良く人に誤解されてしまう


【指導の要点】
?相手を良くしてあげたい?との慈愛で言うのは善であるが、たとえ事実でも、悪口、批判で言うのなら、罪になるのである。








 法華経に「普賢菩薩勧発品」というのがあります。その経文のなかに、御本尊様を受持している人をみて「若しは実にもあれ若しは不実にもあれ」(「十法界明因果抄」御書431頁)すなわち、本当のことであろうと、ウソであろうと、その人をのことをけなし、過悪を出すならば白らいの病になる。

また、小バカにして笑ったりするものは、歯が乱れたりみにくい顔や、手足がねじれたり、悪性のおできが出来たり、ぜんそくになる、等々の悪重病になるとあるのです。

その事は、私も信心した三十数年前に聞きました。

信心が惰性になったりすると、人間は生意気になり理屈をこねるようになるものです。悪いことをしていないのに、していると言うのはいけない。だが、悪い事をしている者を、悪いといってはならないということは納得できない。「若しは実にもあれ若しは不実にもあれ」というのは、おかしいのではないか。法華経を信心している者を守るのはよいが、少し守りすぎてはいないか、えこひいきではないか(笑い)と言って、牧口初代会長の所に行きました。すると、牧口会長の話されるには「慈無くして」と御書にある。?悪いのだから、なんとかなおしてあげたい?という慈愛で言うのなら善だが、たとえ事実であったとしても、その人の悪口、批判として言うのなら、罪になるという話を聞き、なるほどと納得したものです。

怒りというものは善悪に通ずる、とあります。子供さんを怒るにしても?真人間にさせたいんだ?という気持で怒る場合は善なのです。それが?オレの言うことを聞かない?と、しゃくにさわって、自分を中心にして怒れば悪になります。御本尊様を持つ人を、どんなことがあっても恨んだり、バカにしてはならないという事は、じつは自分自身の心の奥底の問題になるのです。どうか、私たちは、同志を尊敬し合い仲良く進んでいきましょう。



【指導の泉 和泉覚