第2総東京最高幹部協議会 上
歓声を 上げゆく日々たれわが人生
強き祈りに 宝は無限と!
新しき勝利へ希望の出発
トルストイ「善き人は自分のなすべきことに心を配る」
常に「これから!」常に「初心」に帰れ!!
「アメリカ・ルネサンスの思想家ソローは、春の到来を喜びながら、はつらつと語った。
「いままで以上に、この一年は若々しい希望で始まる!」(佐渡谷重信訳『森の生活』講談社学術文庫)
新しい年度が始まった。
フレッシュな新入生も、新入社員も躍動している。
新しい人材群を大いに励まし、育て、伸ばしながら、皆が生まれ変わった息吹で、新しい大前進を開始したい。
焦点は、「青年」である。青年の陣列を築いた分だけ、広宣流布は未来へ発展する。それが方程式である。
青年とともに、青年のために、青年の心で、朗らかに拡大のスクラムを広げ、大勝利の5月3日を堂々と勝ち飾ってまいりたい!(大拍手)
勝つための信仰
一、今や、創価学会は、皆様のおかげで、世界190カ国・地域へと拡大した。仏法の人間主義の哲学を基盤とした、平和と文化の大連帯を築くことができた。
世界の一流の指導者や識者が、創価の思想・哲学に希望を見いだし、絶大な期待を寄せてくださっていることは、ご承知の通りである。
いよいよ、これからが大事な時である。私はあらゆる分野で総仕上げをしていく決心である。
仏法は勝負である。
人生も勝負である。
断じて勝たねばならない。勝たなければ不幸である。
ゆえに世界中、どの社会でも」どの家庭でも、皆、頑張っている。戦っている。
勝つための信仰なのである。
我々の前進は、自分自身の生命を変革しながら、他者をも幸福にしていく戦いである。
この自他ともの「人間革命」の道にこそ、絶対的な幸福があり、絶対的な勝利がある。
文豪トルストイは、明 快に宣言した。
「精神革命によってのみ、われわれ一人ひとりは、自分のため、また人々のために人々の望みうるかぎりの最大の幸福、最良の社会を築くことができます」(北御門二郎訳『文読む月日』ちくま文庫)
文豪も、「精神革命」「人間革命」を志向していた。
全人類の宿命をも転換しゆく、人間革命という最高の使命の道を、我らは勇んで進んでいこう!(大拍手)
一、広宣流布は「人」で決まる。
リーダーが真剣で一生懸命であれば、全体が生き生きと発展の方向へ進む。
反対に偉ぶって、自分は動かないで、人にやらせるばかりでは、歓喜は生まれない。皆、疲れるだけである。
「善き人は、自分の身に何が起きるかということよりも、自分のなすべきことをなすことに、より心を配る」(同)
これも、トルストイの言葉である。
たとえ、状況がどうあれ、私は私自身のなすべきことを断じてなす!──これが、「勝ち抜くリーダー」の心である。
一、「英知は無限である、──そして英知を身につけて向上すればするほど、ますますそれは必要になってくる。人間はつねによりよい人間になりうるのである」(小沼文彦編訳『ことばの日めくり』女子パウロ会)
これもまた、文豪トルストイの鋭い洞察である。
人生は無限の求道である。無限の向上である。
常に「これから!」だ。だからこそ、常に「初心」に帰ることである。
人間革命の道を堂々と
文豪トルストイも“精神革命”を志向
日本一の団結で世界一の拡大を
一、日本一の団結で、世界一の拡大を!──この燃え上がる決意で、わが敬愛する第2総東京の友は、4月2日「第2総東京の日」を荘厳してくださった。
男子部も、学生部も、女子部も、全国屈指の広宣流布の拡大、本当にご苦労さま!(大拍手)
全世界の模範の婦人部を中心に、第2総東京の広宣流布の大発展は見事である。
今、第2総東京は、幾重にも希望が広がっている。
待ちに待った東村山文化会館の誕生おめでとう! 最強常勝の村山総区の健闘を讃えたい。
きょう(4月5日)、意気軒高に総会を行う武蔵野総区では、念願の新三鷹文化会館の建設が進んでいる。
特区の誉れ高い町田総区では、町田平和会館が明年春、完成の予定である。おめでとう!
