婦人部最高協議会 中

妙法の母に 勝れるものはなし
  厳と生き抜け 今日も明日も

幸福の種を蒔こう
牧口先生の実践 最も大変な友のもとへ
アメリカの人権の母 「平和へ! 平凡な主婦が真の力に」



一、今、日本全国、津々浦々に、青年の"前進の歌声"が響いている。
 その陰で、どれほど、婦人部の皆さんが、激励に激励を重ね、親身に面倒を見てくださり、強い祈りを贈ってくださっていることか。
 本当に、ありがとうございます!
 学会は、全員が青年の心で、青年を先頭に、青年と力を合わせ、励まし讃え合いながら、大いなる理想へ進んでまいりたい。
 「あらゆる偉大な文明が滅びた理由は、ある意味で、それが固定化し、新しい状況、新しい方法、そして、新しい考え方に柔軟に適応できなくなったからです」
 これは、アメリカの「人権の母」エレノア・ルーズベルトの鋭き警鐘であった。
 私が会見したイギリスの大歴史家トインビー博士の歴史観にも通ずる。
 大きな変化の時代にあって、学会は、今こそ、新しい息吹で、新しい飛躍を果たしていく時を迎えている。
 その新しい力の無限の源泉こそ、わが婦人部であり、わが青年部である。



 学会活動が生命を開花
 一、さらに、エレノアは、こうも論じている。
 「能力は使わないでいると、使わない筋肉のように、衰えていくのです。
 多くの人は、教育を受けたといわれる人であっても、その潜在的な能力のほんの一部しか使っていないことは大いなる悲劇です。
 多くの才能は、眠ったままの状態です。
 精神的な能力を開拓していませんし、充実した素晴らしい人生を築いていける大きな力が自分の中に存在していることにすら気づいていないのです」
 学会活動は、まさしく、自分自身の生命を最大に開花させゆく、最も充実した人間革命の運動である。
 そしてまた、妙法は、わが生命を永遠に輝かせゆく、不老長寿の大法である。
 題目を唱え抜けば、年は若くなり、いやまして福徳に包まれる。
 それが日蓮大聖人の御約束である。〈御書1135頁〉



 新しき力で新しき発展
 一、エレノアは、こうも力説した。
 「地域社会において、平凡な主婦こそが真の力となりうるのです。
 主婦は自分の理念を代表するような組織に加わることもできますし、平和のために行動する組織や世界の相互理解を促進する組織に参加することもできます」
 彼女は、この主婦たちこそが、政治家を監視し、正しく平和ヘリードしゆく力であるとも強調している。
 今や"世界一の女性の連帯"と讃えられる婦人部の皆様こそ、生命尊厳の「平和の文化」を、地域へ、社会へ、世界へと広げていく主役なのである。
 「新たな課題には、勇気と信念、聡明さと全知力をもって取り組むことです。そうすれば、素晴らしい対応ができるのです」と、エレノアは断言した。
 新しき婦人部と青年部の力を全開にして、わが尊き使命に前進しゆく私たちの学会は、新しき大発展を、威風も堂々と成し遂げてまいりたい(大拍手)。



 時を逃さず
 一、本当に偉い人とは、妙法に生き抜く人である。

 妙法の
  母に勝れる
    ものはなし
  厳と生き抜け
    今日も明日も

 「物たね(種)と申すもの一なれども植えぬれば多くとなり(御書971頁)とは、私の大好きな御聖訓である。
 ここに、勝利の方程式も、発展の方程式も明確に示されている。
 それは、今、時を逃さず、一つの種を蒔くことである。
 それを、育てていくことである。
 そして、この「蒔く」「育てる」という行動を、たゆみなく続けていくことである。
 初代、2代、3代が、この一点に徹し抜いてきたからこそ、これだけの壮大な広宣流布の人材群ができあがったのである。




