東北福光の春

被災者の皆様と共に祈り 共に生きる

「心の財」は試練の冬を耐えて輝く

今こそ「民衆の安穏」第一の時代を

 断固して
  この世の使命と
    東北に
  凱歌の道を
    いざや開けと

 苦難に耐え、前へ進み抜く青年の勇気が凛と光る。
 喜びも悲しみも分かち合い、共に乗り越えゆく励ましの絆が幾重にも広がる。
 そして試練の風雪にも、偉大なる信仰を貫き通す民衆の連帯が、未来を照らす希望の太陽と昇る──。
 これこそ、我らが誇りと仰ぐ“東北の凱歌の人びと”である。
 古代ローマの哲人セネカは不屈の人に感嘆した。
 「苛酷極まる不幸にも雄々しく立ち向かって、他の人ならば屈服されるような災いを打倒する人は、その苦難そのものを、あたかも名誉の記章のように身に帯びているのです」と。
 東北健児なればこそ、ここまで耐えられたのだ。
 東北家族なればこそ、ここまで復興できたのだ。
 真実の信心とは、何か。それは、難を越え、宿命を越え、さらに悠々と堂々と、広宣流布に前進しゆく負けじ魂のことである。
 その真髄を、東北の同志が示し切ってくれている。
 すべて御本仏・日蓮大聖人が、また三世十方の仏・菩薩が御照覧であることは絶対に間違いない。

希望の法理を証明
 厳寒の東北にも、まもなく春が来る。忍耐の冬を勝ち越え、満々たる「福光」の春が必ずやって来る。
 3月11日。東日本大震災から1年──。
 あの日、午後2時46分、マグニチュード9・0の大地震が起こり、大津波が続いた。東日本、特に東北の太平洋沿岸を中心に甚大な被害を受け、死者は1万5854人、行方不明者は3155人(10日現在)に上った。さらに深刻な原発事故を併発した。
 この震災で突然、愛する家族や友人を失った方々の苦衷はいかばかりか。生活基盤を奪われた方々、避難生活の方々、故郷を離れざるを得なかった方々の辛労はいかばかりか。筆舌に尽くすことはできない。
 だからこそ、私も妻も、被災者の皆様方のことを、いつも、心の一番真ん中に置き、どこまでも、共に共に生き抜く決心である。
 今、あらためて、亡くなられたすべての方々に哀悼の意を捧げるとともに、深く深く追善回向の題目を送らせていただきたい。
 そして、苦闘されている皆様の健康を案じない日はない。諸天よ諸仏よ、わが宝の友を守りに護れと、強盛に祈り抜いている。
 妙法の功徳は「生生《しょうじょう》に失《う》せじ世世《せぜ》にく(朽)ちざらむかし」(御書968ページ)と説かれる。
 「心の財」は不滅である。妙法流布に戦い抜いた歴史は、何があっても消えない。その福徳は一家眷属を包み、「冬は必ず春となる」との希望の法理が爛漫と証明されていくのだ。
 宮城県石巻市のある母は、最愛の娘さんを津波で亡くされた。遺品を整理するたび、あふれる涙を止めることができなかった。
 だが唱題を重ね、母は、やがてある結論に至った。
 ──自分は娘の「後継者」なのだ。人に勇気を贈れる明るい女性になりたいと語っていた娘の分まで、断じて生き抜くのだ、と。
 日蓮大聖人は、わが子を亡くした母に、「南無妙法蓮華経と申す女人の・をも(思)う子に・あわずという事はなし」(御書1576ページ)と約束してくださっている。

