後継の希望・未来部

勇躍前進! 夢も勝利も前にある
創価家族で宝の人材に励ましを!
熱意と誠意の触発が若き生命を開く

 一年の
  成長の節
    葉月かな

 「先を目指す人間には新しい地平線がある」
 イギリスの作家スティーブンソンは語った。
 人間の目は前を向いている。後ろ向きではない。
 希望も前にある。
 夢も前にある。
 勝利も前にある。
 たとえ、困難が待ち受けていようとも、顔を上げ、
前へ前へ、まっしぐらに進み続ける人には、必ず新しい地平が開ける。
 学会は今、創立100周年の峰へ、勇躍前進している。
 どんな社会も、団体も、その将来は人材で決まる。
 未来部育成こそ、学会の命運を決する最重要事だ。いな、ここにこそ、広宣流布の未来もあり、人類の悲願である「平和の世紀」への希望もあるのだ。
 頼もしいことに、この夏も、創価家族の祈りと期待に応えて、わが未来部の友たちは弾ける生命で、成長し、向上してくれている。
        ◇
 スティーブンソンといえば、心躍る冒険物語『宝島』が有名である。
 この名作は当初、息子を喜ばせるために書き始めたといわれている。
 一日一章といったペースで書き進め、書き上げたその物語を、毎日、ジェスチヤーを交えて語り聞かせていったそうである。
 子どもこそ、かけがえのない宝──。その慈父の心で描いた作品だからこそ、世界中の子どもたちに愛されてきたのであろう。
 「どうしたら、子どもたちは、話を聞くようになるのでしょうか」
 一人の教育者から質問を受けた際、私は答えた。
 「子どもたちのことが好きで、好きで、たまらないという心が大切ではないでしょうか。
 自分のことを本当に思ってくれている人の言うことは、子どもは素直に耳を傾けるからです」
 生命は感応である。響き合う。いわんや、子どもの生命は鋭敏である。
 まずは、子どもたちを好きになる。そして、子どもだちと一緒に笑い、一緒に学び、一緒に心の宝を見つけていくような交流でありたい。

 学びゆけ
  君よ 世界の
      指導者に

 後継の友を励ます「創価ファミリー月間」にあって、少年少女部は「きぼう作文コンクール」や「少年少女希望絵画展」、また中等部・高等部は「読書感想文コンクール」「英語スピーチコンテスト」などを通し、知性と感性を磨いている。
 尊き努力の姿が、私には眩しく生き生きと輝いて見える。こうした地道な挑戦のなかから、20年、30年先には、大文豪も、大芸術家も、世界の大リーダーも、必ずや育っていくに違いない。
 その陰には、王子・王女たちの成長を支え、一人ひとりに丁寧にアドバイスを送り、若き創造の芽を伸ばそうと奮闘される未来部担当者の真心が光っている。誠に感謝に堪えない。

澄んだ瞳を見つめ
 私も、未来部担当者の一員との決意で、新機関紙に「希望の大空へ」や「未来対話」を、毎月、寄稿させていただいている。
 その思いは、若き日に恩師・戸田先生のもとで、少年雑誌を編集していた頃の真情と些かも変わらない。
 「未来に伸びゆく少年。春の如く快活な動作。秋空の如く、澄んだ瞳。礦野の如く限りない希望。純情な少年は尊い。未来の、次代の、社会の建設者なれば、日本の宝と思わねばならぬ」──当時の日記に綴った一文である。
 わが未来部は、まさに「世界の宝」であり「人類の宝」である。