 折鶴蘭の思い出
 一、第3代会長に就任する前後の、ある晩のことである。
 蒲田の駅からの帰り道、駅の近くに出ていた夜店の植木屋さんに、妻と二人で立ち寄って、可憐な、小さな「折鶴蘭」を、いくつか買った。180円であったと記憶する。
 安い値段であった。
 妻は、その折鶴蘭を、小林町のわが家の小さな小さな庭に植えて、大切に大切に育てていってくれた。
 わが家の折鶴蘭は、旺盛な生命力で、ランナーと呼ばれる茎を伸ばし、そこに名前のごとく"折鶴"の姿に似た子株をつくり、どんどん増えていった。
 これをわが家だけで楽しむのはもったいないと、新聞紙に包んで学会本部に持っていき、幾人かの同志に差し上げた。
 また、あの人に、さらに、この人にと、何百軒ものお宅にお贈りした。
 そこからまた、人から人へと、大きく広がっていったのである。
 一、最近も、草創の広布の母が言われていた。
 「先生にいただいた折鶴蘭を、ずっと大切に育ててきました。今も株分けした子孫を大勢の方々に差し上げて、大変に喜ばれています」と。
 妻も、うれしそうに語っていた。
 「折鶴蘭の広宣流布が、さらに進んでいるんですね!」と。
 ともあれ、来る日も来る日も、日本中、世界中で、だれよりも地道に勇敢に、そして帖り強く、妙法という「平和の種」「幸福の種」を蒔いてくださっている婦人部の皆様方に、私も妻も、一段と深く強く題目を贈り続けている。



 輝く帆船の意味
 一、私は、現在、中国を代表する歴史学者であられる章聞※先生(華中師範大学元学長)と対談を連載している。(※=さんずいへん+元)〈月刊誌「第三文明」に「人間勝利の世紀をめざして──『歴史』と『文化』と『教育』を語る」と題し連載中〉
 章先生の夫人である黄懐玉(こうかいぎょく)先生は、章先生と同じく、名門・華中師範大学の歴史学部で教壇に立たれていた教育者である。
 ご夫妻は、東京・信濃町の「創価世界女性会館」も訪問された。
 夫人の黄先生は、1階ロビーの天井に輝く、帆船をかたどったシャンデリアに感銘を受けておられた。
 こう感想を語られている。
 「この素晴らしい女性の城のホールに、帆船をかたどったシャンデリアが飾られているのは、実に象徴的だと思います。
 女性は、男性や周囲の恩恵を待って、自己を高めるのではない。
 女性の権利は、自分自身によって獲得するものであり、波浪に乗って、さらには流れに逆らって前進しなければならない。そのことを、すべての女性に呼びかけています」
 そして、ご夫妻は、「創価学会の女性の皆様は、まさに、その模範の方々です」と言われていた。
 ご夫妻は、学会の婦人部、女子部との出会いを心から喜ばれ、大切にしてくださっている。
 婦人部、女子部の皆様こそ、「女性の世紀」の先駆者なのである。



 歴史は善と悪との戦いで進む!
 一、「人類の歴史は、善と悪の戦いによって前進する」
 これが、章先生の大きな歴史観である。
 章先生は、私との対談で、声を大にして語っておられた.。
 「人類は、絶えず悪を退け、善を広めることによって、はじめて生命を維持しつつ、大同世界(理想の平和の社会)へと向かうことができる」と。
 それでは、その善と悪との絶え間なき闘争のなかで、正義を揺るぎなく貫いていくためには、何が大切か。
 その一つの桂は、「師弟に生き抜くこと」である。この点でも、章先生と私は、深く一致した。
 「師」とは、普遍の鑑であり、正しき針路を示しゆく羅針盤であるからである。
 社会が暗闇に閉ざされるほど、「師弟」という太陽を抱いた人が光ってくる。
 その人は、何があろうとも、正しき善の方向へ、自分自身を、そして社会を導いていくことができる。



