創価家族は永遠に前進上・下

春だ! 新しき力を 新しき人材を
信心は年数ではない 「勇気」で決まる!

 偉大なる
  若き後継
    登場の
  世紀の舞台は
   遂に来たれり

 それは1789年。あの名高き「フランス大革命」の開幕を告げて、一人の革命家は高らかに叫んだ。
 「時はきた。
 錨綱《いかいずな》を切れ!」
 この言葉を引きながら、歴史家ミシュレは綴った。
 「革命の船は、この日以後、嵐にも雨にもかかわりなく」「けっしてとどまることなく、未来に向かって進む」
 我らは未曾有の広宣流布の大航海に船出した。わが「創価の大船」も、嵐があろうが、怒濤があろうが、民衆の栄光勝利をめざして邁進する。
 「日蓮一度もしりぞく心なし」(御書1224?)。この師子王の御心を拝し、「前進!」の勇気を掲げて進むのだ。
 その先頭を駆けるのは、男子部、女子部、男女学生部の青年たちである。今や“学会3世” “学会4世”も草創の精神を学び、尊き父母の心を受け継いで、伸び伸びと活躍している。
 さらにまた、わが“創価家族”には、あの地この地で、希望に輝きながら、新たな会員が生まれ、新たな人材が台頭している。
 「二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(同1360?)と仰せの通りだ。
 若々しき「地涌」の生命の息吹に触れることは、最も心躍る喜びである。
 親から子や孫の世代へ、脈々と、信心後継の「タテの拡大」は続いている。
 さらに友から友への「ヨコの拡大」も、歓喜スクラムを広げている。
 この迸る信心の連動にこそ、我ら“創価家族”の永遠の前進の実像がある。
        ◇
 この人生
  この一生を
    幾世代
  価値ある日々と
    広布に生き抜け

 創立80周年。学会は今再び大躍進の春を迎えた。
 それは、わが組織の最前線に、「新しい力」「新しい人材」が生き生きと躍動するということだ。
 生命は、瞬時も立ち止まらず変化する。新陳代謝を繰り返し、自らを革新していく。このダイナミックに変わる力そのものが、生命の本質といってよい。
 常緑の高木《こうぼく》「ユズリハ(譲葉)」は、新しい葉が出るまで、古い葉が待っている。新しい世代の成長を温かく見守るように!
 組織を一つの生命体とみるならば、「新しい力」「新しい人材」の台頭は、本然の正しき法則なのだ。
 「あとからつづく者たちも、ほら、そこに、我らのうしろに胚芽の姿で控えている」と、民衆詩人ホイットマンも歌った通りだ。
 凍てついた大地の中で、じっと力を蓄えた新芽は、時を逃さずに頭《こうべ》を上げる。そして、勢いよく大地を破って現れる。ゆえに私は、懸命に祈り続けてきた。
 新しき人よ、はつらつたる青年よ、湧き出でよ!
 全同志の胸から、新しき力よ、燃え上がれ!