生死不二の旅路
 生命は永遠であり、生死は不二であるがゆえに、亡くなった家族は、わが胸に一体である。「後継者」として生きることは、亡き家族の志を、最も強く、最も尊き力に変えることである。そして広宣流布に邁進しゆく人の唱題こそが、故人への最大の追善回向となる。
 御書には「同じ妙法蓮華経の種を心に・はら(孕)ませ給いなば・同じ妙法蓮華経の国へ生れさせ給うべし」(1570ページ)とも仰せである。
 亡くなった我らの祖父母も父母も、我らの兄弟姉妹も、我らのいとし子も、そして大切な友人たちも、皆、生死を超えて、私たちと共に広宣流布の大陣列に連なっている。心と心で語り合いながら、常楽我浄の生命の旅を一緒に進めていけるのである。
        ◇
 福島出身の世界的な歴史学者・朝河貫一博士は、
 「われも世をてらす星とならむか」と詠じた。
 愛する東北の同志は、勇敢に深い苦悩の闇に飛び込みながら、友を照らす金星と光り、明星と輝いてきた。

総仕上げを頼む!
 すでに半世紀前、私は「広宣流布の総仕上げは東北健児の手で!」と呼びかけていた。誰よりも誠実な東北同志の底力に全幅の信頼を込めて、師弟のバトンを託していたのである。
 東北の皆様方は、あまりにも厳しき労苦の366日を、耐えて耐えて耐え抜いてこられた。誰もが、言い知れぬ艱難の昼と夜を一緒に歩んできた盟友であり、「負げでたまっか!」「頑張っぺ!」と励まし合ってきた仲間である。
 「東北人」──その名は“不屈の人びと”として、永遠に世界を鼓舞し続ける光源となるに違いない。
        ◇
 その厳たる事実として、「新時代の二月闘争」を勝ち飾る栄光の実証を、東北各県が打ち立ててくれた。
 なかでも、それは日本一の「聖教新聞」の拡大──勇気と希望の言論戦の広がりに顕著であった。
 先駆を切ってくれたのは、私と共に30年前に破邪顕正の勝利宣言を放った秋田の友である。
 さらに被災の激しかった宮城が、岩手が、福島が大躍進を遂げてくれた。広布の理想郷・山形も、人材の森・青森も、大勝利の勝鬨を轟かせてくれている。
 東北の友の尊き奮闘は、聖教紙上の連載「東北福光新聞」等の報道や同志の肉声を通し、多くの人びとに生き生きと伝わっている。
 その聖教を、自らも苦難に遭いながら、避難所へ、被災者のもとへと配達し続けてくださった多くの“無冠の友”がおられる。温かい励ましの声を、近隣・地域の方々に届けてきた“庶民の王者”がおられる。
 青年たちも立派に戦い、逞しく成長している。
 全国の友、全世界の地涌の同志たちが、各地の座談会や折伏の現場で、東北の友の大活躍を、わが誇りとして讃え、語っている。
 あれが本当の信心だ!
 あれが人間の強さだ!
 あれが師弟の戦いだ!
 苦悩に負けない被災地の皆様の日々の姿そのものが、信仰の偉大さを何より雄弁に実証する力なのだ。
 「一番つらいことを乗り越えた人こそが、皆を救っていけるのだ」との戸田城聖先生の言葉が蘇る。

