155 世界の希望の宝未来部 上 山本 伸一
強くなれ 嵐を越えて断じて勝て!
「21世紀使命会」など 担当の皆様に感謝 誠実と真剣の励ましを
広宣と
創価の永遠
決めゆかむ
人材 育てる
なんと尊き
この二月、そして三月は、わが大切な大切な未来部の「希望月間」である。
北国育ちの大教育者であられた、師・戸田城聖先生は、少年少女に呼びかけられた。
「冬に鍛えよ!」と。
この季節は、寒風にも、雪にも負けず、真剣に、受験に挑戦している友も多い。
頑張れ! 強い心で!
卒業、進学、進級──未来部の友にとって、青春時代の大事な成長の節目だ。
天高く青空へ昇るには、風や雲を突き抜けねばならぬ。
十八世紀フランスの思想家ルソーは言っている。
「わたしたちは、強くなるように生まれついているのだ。苦しいことなしに強くなれると思っているのだろうか」
強くなれ! 徹して断じて、強くなれ! 苦しいこと、つらいことも、全部、強くなるための試練なのだ。
二月十六日の御聖誕であられる日蓮大聖人は、「金は・やけば真金となる」(御書一〇八三ページ)と仰せだ。
本物は鍛えられて、ますます輝く。これが、人間の魂の成長の法則である。
◇
人生は
正しく強く
朗らかに
生きぬけ勝ちぬけ
恩師は語りぬ
二月十一日は、恩師・戸田先生の百八周年の生誕記念日であった。
先生に見出され、先生に育てられた私である。この師匠なくして、私はない。
生命の底から沸き上がる感謝は、永遠に尽きることはない。
──それは、昭和二十五年の十月二日の月曜日、雨の夜であった。
先生の事業が行き詰まり、秋霜の苦境の渦中にあっても、私への訓練は休みなく続けられていた。
顔を見れば、「あの本は読んだか」「これはどう考えるか」と、速射砲の如く聞かれる。
師は五十歳。私は二十二歳。ご自身の学識の一切を注いで、若き弟子を鍛えてくださる、あまりにもありがたき「戸田大学」であった。
その師の甚深なる慈愛に応えて、私も全生命を捧げてお仕えした。
この夜も、先生のお供をして都内を動き、目黒駅へお送りしたのである。
電車の中で、師と語り合ううち、『エミール』が話題になった。
ルソーの有名な教育小説である。大教育者の先生の好きな一書であった。
私は、この前年、児童雑誌『少年日本』などの編集長をしていた時にも、参考になればと再読していたのである。
私がかいつまんで感想を申し上げると、先生は、「大作とは何でも話せるな!」と、笑みを浮かべられた。
私は十代の終わりの「読書ノート」にも、『エミール』の一節を抜き書きしていた。戦前に出た“改造文庫”からであった。
「人を愛せよ、彼等もまた諸君を愛する。
彼等に仕えよ、彼等もまた諸君に仕える。
彼等の兄弟たれ、彼等もまた諸君の子供となる」
ルソーが、教育者自身の人間的な成長の大切さを訴えた言葉である。
他人ではない。まず自分がどうかだ。
口先だけの要領ではなく、自分の誠意と行動をもって範を示すのだ!
◇
勉学と
真剣勝負の
その中に
栄光 燦たる
人生 築けり
「人間は教育によって作られる」──これは、ルソーの卓見である。
ことにルソーは、エミールという少年の教育を通して、一人の人間を幸福にする方途を示そうとした。
創価の父・牧口常三郎先生も、子どもたちに幸福な人生を送らせることに、教育の根本目的があると結論されていた。
だからこそ、戸田先生もまた、ルソーに注目されていたのだ。
「創価教育」の学校をつくることは、牧口初代会長から戸田先生が託された悲願である。たとえ、苦難のどん底にあっても、先生の胸を離れぬ夢であった。
恩師が、神田にあった日大の食堂で、「大学をつくろう。創価大学だ。世界第一の大学にしようじゃないか!」と、遠大な教育構想を語ってくださったのは、ご一緒に『エミール』の語らいをした一カ月半後のことである。
◇
ルソーが『エミール』を書くに至った淵源には、彼自身が少年時代にお世話になった、一人の人物との出会いがある。
彼は幼くして母を亡くし、十歳の頃、父親とも離別した。徒弟として働けば、親方に苛められ、十六、七歳頃には、放浪生活もした。
世を恨み、自暴自棄になっても不思議ではない、苦渋の青春であった。
その間、ルソーが仕事を紹介してもらおうと訪ねた一人に、二十歳はど年上の若い司祭がいた。名前をジャン=クロード・ゲームといった。
このゲーム氏自身は、仕事の世話ができるような立場ではなかった。だが、それに勝る力をもっていた。「誠実」という人格の力である。
彼は、会うたびに、ルソー少年を温かく励ました。真剣に、正しい生き方を語ってくれた。そこには「真心の親切」がこもっていた。
自分のことを、ここまで思いやってくれる先輩がいる──その感動を滋養として、青春の生命は無限に伸びゆくのだ。
ルソーは、三十年以上の歳月を経て、名著『エミール』や『告白』等を著す。
そして、若き日の恩人への限りない感謝を綴っていったのである。
「わたしはこの人の第二の弟子となった」「当時、わたしが無為のあまり邪道におちいりそうなのを救ってくれたことで、測りしれぬ恩恵をあたえてくれた」等と。
よき先輩をもち得た人は、人生の宝を持った人だ。
若き後輩の生命に、希望と成長の種子を残しゆく人は、偉大な人間教育の王者である。
わが創価学会にあって、「広布の宝」であり、「世界の希望の宝」である未来部の育成に奮闘してくださる尊き皆様方こそ、その王者の中の大王者の方々である。
男女青年部の「二十一世紀使命会」の友!
壮年・婦人の「未来部育成部長」の皆様方!
“進学推進”に携わってくれている学生部の俊才たち!
そして教育本部の先生方!
私は、最大に感謝し、讃嘆申し上げたい。
◇
偉大なる
広宣流布の
後継者
育てむ燃えなむ
決意を抱きて
創立の父・牧口先生は、座談会に向かわれた先々で、子どもたちの生命に未来への広布の種を蒔いておられた。
小学四年生の時に入信した私の妻も、駅に着かれた牧口先生の手を引いて、自宅の座談会に案内したことが、信心の原点となっている。
狂乱の戦時中である。
特高警察が何度も「中止! 中止!」と怒鳴り散らすなかでも、牧口先生は師子王の如く堂々と、仏法の正義を言い切っておられた。
“未来部一期生”ともいうべき妻は、その姿から、峻厳なまでの先生の偉大さと仏法の崇高さを、生命の奥深くに刻みつけていったのである。
子どもの心は鋭敏だ。
一人の人間として誇り高く広宣流布に生き抜く信念の姿、人びとのため、社会のために勇んで学会活動に走り切る姿──それこそが、子どもたちの最大の教育となる。
「創価学会の組識は安全地帯である。子どもは、学会の庭で育てていきなさい」
これは、恩師・戸田先生の遺訓であった。
(随時、掲載いたします)
ルソーの言葉の最初は『エミール』今野一雄訳、岩波書店。二、三番目は『エミール』内山賢次訳、改造社=現代表記に改めた。最後は『告白』桑原武夫訳、岩波書店。少年期の逸話も前掲『告白』『エミール』のはか、諸伝記資料を参照。