婦人部最高協議会 下

青年を大人材に!それが我らの誇り

異体同心で勝利のための前進を
女子部が輝けば未来が輝く
名作「エミリー」で父が娘に語る「何も恐れるな!」「勇気をもて」


 「心強き女性は太陽である。
 輝く一人の女性がいれば、周囲も、どれだけ明るくなるか。生き生きとした喜びと慈愛の光が広がることか。
 広宣流布の未来を照らす女性の使命は、あまりにも大きい。
 戸田先生は婦人部、女子部を大切にされ、自ら徹して薫陶された。
 私もまた全力を挙げてきた。今の婦人部の中枢は、私が、女子部時代から指導と激励を重ねてきたリーダーである。
 女子部の皆さんも、婦人部の先輩とともに、新しい友情の春風を、幸福の花園を、地域へ世界へと広げていっていただきたい。
 新時代をリードする女子部の前進、おめでとう!(大拍手)
 かぎりない希望のスクラムの拡大も、本当にうれしい。
 青年が大勢いる。これが学会の一番の強みだ。一番の誇りである。
 男子部の使命と責任が大きいのはもちろんだが、なによりの強みは女子部が多いことだ(大拍手)。一家においても、「息子よりも娘のほうが、かわいい」という人がいた(笑い)。
 心一つに団結し、最高に素晴らしい女子部の黄金時代を、晴れ晴れと築いていただきたい。
 女子部の皆さんは、将来、婦人部になり、それぞれ、大切な立場で活躍されるだろう。また、活躍してもらいたい。
 今や学会の婦人部には日本と中国をはじめ、全世界に友好の橋をかけゆく、女性の一大平和勢力として、大いなる期待が寄せられている。そのことを、誇り高く、胸に刻んでいただきたい。



 「どこにでも春はやってくる」
 一、有名なカナダの女性作家モンゴメリの作品には、朗らかな『赤毛のアン』シリーズと並んで、『エミリー』という名作がある。今も世界各国で愛読する人が多い。
 若くして父母を失った乙女エミリーが、けなげに、毅然と、たくましく成長しゆく青春の物語である。
 その中に、余命幾ばくもない最愛の父が、あとに一人残される娘エミリーに、強く深く語った励ましがある。それは、"恐れてはならない"ということであった。
 「おまえはなにも恐れることはない」
 「宇宙は愛に満ちている──どこにでも春はやってくる」
 「生きていくことで、おまえはなにかを手に入れる──お父さんにはそれがわかる。恐れることなく、そのなにかに向かって歩いていきなさい、いいね」(いずれも神鳥統夫訳『エミリー[上]』偕成社
 父母亡きあと、孤独な境遇となった乙女エミリーには、人々の冷酷な仕打ちが待ち受けていた。
 しかし彼女は、打ち続く試練にも、父との約束──"勇気をもつ"ことを忘れないで、頭を上げて、懸命に立ち向かっていった。



 「のぼるんだ!高き使命の丘へ」
 一、ある時、亡き父が貧しかったことを侮辱された。エミリーは、きっぱりと反論した。
 「だけどね、お金がなくても、人は裕福になれるの」(同)
 その通りであった。
 紋女は、父たちから、素晴らしい最高の宝を受け継いでいたのである。
 それは、「戦う力──耐える力──思いやる力──深く愛する力──喜びを見いだす力──そして、最後までがんばりぬく力」(同)であった。
 まさに、「精神の宝」に勝るものはない。
 胸中に「精神の宝」を抱く人生は、いかなる境遇にあっても、必ず光っていくものだ。
 もとより次元は異なるが、日蓮大聖人は仰せになられた。
 「日蓮は、世間から見れば日本第一の貧しい者であるけれども、仏法をもって論ずれば世界第一の富める者である」(御書988頁、通解)
 「心は、法華経を信ずるがゆえに、梵天・帝釈をも、恐ろしいとは思わない」(同958頁、通解)

 一、エミリーには信頼で結ばれた友や味方が、次第に増えていった。
 そして「あたしは、自分の歴史をつくりたいわ」「わくわくするような人生を送りたいの」と、朗らかに進んでいったのである(前掲『エミリー[下]』)。
 この乙女は、良き教育者の励ましを受け、"高い使命の丘"に向かって、険しい坂道を勇んでのぼり始める。
 「のぼることがきみの使命なら、のぼらなくてはならない。世の中には高い丘へ目を向けなければならない人がいるものだ」「続けるんだ。のぽるんだ!」  (同)
 女子部の皆さん方には、自分で考えている以上の、誇り高き使命がある。計り知れない福運がある。
 何があっても、大宇宙の根本の法則である妙法を朗々と唱え抜きながら、幸福勝利の大地である学会の庭で、自分らしく、悔いのない青春の花を、思う存分に咲かせ切っていっていただきたい。
 それが必ずや、父母も喜んでくださる、一家眷属の「所願満足」の大境涯を永遠に開いていくからである。