 猛吹雪
  胸に耐えゆき
    御仏の
  使い尊き
    君に幸あれ

人間革命の連帯を
 日蓮大聖人は、「正嘉の大地震」を直接の契機に、「立正安国論」を著され、大難を覚悟の上で国主諫暁に打って出られた。大地震が起こった時、大聖人は御年36歳であられた。
 打ち続く災難に苦しみ悩む民衆を救うために、若き師子王として、国家の宿命転換を担い立たれたのだ。
 そして、この「立正安国」の大精神を現代に展開されたのが、我が恩師に他ならない。
 「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」
 私が綴る小説『人間革命』の主題は、師から魂に打ち込まれた大哲理である。
 世界が東西の冷戦に引き裂かれ、核戦争の危機さえ迫る中で、『人間革命』の執筆を開始した。とともに、戸田先生の不二の弟子として、民衆の幸福と人類の共生への誓願を込め、世界へ平和・文化・教育の連帯を広げていった。
 その行動を見つめてくださっていたのが、大歴史家トインビー博士である。
 博士は英語版『人間革命』に寄せて言われた。
 「宿業転換が可能であるとの信念は、不屈の精神的努力への励みとなり、社会的に重大な結果をもたらすのである」と。
 博士ご自身、戦争で多くの学友を失われている。最愛の子息にも先立たれた。
 その博士が、仏法の「宿命転換」の法理に強き賛同を寄せられ、文明史的・世界史的な観点から論じられた意義は、まことに深い。
 トインビー博士はかつて次のように示されていた。
 「社会はその生涯において、つぎつぎにいろいろの問題にぶつかる、そして各成員はそれぞれ最善の方法でそれらの問題を解決してゆかなければならない」
 東北の同志は一人ひとりが、いかなる難問にも屈しない、わが生命の智慧と力を発揮しながら、人間革命のスクラムを広げている。そして愛する郷土に襲いかかる「挑戦」に、真っ正面から「応戦」している。
 トインビー博士ならば、必ずや新たな文明の夜明けを、この東北の雄渾の魂に見出されるであろう。
 以前、東北青年部の有志たちが、トインビー博士の研究を重ね、素晴らしい展示を行ってくれたことも、感慨深く思い起こされる。

転換期を切り開け
 時代は大きな曲がり角にある。いな、現代の文明そのものの転換点に立っているといって過言ではない。
 何のための国家か。
 何のための政治か。
 何のための経済か。
 何のための科学か──。
 一切を根底から立て直すべき時が来ている。
 「人間の幸福」第一の励ましの社会へ!
 「民衆の安穏」第一の平和の世界へ!
 「生命の尊厳」第一の共生の世紀へ!
 そのために「立正安国」の不滅の大哲学を掲げて、東北の友と一緒に悩み、一緒に歩み、一緒に戦うのだ。

セネカの言葉は『セネカ 道徳論集(全)』茂手木元蔵訳(東海大学出版会)。朝河貫一は阿部善雄著『最期の「日本人」──朝河貫一の生涯──』(岩波書店)。トインビーの2つ目の言葉は『トインビー著作集1』所収「歴史の研究1」長谷川松治訳(社会思想社)。

「題目の光」は苦悩の闇を破る

不屈の青年と民衆こそ「希望」

「励ましの絆」を世界へ 未来へ!

 千仏が
  友を守らむ
    三世まで
  家族も護らむ
    幸福城へと

 この3月11日、東北6県の43会館での「福光勤行会」をはじめ、日本全国、全世界で、東日本大震災の全犠牲者の方々へ追善回向の祈りが捧げられた。
 「御義口伝」には明確に仰せになられている。
 「今日蓮等の類い聖霊《しょうりょう》を訪《とぶら》う時 法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光 無間《むけん》に至りて即身成仏せしむ」(御書712ページ)
 「題目の光」こそ、あらゆる人の生命を輝かせ、三世永遠に救いきっていく根源の「福光」である。
 私たちが真心込めて送る追善回向の題目は、いかなる悲嘆の闇も打ち破り、亡くなられた方々を、必ずや赫々たる光で黄金に照らしゆくに違いない。
 大聖人は、「悦ばしい哉一仏二仏に非ず百仏二百仏に非ず千仏まで来迎《らいごう》し手を取り給はん事・歓喜の感涙押え難し」(同1337ページ)ともお説きになっておられる。
 「千仏」に手を取られるとは、家族はもちろん、多くの同志の無数の題目に包まれ、守られる姿にも通じよう。

