第27回 ロバート・N・ベラー博士


 アメリカを代表する宗教社会学者 ロバート・N・ベラー博士

宗教こそが文化の鍵
 社会の変革は“魂”に訴えるしかない


 私は新聞少年であった。
 尋常小学校の6年生から3年間、新聞配達を務めた。
 時代は戦時下。皆が戦地の様子や戦局の動向を、いち早く知りたがっていた。
 わが家も、4人の兄たちが次々と兵隊に取られていった。玄関先で心配そうに配達を待っている人に会うと、その思いが痛いはど伝わってきた。
 ゆえに、少しでも早く届けようと、毎日が真剣勝負だった。
 特に太平洋戦争の開戦を報じる新聞は、いつにも増して緊張して配ったことを覚えている。


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 同じころ、太平洋の向こう側、アメリカのロサンゼルスにも、毎朝、新聞を待ちわびる少年がいた。新聞を取りに行くのが、一家における彼の役目だった。
 ナチスによるチェコスロバキア解体、ポーランド侵攻ソ連への宣戦......毎日のように、大きな見出しが暗澹たるニュースを伝えていた。
 中でも、日本の真珠湾攻撃を告げる記事を目にして受けた衝撃は忘れられないという。
 その英明な少年こそ、幼き日のロバート・N・ベラ一博士。アメリカを代表する、世界的な宗教社会学者である。
 博士は私より一つ年上。父上は、オクラホマ州にある小さな町で、新聞社の編集発行人をされていた。しかし、博士が3歳になる前に他界される。
 気丈な母上は悲しみを乗り越え、ベラー少年に幼いころから、熱心に読み書きを教えられた。新聞を取りに行かせたのも、父の仕事を継がせたいとの切なる願いからだったのかもしれない。
 その期待に応え、博士は勉学を重ねる。心の眼は、大きく世界へと広がった。次第に太平洋の向こう側に関心を深め、ハーバード大学最後の年には、東アジア文明、とりわけ日本文化の研究に取り組んだ。
 やがて、伝統社会の近代化と宗教との関係を解明しようと、不朽の名著『徳川時代の宗教』を発刊する(1957年=昭和32年)。日本文化に深い造詣と好意をもつ、代表的なアメリカ知識人として知られるようになった。


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 私がお会いしたのは、1983年の1月14日であった。ご夫妻で、東京・渋谷区の国際友好会館にお越しくださった。
 有意義な語らいの夕べは、3時間半に及んだ。
 当時、博士はハーバード大学の教授を経て、カリフォルニア大学バークレー校の教授を務めていた。
 穏やかな学究肌で、長身の風格は、経済学者のガルブレイス博士を彷彿させた。二人とも、アメリカの東海岸と西海岸、双方の名門に学んでいる。学者としてのスケールも大きい。
 私は、ベラ一博士の生徒になったつもりで、さまざまな角度から質問をぶつけてみた。
 「近代化と宗教の存在意義」「世界連邦建設に果たす高等宗教の役割」「永遠の生命観」「第2次大戦の前と後で米国知識人はどう変わったか」等々。
 その一つ一つに、じつくりと耳を傾けながら、誠実に、そして的確に回答してくださった。



 悲嘆よりも希望 
 博士は、ハーバード時代に1年間、日本に留学された。それは、1960年、私が第3代会長に就任して、アメリカへ第一歩を踏み出した年である。
 74年、私がバークレー校を初訪問した際には、同校の教壇に立っておられた。
 学生運動の嵐は収束していたが、バークレー校は「進取」の気風に満ちていた。社会の理想の未来像を、他に先駆けて追求しようというチャレンジ精神が脈打っていた。
 そうした学風を呼吸してきた博士は、無類のブラス思考の持ち主だった。
 例えば、人種や民族の多様性について──。
 「私たちは、これほど異なっているのだから、一緒には何もできない」と考える人もいる。
 反対に、「これだけ異なっているからこそ、一緒に何かできたら素晴らしいではないか」と考える人もいる。
 それが、ベラ一博士である。
 「多様性をそのまま生かせばよいのだ。多様であることを、ことさら否定的にとらえて分断を嘆いたり、逆に、一つのカラーに押し込めようとしたりする必要はない」
 どこまでも前向きである。
 仏法でも、「桜梅桃李の己己の当体を改めずして」(御書784ページ)と説かれている。
 会見では、平和運動の在り方について、こう言及された。
 「核兵器の悲惨さのみを強調していく運動の在り方は、人々を世界の将来に対して悲観的感情に陥らせ、若者から将来の希望と行動への勇気を奪ってしまう恐れがある。未来に希望を抱けるような、もっと大きい観点から人間社会を変革していかなければならない」
 悲嘆よりも希望を! 諦めよりも挑戦を!──これが博士の信条であった。だからこそ、明るい創価の平和の前進を、微笑み見つめておられた。



