厳たれ!丈夫・壮年部 上・下
師と共に 男らしい戦いを!
広布の船長は 荒波越えて皆を勝利へ
丈夫は
波瀾万丈
歴史かな
英国の桂冠詩人テニスンは、力強く呼びかけた。
「さあ友よ、更に新しい世界を求めるのに遅すぎはしない。押し出でよ、整然と持ち場につき、波の響く大海原を打って進もう」
現実社会の荒波は高い。経済不況の烈風も厳しい。
その中を、広宣流布の誉れの船長たる、わが壮年部の友は、それぞれの使命の船団を率いて、断固と前進し奮闘してくれている。
日蓮大聖人は、「生死の大海を渡らんことは妙法蓮華経の船にあらずんば・かなふべからず」(御書1448?)と断言なされた。
我らには、いかなる怒濤も勝ち越え、大歓喜の人生航路を開く妙法がある。
過日の全国壮年部幹部会(本部幹部会)で、私は遠来のアフリカの友に、最後の万歳三唱をお願いした。
代表として登壇してくれたのは、コートジボワールの壮年支部長である。
皆から「キャプテン(船長)」と慕われている彼は、もともと商船の船長であった。
しかし、勤める船会社が閉鎖された。再就職の活動を始めるが、なかなか決まらない。いやまして懸命に題目を唱え抜いて8カ月。遂に石油会社への就職が決まった。今、営業所の所長として、堂々と「変毒為薬」の実証を示している。
コートジボワールの同志は2万人を超え、大発展している。合言葉は──
「先生と共に戦おう!」
「本当の友情を!」
「常に悪と戦おう!」
雄々しき「アフリカ広布の英雄」と、私は固い固い握手を交わし、尊き同志への伝言を託した。
◇
恩師・戸田城聖先生の事業が窮地の渦中に、私は一心不乱に支え抜いた。
その苦境を乗り切り、先生に第2代会長に就任していただくと、師の願業である折伏75万世帯を実現するため、死身弘法で戦った。「立正安国」の闘争にも勝利また勝利を開いた。
病弱な私は、戸田先生をお護りし、先生のご構想を実現するために「今日、死んでも悔いがない」という決心で、師子奮迅の力で、一日一日を戦い切った。
そうした激戦が打ち続く昭和30年の3月のある日、先生は私に言われた。
「俺も、お前も、男らしい戦いをやり抜いて来たなあ」。何より有り難い勲章を拝受した思いであった。
戸田先生が私に語ってくださったように、私は壮年部の盟友に申し上げたい。
「共に、男らしい戦いをやり抜こうではないか!」
豚汁を青年達に!
それは、52年前(昭和33年)の3月16日の早朝であった。
不滅の師弟の儀式となる「広宣流布の記念式典」に参加するために、6000人の青年が、続々と富士の麓に勇み集って来た。
春3月とはいえ、明け方は寒かった。皆が吐く息も白い。その青年たちから、歓声が上がった。
思いがけず迎えてくれたのは、湯気の立つ「豚汁」であった。朝早く到着する皆を気遣われ、「青年に必要なのは体温だよ」と、戸田先生が直々に手配なされたのである。
準備にあたる中心者は、蒲田の重鎮の二人の壮年であった。青年のためにと頑張る姿が誇り高かった。煮え立つ四つの大釜の傍らで、汗だくになりながら豚汁を桶に分けていった。
青年たちは、それを銘々が持参した椀に受け取り、フウフウ言いながら掻き込んだ。豚汁の熱が、冷えた体に染み渡った。そしてそれにもまして、師匠の真心が熱く熱く胸に染みた。
“恩師の豚汁”は、青年たちの金の思い出の一つとなったのである。
先生は、父親が子どもの苦労を気遣い、陰でそっと支えてやるように、細かく配慮されていた。
寒い時、小腹に何か入れるだけでも、体が温まって風邪をひかないものだ。
私は今でも、先生の振る舞いを想起しつつ、北国で戦う創価班や牙城会、白蓮グループの友をはじめ、大切な同志の健康と勝利を祈り、心を配る日々である。
また、尊き王城会、創価宝城会、無冠の友の皆様にも、感謝を申し上げたい。
