三世の生命の旅路

“全世界 平和を祈らむ わが創価
「仏教ヒューマニズム」の躍動を社会に

題目の光に包まれ「生死ともに仏」と
学会の「勤行法要」こそ真の追善回向

 全世界
  平和を祈らむ
   わが創価
  尊き仏勅
   晴ればれ光れや

 巡り来る8月15日──66年前のこの日、長い残酷な戦争が終わった。
 その敗戦の焼け野原にあって、今こそ人類の平和のために、妙法を世界に広宣流布するのだと、一人立たれたのが、わが師・戸田城聖先生である。
 今日、192カ国・地域に及ぶ壮大な平和と人道の連帯は、この時、たった一人から始まったのだ。
 あの太平洋戦争、そして第2次世界大戦は、計り知れぬ犠牲者をもたらした。
 私たちは毎夏、8月6日には広島で、9日には長崎で、「原爆の日」の追善勤行法要を営み、15日に「世界平和祈念 戦没者追善勤行法要」を行っている。国境も、思想・信条の違いも超えて、すべての戦争犠牲者に追善回向の祈りを捧げる法会である。
 それは、尊き犠牲を絶対に無にしないために、必ずこの世界に平和を築いてみせると、心新たに不戦を誓う会座でもある。
 戦後、ドイツの作家トーマス・マンは訴えた。
 「平和に対する裏切りは今後はもはや許されないであろうところである。なぜならそれは人類の自身に対する裏切りであるからだ」
 この文豪が「平和」という言葉から常に心に聴き取っていたものがある。それは「宗教的な響き」である。平和とは、人類が等しく分かち合う「祈り」なのだ。
 私たちは、仏法者として平和の前進の音律を、月々・日々に強めていきたい。
        ◇
 この平和祈念の法要は。青年部の主催で営まれている。誠に重要な伝統だ。
 ブラジルの天文学者モウラン博士との語らいで、強く一致したことがある。
 権力者は安閑と座し、何の罪もない青年が戦場に送られる。この理不尽な歴史を、断じて繰り返してはならないという一点である。
 戦争の犠牲になるのは、いつも青年だ。そして青年の母たちである。ゆえに、“嘆きの母”を出さぬため、青年が強くなるのだ。平和への連帯を広げゆくのだ。
 50年前、最初のアジア歴訪の途次、私はビルマ(現ミャンマー)で、日本人墓地に立つ戦没者の慰霊碑に読経・唱題を捧げた。私の長兄も、この地で若き命を散らした一人である。
 終戦後も2年間、安否の不明だった長兄の戦死が伝えられたのは、昭和22年の5月であった。あの母の悲しみの姿は、わが胸に突き刺さって離れない。
 青年の未来を残酷に奪い去り、こんなにも母を苦しめた戦争が憎かった。
 それから間もない8月14日、私は、軍国主義と戦い抜いた平和の指導者・戸田先生にお会いし、その弟子となったのである。戦後、2度目の終戦記念日の前夜であった。

諸精霊追善を皆で
 学会では、この8月15日を中心に、「諸精霊追善勤行法要」を営んでいる。新暦8月の盂蘭盆の時に合わせて、広宣流布の途上に逝いた同志や家族、友人、先祖代々の冥福を懇ろに祈念する法要である。
 宮城、岩手、福島3県の被災地をはじめ、全国の同志が心を一つに、東日本大震災の犠牲者の方々を追悼し、東北の復興ヘエールを送る集いでもある。
 この時期、全国の墓園や納骨堂には、“生死不二の都”として、多くの方々が訪れてくださる。暑い中、運営に当たってくださっている関係の皆様に、心から感謝を申し上げたい。
 墓園で営まれる追善の法要の導師の勤行が清々しかった等と、信心されていない家族・親戚の方々からも賞讃の声を頂くことは、嬉しい限りである。
 友人葬も、深く広く社会に定着している。「創価ルネサンス」の宗教改革は、形骸化し商業化した葬式仏教の儀典から、生き生きとした信仰を民衆の手に取り戻した。
 アメリカを代表する宗教学者のハービー・コックス博士も語ってくださった。
 「創価学会が宗教権威から破門を受けた後も、衰退するどころか、仏教ヒューマニズムともいうべき豊かな精神性を堅持しながら成長し、繁栄を続けていることに、私は深く注目しております」と。

