権運動の母」である。人種差別撤廃の象徴的存在であられた。
 最近も、パークスさんの本格的な評伝が日本で発刊された(ダグラス・ブリンクリー著、中村理香訳『ローザ・パークス岩波書店)。
 評伝には、知人の次のような証言が記されている。
 「彼女からは謙虚さを教わりました」
 「(驚嘆すべきことは)彼女には、名声によって影響を受けるということがなかったことです。
 彼女はまったく変わらず、簡素で謙虚そのものでした」等々──。
 第一級の人物は、皆、謙虚である。誠実である。
 〈この評伝では、パークスさんと池田名誉会長の友情にも言及。「人権への関心において、池田博士は今世紀の多くの人々よりも先を行っていました」とのパークスさんの言葉も紹介されている。
 「八十歳になるまで外国はカナダとメキシコにしか行ったことがなかった」パークスさんは、1994年5月に来日し、信濃町聖教新聞本社で名誉会長と再会。
 創価大学では創大名誉博士号受章記念の講演を行い、「池田博士は、20世紀から21世紀への公民権運動、人間のための権利の獲得のために献身される精神的リーダーであります」等と語った。
 評伝には「東京への旅は彼女(パークスさん)の人生において最も忘れられないものとなった」と綴られている〉
 パークスさんは、長年にわたる黒人差別に対して、「ノー!」と勇気の声を出した。彼女の行動は、時代を揺り動かしていった。
 彼女は「勇気を持つということは、何があっても絶望に身を任せることを拒否し、前進しつづけることだ」(同)と語っている。
 この「勇気」を、パークスさんは、創価の女性にも見いだしてくださっていた。その信頼と期待は、まことに大きかった。
 一、パークスさんは、創価女子短大生との笑顔はずむ語らいのなかで、こう語られた。
 「最も尊敬する人は、私の母です。なぜなら母は、尊い意志をもって自分の尊厳を守ることを教えてくれたからです」
 どんな尊大な権力者よりも、どんな驕った有名人よりも、人間の誇りをもって生き抜く無名の母が偉大である。
 パークスさんは、母への深い尊敬を込めて、こうも述べられている。
 「私は、母レオナ・マッコーレーのおかげで、人種差別のなかで生きながらも、自尊心を持ち、ほかの黒人たちを誇りに思いながら育つことができました。
 どのくらいお金を持っているか、どんな家に住んでいるか、どんな服を着ているかということで人を判断してはいけないと、母は私に教えてくれました。
 人は、自尊心と他人に対する尊敬の念によって判断されるべきだと、母は教えてくれました。
 後年、私が自分に課せられた困難な仕事を成し遂げられたのも、この母の忠告のおかげです」(高橋朋子訳『勇気と希望』サイマル出版会
 人間は、だれ人たりとも尊厳である。わが生命の力を、自分自身が、誇り高く発揮していくのだ。
 決して卑屈にならない。そして、他者に尊厳を見いだし、尊敬していけるかどうか。ここに、パークスさんのお母さんは、人間の偉さの基準を置いておられた。



 信心の労苦が最も尊い 

 一、17世紀フランスの文人ラ・ブリュイエールは、鋭く世相を見つめた。
 彼は、私が講演したフランス学士院の淵源であるアカデミー・フランセーズの会員であった。
 「うそのお偉方はすさまじくて寄りつけない。彼はそのいんちきを知っているから、隠れている。少くとも正面切って出て来ない。
 姿を見せても、唯人を欺くに必要なだけ、自分の正体を即ち本当の卑賤ぶりを見られないために必要なだけ、の程度にしておく。
 本当の偉い人は、物事にとらわれず、優しく、親しみやすく、平民的である」(関根秀雄訳『カラクテール』岩波文庫。現代表記に改めた)
 仏法の世界は「平等大慧」である。特別な人はいない。皆が本来、仏である。皆が尊貴である。
 そのなかでも、私たちは、信心強く、広布のために苦労して戦う人を、最も大切にするのだ。
 万が一にも、社会的な肩書や立場、名声や人気などを重んじて、真面目な学会員を軽んずるようなことがあれば、清浄無比なる和合僧を破壊してしまう。
 後世のために、あえて、この点は厳重に戒めておかねばならない。
 一、釈尊の弟子の一人である耆婆(ぎば)は、名医であった。
 多くの難病を治療し、「医王」と讃嘆された。開腹手術や頭手術も行ったと伝えられている。大国・マガダ国の大臣ともなり、社会的地位や名声も、大変に高かった。
 彼は反逆の堤婆達多と戦った。また、阿闍世王(あじゃせおう)を釈尊に帰依させてもいる。
 その耆婆が、ある時、師匠である釈尊仏弟子たちを家へ招いたことがあった。
 しかし耆婆は、もの覚えが悪く、愚鈍とされている須利槃特(すりはんどく)だけは、わざと招かなかった。耆婆は須利槃特をバカにしていたのである。
 釈尊は、大切な弟子を見下す、耆婆の傲慢を戒めた。
 皆、かけがえのない尊貴な弟子ではないか。それがわからず、仏弟子を見下す者こそ愚かであり、自分で自分を傷つけているのである。
 師の厳愛に、耆婆は目を覚まし、激しく後悔する。そして、同志とともに、師の広大無辺の境涯に学び、偉大な使命の生涯を全うしていったのである。
 創立の父・牧口常三郎先生がよく拝された御聖馴に、「上根(機根の優れた人間)に会っても、自分を卑下してはならない」「下根(機根の劣った人間)に会っても、僑慢になってはならない」(御書466ページ、通解)という一節がある。