第2総東京には、あの地にも、この地にも、懐かしい思い出がいっぱいだ。
本年は、新立川総区の立川文化会館で女子部歌「青春桜」が発表されて30周年の佳節である。
16年前、桜花爛漫の季節に訪れた、調布総区の調布文化会館も忘れることはできない。
「王者の町」の誇りで進む府中総区には、師弟の人材城・府中文化会館が堂々とそびえ立つ。
国立文化会館の桜まつりをはじめ、功徳黄金の小金井総区の地域友好にも喝采を送りたい。
縁深き多摩池田総区の桜ケ丘文化会館で、福徳満開の人生を誓い合ったことも本当に懐かしい。
若き日に破邪顕正の大法戦の歴史を刻んだ秋川総区の友も、異体同心の団結で進んでいる。
そして以前、わが青梅総区の同志に贈らせていただいた一首を、今再び、皆様に捧げたい。
歓声を
あげゆく日々たれ
我が人生
強き祈りに
宝は無限と
また、お世話になっている東京牧口記念会館の共栄会の皆様方に、次の一首を贈らせていただいたこともある。
御聖訓
符合のままの
学会を
正義の祈りで
君よ守れや
総仕上げの舞台
一、この4月2日「第2総東京の日」、私は、皆様方を代表して、ロシアの名門トルストイ記念トゥーラ国立教育大学から、栄えある名誉教授の称号を拝受した。
じつは、この大学が立つトルストイの故郷トゥーラ州は、わが第2総東京と深く響き合う天地なのである。
すなわち、このトウーラ州は、第2総東京のごとく、首都のあるモスクワ州に憐接して、豊かな自然に恵まれている。
そしてまた文化・教育の発信の拠点であり、青年育成の揺藍でもある。
この愛する故郷トゥーラ州のヤースナヤ・ポリャーナで、トルストイは、若き人材を育み、荘厳な人生の総仕上げを飾った。
私にとっては、創価学園を擁する学園総区、創価大学を擁する八王子総区、そしてまた、ここ第2総東京こそが、皆様方とともに、わが人生の聴仕上げを果たしゆく本舞台である(大拍手)。
拡大の渦巻の中心点!
一、20世紀の初頭、人類最高峰の良識トルストイが活動する、このヤースナヤ・ポリャーナには、国を超え、人種や民族を超え、宗教を超えて、世界の知性が勇み集った。
今もなお、巨人トルストイの足跡を慕って訪れる人々が絶えない。
わが創価の平和と文化と教育の大本陣である第2総東京も、全世界から、多彩な識者が間断なく訪れる千客万来のにぎわいである。
かつて、ドイツの作家トーマス・マンは、トルストイがいたヤースナヤ・ポリャーナを、「世界中のひとびとを引き寄せる渦巻の心、中心点」(山崎章甫・高橋重臣訳『ゲーテとトルストイ』岩波文庫)と明言した。
まことに素晴らしい形容である。
私は、わが愛する第2総東京こそ、世界中の人々を引き寄せてやまない「一閻浮提広宣流布の渦巻の中心点」であり、そして「創価の人材拡大の渦巻の中心点」であると、声を大にして訴えたいのである(大拍手)。
今回の授与式に来日してくださったトゥーラ州のドゥトカ州知事一行も、桜花爛漫の第2総東京の地を訪問できた喜びを語っておられた。
一、また光栄にも、このたびは、「ロシア国立記念自然保護区・トルストイの屋敷博物館“ヤースナヤ・ポリャーナ”」のウラジーミル・トルストイ館長も、来日してくださった。
〈館長は、トルストイ生誕180周年の激務の中、出張中のアメリカから駆けつけてきた〉
館長は、トルストイ直系の玄孫(孫の孫)である。
もともと館長は、国際的に活躍するジャーナリストであられた。
その後、トルストイの屋敷博物館の館長に就任。わが使命を勇んで担い立たれたのだ。
このウラジーミル・トルストイ館長は、力強く語っておられる。
「わがヤースナヤ・ポリャーナは、ロシアの大思想家・大文豪トルストイの人生を語るだけではなく、トルストイが実現しようとしていた構想を継承し、行動すべきだと思っております。
トルストイは、ここに学校を開き、庭をつくり、広大な事業を展開しました。トルストイ亡き現在も、その事業を継続すべく、尽力しています」
ただ単に、偉人にゆかりの天地だから、光るのではない。その精神を受け継がんとする真剣な努力と行動、そして後継の人材の育成が絶対に不可欠なのである。
ゆえに、ウラジーミル・トルストイ館長ご自身が、日々、トルストイの魂の著述を読み返しながら、教育と文化の事業を興隆させゆくために奔走されている。
女性の声に耳を傾けよそこに大発展の鍵が!