ともあれ壮年部は、勇んで戦いの先頭に立つとともに、同志の心のわかる温かい人間指導者に熟練してほしい。それが、王者の風格を築いていくのだ。
◇
盤石な
柱となりて
永遠の
金剛不壊なる
生命 勝ちとれ
壮年部が誕生したのは、昭和41年の3月5日である。晴天であった。
学会本部に、750人の精鋭が集って結成式を行った。私もこの嬉しい門出を祝した。
「軍《いくさ》には大将軍を魂とす大将軍をく(臆)しぬれば歩兵《つわもの》臆病なり」(同1219?)とは、あまりにも有名な御金言である。
一家においても、職場においても、地域においても、重鎮である壮年世代に覇気が横溢していることが、発展と勝利の要件だ。
壮年部が健在であってこそ、婦人部も、男女青年部も、安心して戦える。
大切な、大切な学会家族を護り抜く黄金柱よ、威風堂々たれ!──これが、自ら壮年として指揮を執られた牧口、戸田両先生の願いであったといってよい。この心を実現するため、私は壮年部をつくったのだ。
その結成式の翌日、私は同志の激励のため、北南米へ旅立った。
ロス、ニューヨークを回って、3月10日、ブラジル ヘ向かう機中であった。
窓を覗くと、地平線は明るみ、眼下には雄大なアマゾンの大河が見えた。
この大河の如く、世界広宣流布の悠久の流れを開いてみせる──そのための重大な“画竜点睛”こそ、壮年部の結成であったのだ。
後年、アマゾンの「守り人」と敬愛される詩人メロ氏は、私との会見の折、即興詩を詠まれた。
「私は、愛情をもって、謳いながら仕事をする。
あすの建設へ向かって」
「ただ生きるだけでなく、変革に貢献することが、何よりも大切。
それぞれが自分の立場で、自分の地域で──」
わが壮年部の心意気にも通ずる至言であろう。
気さくに誠実に!
かつて私は、平日の昼間から使命感に燃えて地域広布に奮闘される「太陽会」「敢闘会」の友に、御聖訓をお贈りした。「百千万年くら(闇)き所にも燈《ともしび》を入れぬればあか(明)くなる」(同1403?)と。
壮年には、数多《あまた》の修羅場をくぐり抜けてきた経験がある。度胸がある。実践知がある。友を照らし、後輩を良い方向へ導いていく灯台のような発光がある。
人間同士の交流が希薄な現代だ。だからこそ今は、いぶし銀のように“黙して語らず”よりも、気さくな「おじさん」の励ましの一言の方が、金の光を放つ。
壮年は皆、それぞれ風雪に鍛えられた顔《かんばせ》を持っている。だが、そこに醸し出される威厳と“威張る”ことは違う。気難しくなったり気取ったりせず、周囲に心を配り、声をかけ、何か手を差し伸べていくことだ。
その誠実な振る舞いが、一家和楽、さらに地域広布への確かな一歩となる。
「壮年革命」の鍵は、身近にある。
大文豪トルストイは、含蓄深い言葉を残している。
「人生の意義は、ただ団結のうちにのみある。
そう信ずるならば、人は自らが携わっている仕事に全身を捧げずにはいられない。そして、触れ合うすべての人々に対して、配慮、思いやり、愛情を持たずに接することは、もはやできないのだ」
無名でよい。いな無名であって、「あの人のおかげで」と、幾多の庶民から感謝される人生ほど、尊く、気高い劇はない。
時代は、空前の高齢社会に入っている。「生老病死」という人生の局面は、誰人にも、さらに切実に迫ってくる。その根本的な苦悩を、「常楽我浄」へ打開しゆく大哲理が日蓮仏法である。
壮年門下・四条金吾への御指南に、「真実一切衆生・色心の留難を止《とど》むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(同1170?)と明確に仰せの通りである。
この偉大な妙法の探究者であり、実践者である壮年部こそが、地域社会の依怙依託と仰がれる「時」が到来している。
立つ時は今だ。打って出る時は今だ。勇気凛々と、自信満々と!
