全国代表者会議 下


断じて勝つ」勝負は執念で決まる!
陰で戦う人を忘れるな!
広布の労苦はすべて大功徳に


新生中部の出発おめでとう

一、いよいよ、栄光の5・3「創価学会の日」が目前である。
 広宣流布のため、学会のため、ともどもに勝利への大前進をしていこう!
 一緒に苦労し、朗らかに進もう!
 広宣流布のための労苦は、すべて大功徳となっていく。三世永遠に輝いていく。大仏法は、絶対の法則である。
 私も、妻も、大事な皆さんの健康、福運、勝利を、一生懸命に祈り続けている。一生涯、尊き全同志のため、祈りに祈っていく決心である。
 どうか、皆さんも、わが地区、わが支部、わが地域の友の健康と無事故、そして、勝利と幸福を祈っていただきたい。
 自分のことだけではなく、皆のことを祈っていく。そうした広く、深く、大きな祈りこそ、仏の祈りなのである。
 一、きょうは、中部の代表の皆さんも参加しておられる。ご苦労さまと申し上げたい。
 新生・中部の出発、おめでとう!(大拍手)
 中部は、日本の"真ん中"に広がる「広宣流布の堅塁」である。
 新しい船出にあたり、ここで、中部のリーダー・松原勉中部長の足跡を紹介しておきたい。
 松原君は、愛和・名古屋生まれの61歳。小学3年生で、父母とともに入会。自宅は広布の拠点であった。
 私が初めて出会ったのは、松原君が14歳の時。昭和36年(1961年)6月の第1回男子部中部総会であった。未来部の時代から、師弟直結の学会っ子である。
 昭和43年には、愛知で行われた大学会の結成式で、ともに満月を仰ぎながら語り合った。
 私は、松原君たちに呼びかけた。
 「宇宙の運行は、一瞬たりとも止まらない。信心も同じだよ。止まったらダメだ。前へ前へと進むんです」と。
 その翌年、松原君は本部職員となり、初代の中部学生部長に就任。言論問題の嵐の中を、私の直系の若師子として勇敢に戦いきった。
 昭和51年、私は三重研修道場を訪問。野外で汗を流す尊き役員を、全魂込めて励ました。
 その際、建物の中にいた松原君に、私は「陰で戦う人を忘れるな」と叱咤した。
 瞬時に彼は、はだしで外へ飛び出し、同志の激励に走った。その一途な心で、今日まで戦い続けてきた丈夫である。

 「この道の歌」を高らかに!
 一、言論問題の時にも苦しんだ中部は、総中部長の大野君を中心に、三類の強敵と戦い、師弟勝利の歴史を残した。
 この大野君、松原君を柱として、中部書記長の平山君、副中部長の長野君、和知君、倉井君らの陣列が整った。皆、青年部の時代から、私が手づくりで育成してきた逸材だ。
 今回、新たに任命となった中部最高参与の長谷川君、中部総合長の谷川君、副中部長の寺崎君、芝田君とともに、中部には、師弟直結の指導陣が勢ぞろいした。
 太陽の婦人部の活躍も見事である。後継の青年部の成長も頼もしい。
 名古屋城の近くには、中部池田記念会館が誇り高くそびえ立っている。
 思い出多き三重研修道場に加え、かつて私が訪れた岐阜の飛騨高山には今、立派な21世紀研修道場がある。各地に「人材育成の城」が立っている。
 ともあれ、素晴らしき中部の「この道の歌」を堂々と歌いながら、新しい大勝利の「中部革命」を成し遂げよう!
 そのためにも、まず自分自身が、皆に心から慕われるリーダーになることだ。一段と、人間革命することだ。
 皆で仲良く、何でも語り合いながら、「師弟不二の大中部、ここにあり!」と、大手をふって、胸を張り、誇らかに勝ちゆくのだ。
 あらゆる魔を悠々と打ち破り、喜びの笑顔あふれる中部を、また皆が健康で朗らかな中部を、そして自由闊達で明るい中部を、晴れ晴れと築いていただきたい。
 新生・大中部、頑張れ!(大拍手)

 真実を未来へ
 一、昔ようは、広布第2幕を担う青年部のリーダーも出席している。
 未来のため、学会の永遠の勝利のために、真実を明快に語り残しておきたい。
 御聖訓にいわく。
 「釈尊は、正しい戒律を持ち、立派な威儀を整えておられたので、諸々の天人が仰ぎ、皆が敬った。しかし、提婆達多は、人から尊ばれていなかった。そこで、どのようにしたら世間の名誉が釈尊に過ぎることができるだろうかと考えて、あれこれ策を弄して、釈尊の威徳をなくそうとしたのである」(御書1041頁、趣意)
 提婆達多が反逆した根底には、嫉妬があった。名聞名利があった。
 これまで、学会に反逆し、同志を裏切っていった輩も、その本性は、ヤキモチである。
 自分が偉くなりたい、学会を利用して、いい思いをしたい。そういう卑しい魂胆である。
 戸田先生は、"男のヤキモチは真っ黒け"と言われていたが、男性の嫉妬は本当に恐ろしい。
 日蓮大聖人も、日興上人も、男性の嫉妬や慢心による迫害を受けておられる。

