新時代 第13回 本部幹部会 上


心新たに! 心勇みて!
一年また一年 福徳の年輪を刻みゆけ
希望は嵐の夜に暁の光を ゲーテ


 一、忙しい年の瀬だが、きょうは、ゆったりして、楽な気分で聞いていただきたい。懇談的に進めよう。
 一年間、本当にご苦労さま! ありがとう!(大拍手)
 また、遠くからお越しの海外の方々、本当にようこそ!(大拍手)
 お元気な姿を拝見でき、うれしいです。ありがとう! ご苦労さまです!
 この一年間、リーダーの皆様、さらに、全同志の皆様のおかげで、学会は大きく前進した。勝ちました!(大拍手)
 皆様の「信心」と「正義の行動」によって、世界一の大勝利の歴史を残すことができた。大いなる広宣流布の前進ができた。
 地涌の菩薩である皆様に、私は心から感謝を申し上げたい。そして御本尊に感謝しております。
 来年一年も、皆で勝ち進んでいきたい。
 なかには、「もう来年の話か!」と思われる方もいるかもしれない(笑い)。
 しかし、勝利は爽快である。気持ちがいい。
 また来年も、勝利、勝利、連続勝利の凱歌をあげていきたい(大拍手)。

 勝利の"秘伝"
 一、リーダーの皆さん、とくに、大きな責任を担い立つ人は、これまで以上に、同志を心から大切にしていくことだ。
 皆を上から見下すような傲慢は、断じてあってはならない。
 友と出会ったら、さわやかにあいさつをする。感謝の気持ちを表す際には、丁重にお辞儀をする。会合の後には、心を込めて見送る──。
 そうした誠実な振る舞いが、相手を思う深き祈りが、心に橋をかける。強き連帯を広げていくのだ。
 法のため、人のために戦う同志ほど、偉大な人はいない。
 一番、戦ってくださっている人を、一番、大切にする。そこに、何十倍もの力が出る。これが勝利をつかむ、戸田先生の"秘伝"であった。
 同志のために──この一点に徹した人は、皆、大きく成長していった。
 反対に、こうした労苦を避けた人間は、最後は、敗北の人生となっていった。
 大いなる使命に生きゆくリーダーの皆さんは、どうか、「あの人は、品格があるな。素晴らしいな。王者の風格だな」と慕われるような人になっていただきたい。
 一、ところで、古来、日本では12月を「師走」と呼ぶ。
 その由来は何か。
 よく知られるものとして、12月は、師が家々で読経をするために、東西を馳せる。すなわち「師馳(しは)せ」の月であることが平安時代の文献にも記されている。これが後に「師走」となったというのである。
 師といえば、大聖人の直系として広布に走る皆様も、一人一人が真実の「法師」である。ゆえに、走っていいのである(笑い、大拍手)。

ヒルティ 傲慢は人生を滅ぼす
ゲーテ 忘恩は常に一種の弱さ

 ほかにも、年が果てる「年果(としは)つ」からきたとする説、「一年の最後に、すべて成し遂げる」という意味で「為果(しは)つ」が転じたとする説など、いろいろある。しかし、正確な語源は、はっきりしないとも言われる。
 ともあれ、我らは「全部、勝ち抜いた」「やり抜いた」「成就した」と言える12月にしてまいりたい(大拍手)。

            「ありがとう!」「皆様のご多幸を祈ります!」──世界から集った平和建設の同志に心から感謝を捧げる名誉会長。この出会いに全魂を込めて。常勝の師子吼が、列島に世界に万波と広がる(同)

 一年の総仕上げを生き生きと!    
 一、ある年、戸田先生は、弟子をねぎらいながら言われた。
 「師走といって、文字通り、"師も走って"いるのだよ。皆さんも多忙だと思うが、私も走っている。広宣流布のために、ひとつ頑張ってくれ」
 この言葉の通り、広宣流布のために走り続けた師匠であった。
 戸田先生のお心は、私もよく分かる。私も、一年365日、毎日走り続けている。
 心が停滞した人生には充実がない。
 たとえば、勤行もそうである。やり終えた後には、充実感がある。しかし、さぼってしまったときには、楽でいいなと思っても、後になればどうも調子が悪い(笑い)。
 折伏も、和合僧の学会の会合も、同じであろう。
 師匠とともに、「広宣流布の大願」のために、生き生きと、心を勇み走らせていく。そうしたなかで、一年の総仕上げをしていきたい。
 ともあれ、人の何倍も忙しくとも、人の何倍も充実した人生。それこそが、勝利の人生である。その人こそ、偉大な人である。
 これは、戸田先生のご指導でもあった。
 もちろん、一年の終わりに、ゆっくりと、英気を養うのも、かまわない。大事なことは、人生の価値ある向上の坂を、悠然と上っていくことである。
 大文豪トルストイは、次のような箴言を引いている。
 「最上の幸福は、一年の終わりにおける自己を、一年の始めにおける自己よりも、よりよくなったと感ずることである」(原久一郎訳『人生読本』社会思想社
 学会のいき方と共鳴し合う言葉である。
 我らの「人間革命」の前進こそ、一年また一年、まさに「最上の幸福」の年輪を刻んでいるのである。
 明年へ向け、心新たに出発していきたい。そうした決意の大事さを、戸田先生は教えてくださった。

