青年学会の希望の黎明

栄光勝利の種は「励まし」の中に
後輩を育てる人が 未来を開く人

「人材の城」を築く誇りに燃えて

 このたびの記録的な豪雨は、特に新潟・福島の両県に甚大な被害をもたらしました。心からの御見舞いを申し上げます。
 丹精込めて育ててこられた農作物などにも、大きな被害が出ました。いかばかり残念なことでしょうか。
 しかし、不屈の勇気を持つ新潟と福島の皆様は、これまでも幾多の試練を厳然と乗り越え、勝ち越えてこられました。
 大変でしょうけれども、どうか断固と変毒為薬して、復旧・復興を遂げられますよう、真剣に題目を送っております。
 「わざはひ(禍)も転じて幸《さいわい》となるべし」(御書1124?)
 「災来《きた》るとも変じて幸《さいわい》と為らん」(同979?)
 これは、御本仏・日蓮大聖人が仰せの御金言です。妙法の功力は、絶対なのであります。

人間の偉さとは?
 陸続と
  俊英 育てむ
    君たちの
  責務と行動
    三世に輝け

 全国の各地で、未来部を中心に創価家族が集い合う「ファミリー大会」が有意義に行われている。
 陰で無事故と大成功の運営に当たってくれている、未来部育成部長や21世紀使命会をはじめ、関係の皆様に、感謝は尽きない。
 教育本部の先生方の応援も、ありがたい限りである。学生部の友も向学と進学の機運を高めてくれている。
 私が対談を進めている、オーストラリアのシドニー平和財団のスチュアート・リース理事長は、自らの信念として語っておられた。
 「人びとの模範となるような人物は、たとえ無名であったとしても、最も地味な庶民の中にいる」と。
 どんなに華やかな肩書や、煌《きら》びやかな名声の持ち主であっても、自分一代だけの栄枯盛衰で、儚く消え去ってしまう人生は少なくない。
 どれだけ後輩に尽くし、次の世代のために道を開いているか。人間としての真の偉さは、そこにあろう。
 一人ひとりの未来部員を真心から励まし、令法久住・広宣流布の確かな潮流を創りゆく皆様こそ、尊貴な模範の方々である。
 「あの人のおかげで」と感謝され、「あの人のように」と敬愛されゆく人生は、何と誇り高いことか。
        ◇
 日蓮大聖人は、若き南条時光に「仏にやすやすとなる」ための信心の道を、わかりやすく教えられながら、こう仰せである。
 「人のものを をし(教)ふると申すは車のおも(重)けれども油をぬりてまわり・ふね(船)を水にうかべてゆ(往)きやすきやうにをしへ候なり」(同1574?)
 どの子も、尊き仏の生命を抱いている。最高の「幸福の大道」を、また無上の「栄光の航路」を、必ず勝ち進むことができる。そのために誠心誠意で励まし、前進の力を送っていくのが、我らの誓願の人材育成だ。
 先日も、ある学生部の友が近況を伝えてくれた。
 彼は3年前(2008年)の6月、全国青年部幹部会の折に私が励ました高等部員の一人である。その後、創価大学を志願してくれたが、残念ながら不合格であった。
 しかし「負けじ魂で朗らかに進め!」との指針を胸に都内の大学へ進学し、今、八王子で多くの創大生とも切磋琢磨しながら、活躍している。
 青年部の結成60周年を迎えた、この7月には、「先生! 個人折伏が実りました」と報告をくれた。
 一回の出会いでも、一言の激励でも、それが種となって、多くの実を結ぶ。
 心も躍る、その結実を見守りながら、さらに明日へ希望の種を蒔いていく──これが、地道でありながらロマンに満ちた学会の庭の手作りの人間教育である。
 この夏の「ファミリー大会」も、遠大な未来へ、どれほど豊かな人材の開花と結実をもたらしてくれることだろうか。

誰もが使命ある宝
 未来部員の一人ひとりが広宣流布の宝である。
 御聖訓に「八歳の竜女は大海より来って経力を刹那に示し」(同465?)と仰せの如く、法華経の会座において、即身成仏、万人成仏の実証を示したのは、年若い竜女であった。
 7歳の時に日蓮大聖人にお会いしたとされる南条時光は16歳から、師のもとで直々の薫陶を受けた。
 大聖人は、亡き父の信心を立派に継承する時光の姿を讃えられ、こう仰せになられた。
 「あわれ人は よき子はも(持)つべかりけるものかなと、なみだ(涙)かきあえずこそ候いし」(同1507?)と。
 門下の子弟を皆、わが子の如く慈しみ、育んでくださる。これが大聖人の御心であられた。
 わが家、そして、わが地域の、かけがえのない使命を持った宝の未来部員に、温かな声をかけ、真剣に育て上げていくことは、大聖人が最も喜んでくださる“仏の仕事”なのである。