明確な
目的 持ちたる
嬉しさよ
これぞ希望の
王者なるかな
祈ろう! 動こう! 妙法の名将よ
我こそ幸福と勝利の責任者
生涯「情熱」と「報恩」の炎を燃やせ
いざや起て
信心の将
富士 仰ぎ
私は、広布の大将軍たる戸田先生の一番側にお仕えしながら、将の将たる壮年の実践項目を学んだ。
壮年部結成に寄せた『大白蓮華』の巻頭言も、「妙法の名将」と題した。
創立80周年の勝利へ、大事な名将の要件は何か。
それは、いかなる難事をも断固と成し遂げゆく、わが壮年の不屈の実行力と闘争力であろう。
では、その原動力は何か。
それは「法華経の兵法」である。そして、「題目の師子吼」である。
なかんずく、大事なポイントは、「具体的に祈る」ということだ。
御聖訓には、「大地はささばはづ(外)るるとも」
「法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(御書1351,2?)とまで断言なされている。
それゆえに、漠然とした曖昧な祈りではなく、「的」を明確に定めることだ。つまり「必ず」と腹を決めた誓願である。
そこに牧口先生が、常に言われていた「百発百中」の実証も現れるのだ。
わが同志が、一人ももれなく、幸福で健康で、無事安穏で裕福であるように!
わが地域の広宣流布が、前進し、拡大するように!
学会の勝利の道が、無限に開けるように!
毎朝毎晩、朗々たる音声で、明快に強盛に祈り抜き、祈り切っていくのである。
そして、あの友の幸福を、わが後輩の成長を──すべて一つ一つ深く祈念しながら、足取り軽く最前線へと飛び込む。
この「祈り即実行」の繰り返しを、それこそ「せめ返し・せめをとし」(同502?)と仰せの如く、弛まず貫いていくことだ。
壮年部は、職場でも、学会の組織においても、師子王の心で、信頼厚き「幸福責任者」「勝利責任者」となるのだ。
一個の男として、何があろうが、自分は逃げない、責任を果たしてみせると、勇気を奮い起こす時、汝の本当の力が現れる。
私が大事にしてきた詩人シラーの言葉「一人立てる時に強きものは、真正の勇者なり」──これはまた、壮年部の気概でもある。
そして、その自分の周りに、心通う連帯の「輪」を、一人また一人と、着実に広げゆくことだ。
男達が立ち上がった
この人生
悔いなく 強く
朗らかに
正義の大道
厳と歩めや
未曾有の経済危機にあって、わが壮年部は、地道な訪問激励を重ね、互いに励まし合いながら、雄々しく、全国各地で宿命転換のドラマを綴っている。
本年「小樽問答」から55年の佳節を刻んだ創価の三代城・北海道では、厳寒に挑むが如く、この1月に、730もの会場で、壮年部、男子部による「男の体験談大会」が堂々と行われた。
──75歳にして嘱託社員の歩みを開始した「前進勝利長」(ブロック長)の壮年がいた。リストラの憂き目を敢然と乗り越え、再就職先のグループ会社の社長となった友もいた。
難病と闘いながら、弘教拡大に励んだある地区部長は、「病気のおかげで、この信心の素晴らしさに気づきました!」と胸を張った。
さらに、広布の人材城・東北の宮城でも、“男の体験主張大会”が意気軒昂に繰り広げられた。
あの地この地で、創意工夫し、“男の”と銘打ったセミナー等も楽しく賑やかに行われているようだ。
また各地で壮年が、聖教新聞の拡大にも先陣を切ってくれたと、感謝の声が聞こえている。壮年の人脈は、奥行きが深い。
戦う壮年部の姿を見て、どんなに共感と安心と勇気のスクラムが広がっていることか。
いよいよ、男たちが立ち上がった! 獅子は雄々しく立ったのだ!