米国の人権の母
 新たな課題には勇気と信念、全知力をもって取り組むことです



 師匠の大恩にどう報いるか
 一、私も、恩師・戸田先生に、人生の正しき道を教えていただいた。
 この大恩ある師匠に、どう報いるか。
 大難と戦う最高の正義の人を、どう護り、いかに世界に宣揚していくか。
 ただ、この一点に、弟子の私は、青春を捧げたのである。
 そして、恩師である戸田先生と、不二の心で戦い抜いてきた。
 その戸田先生もまた、恩師・牧口先生に牢獄までもお供されている。
 それが、どれほどの決心であられたか。とても言葉では言い尽くせない。
 一、私は、ただ一人になっても、厳然と戸田先生をお護りした。
 先生の事業が苦境に陥り、理事長の辞任を余儀なくされたときも、「わが師匠は戸田先生だ。戸田先生をいじめる連中は許すものか!」と心に定め、立ち上がった。
 事業の再建に駆けずり回り、先生の悪口を言う者がいれば、どこにでも飛んで行って、真実を訴えた。先生のために命を捨てる覚悟であった。
 学会の力は、師弟にある。師弟不二にある。師弟不二でなければ、仏法ではない。学会ではない──そのように戸田先生は教えられたのである。



 恩知らずにはなるな!
 一、ところが、これまでにも、社会的に偉くなり、権力に毒されて、同志を裏切り、師匠を裏切り、尊き和合僧を破壊する者が出た。
 最もお世話になった人に嫉妬し、裏切る。
 こうした恩知らずの者が、学会を利用したり、学会員を苦しめたりするのを断じて許してはならない。
 御書には、「仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし」(192頁)と仰せである。
 自分が受けた恩を、どのように返していくか。これを考えるのが人間である。
 いわんや、仏法の世界は、知恩・報恩の世界である。
 恩を知り、恩に報いるのが仏法者の魂である。
 恩知らずになってはいけない。動物でも恩を知るという。恩知らずは、動物以下である。
 一、いざという時に、恩を忘れる。
 それどころか、増上慢になり、偉人に嫉妬して追い落とす。
 この狂った愚行が、歴史上、どれだけの善の人を苦しめ、正義を破壊してきたか。
 ともかく、心ある皆さん方が強くなって、がっちりと題目をあげ、戦う姿勢で団結し、緊張していれば、魔は退散していくのだ。
 油断すれば、魔になめられ、魔が入ってくる。
 信心が厳然としていれば、立ち向かう気迫があれば、悪い人間は、皆、退散するのである。



 戦う強さを持て
 一、仏法は、仏と魔との大闘争である。ゆえに、広宣流布のリーダーには、敵と戦う強さがなければならない。
 信心が強いことが幸福と勝利の根本である。
 婦人部は、いかなる時代になろうとも、永遠に師弟の正義を叫び、この尊き創価の勝利と幸福の城を、断じて護り抜いていただきたい。
 
 一、章先生は、こうも洞察されている。
 「歴史は、人間自らが創造するものです」
 「善を為そうとする志を持つ人間が、共に団結し、共に戦っていくならば、それは常に、歴史を、素晴らしい方向へと発展させゆく力になっていくことでしょう」
 この歴史発展の原動力として、章先生は、わが創価の師弟の平和運動に、絶大なる期待を寄せられているのである。
 〈章博士は、さらに論じている。
 「『師弟』の規範に生き抜く時、人間がどれほど強く、どれほど勇敢に、信念と理想の道を進むことができるか。
 それを、池田先生は自らの生き方をもって証明してこられました。人類の人間哲学の系譜に『師弟』という柱を打ち立てられた先生の功績は、まことに大きいといえましょう」
 また、名誉会長を支える香峯子夫人について、中国の「北京大学池田大作研究会」の賈●萱(かけいけん)会長は語っている。(※●=くさかんむり+恵〈旧字体〉)
 「香峯子夫人は、なぜ、かくも偉大でありえるのか──これは、ひとえに、ご自身が、戸田先生という恩師のもと、師弟不二の実践を通して確固たる信念を持ち、胸中に『勝利』の一念を抱きつつ、長年にわたって自らを修練し続けたからに、ほかなりません」〉