皆が勝利の大樹に
 戸田先生は言われた。
 ──我々が題目を唱える会座は、そのまま寂光土であり、亡き家族や同志の生命も、そこに厳然と連なっている。かりにも苦しみの業火を浴びていようと、必ず必ず成仏の仏果を得ることができるのだ──と。
 故人の成仏の証しは、目に見えて現れる。一つは、皆から惜しまれ偲ばれる。そして、もう一つは、後継の家族がますます明るく勝ち栄えていくことである。
 その意味において、「福光勤行会」の会場に満ちあふれた東北家族の新生の息吹を、私は何より有り難く、何より嬉しく伺った。
 復興の道のりは、まだまだ厳しい。今なお、避難者数は約34万人に上り、家族が離散して暮らす方々も数多くおられる。互いに支え合う人間の連帯が、今ほど求められる時はない。
 だからこそ、創価スクラムがいや増して光る。避難中の友とも心一つにつながり、励まし合う同志の絆は、何よりも強く温かい。
 大震災の翌日(12日)未明、震度6強の地震に襲われた長野県北部・栄村《さかえむら》の友も、粘り強く、復興へ戦い続けておられる。
 「負けじ魂」は、創価の全同志を結ぶ大精神だ。
 今回、東北の被災地域の会館に、“福光桜”などが植樹された。未来部から多宝会まで、皆が勝利の大樹を育てゆく決意を託して、順々に土をかけ、水を注ぐ麗しい光景も見られた。
 ご自身も津波で最愛の家族を亡くされながら、同志の激励に奔走し続けてこられた宮城県のある壮年リーダーは、当日の天気を祈ってくださった婦人部・女子部への感謝を込めて、こう報告してくれた。
 ──1年前のこの日は、寒く暗く、雪でした。
 しかし、本日、雪から曇りになり、勤行会の時には晴れ、さらに植樹の時には陽光に包まれたのです。まさに「冬は必ず春となる」(同1253ページ)の御金言を実感できる集いとなりました。必ず福光勝利して、お応えしてまいります──と。

 とにかくも
  共に唱題
   ひとすじに
  冬は必ず
    春の旅かな

 日蓮大聖人は、けなげな女性門下に仰せである。
 「百千万年くら(闇)き所にも燈《ともしび》を入れぬればあか(明)くなる」(御書1403ページ)
 ひとたび妙法を唱えれば、どんなに長く無明の闇に覆われてきた生命であっても、仏界という太陽が豁然と輝きわたる。
 仏法者の対話と行動は、この太陽の光と熱を惜しみなく、わが友、わが郷土、わが世界に、降り注いでいくことに他ならない。

地域の友のために
 福島県のある女子部の友は、原発事故で散り散りになったメンバーと一人ずつ連絡を取り、希望の励ましを送り続けている。
 宮城県の男子部の友は、自宅が流された敷地に、地域社会の皆に大いなる勇気を送る看板を打ち立てた。
 “復興のシンボル”ともなった、この大看板の前に、3月11日の朝、決意も新たに青年たちが集った。その雄姿の写真を拝見し、私は胸を熱くした。
 震災の日、岩手県の病院で、研修医としての最終日を迎えていた青年もいる。わが創価学園に学んだ彼は、幼き日に弟を亡くした経験から医師を目指した。被災地での医療活動に献身し、今、県内で小児科医として活躍している。
 英語教師として東北に赴任していた、アメリ創価大学(SUA)卒業の女性は、あえて被災地にとどまり、生徒を励ましながら、ボランティアとして尽力した。国際交流の仕事に携わる経験を生かし、通訳として在日外国人の支援に奔走した東北出身のSUAの同窓生もいる。
 震災直後、東北各地はもとより、信越や関西からも、さらに北海道、東京、関東などからも、真心の救援物資が届けられた。学会本部がその支援の中軸となり、会館を拠点として、多くの青年部の勇者たちが献身的に奮闘してくれた。
 かつて阪神・淡路大震災(1995年)や新潟県中越地震(2004年)、中越沖地震(2007年)を乗り越えてきたからこその、迅速な行動であった。
 さらに、全国、全世界の友から寄せられた、言葉に尽くせぬ励ましも、断じて忘れることはできない。
 わが息子、わが愛娘である青年部の皆さんの不撓不屈の勇舞を、私は感涙とともに、最大の誇りをもって胸奥に刻みつけている。
        ◇
 青春に
  つみし福運
   生涯に
  薫るは たしかと
   今日も指揮とれ