平和と文化と教育の大遠征
一、思えば48年前、昭和35年(1960年)のきょう4月5日。
私は、妻とともに、現在の小平市たかの台を訪れた。
わが創価学園の建設予定地を視察するためである。
第3代会長への就任前、私は人知れず未来への壮大な先手を打った。
この富士が見える武蔵野の第2総東京で、創価学園の創立へ着手したのである。
これこそ、大教育者であられた初代、2代の悲願であり、創価の大理想を永遠に実現しゆく道であるからだ。
48年前の4月5日を一つの源流として、師弟不二の魂が脈動する、人材の大殿堂・第2総東京が築かれていったのである。
創価学園も、創価大学も、第2総東京の同志が、建設予定地の整備をはじめとして、今日まで尊き汗を流してくださっていることを、私と妻は一生涯、忘れない。
きょう、創価大学の「池田記念グラウンド」が堂々とオープンしたとの報告もうかがった。
ありとあらゆる次元にわたって、第2総東京の皆様は、学園も、創大・短大も、さらに東京富士美術館も、最大の真心で、厳として守り支えてくださっている。あらためて、心より感謝を申し上げたい。
ともあれ、第3代の私は、平和と文化と教育の大遠征の記念すべき第一歩を、ここ第2総東京で踏み出した。
本日、東京牧口記念会館に集った武蔵野総区も、その淵源となる「武蔵野支部」が結成されたのは、まさに、私が第3代に就任した昭和35年の5月3日、その日であった。
明後年は、私の会長就任50周年であり、武蔵野支部の結成50周年でもある。
ともどもに希望に燃えて、武蔵野の大地に地涌の人材が雲集する第2総東京を、一段と広宣流布の理想郷へと輝かせてまいりたい(大拍手)。
一、きょうは、新時代の創価学会を建設していくために、最も基本であり、最も根幹となる4点を確認しておきたい。
第一に「祈り」。
第二に「行動」。
第三に「異体同心」。
第四に「師弟不二」。
これこそが、無上の人生を勝ち開いていく力である。
絶対勝利の4原則「祈り」「行動」「異体同心」「師弟不二」
正義の祈りは断じて叶う
唱題は白馬が大草原を駆けるが如く!