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正義を叫んたパークスさんの母の教え
 人間の偉さの基準は他者を尊敬できるかどうか
17世紀フランスの文人の観察眼
 本当に偉い人は優しく親しみやすく庶民的
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 この御文を通して、牧口先生は言われた。
 「名門の人や、高位・高官だからといって、へつらうのも法を下げる。
 いばって、信用をなくすのも法を下げることになる」と。
 戸田先生もまた、「傲慢」「慢心」を幾度となく戒めておられた。その一端を学び合いたい。
 「真の信仰にめざめたわれわれには、福運を消し、自分自身をも破壊させる慢心の振る舞いだけは、けっしてあってはならない」
 「腹の中で学会員を小馬鹿にしたり、大した人間でもないのに自分を偉そうに見せたり、学歴があるからといって尊大ぶる愚劣な幹部もいる」
 「学会員を馬鹿にする者は誰であろうと、私は許さない!」
 「和合僧を尊重して、我見や増上慢の幹部や議員を叱り飛ばし、異体同心の理想的な広宣流布の前進へと戦う人こそが、信心強盛な仏法者である」
 婦人部の皆様方が先頭に立って、聡明に、毅然と学会精神の真髄を堅持して、世界第一の和合の世界を厳護していただきたい(大拍手)。

 古い星も若い星によって元気に 
 一、いわゆる「権力者」と、真の「指導者」とは、どこが違うのか。
 それは、他者に奉仕しているか、どうか。後継の人材を育てているか、どうか。ここで見極めることができよう。
 ローザ・パークスさんは、「未来の世界がどうなるかは、私たちが今どのように生きるかにかかっています」と強調されていた(高橋朋子訳『ローザ・パークスの青春対話』潮出版社)。
 未来のために、今、自分に何ができるか。
 一流の人物は、この一点を見つめながら、命ある限り行動を続ける。そして、荘厳な夕日に照らされた全山紅葉の山並みのように、人生の総仕上げを果たしていく。
 イギリスの大歴史学者であるトインビー博士も、そうであった。
 さらにパークスさんは、「青少年たちは、いつの時代でも、ベストをつくすよう、そして社会問題への答えを追及するよう励まされなければなりません」(同)とも述べておられた。
 言葉だけの抽象論ではない。具体的に、人々のため、社会のために、一緒に行動していくなかでこそ、後継の青年が育っていくのである。
 まさに、学会活動の姿である。
 「大白蓮華」の12月号に、壮大な大宇宙で観測される、興味深い事実が紹介されていた(「仏法は希望の生命学」)。
 それは、「老いた星も、若い星に近づくことで、元気になる」というのである。
 浅井和美博士(理学)が、次のように語っておられる。
 「年老いた中性子星も、近くに若い星が接近していると、強い重力に引っ張られて、若い星からガスが中性子星へと流れ込むのです。
 これが回転エネルギーを与えることになり、自転はどんどん速度を上げます」
 「こうした振る舞いは、高齢の方が、若者との交流を通して、以前にもまして、明るく元気に歩んでいる姿と重なります」
 我々は、まさに老若男女が一体となり、平和と幸福の軌道を前進している。天空はるかな星々のドラマも、広宣流布の運動の力強さを象徴しているといえよう。
 自信をもって、「団結第一」で進みたい。助け合い、切磋琢磨しながら、堂々と進もう!(大拍手)
    (下に続く)