広布第2幕 第3回 全国青年部幹部会 上
新しき拡大の旭日を
225の名誉学術称号は創価三代の栄光
ガンジー ライオンの如き叫びで敵の心を砕け
一、広宣流布の中核の人材が集う会合は、戸田先生の時代からの伝統である。活動の源泉となる、最も根幹の行事である。
仏法の眼から見れば、本陣に勇んで集い、戦う皆様は、広宣流布の英雄であり、女王である。その功徳は永遠であり、子孫末代に流れ通っていくことは間違いない。
どうか、頑張っていただきたい!〈「ハイ」と決意の声〉
普賢菩薩の守護
一、世界の広宣流布は、必ず普賢菩薩、すなわち「普く賢い」知性の力によって守護されていく。これが正しき仏法の定理である。
〈御義口伝に「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり、此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべきなり」(御書780頁)と〉
きょうの青年部幹部会を祝賀するがごとく、新しい「英知の栄誉」が、世界各地の大学から、相次いで寄せられている。
私が、これまで世界の五大陸の大学・学術機関からいただいた名誉学術称号は224。〈名誉会長夫人には、10の名誉学術称号が贈られている〉
今後も、中国の医学の殿堂・温州医学院をはじめ、名誉学術称号の授与が続々と予定されていることを、謹んで、わが弟子にお伝えしておきたい(大拍手)。〈同医学院の名誉教授称号の授与式は11月30日に行われ、学術称号の数は225となった〉
また私は、大学・学術機関での講演も、ハーバード大学での2度の講演をはじめ、世界中で行ってきた。ハーバードからは、「ぜひ3度目を」とのお話を何度もいただき、大変にありがたく思っている。
師匠の栄冠は弟子の福徳に
一、こうした栄誉の一つ一つが、どれほどの重みをもったものであるか──。
ドイツの大詩人ヘルダーリンはうたっている。「汚されぬ叡知の旗幟には栄光を/心の正しい者らには名誉と凱歌を!」(高岡和夫訳「調和の女神に寄せる讃歌」、『ヘルダーリン全集1』所収、河出書房新社)
私は、外国の有名な詩人の作品は、青春時代から、あらかた読破してきた。自宅の本棚にも、ずらりと並んでいたし、どこに行っても傍らに本を置いていた。
そのほとんどは、創価大学や学園に寄贈させていただいている。東京・大田の小林町(当時)に自宅があった時、訪ねて来られた方に、ほかに贈るものもなく、差し上げた本も多い。懐かしい思い出である。
ともあれ、ヘルダーリンの叫びのごとく、名誉学術称号とは、その大学の威信をかけて「英知」と「正義」の人格を讃える栄誉である。
"この人こそ人類の模範なり。青年よ、この人に学べ!"との厳粛なる宣言ともいわれる。
「創価学会の名誉会長」として、私は、世界で第一の数となる栄誉をお受けした。
私自身は、それを誇ったり、自分のことを「偉い」と思う気持ちは全くない。
ともに教育者であった牧口初代会長、戸田第2代会長のお二人が喜んでくださっているに違いない──そのことが、うれしいのである。
牧口先生も戸田先生も、誹謗中傷を浴びせられ、国家によって投獄され、正当な評価を受けることなく亡くなられた。
私は、名誉学術称号をお受けするたびに、両先生にご報告申し上げる。
「先生の仇を討ちました」「また一つ、先生の偉業を後世に残すための、礎をつくることができました」と。
これが、本当の師弟である。
そして、師弟は不二であるがゆえに、師匠の栄冠は、青年部の皆さんに、すべて受け継がれていく。
妙法は不思議である。不可思議の法である。
思うように学校に行けなかった人も、少しも嘆く必要はない。皆さんも、皆さん方のご一家も、永遠に最高の知性と福徳に包まれていく。そのことを確信して、堂々と進んでいただきたい!(大拍手)
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正義を訴える師子となれ
師弟こそ最高の人生の道
若き日の日記 「師を護ることが広宣流布を護ること」