師弟の縁深き信越
 学会の創立100周年となる2030年を見つめつつ、第1回の未来部総会を行ったのは、昭和の最後の夏となった1988年の8月である。会場は長野研修道場であった。
 師・戸田先生がこよなく愛され、師弟の深き歴史が留まる、この信濃の天地で、私も若き人材の薫陶を重ねてきた。
 未来部総会も第2回(1989年)、第4回(1991年)、第6回(1993年)、さらに未来部メンバーが大勢参加した第1回の信越青年部総会(1995年)も、ここ長野を舞台に行った。
 ある時は固い握手を交わし、ある時は一緒にラジオ体操をした。ある時はそっと通信簿を見せてもらい、ある時は本に励ましの言葉を記して贈り、思い出を作りながら、ずっと祈り、見守り続けてきた。
 この夏、私も、長野研修道場での伝統光る30回目の研修に出席した。
 運営の役員として颯爽と尽力してくれた信越の男子部、女子部、学生部のリーダーたちも皆、一人ひとり、未来部の時から、私が手作りで育ててきたメンバーである。
 信越は人材輩出の偉大な地涌の天地だ。広布開拓の青年たちの成長と活躍が、何よりも嬉しい。
 この8月24日は誇り高き「信越青年部の日」と決定され、私は祝福の和歌を贈った。

 偉大なる
  歴史を綴りし
   君なれば
  心の財《たから》は
    三世に薫らむ

人生変える出会い
 『宝島』の作家スティーブンソンは29歳の時、日本の幕末の大教育者・吉田松陰の伝記「ヨシダ・トラジロウ」(吉田寅次郎=松陰の名)を書いた。
 1880年、イギリスで発表されたこの伝記は、日本人の手によるものに先駆け、世界最初の松陰伝と言われている。
 スティーブンソン自身、こう評していたという。
 「生きる力を与えてくれる日本の英雄の話」──。
 この伝記が生まれる機縁は、1878年の夏ごろ、若きスティーブンソンが、英国留学中の松陰門下の一人と出会い、この弟子が語る師の生涯に感動したことにあった。伝記には、次のような言葉が見える。
 「他人なら落胆したようなことでも、そのためにかえって、吉田は仕事に対し情熱をかきたてた」
 「彼を支えたのは、彼自身の若さと勇気だけでなく、絶えず新しい門弟がたくさんいたからである」
 誠に生き生きとした松陰の姿が伝わってくる。
 松陰のことをスティーブンソンに語ったのは、正木退蔵という門下であった。長州(今の山口県)の萩の松下村塾に入門した時は13歳で、在籍した期間もわずか数カ月にすぎなかったようだ。その後、松陰は牢獄に囚われて江戸に護送され、志半ばに刑死する。
 しかし、清らかな、若き生命に焼き付けた師の姿は、約20年の時を経ても色褪せることはなかった。異郷にあって、敬愛する師の雄姿を、烈々と語ってやまない一人の弟子の言葉が、国も歳月も超え、作家の心を動かしたのだ。
 たった一度の出会いでも、短い時間の語らいでも、直接、会えなくとも、人生を変える励ましがある。後継の友に、かけがえのない触発となる。若き生命の無限の可能性を開くのは、まさしく関わる側の熱意であり、誠意であろう。

東北に勇気の声!
 福島県の相馬では毎年、未来部による「体験主張大会」を開催している。
 未来部員が自らの体験を語り、同じ悩みを抱える友に、勇気を送ろうと10年前から始まったものだ。
 先輩の励ましを胸に成長した友が、今は担当者として、会合の運営等を担ってくれている。ありがたく、また、頼もしい限りだ。
 昨年3月、あの東日本大震災が起こった。
 誰もが、この年、「10回目」となる節目の開催は難しいと考えた。だが、担当者の熱き思いは、未曽有の災害にも屈しなかった。
 「多くの人が不安と絶望に沈む今だからこそ、未来ヘー歩を踏み出したメンバーの『希望の声』が必要なのだ」──その思いが結集し、年末に10回目の開催を勝ち飾ることができた。
 試練に負けず、復興に貢献する人材に成長しゆくことを誓う、若き友の凛々しき主張に感動が広がった。
 福島といえば、ある年の冬、会津若松の小学生から頂いた便りも忘れられない。図書委員の仲良し3人組からの手紙であった。
 「図書館まつり」を開催するに当たって、作家の手紙コーナーに展示するための手紙を書いてほしいという依頼である。同じ学校の少女部員が持参した、私の創作童話を読んだことが、きっかけとなったようだ。
 “未来からの使者”のためならばと筆を執った。
 「雪国の心清らかな王女の皆さまからの、美しい心のお手紙、本当にありがとうございます」
 「今の、皆さんにとって、読書は『心の、すばらしき旅』です」
 私は、こう記したあと、読んだ一冊、また一冊が、若き皆さんの「限りなく、美しき世界」となり、そして自らを「限りなく、豊かに広がっていく人間」へと創り上げる力になることを語りかけていった。
 縁した一人ひとりの鳳雛が立派に巣立ち、幸福の人生を歩みゆくことが、私の最大の喜びである。
 当時、私の童話を友人に紹介した少女部員は後に、教師として未来を創る聖業に尽くされ、今はヤング・ミセスの一員として福島で活躍されていると伺った。
 いかなる苦難をも毅然と耐え抜き、乗り越えゆく、福島そして東北の天地から、未来に希望と勇気を送る若人の声が限りなく響き渡っていくことを、私は確信してやまない。