親から受け継いだ最高の宝とは
「戦う力」「耐える力」「思いやる力」
「深く愛する力」「喜びを見出す力」「最後まで頑張り抜く力」



 母の励ましこそ
 一、母の心ほど深いものはない。母の心ほど温かいものはない。

 尊貴なる
  母の前には
   誰人も
  慈愛の心に
   安息見つけむ

 中国の明代の短編小説集『喩世明言(ゆせいめいげん)』に、こういう一節がある。
 「水は、揺らさないと波は立たない。
 人は、激励をされないと奮い立たない」
 大事なのは、励ましである。
 母鳥の翼の下から若鳥が巣立っていくように、慈愛の婦人部に背中を押されてこそ、無数の青年たちは威風も堂々と羽ばたいていくのである。

 一、大聖人は、妙の功徳について言及され、「たとえば、秋冬に枯れてしまった草木が、春夏の太陽にあって、枝や葉を茂らせ、花や実をつけるようなものである」(御書944頁、通解)と教えられている。
 妙法という春夏の太陽にめぐりあって、無上道を求める心の花が咲く。そして一生成仏という生命の最高の結実がもたらされていく。これほど偉大な妙法を、我々は持っているのである。
 この妙法を唱えに唱え、青年の心に励ましの光を注ぎゆかれる婦人部の皆様方の戦いほど、気高いものはない。皆様ありて、蘇生のドラマは爛漫と咲き薫っている。
 一、「摩阿波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)」は、仏教最初の女性修行者である。釈尊の義母でもあった。
 この母に、釈尊法華経で「一切衆生喜見如来(いっさいしゅじょうきけんにょらい)」(一切衆生喜見仏)として、未来の成仏の記別を与えられた。
 「一切衆生が喜んで見る仏」との名前を授けられたのである。
 日蓮大聖人は、この「一切衆生が喜んで見る仏」という名前に値するのは貴女ですよ──と、けなげな無名の母に述べられた。〈御書1420頁〉
 彼女は、夫に先立たれて、頼れる後ろ盾もなかった。皆から悪口罵詈もされた。そのなかを、名聞名利など眼中になく、師の仰せを違えず、命をかけて妙法に生き抜いた女性であった。
 この母を見れば、あらゆる人が歓喜する。
 この母に会えば、あらゆる人が元気になる。
 この母と語れば、いつでもどこでも、平和と希望と勇気の笑顔がはじける──。
 まさしく最も地道で、最も苦労しながら、広宣流布の最前線で戦う創価の母たちこそ、「すべての人が喜んで仰ぎ見る仏」の名にふさわしい。
 この尊き婦人たちに対して、自分の下に見たり、傲慢な態度をとったり、生意気な姿で接しゆく幹部は、学会の幹部ではない。「魔」の存在である。断じて仏罰を受ける。
 賢明な婦人部の方々から見れば、そのような威張り腐った幹部は、哀れな畜生に映っても仕方がない。
 だれ人たりといえども、婦人部から信頼される一人一人にならなければ、尊き仏法を広めゆく幹部の資格は全くない。



大聖人は御断言 広布の母はずべての人が喜んで見る仏
 一切衆生喜見仏



 「平等大慧」「異体同心」──この姿こそが、学会の実相であらねばならない。
 ともあれ、21世紀を「生命尊厳の世紀」へと開きゆかれる、広布の母たちの「生きる喜び」に満ちた仲良き前進に、心ある世界の識者たちは、感謝の最敬礼を送り始めている。「正義」と「和楽」の朗らかな明るい婦人部の大行進が、人類の万雷の大喝采に包まれゆく時代が、いよいよ到来したのである(大拍手)。



 心一つに広布へ
 一、創価の母たちの福徳は、三世永遠にして、無量無辺である。

 厳寒の
  彼方に春の
    花咲かむ
  三世の生命は
    満開なるかな

 賢明な「地涌の菩薩」である婦人部は、今や、全日本に、いな全世界に誇る、希望と幸福の大連帯となった。
 日本の広宣流布も、世界の広宣流布も、盤石な土台ができあがった。
 その地道にして、尊い礎になってくださっているのが、婦人部の皆様方であられる。
 大切な婦人部の皆様方のご健康とご長寿、そして勝利と幸福を、日蓮大聖人は厳然と守護し、讃嘆してくださるであろう。
 私たち男性も、婦人部、そして女子部を、さらに守り讃えて、ともどもに異体同心の前進を、朗らかな前進を、勝利のための前進を、幸福のための前進をしていくことを、晴れ晴れと誓い合って、きょうのスピーチを終わらせていただきたい。
 長時間、ありがとう。
 どうか、お元気で!
 私と心一つに勝ち進もう!(大拍手)
 (2008・2・27)