わが同志とは三世永遠! 完勝の歴史を刻まむ 山本 伸一
ああ
わが同志(とも)よ!
正義と信念に燃えて
邪悪に立ち向かう同志よ!
ああ
わが同志よ!
偉大なる
わが同志よ!
少しも労を惜しまず
常に真剣に誠実に
我らが目標とする
平和と幸福の大城を
創りゆく同志よ!
烈々たる情熱を
常に持ち
永遠の平和という
大構想のために
不滅の尊き大聖業に
勇敢に挑みゆく
君の努力の日々は
私の涙よりも美しい。
文豪ゲーテは詠(うた)った。
「永遠の、厳正な
大いなる法則にしたがって
わたしたちはみな
おのが存在の輪を
完うしなくてはならぬ」
悪を糾す
皆の怒りの声が
聞こえてくる。
厳しい叫び声が
聞こえてくる。
ああ 苦難よ
私は恐れない!
おお 激しき
中傷非難の渦巻きよ。
嫉妬に狂う
愚劣な輩の罵声よ。
正義の信念の私は
絶対に動じない!
私には
永遠に連なる
勝利の旗を
持ち続けて進む
深い使命があるからだ。
君よ!
黙っていてはならない。
新しい夢を開け!
決然と
正義のために
嵐を吹き飛ばす
根性を持つのだ。
意気地なしの
卑怯者になるな!
君と共に歩みゆくことは
楽しい。
今日の一歩一歩が
そして
明日の一歩一歩が
非常に嬉しい足跡だ。
負けてたまるか!
野蛮の心の連中に。
私たち正義の同志は
無上の幸福に包まれた
集まりだ。
最上の人生の望みを
果たしゆく
朗らかな友だちだ。
卑劣な声を重ねて
我々を幾度となく
中傷そして非難しても
不屈の信念を持ちたる
我らの不滅の
勝利と正義の魂を
奪い壊すことは
絶対にできない。
あの
吹雪が荒れ狂い
嵐の吹きすさぶ人生を
我々は毎日
乗り越え 勝ち越え
裏切り者を倒しながら
金色に輝く
勝利の旗を振りながら
進んできたのだ。
我らには
恐ろしいものはない。
シルクロードの太陽の国
ウズベキスタンの箴言には
「忍耐と根気は
どんな障害にも
打ち勝つ」とある。
心ある方々の眼は
歓喜の気持ちを抱きながら
正しき我らを守ってくれる
諸天善神なのだ。
広宣流布という
永遠不滅の平和の世界
そして
広布と正義の大城の
建設に
一心不乱に
戦い抜いてきた同志よ!
君の瞳を見るたびに
私は
君の崇高なる
労苦の実像に敬礼したい!
君は
人々の心を斬りつけている
邪悪な友と戦ってきた。
愚劣な友は
人を傷つけ
正義の人を陥れようと
陰謀の日々となってきた。
浅ましき友だ。
鉄槌を下す必要がある。
ゲーテの名作には
狡滑な嘘八百の狐に
騙され抜いた善良な王の
絶叫が記されている。
「卑劣きわまる虚言なと
信じたのは
予の不覚」であったと。
悪逆な嘘つきどもは
断じて倒さねばならぬ。
お前の財宝は
極悪と愚昧の心だ。
私の財宝は
正義と平和と友情の心だ。
アメリカの思想家
エマソンは喝破した。
「最上の書物から
受ける喜びは、
すばらしい」
「決して
下等な書物を
読まぬ事」と。
悪書は
心の毒となり
生命を闇に閉ざす。
良書は
心の翼となり
生命に光を広げる。
ウズベキスタンの格言にも
「善い言葉は
魂の糧!
悪い言葉は
頭に杭を打つこと」と
ある通りだ
恩師・戸田城聖先生は
青年たちの歌声を
こよなく愛し
喜んでおられた。
静かに目を閉じ
真剣に聞いておられた。
昭和二十八年の新春
私たちは
戸田先生に
一曲の歌を披露した。
終わると
「もう一度
歌ってくれ」
また歌い終えると
「もう一度
歌ってくれ」
戸田先生の目には
薄い涙が
浮かんでいるようだった。
その歌は
"五丈原"の歌である。
四海の波瀾 収まらで
民は苦み 天は泣き
いつかは見なん太平の
心のどけき春の夢
群雄立ちて ことごとく
中原 鹿を争ふも
たれか王者の師を学ぶ
丞相 病あつかりき
...... ......
成否を誰れか あげつらふ
一死尽くしし 身の誠
...... ......