 ひたすらに
  祈り励まし
   人材を
  いやまし育てむ
   この世の使命と

 冒頭のスティーブンソンの言葉は『若い人々のために』岩田良吉訳(岩波書店)=現代表記に改めた。スティーブンソンによる松陰伝「ヨシダ・トラジロウ」誕生の経緯と「生きる力……」の言葉は、よしだみどり著『知られざる「吉田松陰伝」』(祥伝社)を参照・引用。松陰伝の本文の引用は『吉田松陰全集 別巻』(大和書房)所収の町田晃訳「吉田寅次郎」によった。

若き友の胸に「無上宝珠」を信じて
朗らかに! 命と命は必ず通じる
正義の人材を育む 真心と尽力に感謝

 偉大なる
  父母《ちちはは》 見つめむ
    後継の
  君の成長
   来る日も来る日も

 我らの目指す「人間革命」──それは将来にわたって「子どもたちの幸福」を開くための革命といっても過言ではない。
 「どのような大義も、いかなる戦争も、子どもたちから幸福に暮らす当然の権利を奪うに価するものではありません」
 これは、ナチスに屈せず、子どもたちを守り、庇《かば》いながら、強制収容所で亡くなった、ポーランド出身の小児科医コルチャック先生の叫びである。
 ほぼ同時代、日本では、創価教育の父である牧口常三郎先生が、子どもたちの生命こそ「無上宝珠」と叫び、軍国主義と対決して獄死された。
 「子どもの幸福こそ第一」「子どもの生命こそ尊極」──この信念と哲学を受け継ぐ、わが教育本部の友は、社会に、勇気凛々と希望の光を広げておられる。
 教育本部の方々は、各地で、未来部の育成にも心を砕いてくださっており、感謝に堪えない。

育成は真剣勝負!
 牧口先生は、人間教育に臨む心構えを語られた。 「自身が尊敬の的たる王座を降《くだ》って、王座に向かうものを指導する公僕となり、手本を示す主人ではなくて手本に導く伴侶となる」
 大切なことは、若き生命を“一個の人格”として最大に尊重していくことである。
 人づくりは真剣勝負だ。子どもの胸中には、立派な“大人”がいる。その“大人”に向かって語りかけていくことであろう。
 「こんなことはわからないだろう」「これくらいでいいだろう」という見下した対応は、決してあってはなるまい。
 デンマークの大教育者グルントヴィは、「お互いに語り合うことが私たち全員にとって、いっそうの楽しみになり、いっそう教育的なものになることでしょう」と強調していた。
 ともあれ、子どもたちの偉大な可能性を信じ、自他共に生命の大地を開拓していくことだ。自分の心を大きく広げた分、相手を育むことができる。ゆえに育成には、自分の成長が不可欠となる。
 この夏も、全国各地で未来部育成の多彩な取り組みがなされてきた。
 神奈川県のある地域では、世界広布の人材を育もうと、英語での会合開催に挑戦しているという。
 語学が少々、苦手な青年部の担当者も、未来部と共に世界市民の錬磨の汗を流してきた。
 御書には「花は根にかへり真味《しんみ》は土にとどまる」(329ページ)と仰せである。
 広布の王子・王女たちのために尽くした労苦は、そのまま担当者と、その一家眷属の大福運となって還ってくることは、絶対に間違いない。