 理想の政治家とは 
 話題は、「政治と倫理」にも及んだ。
 理想の政治家とは?
 「自らの姿を通して、精神の深さへ、倫理的方向へと市民を導いていく人物。仏教で言えば、『菩薩』のような存在ではないでしょうか」
 「菩薩」の一言を、ひときわ強調されでいた。
 「それに対して、現代の政治家は、かつての政治家がもっていた人間への慈愛や倫理観を失っている。アメリカ建国時代のワシントン、ジェファソン、またリンカーンが見たら、大いに嘆くことでしょう」
 政治家だけではない。社会のあらゆる指導的立場にいる人間が今、その危機を迎えている。
 元凶は何か──。
 「物質主義の横行です。富や権力への追求が増せば増すほど、倫理観が破壊される」
 博士は鋭く喝破された。
 何が得で、何が損かという、経済的な価値が最優先され、何が善で、何が悪かという、倫理的な価値は、行動の基準にならない。
 その結果、「物さえあれば」「金さえあれば」「自分さえよければ」という、卑しくちっぽけな心が蔓延してしまうのだ。



 人生の核に 
 こうした人間の欲望をコントロールする方途について、1991年9月、私は、博士の母校で論及した。ハーバード大学での第1回の講演である。
 タイトルは「ソフト・パワーの時代と哲学」。ソフト・パワーの時流を確固たるものにする最大の力は、内発的な自己規律の哲学にあると強く訴えた。
 端的な例として、私は、関西創価学園の第1回入学式でも語った信念を紹介した。
 「他人の不幸の上に自らの幸福を築いてはならない」と。
 私のハーバード大学講演と時を同じくして、日本では、ベラ一博士の新著『心の習慣』が、話題になっていた。
 博士は、現代アメリカ人の精神的傾向性を分析し、過剰な個人主義が社会を蝕んでいることに警鐘を鳴らされていた。
 「他人の犠牲の上に自らの幸福を築くという狭い幸福観を克服しなければならない」と。
 くしくも一致した哲学──。それは決して特別な生き方ではない。まさに、人間としての日常的な「心の習慣」が凝結したものである。
 日蓮仏法の説く信仰も、最も人間らしい実践である。誠実、勇気、慈愛、報恩、礼儀といった生活における日常的な振る舞いなのだ。
 博士は創価学会に、こう期待を寄せられていた。
 「倫理的行為を通して、信仰を生活の中に具体化するのが、日蓮の教えである。そして、日常の中で具体的な実践を行う宗教こそ、現代社会に人間性を回復させられる。その意味で創価学会の生きた信仰は、生きがいのある人生の核となっている」



 精神の力の復興を 
 世界190カ国・地域の同志とともに、創立77周年を晴れ晴れと寿ぐことができた。
 仏法を基調として平和・文化・教育を推進しゆく、創価の社会的使命とは何か──。
 それは、暴力や権力、金力などをもって人間の尊厳を冒し続ける外なる"力"に対する、内なる"精神"の闘争である。
 ベラ一博士は論じられた。現代の物質主義や経済主義、個人主義を乗り越えるには、もちろん政治・経済・社会のシステムの変革も必要である。だが最終的には、人間の「魂に訴える」しかない、と。
 人間の心の変革、精神の力の復興しかないというのである。
 あの残酷な戦争を体験した、日米の"新聞少年"の語らいは尽きなかった。
 「文化こそ革命の鍵である。そして、宗教こそが文化の鍵なのである」 (松本滋・中川徹子訳『破られた契約』未来社
 語らいでも博士と確認し合った、この「文化の鍵」を、今、世界の青年が受け継いでくれている。