新時代を創るもの
 世界を変えてきたあらゆる変革は、誰かが一人で成し遂げたものではない。
 一人が立ち上がる。呼応した一人が続く。その波動が広範な民衆を糾合し、新たな力と声のうねりが、歴史を変えてきたのである。
 フランス大革命もそうであった。モンテスキューやルソーやボルテールらの啓蒙思想が民衆の一人一人を鼓舞し、時代を動かしていったのは、有名な史実だ。
 “新しい力の台頭”が、“新しい時代”を創る。
 これが歴史の常である。
 日蓮大聖人の御在世である弘安2年(1279年)、権力と結託した坊主どもの陰謀によって、何の罪もない農民の門下が囚われた。「熱原の法難」である。
 正義の大仏法に目覚めた民衆はいかなる脅しにも屈することなく、題目を唱え抜いていった。リーダーである神四郎、弥五郎、弥六郎の三兄弟は壮絶な殉教を遂げたのである。
 この「熱原の三烈士」が仏法に巡りあったのはいつであったか。前年の弘安元年頃である。すなわち入信1年ほどにして、永遠に謳われゆく不惜身命の鑑を留めたのである。
 わが師・戸田城聖先生は、この史実を通して、
 「信心は、年数ではない。勇気である。勇気ある信心の人こそが一番、偉大なのである」と教えられた。
        ◇
 戦後の創価学会の隆々たる大発展を見るがよい。
 それは、日本を驚嘆させた「新しき大民衆運動」であった。
 昭和26年5月3日。戸田先生は会長推戴式で、烈々と師子吼された。
 「75万世帯の折伏が達成できなければ、私の屍は品川沖に投げ捨てよ!」
 当時の会員数は、約3千人にすぎなかった。75万世帯へは、実に250倍の拡大となる。
 大半の会員は、いったい、いつまでかかるのかと呆然とした。しかし私たち青年部が突破口を開き、結果から振り返れば、6年と半年で達成したのだ。
 年末ごとの世帯数は──
 5700世帯(26年)
 2万2000世帯(27年)
 7万4000世帯(28年)
 17万世帯(29年)
 30万7000世帯(30年)
 50万世帯(31年)
 そして76万5000世帯(32年)──である。
 75万世帯の目標が完遂された時点で、学会員の約8割が入会して3年以内のメンバーであった。
 今日の世界的な創価学会の基盤を創った大拡大は、誰によって実現したのか。それは、師弟共戦の大行進に勇んで連なった「新しき人材」の力で遂行されたといっても過言ではない。
 昭和27年の蒲田支部の「二月闘争」も、翌年の文京支部の「大前進」も、新会員と共に、新たに発心した方々と共に、そして慈愛の婦人部と共に、情熱たぎる青年と共に、私は勝ち開いたのである。

埼玉から勝鬨が!
 昭和28年の年頭、師・戸田先生より直々に、私は男子部の第1部隊長の任を拝した。25歳。今のヤング男子部の年代だ。
 「年末までに各部隊1000人への拡大」──これが師から示された目標であった。
 出発時点の第1部隊の勢力は337人。つまり、3倍の拡大となる。
 その新たな拡大の“決定打”を放ってくれたのが、埼玉のメンバーであった。
 拡大戦の締めくくりとなる、年末の第2回男子部総会が迫るなか、埼玉の羽生方面に点在していた並木班の友が大奮闘した。班長は週末、東京から泊まりがけで何度も通い、1カ月余りの間に、爆発的な拡大を成し遂げたのだ。
 埼玉の若き英雄たちは総会当日、バスを貸し切り、群馬との県境から50人の隊列を組み、勇んで集い来た。第1部隊1000人の結集という大勝利が、これで決まったのである。
 「見事だ。よくぞ、ここまで戦ったな!」──私はメンバーが乗ったバスを、会場の入り口まで誘導し、大拍手で迎えた。
 私は、嬉しかった。埼玉から勝鬨が上がったのだ。新しき天地から、新しい人材が躍り出たのだ!
 当時の埼玉には、まだまだ男子部員は少なかった。それだけに、学会歌を意気高く歌い、次々とバスから降りてくる青年の姿に、幹部たちは驚いた。
 たとえ、一進一退の膠着状態に見えるところでも、絶壁に食らいついて、必死に戦っている友がいる。それを、目立つところだけ見て、健気な同志の陰の奮闘を見なければ、あまりにも傲慢な幹部だ。
 いずこであれ、一人立つ勇者が現れれば、必ず広布の火蓋は切れる。いかに困難であっても、そこに奮闘する友がいる限り、一人を誠実に励まし抜く。これが壁を破る鉄則だ。
 この勝利の日は「羽生県青年部の日」として、後継の若き師子が栄光の共戦譜を綴り続けてくれている。