 「内部の敵が仏教を滅ぼす」
 一、御聖訓に仰せである。
 「師子の身中の虫が師子を食らうのであって、仏教を外道は破りがたい。仏教の内部に事が起こって仏教を滅ぼすであろう。これが仏の遺言である」(同1271頁、通解)
 仏意仏勅の創価学会は、外からの敵には、びくともしない。
 厳重に注意すべきは、仏法の和合の世界を内側から蝕む「師子身中の虫」である。仏法者の「心」を破壊する増上慢である。
 仏法の因果は厳しい。仏罰は厳然である。
 この「師子身中の虫」にたぶらかされ、利用され、つけこまれて、最後は惨めな敗北の姿をさらす。そのような愚かな人間には絶対になってはならない。
 「仏教というものは、内輪から壊されていくものだ」「増上慢の『師子身中の虫』と戦え!」と戸田先生も鋭く叫ばれた。
 一、また、御聖訓には次のように仰せである。
 「さも味方のように見せかけて退転させ、自分もあざ笑い、人にも笑わせようとする奇怪な者たちには、十分に言わせておいたうえで、『多くの人が聞いているところで人を教訓するよりも、まず自分の身を教訓しなさい』と言って、勢いよく、その場を立たれるがよい」(同1540頁、通解)
 信心をたぶらかす悪人は、さも味方のようなふりをして、近寄ってくる。
 ゆえに、敵を敵と見破ることだ。魔を魔と見破っていくことだ。信心の利剣で魔を断ち切っていくのだ。
 インド独立の父、マハトマ・ガンジーは叫んだ。
 「悪は正されないかぎり、悪のままである」と。
 その通りだ。
 青年が勇気をもって叫ばなければ、邪悪の根を断ち切ることはできない。
 「陰謀の中でも、忠誠を装うもの、友情の名を騙って企てられる陰謀ほど陰険なものはありません」(谷栄一郎訳「第一演説」、『キケロー選集4』所収、岩波書店
 これは大雄弁家として名高いローマの哲人キケロの言葉である
 師を世界に宣揚
 一、ロシアの文豪トルストイは言う。
 「邪悪な生活を送っている人間が、概して傲慢不遜に流れるという現象が見られる」(原久一郎訳『人生の道』岩波文庫)と。
 私欲を貪り、学会を食い物にする人間。
 増上慢になって偉ぶり、崇高な師弟を踏みにじる人間。
 そうした悪人と断じて戦い、師を護り、同志を護り、学会を護り抜く。その決心で私は生きてきた。
 牧口先生から戸田先生へ、戸田先生から私へと、まっすぐに師弟の心の通う学会をつくってきた。
 世界に燦たる創価学会を築き上げてきた。
 師を世界に宣揚し、師の構想をすべて実現してきた。
 この師弟の真実の歴史を、若き諸君は、魂に刻み、断じて忘れてはならない。

 「御書」が根本
 一、日興上人の時代、五老僧が邪義を構え、弟子たちを攪乱していった。
 そのとき、日興上人は明快に断罪された。
 「弟子の主張の相違を、判定できることがある。師匠(大聖人)がお亡くなりになっているといっても、その遺された御書がある」(編年体御書1731頁、通解)
 根本は御書である。御書に学び、御書に仰せのままに進めば、迷うことはなにもない。
 若き皆さんは、堂々と胸を張って叫んでいくのだ。皆さんが、生き生きと新しい時代を開いてほしいのである。
 トルストイは、こうも言っている。
 「力のある限り善悪の正しいけじめをつけて生きる所に、真の幸福がある」(小西増太郎訳『生きる道』桃山書林。現代表記に改めた)
 正しい人生を生き抜くことが、最高の幸福である。
 青年部の諸君は、全員が勝利者になってほしい。立派な指導者になってほしい。
 そして、愛する同志の幸福と勝利を、私とともに祈りに祈って、一生を送っていただきたいのである。