 親も子も
  共に栄えむ
     創価かな

 今年は、グリム兄弟の不朽の名作『グリム童話』の記念すべき第1巻が出版されてから200周年である。
 そのタイトルは『子どもと家庭のメルヒェン集』。
 弟のヴィルヘルム・グリムは語っている。
 「微笑みの中で子供の人生は始まり、喜びの中でそれは存続する」
 明るい朗らかな家庭こそ、子どもを育む根本の揺藍《ゆりかご》であろう。

成長の庭はここに
 戸田先生は「子どもは、学会の庭で育てていきなさい」と何度も指導された。
 我ら創価家族には、「平和の文化」の太陽があり、社会貢献の人材が成長しゆく大地がある。
 地域の同志の温もりや、他者の幸福を願う慈愛に触れるうちに、未来部の心にも、自然と「平和の芽」「希望の芽」「正義の芽」が育まれていくものだ。
 ここに、「創価ファミリー大会」や「座談会」など、壮年部も婦人部も青年部も一体となって、未来部に光を当てていく重要な意義がある。
 今月の座談会には、夏休みの間に見違えるほど成長した子どもたちも、元気いっぱいに集ってくる。皆で共に喜び、讃え合い、一緒になって、心新たに出発していきたいものだ。
        ◇
 私の妻も、息子たちを連れて学会活動に出かけた。会合に行く際には、御本尊の前で「今日は大事な会合です」と、真剣に語って聞かせた。
 それを見た人から、「そんな小さな子どもに話してわかりますか」と聞かれたこともある。しかし、妻は「命と命ですから、必ずわかります」と答えていた。
 人のため、社会のために生き生きと走る姿は、若き生命に焼き付けられる。
 今はわからないように見えても、大きくなれば、必ずわかる時がくる。
 子育てに奮闘されている婦人部の皆様も、思うようにいかない場合もあろう。
 しかし焦らず、大らかに包み込んでいただきたい。しっかりと目を見て、「見守っているよ」「信じているよ」との思いを、未来からの使者たちに伝えて差し上げてほしい。
 どこまでも信じ抜く。何があっても絶対に信頼する。それが子どもにとって、どれだけの励みとなり力となるか計り知れない。

懸命な母の祈り
 福岡県のある支部には、未来部育成の輝く伝統が脈打っている。その陰には、一人の母による懸命な祈りと奮闘があった。
 2人の子どもを抱える彼女は、若くして、がんとの闘病生活を強いられた。医師からは、非情な余命の宣告を受けた。しかし、決して下を向かなかった。
 むしろ、未来を見つめ、今まで以上に信心の炎を燃え上がらせて、「わが地域から後継の人材を」と、限りある命を未来部のために注いでくださった。
 毎月の少年少女部員会の前には、手作りのチラシを携え、宝の人材たちのもとへ足を運んだ。どんな些細な悩みにも耳を傾け、若き生命に希望の火を灯していった。
 抗がん剤の副作用の、悶えるような苦しみにも負けなかった。抜けた毛髪の代わりに、素敵な帽子や鬘をつけ、優しい笑顔で未来の宝を包んでいった。
 彼女は、毅然と語った。
 「この信心と、この信心を教えてくださる師弟の道を、未来の宝の子どもたちに、そして私の大事な友人に語り伝えていくことをわが使命として、生きて生きて生き抜いてまいります」
 この誓いのままに、彼女は最後の最後まで、わが使命を果たし抜き、霊山へと旅立たれた。
 何と偉大な母であろうか。何と気高き信心の英雄であろうか。彼女の信念と真心に触れ、どれほど多くの人が立ち上がっていったことか。
 この一人の母から始まった人材育成のうねりは、堂々たる「人材の大河」となっている。
 まさに、日蓮大聖人が「一は万が母」(御書498ページ)と言われている通りの姿であった。