忍辱の心に仏の力
御義口伝には、「忍辱は寂光土なり此の忍辱の心を釈迦牟尼仏と云えり」(同771?)との甚深の教えがある。
仏の真髄の強さは、ありとあらゆる苦難を堪え忍ぶ「忍辱の心」にあるとの仰せである。
苦労知らずの意気地なしに、仏の力が出せるわけがない。仏を「世雄(社会の英雄)」ともいう。社会の苦しみを知らずして、何で世雄となれようか。
忍辱の心とは、いかなる娑婆世界の嵐に晒されようと、心が負けないことだ。心が恐れぬことだ。心が揺るがぬことだ。この忍辱の心にこそ、仏の力、仏の智慧、仏の生命が脈動する。
「九界即仏界」である。ゆえに「九界」という現実の苦に挑んでこそ、「仏界」は滾々と湧き出ずる。
ともあれ、仏法は勝負だ。断じて勝たねばならない。その偉大な父の背に、青年が陸続と続くのだ。
大詩人リルケは歌った。
「私は父だ。しかし息子は父以上の者だ。父親があったところの一切であり、父の成り得なかったものが彼の内で偉大になる」
「黄金柱ここにあり」との実証を、子どもや後輩たちに示し切れ! その雄姿を皆が誇らしげに見つめ、頼もしく待っている。
壮年には偉大な力がある。乱世を勝ち抜く豊かな智慧がある。社会に築いてきた信用がある。
その大長者の宝蔵をば、「勇気」ある信心で、断固と開ききっていくのだ。
◇
誰もが「絶対に不可能だ」と諦め、悲壮感が社会を暗く覆う時──その時こそ、壮年が奮い立つのだ。
18世紀後半、イギリスの植民地だった当時のアメリカ。不満は高まっていたものの、宗主国には従うしかない──そんな「常識」がはびこっていた。
その閉塞感を打ち破り、「独立」と「自由」こそが、新しい、そして正しい「常識」だと喝破したのがトマス・ペインであった。
1776年、1冊のパンフレット『コモン・センス』で、闘争の烽火《のろし》をあげる。
「これまでの王冠をかぶった悪党全部よりも、一人の正直な人間のほうが社会にとってずっと尊いのだ」
「おお! 人類を愛する諸君! 暴政ばかりか暴君に対しても決然と反抗する諸君、決起せよ!」
その叫びは、市民の魂に火をつけ、勝利への息吹を呼び覚ました。独立への道を大きく開いていった。
当時、彼は不惑(40歳)を迎えようとしていた。今、同年代の“ヤング壮年”も大勢おられよう。
ペインは、生涯を正義と自由の闘争に捧げ、不当に投獄もされた。その強さは何であったか。それは、無名の庶民であったことだ。
職人の家に生まれ、妻に先立たれ、事業も失敗。社会の底辺を生きた。それだけに、大衆の思いや感情を敏感に呼吸していた。
そして自ら義勇兵に志願し、一兵卒として、独立の戦いに加わった。真の丈夫《ますらお》は、周りを鼓舞するだけではなく、勇んで窮地の中に飛び込み、誰よりも苦労するのだ。彼は綴った。
「われわれの偉大な力は数にあるのではなく、団結にある」
一人が立ち、年配の友も、若き青年も続いた。「常識」の壁を打ち破り、「不可能」を「可能」へと変えていった。
完勝への結束は、常に壮年の勇気と行動力によって完成へと導かれるのだ。
富士の如く堂々と
明治維新の大功労者で、勝海舟らと共に“幕末の三舟”と讃えられた山岡鉄舟は、埼玉にも縁《えにし》が深い。
西郷隆盛に直談判し、江戸の無血開城の道を開いた英傑である。
10代で両親と死別、社会の激動、心の葛藤──人生の春夏秋冬を越えた鉄舟は、壮年期、白雪を頂いた富士の峰を仰ぎ、詠んだ。
「晴れてよし
曇りてもよし
不二の山
元の姿は
変わらざりけり」
世間の毀誉褒貶が何だ。あの揺るがぬ富士の如く、わが使命の道を、堂々と進むのだ──。
そう決めた鉄舟の心は、何事にも微動だにしない。後進の指導者の育成を、自己の研鑽と修行を、死ぬ間際まで怠らなかった。
西郷隆盛は、鉄舟を念頭に語ったという。「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人」と。
名聞名利をかなぐり捨てる人。自ら決めた使命に、真っ直ぐに生き抜く人生。「心の財《たから》第一なり」(御書1173?)との信念の生き方は、永遠に色褪せぬ、黄金の輝きを放つのだ。
青年の情熱は尊い。しかしまた、40歳、50歳、60歳、70歳、さらに80歳と年輪を刻みながら、なお消えることなき情熱こそ、本物である。
絶対に、勝利の先駆を切ってみせる! 私自身が創価学会なのだ!──そう決意し、行動する一人がいる限り、学会は盤石だ。
今も忘れぬ光景がある。第3代会長に就任して間もない頃の嵐の日であった。吹き飛びそうな大田区小林町の私の家に、一人の丈夫が駆けつけてくれた。
「先生、大丈夫ですか! 私がお守りします!」と。
なんと埼玉からの長い道のりを、自転車を走らせて来てくださった。今も、戦う壮年部の精兵として、あの時と同じように、目を輝かせ、広布の最前線を駆け回っておられる。
◇
健康で
長寿の光道《こうどう》
共々に
生きなむ 開かむ
智慧の長者は
かつて、わが大阪の壮年部に贈った一首である。
師匠が開いた道がある。共に歩む仲間がいる。最高の充実がこの道にある。
フランスの作家サン=テグジュペリは言った。
「みんながわたしを信頼している。歩かなければ、わたしは卑怯者だ」
師と共に、また真友と共に進む人生には、「報恩」という、決して曲がらぬ心の芯が通《とお》っている。
広宣流布とは、全人類を幸福にし、平和を築きゆく大偉業だ。人生を懸けて悔いなき、最高にして名誉ある大目的ではないか。
進もう! 師弟不二の王道を! 登ろう! 未踏の広布の王者の山を!