正義の師弟の魂を君に
戸田先生 増上慢の「師子身中の虫」と戦え!
提婆達多の根底は「嫉妬」「名聞名利」

「やると言ったら絶対成し遂げる」
 一、今、青年部をはじめ、名地で、さっそうと新リーダーが誕生している。心から祝福するとともに、勝利の名指揮を執っていくことを期待している。
 リーダーは、一人一人に心を砕き、こまやかな配慮をしながら、賢明に手を打っていくことである。
 そして、勇気をもって、拡大の突破口を開きゆくのだ。皆を安心させ、皆に愛される、民衆のためのリーダーになっていただきたい。
 戸田先生は、人材を登用することを、とりわけ重視されていた。
 「学会の発展のため、広宣流布のため、人事の刷新をせねばならぬ。あとは、御本尊にみていただくのだ」とも言われていた。
 とくに、青年部が大事である。広宣流布の未来は青年に託す以外にない。
 大難の中、退転や裏切りにあい、牢獄まで行かれた戸田先生は、正義の青年しか信じなかった。
 先生は、多くの先輩もいる中で、「大作は、ひとたび、やると言ったら、絶対にやり遂げる男だ」と、私に対して全幅の信頼を寄せてくださった。その通りに、私は、師との約束を、すべて実行した。
 青年に力を入れるのだ。バトンを渡すのだ。青年が前面に躍り出て、一切の責任を担い立つ時代である。
 ともあれ、人材登用の成否によって、その団体の盛衰は決まっていく。
 中国の古典『大学』には、次のような一節がある。
 「すぐれた人を認めながらそれを挙用(きょよう)することができず、挙用するとしても早くできないのは、怠慢である。
 善くない人を認めながらそれを退けて辞めさせることができず、退けるとしても遠ざけて関係を断ちきってしまえないのは、過失である」(金谷治訳。『筑摩世界文学大系5』所収、筑車書房)
 未来への大事な指針として、伝え残しておきたい。

信心の利剣で魔を破れ
戸田先生 「学会に派閥を作ったら大悪人だ」

 永遠に異体同心
 一、また、戸田先生は、「学会に派閥を作ったら、その人間は大悪人である」と厳しく言い残された。
 破和合僧は、仏法上の重罪である。学会に対しても、これまで、麗しい団結を破ろうとする輩が出た。師弟の心を分断し、同志の絆を引き裂こうとする魔性の姿であった。
 仏法者であるならば、師に対しては敬い、仕えるものである。同志は励まし、護るものである。  師弟を根幹にして、皆が異体同心の団結で進みゆく。それこそが、学会の永遠の大原則である。
 一、かつて戸田先生が、有名な「桶狭間の戦い」について論及されたことがある。
 織田信長が、隣国の今川義元に大逆転で勝利し、天下統一への出発点となった戦である。
 この時、今川は総勢2万余といわれている。
 一方、信長が率いたのは、わずか2000。圧倒的に不利であった。
 なぜ、信長は勝てたのか。
 さまざまな見方があるが、戸田先生は、理由の一つとして、こう言われていた。
 「兵力の差は比較にならながったが、戦に臨んでの信念では、信長勢の方が上であった。
 この戦に敗れるならば、自己の国土、妻子、一族郎党、すべてを失う。信長は、こうした引くに引けない立場にあった。だから強かったのだ」
 勝負は、執念のあるほうが勝つ。そのことを、戸田先生は教えてくださったのである。
 私たちの戦いは、広宣流布という、平和のための大闘争である。
 人間革命の大哲学を掲げる私たちが、世界中に連帯を広げれば広げるほど、時代を大きく転換していくことができる。永遠の平和の時代へ、前進することができる。
 私たちは、ますます強く、信念を貫き、がっちりと団結して、偉大なる勝利の歴史を綴りたい。痛快な勝ち戦をしてまいりたい。

 新しい時代をともに開こう!
 一、これまで無理解で偏見のあった人々までもが「さすが学会だ」と讃嘆するような、堂々たる人材城を、ともどもに築きたい。
 社会の認識を一変させる、目を見張るような創価の大法城を、わが天地に築いてまいりたい。
 これから2、3年が、大きな勝負の山である。私も厳然と指揮を執る。一切を総仕上げしていく。未来の土台をつくる大建設の時である。今、広布の舞台から引っ込んだら損をする。
 さあ新しい時代を開くのだ。私とともに、勝ち誇って、素晴らしき人生を飾ろう!
 私は、今が一番元気である。同志の皆様のお題目のおかげである。心から感謝申し上げたい(大拍手)。
 最後に、皆で万歳三唱をしたい。
 創価学会、万歳!
 5月3日、万歳!
 全員が元気で、勝利して、「5・3」を朗らかに迎えよう!
 ありがとう。またお会いしましょう!(大拍手)
 (2008・3・26)