心の絆は切れない
 母を失い、涙に暮れていた小学生の息子さんも、地域の同志の励ましで気丈に立ち上がった。母亡き翌年に挑戦した作文コンクールで力強く綴っていた。
 「母は人をはげます名人だったと思う。これから、ぼくも、いろいろな人と出会うだろう。その一人一人を大切にして、人のためにつくす生き方をしていきたい」
 母の祈りは必ず通じる。広布に生き抜く母の祈りは、絶対に通じる。息子さんの中に、母は今でも生きている。
 わが学会には、このような尊き父母がいる。兄弟、姉妹が、あの地この地にいる。日本中、世界中にいてくれる。
 これほど温かな人間の絆の安全地帯が、どこにあるだろうか。この創価家族こそ、我らが断固として守り、広げていくべき励ましの世界なのだ。

青は藍よりも青し
 昭和45年(1970年)の8月、学会への悪口罵詈が渦巻くなか、私は高等部の代表に語った。
 「幾多の試練を受けようとも、私は令法久住の人材であり学会の後継者である諸君がいれば、最高に誇り高い人生であるし、幸福者であると思っています」
 そして、御聖訓を一緒に拝した。
 「いよいよ強盛の御志あるべし、冰は水より出でたれども水よりもすさ(凄冷)まじ、青き事は藍より出でたれども・かさ(重)ぬれば藍よりも色まさる」(御書1221ページ)
 私は、若き「従藍而青」の弟子たちに申し上げた。
 「この御文の原理の通り、君たちは、学会の後継者として、立派に私どもを乗り越え、大成長していっていただきたい。そして、不幸な人びとの最大の味方である創価学会の正法正義を広く世界に実証していってほしい」
 私が手塩にかけて育てた「鳳雛会」「鳳雛グループ」「五年会」「二〇〇〇年会」「未来会」そして「新世紀会」「鳳雛池田会」などをはじめ、縁《えにし》深き高等部、中等部、少年少女部の友たちも、立派な大鳳となった。
 さらに、心から愛する東西の創価学園卒業生らも、今では各界のリーダーとして、たくましく、わが使命を全うしてくれている。
 これほどの喜びはない。

夢の2030年へ
 イギリスの作家スティーブンソンは問いかけた。
 「人生の劇場」において「最も賢い、最も立派な、最も感謝に値する役割」は、誰によって演じられるか。答えは「無報酬の俳優」によって演じられる、と。
 わが学会の尊貴な「名俳優」「名女優」こそ、日頃から未来部に励ましを送ってくださる男女青年部の21世紀使命会、学生部の進学推進部長、壮年部・婦人部の未来部育成部長、また地域で未来部育成を支えてくださる全ての皆様である。あらためて最敬礼して御礼を申し上げたい。
 現在の未来部員が学会の中核となる2030年頃には、世界全体が少子化へ進むと言われている。
 まさに今、地域をあげて尽力してくださっている一騎当千の人材の育成こそ、世界にとっても、盤石な未来を開く力となる。
 私が海外を訪れた時も、寸暇を惜しんで、未来部の友に会い、激励してきた。その中から、多くの青年リーダーも誕生している。
 地球を舞台に、伸び伸びと成長し、躍動する未来部員の様子を聞くことが、私の最高の楽しみである。
 今の未来部員が──
 創価の魂を受け継ぎ、平和のために乱舞する英姿!
 庶民の思いをわが思いとし、人のために励ましを送り、尽くし抜く雄姿!
 2030年に夢を馳せると、私の心は高鳴る。
 その輝く未来を目指し、私は、これからも励まし続けていく。祈り続けていく。わが心を心として、宝の人材を育ててくれる、真実の創価の同志たちと共に!

 正義なる
  人材育む
   今 君は
  元初の誓いに
    諸天も守らむ

 コルチャックの言葉はコルチャック著、ジョウゼフ編著『コルチャック先生のいのちの言葉』津崎哲雄訳(明石書店)。グルントヴィは『生の啓蒙』小池直人訳(風媒社)。グリム弟の言葉は『グリム兄弟 メルヘン論集』高木昌史・高木万里子編訳(法政大学出版局)。スティーブンソンは『若い人々のために』岩田良吉訳(岩波書店)。