診察


時系列無視して書きます。読みづらいと思いますがご勘弁ください。


俺がうつ病なんじゃないかと親が心配してくれていたみたいで、心理カウンセリングうけに12日に病院行ってきました。

もともと頭痛持ちだったんだけど、ここ最近は1月頃から耳鳴りや、めまいがひどくなって結構まいっていました。


自分では、慢性的に疲れがたまっているだけだろうと思っていました。




年を越したので、もう3年前になりますね。

2005年の春の話です。
そのとき私は大学3年生でした。体育会のソフトテニス部でテニスをしていました。
春リーグがせまり、練習も熱が入ってきました。体を作って臨んでいたので体力的には心配なかったはずでした。

部 活 だ け や っ て い れ ば。


2年生の2月頃から学生部の先輩に連れられ家庭訪問を始めました。4月に入り新入生が入り部員が増え、グループを分ける形で5月にグループ長の任命をうけました。
部活の練習が終ってから原付で家庭訪問する日が始まりました。

5月の連休開けにリーグ戦が終わり、英検に向けて勉強に力をいれました。

見事に英検は不合格。


仕送りも他の友達よりは少なかったので奨学金もうけつつ、バイトもしていました。
コンビニの夜勤で。

それまでは一店舗だけだったのが、オーナーが二店舗目を開店したので週4、5日入る状態が続きました。


学校に行けなくなりました。


7月、衆院選
戦いきれなかった。


夏休みに入り、部活の練習量は増えます。一日5時間、長い日は9時間コートを走り回ってました。

もちろん、学会活動もバイトも。

この8、9月は会合が重なり、毎週本部に通った。


9月、郵政解散
また戦えなかった。


この頃から頭痛が酷くなり、血便がでて病院に行ったけど、大した事ないとの結果。


9月の下旬に部活の合宿。体調が悪く、完全には参加できなかった。

このあたりから、部活内で人間関係が悪くなった。


10月に秋リーグ。
俺はここで後輩に引き継いで引退するつもりだった。
他は残るように説得しつづけた。
4年間部活やりきることが一番の思い出になる。
部内で切磋琢磨しテニスしていくことで成長できる。
等々云々。



部活関係の一切の人間関係が壊れた。



大学内は部活の友人が多かったからゼミの友人だけになった。

この頃から耳鳴りが酷くなり、幻聴が聞こえるようになった。寝ても覚めても夢の中で部活の人間と言い合ってる。

そんな状態だった。


一切の電話に出なかった。


11月の任用試験。
自分の不甲斐なさか、部として一番手をかけていた肝心の部員が合格できなかった。

学生部の当時の部長とも折り合いがわるかった。

いま思えば怨嫉に限りなく近い状態だった。部長の話を馬鹿の一つ覚えみたいに反発しかしなくて、信心で受け止めれなかった。部長が一番心配してくれていたのに。
副部長やFSの先輩方は、必死になってフォローしてくれたけど悪態ついていた。

本当に器が小さかった。


2、3月は就職活動もせず、実家にかえった。



4月、大学にもどった。


授業に集中できず、頭痛と耳鳴りが続いた。


始めは学校に行ったけど、また学校にいけなくなった。
学校に行かないくせに家庭訪問はしていた。


完全に本末転倒していた。

6月頃からバイクで事故を起こすようになった。


7月の三度目の事故で、FSの先輩が実家と連絡取り合ってくれ、休学するようになった。




夜勤でバイト始めた。

8月の頭に実家の組織の学生部が訪問に来てくれた。

間借りなりにも活動し始めた。


この頃の細かいことは省く。


また大学に戻った。



5月頃からめまいと耳鳴りが酷くなった。


また学校に行けなくなった。


7月の参院選
数字上の殻はやぶることができた。


後期、全く学校に行けなかった。

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今現在にいたる。



カウンセリングの結果、重い自律神経失調症だということで、うつ病の可能性があるとのこと。

診察を受けたのは内科であったので、うつの専門の先生を紹介してくださった。


診察してくださった先生が小学校の友達のお母さんで小さいころ本当によくして頂いていました。

「もっと早く診断受けていれば、
 休学も留年もしなくて卒業できていたよ」

と言われました。


また、

「元気になりたいよね?」

とも言われました。
先生にとっては、何気ない一言だったのかもしれないけど、
なんだか、やるせない、言いようの無い気持ちになってしまいました。





どうしても、まだ強い気持ちにはなれない。そんな状態。