 青春を
  我は勝ちたり
     君も勝て

 ミシュレは『世界の名著37』所収フランス革命史」桑原武夫多田道太郎・樋口謹一訳(中央公論社)。ホイットマンは『草の葉』酒本雅之訳(岩波書店)。

清新な息吹で全員が勝ちまくれ!
共に祈り 共に語り 共に動こう

 学会の
  後継あずかる
     君なれば
  断固と宝剣
   抜きゆけ 勝ちゆけ

 昭和31年の「大阪の戦い」──その焦点は新しい力の躍動であった。
 当時、約3万世帯に発展していた大阪は、最も古い入会者でも、やっと信心5年目。大半が入会1、2年のメンバーであった。
 広布史に厳然と輝く、不滅の常勝城もまた、入会間もないメンバーとの共戦で築き上げたものだ。
 急速な拡大は、人材の飛躍的な育成を要する。その一点を見据えて、私は同志の中へ飛び込んだ。
 御書の早朝講義。確信と歓喜の座談会。真剣勝負の個人指導。葉書などを送っての真心の激励──。
 そして、いかなる時も、師匠・戸田先生に仕え抜いていく、弟子としての真剣な一念と振る舞いを、ありのままに同志に示していった。そこから、関西の友は「師弟の道」を知り、続いてくれたのである。
 これが学会精神だ!
 これが信心の真髄だ!
 これが創価のリーダーの戦いなのだ!──と。
 入会から日の浅い関西の同志たちは、その「歓喜」と「勇気」と「確信」を胸に刻み、自分らしく友に語り、勇敢に叫んでいった。
 信心の歓喜と広布の息吹が、まさに奔流となって、関西の民衆の大地に溢れていったのだ。
 私は、組織を動かしたのではない。徹して一人また一人と会い、その心に炎を点していったのである。
 それが、1カ月で1万1111世帯という折伏の金字塔となり、不撓不屈の大関西の民衆城の土台となったのだ。
        ◇
 関西が生んだ大実業家・松下幸之助氏は語られた。
 「新入社員を迎えると、会社にも個々の職場にも新鮮な雰囲気が生まれてくる。先輩の人びとも、自分の初心を改めて思い起こし、そこにみずから心機一転の思いを持つ」
 学会の組織も同じだ。
 新会員や新しい人材の台頭は、新鮮な息吹を組織に送り込み、“信心の先輩”方も、自身の「初心」を思い起こす好機となる。
 日蓮仏法は、初めて妙法を信受した“名字即”の位で即身成仏すると説く。いうなれば、常に「初心」に立ち返り、はつらつと広宣流布の師弟の誓願に生き抜いていくことが、成仏の要諦なのだ。
 松下氏は、更に、新入社員に対する先輩の態度について指摘している。
 「いかに優秀な素質を持った人でも、仕事についてはまったく経験がないのだから、先輩が一から教えなければならない」
 つまり、新しい力の発揮も、すべて先輩たちの振る舞いにかかっている、と。
 一から教える──信心においても、それは、時間がかかり、遠回りに思えるかもしれない。しかし、誰でも最初はそうだった。
 私だって、入信当時、何もわからなかった。
 それを、戸田先生に教えていただき、また先輩同志に学びながら、自分自身を人間革命していったのだ。
 今度は、恩返しである。親切にしてあげれば、自分が守られる。新しい息吹を受けて自分が学べる。自分が元気になる。向上する。

自分以上のの人材に
 学会の人材育成の伝統は、後輩を、新会員を、新しい同志を、「自分以上の人材に」と願い、心を砕いていくことである。
 我ら“創価家族”は励まし合い、心を磨きながら、幸福への直道を歩む強き絆で結ばれているのだ。
        ◇
 新会員の友が、信心の功徳と確信をつかみ、一緒に広宣流布の同志として歩めるようになって、折伏は完結するといえる。
 御書には「仏になるみちは善知識にはすぎず」(1468?)と説かれている。
 善知識とは、善き師匠であり、更には仏道修行を貫く上で支えとなる「善友」である。創価学会が善知識の集まりといってよい。
 そのために、先輩として心掛けたいことは「共に」という一点である。
 共に祈る。共に学ぶ。
 共に語る。共に歩く。
 「共に」という心と行動のなかに、日蓮仏法の真髄の精神がある。
 蓮祖は「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(御書761?)と仰せだ。
 自分一人だけの喜びは、まだ本当の喜びではない。人も自分も共に喜び、讃え合えることが、最高の喜びになるのだ。
 さらにまた「共《ぐ》の一字は日蓮に共《ぐ》する時は宝処に至る可し」(同734?)と示されている。
 同志と共に進み、師弟して共に生き抜くところに、人生の究極の勝利がある。