誠実の人こそ偉大
 人間性が最後に勝利を得る ゲーテ

 幸福とは何か? 
 「ここで、スイスの思想家、法学者で、歴史家としても知られるヒルティについて紹介したい。
 1833年に生まれ、1909年に逝去。
 「スイスの聖者」と仰がれた有名な指導者であり、著作には『幸福論』『眠られぬ夜のために』等々がある。
 言論活動を通して、青年をはじめ、多くの人々を啓発していった。とともに、さまざまな活動にも身を投ずる。
 本物の人間は、社会のために身を投じるのが、当然である。
 お金があるとか、有名だとか、そういうことは、人間の幸福にとって、「迹(しゃく)」であり、「影」である。
 社会の中に入って、人々のため、何をしたか。どう生きたか。これが「本」であり、そこに本当の人生の幸福がある。
 ソクラテスをはじめ、多くの哲学者が、そして仏法者が、一致して求めたものも、それである。
 他者のために尽くしてこそ、真に充実した人間の魂が光り、燃える。
 この生きる意味を教えるのが、信仰であり、教育であると、私は信じている。
 ヒルティは、青年弁護士として戦い、さらに大学教授として、人材の養成に尽くしていく。
 宗教的精神を持つ高潔な政治家としても活躍。
 また、女性たちの味方となって、女性の権利の拡大を主張。
 「立法議会の誇りであり、議場をてらすともし火」であったと、人々から深い尊敬が寄せられた(アルフレート・シュトウッキ著、国松孝二・伊藤利男訳『ヒルティ伝』白水社から)。

 絶えず前へ! 
 一、ヒルティは綴った。
 「絶えず前へ進まなければならない。停止はつねに後退である」(草間平作・大和邦太郎訳『幸福論第3部』岩波文庫
 停止は、即、後退であるというのだ。
 学会精神と同じ、仏法と同じである。
 戸田先生は言われていた。
 「厳しく言えば、退転というのは、信心を辞めることだけではない。『進まざる』ことである。今の位置から、『進まない』ということである」
 さらにヒルティの言葉に、こうある。
 「傲慢は常に没落の寸前に現われる」(同第2部)
 傲慢は、没落の前兆であり、傲慢な者は、いずれ消えていく、破滅していくのだと。
 ゆえに、傲慢が心中に生じないよう、心していくことだ。

勝利は愉快! 勝利は充実!
全世界の尊き同志に心から感謝
我らは走る! 広宣流布の大願へ
 人に尽くせ! そこに真実の幸福が

 さらにヒルティは、「もし財産が人を傲慢や怠惰や無為や欲望や吝嗇(けち=編集部注)にひき入れる場合には、不幸そのものとさえなる」(前田護郎・杉山好訳「幸福論3」、『ヒルティ著作集第3巻』所収、白水社)と語っている。※「幸福論3」の数字はローマ数字
 よくよく銘記しておきたい言葉である。
 またヒルティは言う。
 「高慢はつねに相当量の愚かさと結びついている」(斉藤栄治訳「幸福論2」、同第2巻所収)と。
 御書にも、「智無きは増上慢を起し」(226ページ)との文がある。※「幸福論2」の数字はローマ数字
 大思想家の言葉は、仏法哲理の正しさを見事に証明している。
 ともあれ、牧口先生、戸田先生の時代も、また現在までも、大悪人や裏切り者らが、自分の名誉と金儲けのために、嫉妬と邪悪な謀略をもって、信心の和合僧を乱し、陰で悪事を働いてきたことは、皆さんもご存じの通りだ。
 こうした者の本性は、皆、増上慢であった。
 断じて、増上慢になってはならない。増上慢に従ってもならない。
 増上慢は、仏道修行の敵である。自らの成長を止め、前進を止めるだけでなく、同志の団結をも破壊する。絶対に許してはならない。
 増上慢の輩など、正義の言論で叩き切っていけ!──こう戸田先生は厳しく言われたのである。

 女性を尊敬! 
 一、戸田先生は言われた。
 「世論を喚起することは女性の使命である」と。
 先生の時代から、仏法の理念を広め、共感を広げたのは、多くが女性であった。「女性の実行力は素晴らしいな」と先生は感動しておられた。
 この真剣な女性たちを、先生は、最も尊敬され、大切にされた。
 だから、学会は勝ってきたのである。
 男性の幹部は、婦人部、女子部を最大に尊重していくことだ。
 女性は動いて当たり前などと思うのは大間違いである。
 まず、男性の幹部が、率先して動く。結果を出す。そこに、新しい勝利の要諦があることを忘れてはならない。

勝利は愉快! 前進は充実!