名声でなく学歴でなく 信心を貫く人が一番偉い
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本物よ出でよ
一、今や、世界の心ある知性の人々が、創価学会を正しく評価し、讃え、守ってくださる時代になった。
しかし、この麗しき民衆の団結を見下し、嫉妬の中傷を浴びせる人間もいる。増上慢の反逆の輩も出た。
そうした人間とは、断じて戦うことだ。
先ほど、男子部の諸君に、師子の像をお贈りした。
「青年よ、師子となれ!」
こう私は申し上げたい。
本物の師子は今、いったいどこにいるのか。
戸田先生は言われていた。
「師子になれ。本物の師子にならなければ、広宣流布はできない。そうでなければ、栄誉栄達のための幹部になってしまう。学会はつぶれてしまうぞ」
必要なのは「師子」である。一人になっても、正義を叫び切る「師子」である。
学会の前進を支えてくださっているのは婦人部、女子部の皆様である。
それを分からず、見栄っ張りで、陰で偉ぶり、「いざ戦い」となると、逡巡して、勝負することができない──そんな情けない人間に、なってはならない。
師子となる。
師子を育てる。
これが広宣流布の極意であり、創価学会の使命である。
私は一人、師子として戦ってきた。広宣流布を妨げ、戸田先生に悪口を浴びせる勢力とは、相手がだれであれ、一人で乗り込んででも戦った。
青年部の諸君は、勇気を出してもらいたい。師子となっていただきたい!〈「ハイ」と決意の声〉
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全世界で青年が先頭に
昭和28年25歳で第1部隊長 1年で4倍の拡大
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日本の青年部よ世界の模範たれ
一、世界各地の青年部の前進は、目覚ましい。
日本だけではない。世界も動いている。私のもとには、毎日のように、報告が入ってくる。
ブラジルの青年部は、2005年に150万人の「アミーゴ(友人)運動」を進め、成功させている。今年の総会には5万5000人の若き陣列が結集した(大拍手)。
アメリカの中心は、女性のキンバリー・ハーマン青年部長。
女性がリーダーのほうが、皆がついてくる。男はすぐ威張る。嘘をつく──と、ある人が言っていた(笑い)。SGIは女性が輝き、時代の先端を走っている。
ネイスン・ガウア一男子部長は、アメリカ創価大学の出身。青年がアメリカを引っ張り始めた。
青年が中核となって、この1年で、全米の弘教は7000人。人間革命の哲学を求める人が、どんどん増えている。
ドイツの詩人 心の正しい者らには名誉と凱歌を!
ともあれ、いかなる団体も、欺瞞や虚栄のリーダーのもとでは、発展はない。リーダーが生まれ変わってこそ、見違えるような前進が始まるのだ。
平和な未来を開くために、一番大事なのは、広宣流布に進んでいる人である。その人が中心である。社会の地位や人気など、問題ではない。これが、真実の人間宗たる、日蓮大聖人の仏法の正しき教えである。これが創価学会でなければならない。
今、海外に、創価の連帯が大きく広がっている。来年は、さらに勢いを増すだろう。日本の青年部が弱くては、だらしがない。格好主義ではいけない。どうか勇敢に、世界の模範の行進をお願いしたい。
私も青年部の時代、戦いに戦った。戸田先生を守り、学会を守り抜いた。これが真実の師弟の姿である。
あの地でも、この地でも、日本一の折伏の歴史をつくった。何もかも、やり抜いた。
戸田先生が亡くなられたあと、私は世界に一歩を踏み出した。先生の心をわが心として。
嫉妬と陰謀により、私は第3代会長を辞任した。その直後には、神奈川へ向かった。そして世界広布の大航海を開始したのである。
創価の三代の師弟は、身をなげうって戦い、そして勝ってきた。
師弟の道を外れて、栄光はない。
そのことを、諸君は生涯、忘れてはならない。
人材のスクラムが輝き始めた!