仏道の道は報恩の道
尊き師弟の城を断じて守れ!
魔を打ち破れ!題目と団結で



 自ら足を運ぶ
 一、創価の母への感謝は尽きない。

 偉大なる
  母の願いは.
   三世まで
  一族つつみて
     皆が幸せ

 太平洋戦争中の、昭和17年(1942年)ごろのことである。
 ある婦人が学会に入会した。しかし、軍人である夫は猛反対だった。夫は「二・二六事件」も経験した、血気盛んな壮年である。
 その話を聞かれた初代会長・牧口常三郎先生は自ら、東京・品川の、その軍人の家に足を運ばれた。
 最初は偏見と悪意に凝り固まっていた夫も、牧口先生の確信に満ちた姿と誠実な人柄、そして、くもりなき仏法の平和の正論に、心を大きく揺さぶられた。
 軍人である自分に対して、恐れることなく、人間同士が殺し合う戦争は絶対悪であることを諄々と諭される牧口先生。彼は深く胸を打たれた。
 そして、夫人の信心に理解を示し、見守るように変わったのである。
 最も大変な同志のところへ、即座に足を運び、手を打つ。これが“創立の父”が示された、学会精神の真髄である。
 婦人は、牧口先生が投獄された後も信心を貫いた。その祈りに護られたのだろうか、夫も無事に終戦を迎えた。
 一、戦後、この一家は大田区へ移った。そして夫も昭和26年(1951年)3月に、晴れて入会したのである。
 〈夫妻の長女は回想している。
 「ある時、父が言いました。『すごい青年に会ってきた。会った瞬間、若いのに頭が下がるような青年だった。筋を通して話された』。そして『今日から私も創価学会に入信する』と、家族に宣言したのです」
 その青年は、23歳の名誉会長であった〉
 また、夫妻の長女は、学会活動を始めたものの、なかなか学会の組織になじめずにいた。
 しかし、女子部の一人の班長との出会いによって、積極的に活動に参加するようになった。その班長とは、私の妻であった。
 〈長女は、こう振り返っている。
 「奥様は当時、銀行に勤めておられ、清楚で物腰も柔らかな対応でいらっしゃいました。こういう方が創価学会にいらっしゃるんだ、こういう方が信心をしているのであれば、私も頑張らねばと発心したのです」〉
 うれしいことに、牧口先生が妙法の種を植えられたこのご一家は、お孫さん方の代に入り、いやまして立派な信心で活躍されているとうかがった。
 一、皆さんも、ご家族が末入会の場合でも、少しも心配することはない。焦ることもない。
 一人の母、一人の娘が立ち上がる。それは、一本の希望の灯台が、光を放ち始めたということだ。
 暗夜の海をゆく無数の船を導いていくように、一家眷属を、必ず永遠の勝利と幸福の航路へ導いていけるのである。
 御義口伝には、「依正福智(えしょうふくち)共に無量なり所謂南無妙法蓮華経福智の二法なり」(御書792頁)と仰せである。
 自分の周囲の環境も、縁する人々も、皆、無量無辺の福徳と智慧で包むことができる。これが妙法である。
 創価学会には、やりがいがある。そして全部、結果として自分のため、一家のためになっていく。
 学会を去ったならば、生命の“ともしび”が消えてしまう。
 妙法を教え、伝えていくことに勝る大善はないのだ。かりに全世界の財宝を贈ったとしても、その人を永遠の幸福の軌道へ導くことはできない。幸福を得るには、妙法を受持する以外にないのである。
 「法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり」(同552頁)
 「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるベし謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」(同頁)
 この御聖訓を心肝に込め、広宣流布の精神、折伏の精神を燃え上がらせて、自信満々と、仏縁を結び、広げてまいりたい(大拍手)。