鳴呼五丈原 秋の夜半
あらしは叫び 露は泣き
銀漢清く 星高く
神秘の色に つつまれて
天地 微かに光るとき
無量の思 齎(もた)らして
千載の末 今も尚
名は かんばしき諸葛亮(しょかつりょう)
先生の葬儀のときも
この五丈原の歌を歌って
お別れを偲んだ。
"大桶公"の歌を
歌ったときも
戸田先生は
じっと静かに
聞いてくださった。
正成(まさしげ) 涙を打ち払い
我子 正行(まさつら) 呼び寄せて
父は兵庫に赴かん
彼方(かなた)の浦にて 討死せん
いましは ここ迄 来(きつ)れども
とくとく帰れ故郷へ
父上いかに のたもうも
見捨てまつりて われ一人
いかで帰らん帰られん
此(この) 正行は年こそは
未だ若けれ諸共に
御供(おんとも)仕えん死出の旅
「私たちが小学生のときに
歌った歌です」
と申し上げると
「そうか、そうか」と
微笑んでおられた。
なかんずく
「早く生い立ち」という
最終章の一節では
深く頷かれる先生であられた。
一高寮歌
「鳴呼玉杯(ああぎょくはい)に花うけて」を
熱唱したときも
喜んでくださった。
「いいじゃないか。
若々しくて
知性的で」と。
行途(ゆくて)を拒(はば)む ものあらば
斬りて捨つるに 何かある
破邪の剣を 抜き持ちて
舳(へさき)に立ちて 我よべば
魑魅魍魎(ちみもうりょう)も 影ひそめ
金波銀波の 海静か
この一高寮歌を
日淳法主の前で
先生に歌わされたことも
懐かしき思い出である。
師弟に歌あり。
歌に師弟あり。
先生の前で
先生と共に
幾度となく歌った。
先生も歌ってくださった。
歌は
人の心の音楽だ。
良き歌は
人の心を深め広げる。
魂の歌声は
人が自ら
雄々しく
正しき道を開きゆく
力だ!
響きだ!
音律だ!
良き歌を歌え!
これが文化の原動力だ。
これが
戸田先生の励ましの
持論であった。
ドイツの詩人ハイネは
高らかに叫んだ。
「偽善の古い種族は
ありがたいことに、
こんにち影がうすい。
しだいに
墓のなかへはいってゆく。
嘘つき病で死んでゆく」
「永年の不正、
跋扈(ばっこ)する暗愚、
俗悪にたいする闘い!
この神聖な闘いで
あなたがぼくを
戦友にしようと思われるなら、
よろこんでぼくは
手を差し伸べましょう」
わが同志とは
正義と信念の結合なり!
わが同志とは
建設と勝利の大道を
歩みゆく兄弟だ!
そして
わが同志とは
広宣流布という
永遠不滅の大偉業に
挑みゆく戦友なのだ!
ある日ある時
わが師・戸田先生は言われた。
「血のつながりのある
兄弟姉妹よりも
心のつながりのある
友情のほうが
偉大である」と。
まったく その通りである。
もちろん
血のつながりのある
兄弟は兄弟である。
姉妹は姉妹である。
共に支え合って
人のため
世のために
尽くしゆくことは
当然だ。
しかし
それ以上に
いな
それをはるかに超えて
見ず知らずであった
同志とのつながりは
まことに尊く
まことに崇高だ。
それは
壮大なる社会の建設と
平和のために
立ち上がった
魂の結合であるからだ。
戸田先生は叫ばれた。
「この信心をして
幸福にならないわけがない。
心は王者でいきなさい。
創価学会の
名誉ある一員として
誇りも高く
生き抜きなさい」
ともあれ
人間は
何のために
生まれてきたのか。
人間の目標は
いったい何であるのか。
悪の支配には
断じて負けるな!
幸福のため
平和のため
人のため
社会のために
心が
そして魂が
動いていなければ
ならないはずだ。
おお 君よ!
私は
信念の君を
正義の人生の君を
偉大なる
人道の英雄と思っている。
無名の市民を愛し
無名の市民と共に!
君の正義の血統は
いかなる著名人よりも
優れているのだ。
悪い者が勝ち
もてはやされ
善人たちが
暴君に 権力に
いじめられて
黙っていられるか!
人間の英雄たる君よ
立ち向かえ!
勝ち進め!
勝ち誇れ!
勝ちまくれ!
毎日が
青年たちの
楽しい勝利の日々であれ!
君自身が
君の心と固く
約束していくことだ。
最高の贈り物を
あの人この人にと
心を届くし抜いていく
若き大英雄
若さが光る君たちよ!
君たちに敵うものはない。
それは
諸天が見ている。
諸天が讃えている。
諸天が厳護している。
おお 君よ!
使命深き君よ!
偉大なる青春の
わが君よ!
尊き汝の使命を
果たしゆけ!
若き君に
そして
永遠の生命たる
君に
完勝の栄誉の光 輝け!
二〇〇七年十二月八日
東京牧口記念会館にて
世界民衆詩人