唱題行の偉大な力
 追善の
  妙法 浴びて
   新しき
  生命《いのち》で帰れや
    創価の庭にと

 学会では、さまざまな法要が執り行われている。日本の習俗を踏まえ、お彼岸には春季・秋季彼岸勤行法要もある。各地の会館で、毎月のように追善勤行法要も、厳粛に営まれている。
 さらに、阪神・淡路大震災をはじめとして、各地の災害で亡くなられた方々への追善勤行法要もある。
 こうした学会の勤行法要は、いずれも、日蓮大聖人の仏法の本義に最も適った真実の追善の儀式である。
 大聖人は、成仏は、本人の信心によって決まると明確に示されている。
 御書には、「故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし」(1506?)と仰せである。
 妙法の「唱題行」には、それほどの力がある。
 故人が生前に唱題する機会がなかった場合もあろう。しかし、題目の力は広大無辺である。遺族が唱える題目は、間違いなく故人に届くのだ。
 「御義口伝」には、「今日蓮等の類い聖霊を訪《とぶら》う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間《むけん》に至りて即身成仏せしむ」(御書712?)と厳然と説かれる。
 さらに大聖人は、亡くなった父の追善のために、毎朝、自我偈を読誦していた門下の曾谷教信をねぎらわれて仰せられた。
 ──自我偈の金色の一つ一つの文字が、宇宙を照らし、いかなる所であっても、故人のおられる所まで訪ねて行って、聖霊に語られるのである、と。(同1050?、趣旨)
 だからこそ、題目を送る側の信心が大事となる。
 つまり、追善回向の本義とは、自らが真剣な仏道修行で得た功徳を「回《めぐ》らし向ける」ことなのである。
 「自身仏にならずしては父母をだにもすく(救)いがた(難)し・いわうや他人をや」(1429?)とも、御書には明言されている。
 広宣流布に戦う学会員は、誰人も成仏の功徳を得ていける。その大善根をもった学会員が自行化他の題目を唱えていけば、その功徳は、無量の先祖、無量の子孫、眷属へ、満々と回らし向けられていく。これが、追善回向の大功力である。
 坊主に拝んでもらわないと故人が成仏できないなどというのは、御書のどこにもない邪義だ。妙法の偉大な功徳力によってこそ、故人は成仏できるのである。
 明治時代、僧職について、作家の森鷗外が、「加持や祈祷を商売にして、手柄顔をするようになってはお話にならない」と、厳しく指弾していたことも有名だ。
        ◇
 そもそも「法要」という言葉は、御書には見られない。もともと、仏教に関した集会の意味や、「仏法の要」という内容で用いていた言葉である。
 御書には、追善のための仏教儀礼を「仏事」と表現されている例がある(8?)。
 その際、大聖人は、追善の仏事で念仏者等が法華経を誹謗すれば、結局、故人の苦も増してしまうと戒められている。法華経を根本とした追善でなければ、故人は救えないことを教えられたと拝されよう。
 学会の勤行法要は、まさに大聖人の仰せ通りの追善の儀式である。そして参列する人が平等に祈願する場であり、皆が生命に刻んできた大功力を回向する場である。妙法の大功徳の音声が、力強く大宇宙に遍満しゆく壮大な会座である。
 さらに学会の勤行法要では、故人の追善とともに、互いに広宣流布を決意し合う誓願の題目が唱えられている。その題目の福徳で、各人の「宿命転換」と「人間革命」がいやまして進んでいくのだ。
 題目は、亡くなった方だけでなく、共に生きゆく人びとにも回向される。
 御書にも引かれた、「願くは此の功徳を以て普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」(1430?等)との法華経化城喩品の経文通りである。
 私たちは、日々の勤行の際に、「世界の平和と一切衆生の幸福のために」と祈念している。その真摯な唱題は、広く世界中の人びとにも功徳を向けるものだ。我らの法要は、世界平和の祈願の場、立正安国を誓う場、そして一切衆生の幸福を願う場なのである。