「祈り」が根本
一、まず、第一に「祈り」である。
正しき祈りほど、強いものはない。
「祈りとして叶わざるなし」の信心である。
「法華経に勝る兵法なし」の妙法である。
いかなる戦いも、まず「祈ること」から始まる。そして「祈り抜くこと」である。「祈り切ること」だ。
この素晴らしき模範を示してこられたのが、わが第2総東京の婦人部の皆様方である。
まことに有名な「祈祷抄」の一節であるが、あらためて大聖人の御確信を深く拝していきたい。
「たとえ、大地をさして外れることがあっても、大空を結びつなぐ者があっても、潮の満ち干がなくなることがあっても、太陽が西から昇ることがあっても、法華経の行者の祈りのかなわないことはないのである」(御書1351頁、通解)
ここで大事なのは、「法華経の行者の祈り」との仰せである。
「法華経の行者」とは、いうまでもなく、大難を越えて妙法を行じ、正しく弘めゆく人のことを指す。
現代でいえば、日蓮大聖人に直結して広宣流布を進めゆく私たち創価学会員である。
創価の父・牧口先生は、「行者」と「信者」を厳格に立て分けておられた。
──自分だけの利益を願い、三障四魔との戦いのない者は、ただの「信者」にすぎない。広宣流布のための菩薩行に励み、三障四魔と戦っていく人こそ、真の「行者」であり、これこそ誉れの学会員である──と教えられたのである。
法華経の行者を諸天は必ず守護
一、なぜ「法華経の行者の祈り」は叶うのか。
御聖訓には、諸天善神は法華経に大恩がある。したがって、法華経の行者を守護しないことは、釈尊に対する忘恩になってしまうからであると説かれている。
釈尊の広大な恩に報いるためにも、諸天善神は、末法に法華経を弘通する人を見れば必ず、その人を守護する。もし守護しなければ、釈尊をも侮ることになってしまうと仰せなのである。
〈「(梵天・帝釈などは)どうして、仏前の誓い、自身が成仏した法華経の恩を忘れて、法華経の行者を捨てられることがあろうか」(御書1347頁、通解)、「法華経の行者を、もろもろの菩薩・人界天界の衆生・八部衆等・二聖・二天・十羅刹女等が、千に一つも来て守護しないことがあるならば、上は釈尊等の諸仏を侮り、下は九界の衆生をたぼらかす罪科を犯すことになる」(同1352頁.、通解)等と〉
妙法は、大宇宙の根源の法則である。何よりも大切な妙法を唱え、妙法を行じ、妙法のために戦う人の祈りは、まっすぐに大宇宙の根本の律動に合致していくのである。
したがって祈りが叶わないわけがない。諸天善神も、仏菩薩も、必ず必ず護るのである。
一、大事なのは、広宣流布のための祈りである。
すなわち、広宣流布を成し遂げゆく創価学会を護り、強く勝ち栄えさせていくための「誓願」の祈りである。
妙法の偉大さを、わが人生で実証しゆく「仏法勝負」の祈りである。
また、広宣流布を阻む強敵を打ち破りゆく「破邪顕正」の祈りがなければならない。
御本尊には「若悩乱者頭破七分(若し悩乱せん者は頭七分に破れん)」と峻厳にお認めである。苦しみの罪果から救うためにも、断じて邪悪を打ち砕くのだ。
そして、わが同志が一人ももれなく幸福にと願う、「慈悲と勇気」の祈りを貫くのだ。
御本尊には「有供養者福過十号(供養する有らん者は福十号に過ぐ)」ともお認めである。妙法の功徳は、あまりにも大きい。
御書には「法華経を信ずる人の現世の祈りは必ず叶い、後に善処に生ずることは疑いないことである」(同1352頁、通解)と記されている。
広宣流布を断行しゆく、わが創価学会員の祈りこそ、「法華経を信ずる人」の祈りである。そこに、「現当二世」にわたる永遠の幸福境涯が築かれていくことは絶対に間違いない。
一、御聖訓には、「禍も転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか」(同1124頁、通解)と、絶対の御約束である。
法華経の行者の祈りは必ず叶う。どんなことがあろうとも、強盛な祈りのある人は「変毒為薬」することができる。何も恐れるものはない。
「南無妙法蓮華経は師子吼の和し・いかなる病さは(障)りをなすべきや」(同頁)とも仰せである。病魔をはじめ、あらゆる魔を打ち破り、退散させていく根源の響きこそ、題目の師子吼なのである。
御金言には、こうも記されている。
「ひとたび南無妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵天・帝釈・閻魔法王・日天・月天・衆星・天神・地神、乃至、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天界の一切衆生の心中の仏性を、ただ一声に呼びあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である」(同557頁、通解)