日興上人は大聖人の不二の弟子として、ただ一人、師の教えを寸分違わず語り、叫び、弘め抜かれた。「日興遺誡置文」を遺されたのは、88歳の時であられた。
求道の阿仏房は、高齢を押して、はるばる佐渡から身延の大聖人を訪れた。
老いるほどに若々しく、「仏法は勝負」の気概で戦い抜いた。
わが多宝会、宝寿会、錦宝会の皆様方の姿と、美事なまでに重なる。
真価はこれからだ
中国の大詩人・杜甫は、詠じた。
「男児 功名遂ぐるは
亦た老大《ろうだい》の時に在り」
(男の仕事の完遂は
やはり年とってからだ)
人生の真価は、最晩年をどう仕上げたか、何を成し遂げたかで決まるのだ。
大聖人は57歳の御述作に、「此の大法のみ一閻浮提に流布すべし」(同1489?)と宣言なされた。
牧口先生が入信されたのも57歳の時であった。その無上の喜びを、「言語に絶する歓喜を以て殆ど60年の生活法を一新するに至った」と記された。
戸田先生が牧口先生に出会ったのは19歳。そして獄中で師の逝去を知らされたのは、45歳になる時であった。
この時、地涌の菩薩の使命を胸に秘め、「妙法の巌窟王」となって、必ず師の正義の仇討ちをすると誓われた。ここから、本当の戦いが始まったのである。
◇
私も、19歳で師と出会って激闘を勝ち抜き、82歳の今が一番、元気だ。婦人部の皆様方の真剣な祈りのおかげである。いかなる青年にも負けぬ、雄渾の生命が湧いてくる。
それは、戸田先生という偉大な師匠を持っているからだ。不二の弟子という、永遠に若々しき本因の生命で戦えるからだ。
そして、妙法という不老不死の大法を弘めゆく大闘争に、後継の弟子の陣頭で生き抜いているからだ。
「生死一大事血脈抄」の有名な一節に、「金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず」「貴辺豈真金《しんきん》に非ずや」(同1337?)と仰せである。
私と最も長く、今世の人生を共にしてきた、わが戦友の壮年部よ!
宿縁深く、共戦譜を綴りゆく真金の君たちよ!
金《こがね》が朽ちないように、何があろうが、厳然と庶民を愛し、護り、輝かせゆく「黄金柱」たれ!
その尊き生涯を、これからも私と共に、同志と共に、広宣流布の大願の実現に尽くそうではないか!
そこにこそ、最極無上の喜びと栄光と大満足の人生があるからだ。
今日もまた
三世のためにと
立ちゆけや
愉快に耐えぬき
断固と勝ちたれ
テニスンは『対訳テニスン詩集 イギリス詩人選5』西前美巳編(岩波書店)。トルストイは1886年の書簡(ロシア語)から。リルケの言葉は『リルケ全集1』所収[時禱集]尾崎喜八訳(彌生書房)。ペインは『コモン・センス』小松春雄訳(岩波書店)。サン=テグジュペリは『サン=テグジュペリ著作集1』所収「人間の大地」山崎庸一郎訳(みすず書房)。杜甫は吉川幸次郎著『杜甫詩注1』(筑摩書房)。山岡鉄舟の話は牛山栄治著『定本 山岡鉄舟』 (新人物往来社)、佐藤寛著『山岡鉄舟 幕末・維新の仕事人』(光文社)、神渡良平著『春風を斬る 小説・山岡鉄舟』(PHP研究所)、山田済斎編『西郷南洲遺訓』(岩波書店)など参照。