「祈り」とは希望
 今年の4月29日、東北各地の主要会館で、復興祈念勤行会が行われた。大震災の四十九日の追善の意義も込めた法要であった。
 ある会館に来られた方は、最初、感情を失ったように無表情であった。しかし、皆と一緒に勤行するなかで、その人は感泣されたという。
 ──津波で家族を失い、もう涙も出ないと思っていた。しかし同志と共に祈る中で、なぜか泣けて泣けて仕方がなかった。自分にも人間の感情が残っていたと思ったら、もう一度頑張ってみようという気持ちが湧き上がってきた、と。
 こうした姿に接してきた東北の婦人部のリーダーが、凛と語っていた。
 「祈ることは、慰めでも、逃避でもありません。現実に立ち向かうことであり、希望なのです」
 学会員の祈りは、強い。また深い。そして温かい。
 亡くなられた方々への追善とともに、生きている方々がより生命力を増して、生き生きと勇気に燃えて前進していくための転機が、創価の法要なのである。
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 蓮祖は、「い(生)きてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり」(御書1504?)と仰せくださっている。
 誰もが身近な人の死に接すれば、悲しい嘆きの心が生じるのは当然の人情であろう。御書には、“聖人”にも死別の嘆きはあると示されている。
 だが、仏法の生死観に基づけば、死は最後の別れではない。大聖人は、伴侶や子どもなど、最愛の肉親を失った門下に対して、必ずまた霊山で再会できるとお約束くださっている。
 千日尼への御手紙には、「(ご主人の)故阿仏房の聖霊」は「霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東む(向)きにをはす」(同1319?)とも綴られている。
 御本尊を拝すれば、亡き家族と深い生命の次元で対話できる。
 また、依正不二の法理に照らして、霊山とは、妙法を唱える家族の生命それ自体といえる。
 「霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」(同757?)とある通りである。
 故人の生命は、わが胸中に融合し、一体不二の力を漲らせて生きられるのだ。
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 愛する人を失う悲しみと向き合うことは、真の哲学の探求者となり、より深く、より強く、偉大な人生を歩むことだ。
 本年は、中国の人民の父・周恩来総理が逝去されて35年である。総理亡き後、その遺志を受け継いで戦い抜かれた??穎超夫人は語っておられた。
 「生きている者は耐え忍び、さらに強靭に生きていかなくてはなりません。
 私たちの革命精神は衰退してはいけないのです」
 “亡き人の分まで”と勇気をもって立ち上がる時、人間は最も強靭になる。
 “アメリ赤十字の母”と敬愛されるクララ・バートンは、戦傷者や災害被災者など、苦しむ人びとのために献身の生涯を送った。90歳で亡くなる直前、彼女はベッドから体を起こそうとしながら叫んだ。
 「さあ、出発です!」
 人生は生涯、闘争である。
 荘厳な夕日が明日の快晴を告げるように、崇高な使命に生き抜いた同志の死は、臨終正念の勝利の総仕上げであり、次の新たな使命への旅立ちであることを、私たちは知っている。
 だから悲しみの根底にも強さがある。
 「御義口伝」には、「生死を見て厭離《えんり》するを迷と云い」「本有の生死と知見するを悟と云い」(同754?)と仰せである。
 私たちは、生死不二の成仏の根本法を持っている。
 「生も歓喜、死も歓喜」である。ゆえに病気であれ、災害であれ、広宣流布に戦った人が、「心の財」を崩されるわけがない。
 「心を壊《やぶ》る能わず」(同65?)である。

師弟の新たな出陣
 戸田先生は昭和20年の11月18日、殉教の師・牧口常三郎先生の一周忌法要を行われた。
 これが、創価学会として最初の法要であった。
 そして翌年、牧口先生の三回忌法要の席上、戸田先生は、誇り高く三世永遠の師弟の絆を語られた。
 「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました。
 そのおかげで、『在在諸仏土・常与師俱生』と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか」
 この先師の祥月命日は、不思議にも、創価学会創立の日でもある。ゆえに私どもは毎月18日に先師の追善を行うと同時に、「創立」の精神を確認し、年々歳々、広宣流布へ師弟の新たな出陣としてきたのだ。
 この夏の最高協議会で、共々に心肝に染めた御聖訓がある。それは、35年前の「中部の日」(7月27日)に拝した「生死一大事血脈抄」の一節である。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(同1337?)
 この人間の世界にあって最も美しく、最も尊い絆が、師弟不二・異体同心で進む我らの広宣流布の陣列である。生死一大事の血脈は、ここにこそ流れ通うのだ。
 さあ、団結だ! 励まし合いながら、前進だ!
 自他共に常楽我浄の旅路を、大いなる勝利の翼で翔けゆこう!

 にぎやかに
  また にぎやかに
   幸せに
  生死の城は
    三世に楽しき

 マンの言葉は『トーマス・マン日記 1946-1948』森川俊夫・洲崎惠三訳(紀伊國屋書店)。森鷗外は『鷗外全集5』所収「静」(岩波書店)=現代表記に改めた。??穎超は高橋強・水上弘子・周恩来??穎超研究会著『人民の母−??穎超』(白帝社)。バートンはボイルストン著『クララ・バートン』葛西嘉資訳(時事通信社)。