深遠なる「一念三千」の法理にのっとって、題目は、あらゆる人々の生命に仏性を呼び覚ます。
戸田先生
日々、題目をあげていることは毎日、ダイヤモンドの注射を
生命に打っているようなものだ
わが国土に、仏天の加護の働きをみなぎらせていく原動力である。
さらに大聖人は、教えてくださっている。
「題目を唱えたてまつる音声は、十方の世界に届かない所はない。我々の小さな声でも、題目の『大音』に入れて唱えたてまつるゆえに、宇宙の中で到達しない所はない。
例えば、小さな音声でも、ほら貝に入れて吹く時、遠くまで響くようなものである。また手の音はわずかでも、鼓を打てば遠くまで響くようなものである。一念三千の大事の法門とはこれである」(同808頁、通解)
題目の力が、どれほど偉大であるか。それは、大宇宙を動かしていく究極の力である。題目の音律は、わが生命の仏性を脈動させながら、大宇宙へと轟きわたっていく。
題目を朗々と唱えゆく人は、わが生命力を満々とわき立たせながら、あの友、この友の生命を変え、そして、わが地域、わが社会、わが世界を、平和へ、繁栄へと向かわせていけるのである。
女性を尊重せよ
一、大聖人は、「これまで多くの月日の間、日夜読誦しているところの妙法の功徳は、大空にも余っているであろう」(同1194頁、通解)とも仰せである。
題目の音声がみなぎる国土は、諸天善神を揺り動かしながら、必ず発展することができる。
なかんずく、婦人部の真剣な題目の力に勝るものはない。
とくに、大事な行事のたびに、無事故・大成功・好天を祈ってくださる「晴天会」「太陽グループ」をはじめ第2総東京の婦人部の皆様方に、私と妻は、いつも心から感謝の題目を送っている。
婦人部が一番、祈っている。婦人部が一番、戦っている。大事なのは婦人部の皆様である。
この尊き方々に対して、いかなる男性も、威張ってはならない。どこまでも尊敬し、感謝していかねばならない。
ここに、これからの学会が、さらに栄えていけるかどうかの重大な急所がある。
リーダーが、第一線で最も戦っている同志を大切にすれば、学会は、ますます伸びていく。それでこそ、学会は光る。
反対に、立場や肩書にへつらい、虚名ばかりを追えば、必ず失敗する。陰険な悪い人間に威張られて、友の幸せが踏みにじられることがあってはならない。
ともあれ、女性を下に見るような人間は、リーダー失格である。この一点を徹底するしかない。
婦人部・女子部こそ、希望の太陽なのだ。
大聖人御自身が、女性の門下を最大に讃え、大切にしておられた。
仏法は、平和と幸福のための戦いである。戦っていない人間の声には、重みがない。
広布のために戦ってくださっている方々の切実な声、真剣な声に、誠実に耳を傾ける。ただちに応える。実行する。
ここに、万年の発展への道があることを、絶対に忘れてはならない。
世界一の婦人部・女子部を最大に尊重し、これまで以上に女性が輝く広布第2幕を、晴れ晴れと築いてまいりたい(大拍手)。
一、戸田先生は、よく語っておられた。
「御本尊への強い願いは、必ず通ずる。それには、条件が三つある。一つ、題目。二つ、題目。三つ、題目である」
「題目を唱え奉ることが、仏の境涯を開発することである」
「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命が、あたかも美しい花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化するのである」
題目の力用は、万人が直ちに実感し、そして体得できる仏法の真髄なのである。
時代は深く病んでいる。この最極の大良薬を、一人でも多くの友に伝え広めていきたい。
さらに、戸田先生は強調しておられた。
「先輩は、後輩にヤキモチを焼いたりしないで、成長を祈っていけ! 社会のため、日本のため、人類のために活躍する若い人を育てるのだ。これが、学会の目的である」
ともあれ、誠実に友の幸福を祈る人は、自分自身の生命が歓喜に満ちてくる。
破折の剣をもって祈る人は、正義の心が躍動してくる。
広宣流布の大願に立って祈る人は、境涯が大きく広がっていく。
そして、師弟共戦の誓いをもって祈る人は、師と同じ大生命力をわき立たせゆくことができる。
「日々、題目をあげ、信心強く生き抜いていることは、毎日、ダイヤモンドの注射を生命に打っているようなものだ」
これも、戸田先生の指導である。
白馬がさっそうと大草原を駆けゆくような、凛然たる祈りで、我らは、すべてを強く強く勝ち開いてまいりたい(大拍手)。 (中に続く)