一、アフリカのコートジボワールでは、この10年でメンバーが10倍に拡大。2万人になった。その多くが青年部である。
2002年に内戦が勃発して以降も、平和の対話を貫き通してきた。いつも報告をうかがっている。本当に、よく頑張ってこられた(大拍手)。
欧州の青年部も、明年の3・16「広宣流布記念の日」を目指し、「10万人の平和の友」対話運動を展開している。
3月16日にはイタリアのミラノに代表が集い、総会を、盛大に、楽しく行う予定である。
世界の同志も戦っている。皆で応援の題目を送っていきたい(大拍手)。
海外だけではない。
日本の青年部も、この9月の第1回青年部幹部会から、新しい勢いが始まった。
新しい人材のスクラムが、一段と輝き始めた。拡大し始めました!(大拍手)
とくに関西は、この下半期、男子部、女子部、学生部で、100万人の友好対話を繰り広げてきた。
関西青年部として、この1年で、3200人の弘教を達成されている。
関西の皆さん、ありがとう!(大拍手)
「犬、野干の如き者を恐れるな」
一、戸田先生は叫ばれた。
「学会は師子の団体だ。師子の集まりだ。臆病者はいらぬ!」
青年は、師子王の心で、堂々と戦え! 生き抜け!──これが先生の遺言であった。私は、その通りに戦ってきた。
男子部、頼むよ!
負けてはいけない。男として恥だ。
戸田先生は、こうも言われた。
「師子は、百獣のなかで、いちばん力があるのだ。南無妙法蓮華経と唱えるその音声は、師子の吼ゆるがごとき勢いをもつものであると、大聖人が仰せになられているのである」
題目は、師子の吼ゆるがごとく唱えるのだ。生命の勢いがなければならない。
題目は、胸を張って!
王者の風格で、朗々とあげるのだ。
大声で近所迷惑になってはいけないのは、当然だ。また、声が大きくても小さくても、功徳は変わらない。
そのうえで、力強く祈り、勝つという魂の音律を忘れてはならない。
戸田先生のご指導に、こうあった。
「迫害や怨嫉などに驚いてはならない。いかに学会を憎もうとして、いかに学会を陥れようとして誰人が騒ごうとも、彼らは、犬、野干(=キツネの類)のごとき連中だ。
われわれは師子王である。犬、野干のごときものを恐れて、なんとするか!」
先生の声は、わが胸に深く突き刺さっている。天地を揺るがすような、大音声であった。
「生命のある限り戸田先生を護る」
一、今から55年前、昭和27年(1952年)の師走。12月18日木曜日、快晴──。
私は日記に記した。
この日、学会を中傷する、ある新聞に対して、抗議し、決着をつける打ち合わせをした。24歳であった。
「(戸田)先生を護ろう、力の限り。先生を護ろう、吾が生命のある限り。
理由は、唯一つ、先生を護ることが、大御本尊流布を護ることに通ずるからである。
師弟の道、師弟不二。人類最高の道を、私は、真っしぐらに進むだけだ。戸田先生の偉容が、胸臆から離れぬ。瞬時たりとも、私には。──」
私は青年時代、戸田先生と学会員を侮辱し、デマを流す人間に対して、断固抗議してきた。創価の師弟を見下す者を許さなかった。
この道を、私は青年部の諸君に託す。焦点は青年である。
私が戸田先生と出会ったのは、19歳の夏であった。
青年は純粋である。「法のために」「人のために」という心で、わが身をなげうって生きるのが青年だ。
「私は情熱の塊」
一、また私は、昭和28年(1953年)1月、男子部の「第一部隊長」に就任した。25歳であった。
「私は情熱の塊です。この情熱で、指揮を執っていきます」と宣言し、小岩・向島・城東方面を駆け回った。
就任当時、337人だった部員数は、1年で4倍に迫る1233人に拡大した。