「母の祈り」ありて
 「子どもたちの幸福のために」──この一念の祈りほど、気高く強いものはない。それは世代も、生死も超える力をもっている。
 もう40年近く前、私が激励した小学生の少女がいた。当時、全国に結成した人材育成グループ「未来会」の一員であった。
 彼女は、その出会いを胸に、開校したばかりの創価女子学園(現・関西創価学園)に勇んで入学してくれた。しかし、一年もたたないうちに最愛の母が逝去してしまったのである。
 その直後、私は学園を訪れた折、彼女に会って励ました。「強く生きなさい。お母さんが見ているよ」と。そして、お母様の名前を冠した桜を植樹した。
 亡くなったお母様は、彼女を筆頭に、5人の娘に創価教育を受けさせたいという願いを持っておられたようだ。娘たちは互いに励まし合いながら、その母の祈りに応え、全員が学園に学び、立派に成長している。
 今、その長女も母となり、4人のお子さん方を創価の学舎に送り出しながら、地域貢献の日々である。
 母の祈りは、3代にわたって幸福と勝利の光を放っているのだ。

苦難をバネに成長
 戦後の復興期、戸田城聖先生のもと、私は少年誌の若き編集長として、懸命に奔走していた。
 「子どもたちの心に夢と希望を!」との私の熱願に応えて、日本を代表する大作家や画家の方々が執筆を快諾し、入魂の連載をしてくださった。
 後に大長編『徳川家康』で一世を風靡した山岡荘八先生、“昭和の大詩人”と謳われた西條八十先生などとともに、「銭形平次」の人気作家・野村胡堂先生も、その一人である。
 武蔵野にある野村先生のご自宅にお邪魔した折、少年時代の思い出を伺ったことも忘れ難い。
 野村先生は、岩手県で生まれ育った。子どもの頃、火災で家が全焼し、それはそれは大変だったそうだ。
 この家屋の再建のため、親身に応援してくれたのが、近隣や村の人びとであった。助け合いのありがたさである。
 その現場に来ていた畳屋の職人は、野村少年のことを気にかけ、作業の合間に、東北に伝わる昔話を、生き生きと面白く語り聞かせてくれた。
 それが、少年の心の深い滋養となり、後に大作家として、不屈の庶民の英雄を自在に描き出す源泉になったのだ。
 今、東北の被災地で、わが健気な未来部の友は、進んで復興の手伝いに汗を流しながら、創価家族の息吹の中で、たくましく成長してくれている。
 座談会で、信心の先輩方が語る体験談も、若き命に尊く染み通っているに違いない。広布の総仕上げを担い立つ逸材が、二陣、三陣と躍り出る未来を、私は深く確信してやまない。
 「人間は非常の際は非常の力が出るものだ、命がけとなると、世界の全人類も動かせるものだ」とは、野村先生の一文であった。
 青春の生命は、運命の試練さえも偉大な飛躍のバネにできる。それを支え、勇気づけていく地域社会の「教育力」が今ほど求められている時はあるまい。
 難問が山積する時代にあって、人を励まし、人を育てる創価スクラムこそ、希望の指標なのである。

 人材の
  城を築けと
   青葉城
  恩師の叫びは
   燃え立ち そびえむ

 野村胡堂の逸話は藤倉四郎著『バッハから銭形平次』(青蛙房)などを参照。胡堂の言葉は『少年小説大系23 野村胡堂集』所収「六一八の秘密」(三一書房)。

いかなる試練にも必ず勝つ!
創価の「絶対勝利の信心」を継承

 広宣の
  戦《いくさ》に 人材
     宝なり
  宝の人とは
    不退の丈夫と

 人を育てることは、自分も大きくなることである。
 人に教えることは、自分も賢くなることである。
 若い世代との対話こそ、「平和の文化」を創造する力である──これは、国連の事務次長として献身されてきたチョウドリ博士と、深く一致した信条である。
 博士ご自身も、若者と接する時に、その「開かれた心」と「学ぶ意欲」に全幅の信頼を置いていると言われていた。自分が話す時間はなるべく短くし、青年とのやり取りを、より多く持つようにすると、新鮮な語らいになるとも、博士は語っておられた。
 未来部の友と一緒に学び、一緒に鍛え、一緒に前進していくことは、若々しい生命力を漲らせていく、生涯青春の軌道である。