 一日一日を美しく飾れ 
 一、戸田先生は、何かあれば、必ず、「大作、大作」と私を呼ばれた。
 いつであったか、「大作、ゲーテの何を読んでいるのか」と聞かれたことがあった。
 それで、寝る間も惜しんで、ゲーテを読んだことが思い出される。
 ある手紙にゲーテは綴っている。
 「どうか私にならって、一日一日をゆるがせにせず、できるだけこれを美しく飾るようにつとめてください。ただじっとこらえるだけでなく、活動によってこれに対抗してゆくならば、あなたも私と同じように、迷うことなく心から楽しく暮らしてゆけると思います」(小栗浩訳「書簡」、『ゲーテ全集15』所収、潮出版社)と。
 私にならって、私と同じように、一日一日を懸命に生き、美しく飾ってください──こうアドバイスを送っているのである。
 またゲーテは、「年を取るということばそれ自体が新しい仕事を始めるということなのだ」  (小口優訳『箴言と反省』春秋社。現代表記に改めた)とも語っている。
 年配の皆さん、よろしく頼みます! 仏法を持った人は、いくつになっても、日々出発、日々成長である。

 良書だけを読め 
 一、ゲーテは言う。
 「人はあまりにもつまらぬものを読みすぎているよ」「時間を浪費するだけで、何も得るところがない。そもそも人は、いつも驚嘆するものだけを読むべきだ。私が青年時代にそうしたように」(エッカーマン著、山下肇訳『ゲーテとの対話(中)』岩波文庫
 インチキを並べ、真実はこれっぼっちもない。そんな悪口をまき散らす駄文は、最後には、だれからも見向きもされない。
 悪書は心を腐らせる。
 ゲーテの言う通り、驚嘆に値する良書だけを読めばいいのだ。
 戸田先生は低次元の、くだらない雑誌を読んでいる青年を見ると、「なんだ、そんなもの! 読むなら御書を読め!」と烈火のごとく叱られた。
 それはそれは厳しかった。だからこそ、すっきりとした、明るい強さがあったのである。
 一、きょうは芸術部の代表が、大勢来ておられる。まるで、一足早いお正月だ(笑い)。
 芸術部の方々、お立ちください。皆で応援しよう! 盛大に拍手を贈りたい(大拍手)。
 芸術部が動けば、広宣流布が進む。活躍する姿は、皆の誇りだ。同志も「あの人のこと、よく知っているの」(笑い)と鼻が高い。友人も「すごいね」と感嘆する。仏法即社会と輝いている。
 芸術部は皆、一生懸命だ。素晴らしい活躍を、これまで以上に宣揚していきたい(大拍手)。
 一、ゲーテは書き残している。
 「目標に近づけぽ近づくほど、困難は増大する」(岩崎英二郎関楠生訳「箴言省察」、『ゲーテ全集13』所収、潮出版社
 よりよき社会を築きゆく、我らの戦いも、同じだ。ゲーテは、よくわかっている(笑い)。
 目標を勝ち取ることが、どれほど大変か。責任ある立場の人間は、だれよりも皆の勝利と幸福を祈り抜いていくのだ。
 同志の労苦を、さも当然のように思ったら、とんでもない。心の底から感謝すべきである。
 広宣流布を進める人ほど尊貴なものはない。日蓮大聖人が、また日興上人も、さらに牧口先生、戸田先生も讃嘆されることは絶対に間違いない。

 君自身の中にすべてがある 
 一、ゲーテは断言する。
 「忘恩はつねに一種の弱さである。わたしは有能な人たちが恩知らずであった例を知らない」(同)
 同志に支えられ、学会のおかげで偉くなりながら、虚栄に溺れて反逆する。そういう人間は、そもそも無能なのだ。
 恩知らずを絶対に許すな──これが戸田先生の厳命であった。
 さらに、ゲーテの言葉に耳を傾けたい。
 「自分自身に対しても他人に対してもあくまで真実を通すことのできる人は、最大の才能の最善の性質をもっている」(同)
 「きみたち自身のなかを捜したまえ。そうすればすべてを見出すであろう」(同)
 「人間性が最後に勝利をえることは、ぽくも真実だと思う」(小栗浩訳「書簡」、同全集15所収)
 大いなる自分をつくることだ。光る人間になることだ。
 たとえば、お辞儀一つとっても、一流の人間は違うものである。
 容姿や服装で、人の真価は決まらない。
 振る舞いで決まる。誠実で決まる。
 誠実の二字なくして、偉くなった人はいない。
 誠実──ここに哲学の究極があり、人間の世界を照らす光がある。
 ゲーテは呼びかけた。
 「臆した心よ、元気を出して! ああ、希望よ! 希望は、嵐の夜の中に 暁の光を差し入れるのだ!」(高橋英夫訳「プロゼルピーナ」、同全集4所収)
 いかなる嵐があろうとも、私は希望に生きた。
 何を言われようと、どこまでも誠実を貫いた。
 だからこそ、世界の指導者と友情を結び、平和へのうねりを起こすことができたのである。
 歴史上、幾多の宗教が無理解の排撃を受けてきたなかにあって、SGIは世界190カ国・地域に信頼と共感の根を張っている。これが、どれほどすごいことか。
 心ある人は、刮目して見ている。精神のルネサンスヘ、大いなる期待を託している。

(下に続く)