ここから、青年部は本格的に立ち上がった。戸田先生をお護り申し上げながら、怒涛のごとき広布の大行進が始まった。そして今日の学会があるのだ。
第一部隊長の時期、私は、文京支部の支部長代理も兼任していた。それまで低迷を続けていた文京支部は、「前進! また前進!」を合言葉に、第一級の支部に生まれ変わった。
また、折伏の成果がなかなかあがらず、戸田先生が「このままでは、広宣流布は5万年もかかってしまう。大作、お前が立ち上がってくれないか!」と言われたこともあった。
私は先生の事業を支えながら、折伏の指揮を執った。過酷な日々であり、意気地なしや臆病者では務まらなかった。
「お前みたいな弟子をもって、俺は本当に幸福だ。うれしい」。涙あふるる思いで語られた先生。
生涯の顧業であった75万世帯の弘教を達成したときの、先生の喜び。世間の驚き。今も忘れられない、私の喜びである。
「新しき拡大の波」を起こす。それが学会青年部である。
大阪でも、文京でも、小岩でも、私は向かうところ、行くところ、旭日が昇るような「時代」を創ってきた。その地域が「明るく」なった。
「他人にやらせるのではなく、喜んで自分がやろう」。そうやって私は、牧口先生、戸田先生の精神を継いで、学会をここまでもってきたのである。
ゆえに、だれが本当の師弟の魂で学会を支え、守っているか。だれが生意気な心で学会をバカにしているか。私には、手に取るように見える。
現在は音よりも、あらゆる点で恵まれている。最高幹部は心して指揮を頼む、と申し上げたい。
強き「唱題の力」「語る力」で勝て
一、戸田先生は女子部に指導された。
「学会は(中略)世界最高の哲学を基礎として、民衆に幸福を与えるのであります」
「それも、ことごとく若きみなさんの力によってなさねばならぬと確信するのです」
「みなさんの責任は、重かつ大であると思うのであります」
私も同じ心境である。
また、インド独立の父ガンジーの言葉を、青年部に贈りたい。
「自分の心を統御したら、森の王ライオンのように叫ぶことができます。その咆哮で敵となっていた者の心は裂けてしまいます」(田中敏雄訳『真の独立への道』岩波文庫)
「百獣の王」の咆哮。それは広宣流布の戦いでいえば、「唱題の力」であり、正義を「語る力」であるといえよう。
逆に、学会の恩を受けながら、仏法に反し、同志を裏切った者は、師子吼によって悪心を切られる。謗法によって心が裂けた者は、"生ける屍"のようになってしまうのである。
一、昭和25年の年末、新橋駅近くの食堂で、戸田先生から、広宣流布の新聞を発刊しようとのお話をうかがった。これも忘れがたい思い出の一つである。翌年4月、聖教新聞を創刊。聖教新聞は、戸田先生と私を中心に、師弟の手作りで始まったのである。
また、皇居のお堀端を先生と歩いていて、雨が降ってきたことがあった。
そのときは傘もなく、タクシーもなかなか来なかった。「二人で雨に濡れていこう」と歩いた。先生は、「あそこにマッカーサーがいるんだ」と指を指された。
GHQ(連合国軍総司令部)本部の入っている、立派なビルである。
当時の学会は、立派な車もない。むろん、大きな建物もなかった。先生の事業も、最も苦しい時だった。しかし、私は申し上げた。
「私が働いて働いて、いい車を用意します。必ずビルも建てます。それまでは、どうか、長生きをしてください」
先生は、ニッコリと笑っておられた。
今、私が先生にお約束した通りの学会になった。創価学会は、激動の社会に輝く「勇気と希望の光」である。後継の皆さんの使命は、皆さん自身の想像よりもはるかに大きいということを、申し上げておきたい。
(下に続く)