未来部員の友達《ともだち》に
 わが誉れの21世紀使命会が誕生したのは、16年前(1995年)の7月17日──。
 当時、私がお願いしたのは「未来部員の友達に」ということであった。
 仏法では、「良き友」のことを「善知識」と説く。
 「仏になるみちは善知識にはすぎず」(同1468?)とも、御聖訓には仰せである。
 わが未来部の担当者の方々は、何でも話せるお兄さんとなり、お姉さんとなって、共に活動に励みながら、偉大な「善知識」の使命を果たしてくれている。
 自身も、仕事や生活の課題を抱える中での奮闘は、言うに言われぬ苦労の連続であろう。しかし、その真剣な姿を、未来部員はじっと見ている。誠実の言葉は、必ず命の根底に刻まれていくものである。
 私のもとにも、「あの先輩の励ましがあればこそ、今の自分があります」等と感謝の声が寄せられる。
 派手な喝采など、なくとも構わない。人に尽くした「陰徳」は、必ず「陽報」となって、汝自身の生命を荘厳し、一家一族を無量の福徳で包んでいくからだ。
        ◇
 御聖訓には、「末法の濁った世は人びとの心の貪欲・瞋恚・愚痴が甚だ強く、いかなる賢人、聖人でも治めがたいのである」(同1465?、通解)と示されている。
 末法が深まるほど、人心はますます乱れ、濁っていかざるを得ない。その中を法華経の行者は、「忍辱の鎧」を着て、広宣流布を断行していくのだ。
 どんな三障四魔が競い起ころうとも、断じて恐れない。負けない。屈しない。
 大難があればあるほど、「今一重強盛に」(同1220?)信心を奮い立たせて、戦い勝つ。この究極の「勇気」と「忍耐力」と「強さ」を受け継いでいくことこそ、信心の後継にほかならない。
 大聖人は仰せである。
 「その例は、他から引くには及びません。日蓮を日本国の上一人より下万民に至るまで、一人の例外もなく害しようとしましたが、今までこうして無事に生きてくることができました。
 これは、日蓮は一人であっても、法華経を信ずる心の強いゆえであったと思いなさい」(同?、通解)
 日本中からのありとあらゆる大迫害を、ただ御一人、蓮祖は勝ち切られた。
 その大法戦に、まっすぐに連なってきたのが、創価の三代の師弟である。
 広布と人生のいかなる戦いも、師子奮迅の力で必ず勝ってみせる。この「絶対勝利の信心」を、私たちはあとに続く友へ、勇猛果敢に示し切っていくのだ。
 これこそが、最大の魂の贈り物ではないだろうか。不退の学会精神が脈打つ人材を育てるなら、広宣流布の勝利の道は、晴れ晴れと開いていけるのだ。

師弟の「夢」を実現
 わが恩師・戸田先生が、少年少女の会合で、しみじみと語られたことがある。
 「将来、誰もが幸せを噛みしめることができて、国境や民族の壁のない地球民族主義の平和な世界を築かねばならない。
 みんなは、きょうのこのおじさんの話を忘れないで、少しでも、この夢を実現してほしい」
 未来部員を育てることは、まさに「未来の平和」を創ることといってよい。
 嬉しいことに、先日、わが友である、ジャズピアニストのハービー・ハンコックさんがユネスコの親善大使に就任された。
 世界的な音楽活動とともに、平和と文化のための行動を進めるハンコックさんは、サックス奏者のウェイン・ショーターさんと私との鼎談で、情熱を込めて語られていた。
 「未来は、他のどの世代よりも、若い世代の発想と努力で決まると信じます。未来はそれを必要としています」

青年が平和の集い
 先月の末、広島と長崎と沖縄の青年の代表が一堂に会し、伝統光る「三県平和サミット」を行った。今年は長崎に集い、平和音楽祭等とあわせ、核兵器廃絶への連帯を広げてくれた。
 青年たちは、原爆に負けない人間の精神の力を、たくましく謳い上げている。
 長年、長崎で営々と平和運動を貫いてこられた市民リーダーの方も、若い世代にどう託していくか悩まれており、「学会は青年が平和のために動いていることが素晴らしい」とエールを贈ってくださったという。
 戦争の惨禍に苦しめられた天地にあって、創価の青年育成は、平和の鐘をいやまして高らかに打ち鳴らしゆく希望なのである。

弟子が夜明けを!
 昭和34年(1959年)──恩師が逝去された翌年のこの年を、私は新時代の夜明けとなる「黎明の年」と位置づけた。
 弟子たちの団結で、学会がいかに勝利するか、この新たな広宣流布の広がりこそが、恩師の偉大さを証明するからだ。
 世界の大河を見よ。たとえ源流は小さくとも、大海を目指すにつれて、無数の川を合流し、豊かな水量を湛えていくではないか。
 若さ後継の弟子が次から次へ躍り出てこそ、広布の水かさは増していくのだ。
 7年後(昭和41年)、「黎明の年」と再び掲げたこの年は、「高等部の年」とも呼ばれた。その開幕の直前、私は「大白蓮華」に巻頭言「鳳雛よ未来に羽ばたけ」を綴った。
 「諸君の成長こそ、学会の希望であり、日本の、そして全世界の黎明を告げる暁鐘である」と。
 未来部一人ひとりの成長と勝利こそが、学会の永遠の興隆の本因なのである。
 今また、不思議な使命の光を宿した鳳雛たちが、勇気と希望の翼を羽ばたかせながら、創価の大躍進の先頭に登場してくれた。
 21世紀の「黎明の年」は今なのだ。
 未来の至宝の諸君よ!
 未来を担う君たちよ!
 未来を創る皆様よ!
 青年学会の希望の黎明を、この地球上に輝かそうではないか!

 全世界
  躍り出でたる
   若人と
  創価の未来を
   断固と勝ちゆけ