 自分も苦しい。悲しい。辛い。その涙も涸れるような悲嘆の中で、自分だけではない、自分は一人ではないと、周りに目を向ける。
 「同苦」──それは、人間の最も強い生命の絆に気づかせ、蘇らせてくれる。苦しみを共にする。そこから、共に立ち上がる力が生まれるのだ。
 今、被災地では、多くの青年部の友が、個人の悲哀を「人を支える力」「人を救う力」に変えて戦っている。幾重にも襲う生活の辛苦を、新たな社会を構築する力に変えゆこうと心を合わせている。
 現実に向き合い、渾身の勇気で踏み出したその一歩こそが、新しい未来の道を開いていく。
 アルゼンチンの人権の闘士であるエスキベル博士は厳然と語ってくださった。
 「私は、この未曽有の危機のなかにあっても、こう強く叫びたいのです。
 『希望』はある──と。それは、いったい何か。創価学会です。そして、師の薫陶を受けた青年たちです」
 私は訴えたい。大震災を乗り越えゆくなかで、幾多の同志が地域の方々と共に紡いできた軌跡を、人類史、なかんずく、広宣流布の不滅の歴史に、断じて刻印すべきである、と。そして、永遠に語り継いでいくべきである、と。
 東北の激闘を、青年の力闘を、創価の底力を、日本中、世界中の友の真心の支援を、尊極の宝として残していかねばならない。
 この凛々しき青年たちが希望なのだ。この不撓不屈の民衆こそが希望なのだ。
 
音楽・芸術の力で
 わが東北音楽隊は、大震災の翌月から、各地で演奏会を開き、避難所の方々に勇気と希望の曲で励ましを送ってくれた。あまりにも健気な、この若き楽雄たちの妙音の演奏の響きは、私の胸からも離れない。
 「言葉が表現する力のなくなったところ、そこから音楽がはじまる。いうにいわれぬもののために、音楽が作られる」
 本年、生誕150周年となるフランスの作曲家ドビュッシーの信念である。
 苦難を前に絶望を希望に変える音楽の力、芸術の力は、まさしく偉大である。
 結成50周年を迎えた芸術部の友たちも、その真髄の大力《だいりき》を遺憾なく発揮して、被災地の支援にも先頭に立ってくれている。
 民衆と苦楽を分かち合う、誠実一路の励ましの芸術家たちに、諸仏も諸天も、万雷の大喝采を送っているに違いない。

共々に無上の道を
 我ら創価の絆は、今世を超えて、三世をもつなぐ金剛不壊の絆である。わが胸中に湧きあがる仏の生命は、無限にして無窮の力を秘めている。
 「負げでたまっか!」と不撓不屈の不死鳥の魂を持ちたる東北の友よ!
 愛する皆様方の勝利が、「妙とは蘇生の義」(同947ページ)の永遠に輝く証明であり、人類の希望の夜明けである。
 さあ、今日も、明日も、私と共に進もう!
 新生・東北の「福光」の春へ! 仲良く、共々に、勇み舞いゆくのだ!
 久遠の師弟の誉れを胸に、世界が仰ぎ見る人材爛漫たる民衆勝利の大城を築きゆこうではないか!
 これこそが、誰にもまして信頼する東北健児に、私が託した「広宣流布の総仕上げ」であるからだ。

 三世まで
  共に共にと
   この世をば
  常楽我浄の
   無上の道ゆけ

 ドビュッシーの言葉は平島正郎著『ドビュッシー 大音楽家/人と作品12』(音楽之友社)。