親孝行の人生を!
 学会本部の一角に、3枚の美しい水彩画が飾られている。4年前に入会した東京の池田華陽会の友が描いてくれた絵である。
 最初の1枚が届けられたのは2年前。美術系大学で陶芸を学び、人物画の経験のなかった彼女が、一生懸命に挑戦して、私と妻を描いてくださったものだ。
 親孝行の人生を誓い、友のためにとひた走る立派な姿に、ご両親も大変喜ばれていると伺っている。
 御聖訓には、「法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり」(同1528?)と仰せである。
 妙法に生きゆく人生は、最高無上の親孝行の軌道を歩むことができる。
 ゆえに、新会員の友は、信仰のことで、ご家族と争ったりせず、自らの成長する姿を見せて、安心させてあげていただきたい。私も、そうであった。

持続の人が幸福に
 ともあれ、新会員の友の功徳の実証を聞くたびに、私の胸は躍る。
 「受くるは・やすく持《たも》つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(同1136?)とは、大聖人の御指南である。
 忍耐強く「持《たも》つ」なかに成長がある。勝利がある。
 この信心を貫く人、持続する人は、絶対に「幸福」になる。広布のために、努力し、動いて、苦労することは、すべて「福運」となって自身に返ってくる。
 世界五大陸の友が、勇気凛々と、広布の大道を歩み、人間革命している姿こそ、その証左にほかならない。
 大詩人ホイットマンは“人間の可能性”を歌った。
 「他人にそなわるどんな勇気も忍耐も、同様に君の内部にそなわらぬはなく」と。
 いわんや仏法は、「万人成仏」の法であり、「一生成仏」の法なのだ。
        ◇
 春風の如きフレッシュな息吹は、組織に生き生きとした活力を与える。勝利の原因をつくってくれる。
 先輩たちは、この新しい息吹を、心から大事にしていくのだ。新しい人に学んでいくのだ。新しい人と共に勇猛精進していくのだ。
 「これまで」に安住してはならない。「これから」を切り開く、清新なる決意に立つことである。

“今一重”の決意で
 大聖人は、強盛な女性の弟子を励まして言われた。
 「あなたの昔からの立派な信心のお志はいうまでもありません。しかし、それよりも今一重、強盛な信仰に立っていきなさい」(同1220?、通解)
 自分自身を「新しい人材」に革命する決心で、「新しい力」を出すのだ。 
 「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(同1190?)との御聖訓を、断じて他人事と思ってはならない。
 慢心になり、挑戦の心を忘れれば、信心は濁る。「強る心」を失い、「たゆむ心」に負ければ、惰性になる。戦いがなく、前進もないことを隠すため、保身に走り、権威主義になる。
 草創以来、同志に迷惑をかけ、裏切っていった背信者たちは、自分は特別だと威張る人間だった。
 創価学会は、最極の生き甲斐と充実に満ち溢れた、幸福の安全地帯である。
 この和合の世界にいられなくなった末路ほど、侘しく哀れなものはない。
        ◇
 「仏法は勝負」だ。人生も勝負だ。
 この人生に勝利しゆくための信心である。その指標として、学会では、永遠の五指針を掲げている。
 一、一家和楽の信心
 一、幸福をつかむ信心
 一、難を乗り越える信心
 一、健康長寿の信心
 一、絶対勝利の信心
 信心で勝つのだ! わが同志は、一人も残らず、偉大な信心で、偉大な人生を勝ち飾っていただきたい。
 希望の春が来た。君も、私も、新たな前進だ!
 「出かけよう、道はぼくらの前にある」
 ホイットマンの晴朗なる歌声とともに、さあ、勝利の大道を歩み抜こう!

 三世まで
  不滅 不朽の
    城ありき
  その名 広布の
     人材城かな


 松下幸之助は『松下幸之助「一日一話」』PHP総合研究所編(PHP研究所)。ホイットマンは『草の葉』(岩波書店)で、最初が鍋島能弘・酒本雅之訳、次が杉木喬・鍋島・酒本訳。