一人立つ女性は一家の灯台
「戦いは断じて負けたらあかん」 常勝関西の母の叫び
「正義は必ずはっきりしますよ」 四国の母の遺言




 毅然たる創価の女性の怒り
 一、いついつも、創価の母たちは、紛然たる「三障四魔」の来襲も、陰険な「三類の強敵」の迫害も、皆「風の前の塵」と振り払って、正しき師弟の大道を、真っ直ぐに歩み抜いてこられた。
 昭和32年の7月。「大阪事件」のあの時、獄中の私の無事を祈り続けてくれた“常勝関西の母”は誓った。
 「戦いは、絶対に勝たな、あきまへん。断じて負けたらあかん!」と。
 昭和45年。会長就任10周年のあの時、四面楚歌(しめんそか)のごとき非難中傷の烈風のなかで、ある母は毅然として言った。
 「御書の仰せの通りに生きるならば、難があるのは当然です」と。
 さらに嵐の昭和54年。第3代会長を辞任したあの時、老いたる四国の母、「悔しい。悔しい」と訴えながら、遺言のごとく家族に語った。
 「正義は、必ずはっきりしますよ。大聖人の時代でも、反逆の五老僧が出たじゃないか。それに踊らされるのは、信心がないんだよ」
 臆病な幹部たちが、反逆者の謀略に惑わされ、学会精神を失っていったあの時──。
 私の姿を見つけ、だれ憚ることなく「先生!先生!」と声を上げて、涙を流して駆け寄ってこられたのは、幼子を連れた、いじらしい大東京の母たちであった。
 こうした正義の女性たちの、怒りの叫びは、校挙に暇がない。
 創価の師弟の勝利は、婦人部の勝利なのだ。
 だらしない幹部たちは、戦う師匠を護らなかった。ヤキモチ焼きの男性幹部たちの、あまりにも情けない姿を、婦人部、女子部の方々は、今でも笑っている。
 私たちは、広宣流布をしているのだ。師弟が一体になって進まなければ、日蓮大聖人に申しわけない。学会は師弟が大事である。どんなことがあっても師匠を守る──牧口先生、戸田先生、そして私は、そうやって広布に生きてきた。
 この広布の大道を教える人がいなくなれば、次の世代の学会はめちゃくちゃになる。私はそれが心配である。
 戸田先生、牧口先生の遺志の実現のため、私と妻は命をかけて、真っ直ぐに進んできた。一番、正しい道であったと確信する。それゆえに一番、大変な迫害にも遭った。
 私は、「師匠が迫害されて何もできない弟子など、いないほうがいい」と思って闘ってきた。
 戸田先生は私と妻に、お前たち二人がいるから、私はどれだけ非難されても安心だよ、と言ってくださった。
 師のおかげで偉くなりながら、師を護らない。かえって、師を左右し、陥れようとする。そうした所業は、三代の師弟が積み重ねてきた行動の正反対である。皆さんは、絶対にそうなってはならない。



 私と妻の祈り
 一、竜樹(りゅうじゅ)の『大智度論』には、次のような説話が記されている。
 ──悪逆の提婆達多(だいばだった)が山上から大石を落とし、大恩ある師匠の釈尊を亡き者にしようとした大事件の後のことである。
 一人の仏弟子が、提婆達多の悪行を大きな声で叱り責めていった。
 この正義の弟子は、いったいだれであったか。
 それは「華色比丘尼」という女性の弟子だった。師敵対の悪行に怒りの声を上げたのである。
 創価の婦人部、女子部の皆さんもまた、悪に対し、勇気の声を響かせてこられた。
 一、偉大な仏への嫉妬に狂った提婆は、女性にまで拳(こぶし)をあげた。
 提婆が犯した「三逆罪」の一つで、「阿羅漢(あらかん)を殺す」とは、この正義の女性に暴力を振るい、死に至らしめた極悪非道の大罪なのである。
 提婆達多が正義の女性に向けた報復は、問答無用の暴力であった。まことに重大な教訓である。
 絶対に、婦人部、女子部の皆さんを、いかなる暴力からも断固として護り抜かねばならない。
 ここに、青年部時代からの私の決心もあった。
 御聖訓に説かれる「三類の強敵」は、すべて一身に受け切って、同志、なかんずく婦人部、女子部の方々が傷つくようなことがあってはならない。
 これが私と妻の祈りであり、厳とした誓願であり、戦いであった。
 現在、世界各地に、SGIの研修センターや広大な庭園が、立派に建設されている。
 「婦人部の皆さんのお子さんたちや、皆さん自身が将来、悠々たる境涯で、行けるように」と、私は世界中に手を打ってきた。
 いよいよ若々しく、ともどもに歩み抜いてまいりたい(大拍手)。

 偉大なる
  母の勝利は
    佛かな

    (下に続く)