314 偉大なれ 福島の人材城


さあ 前進! 栄光のその日まで
 「信仰より強い力はない」(原久一郎訳)と、十九世紀ロシアの大文豪ゴー
ゴリは言った。
 私が青春時代、戸田先生のもとで読んだ傑作『隊長ブーリバ』の一節である。
 この作品は、ウクライナの大地を駆ける勇壮無比なコサック騎兵を主人公に、
激しい人間絵巻が描かれている。
 ウクライナといえば、コステンコ大使とお会いした時、「将来、わが国の若
者がコサック騎兵の姿をして、『相馬野馬追』に参加する計画もあるのです」
と嬉しそうに語られていたことが、思い起こされる。
 「相馬野馬追」は、千年余の歴史をもつといわれる福島県の伝統行事である。
大使は昨年夏、浜通り地方を訪れ、数百騎の騎馬武者によるこの威武堂々のぺ
ージェントを見られたそうだ。
 福島の浜通りは、私にとっても、若き日から訪問を念じてきた憧れの天地で
ある。
 以前、ウクライナの国立民族舞踊団の民音公演が、いわき市郡山市で行わ
れたこともあり、大使は今後の交流を楽しみにしておられた。
 福島とウクライナには、相通ずる「勇気」の魂が脈打っているように思えて
ならない。
 私は、大使に、ウクライナの勇気の気風は、いかにして鍛えられたのか伺っ
た。
 すると大使は、『隊長ブーリバ』に登場する若者を例にあげて、「勇気は"自
分の生き方は正しい"という信念から生まれるのではないか」と語り、こう強
調された。
 「私は思います。"愛する民衆を幸せにしたい。人びとを抑圧から自由にし
たい"――そうした願いこそ『正義』です。そして、勇気とは、その正義への
確信から、湧いてくるのだと」

 真の勇気は、慈愛や正義感と一体である。
 戸田先生も、「仏法の真髄である慈悲は、現実には勇気となって現れる。ゆ
えに、勇気が大事だ」と、よく言われていた。
 我らの広宣流布の人生は、人類の悲願というべき、民衆の幸福と平和を実現
するためにある。ゆえに最高の勇気の行動なのだ。
 当然、そこには、御聖訓の通りに、無理解の批判や迫害も押し寄せる。
 ――私が福島を初訪問した五十年前のことである。
 当時、日蓮仏法の正義を掲げた同志の奮闘は、澎湃として広宣流布の波を広
げ始めた。その一波は福島の会津地方に及び、金上村(後に合併して会津坂下
町)の正宗寺院を覚醒させ、寺にあった謗法を除こうとした。
 だが、この小さな宗教改革の動きにも、旧態依然たる檀徒が猛反発し、妨害
したり乱暴を働くなど、深刻な軋轢が生じていた。
 社会的にも関心を集め、その寺院は学会に援助を仰いできたのである。
 昭和二十八年、戸田先生の会長就任二周年の五月三日を飾った直後、私は、
二度にわたり、数人の青年部幹部とともに、この事件の決着のために現地に飛
んだ。
 先生は、「福島は東北の玄関口だ。大事だぞ」と、私に言われた。それだけ
に、深く心に期していた。
 "これは、福島広布の重要な初陣となる。ここで絶対に勝つのだ! 断じて、
正義の旗を高く掲げてみせる!"
 私たちは、県下の新聞社など要所要所を回り、青年らしく、誠実に真剣に、
事件の真相を訴えていった。
 さらに私は一人、厳然と地元記者たちにも会見した。学会のことも仏法のこ
とも知らぬ、偏見や悪意に満ちた質問が飛んだが、丁々発止と、明快に答えて
いった。いな、誤りを破折していった。一瞬一瞬が、真剣勝負であった。
 ともあれ、真実ほど強いものはない。真実以上の雄弁もない。
 無理解を理解に変え、誤解を正しながら、堂々と語って語って語り抜いてい
くことだ。それが広宣流布である。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「師子王は前三後一と申して・あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)
きものを取らんとする時も・いきを(勢)ひを出す事は・ただをな(同)じき
事なり」(御書一一二四ページ)
 一見、些細な局面と思えたとしても、今、自分がなさんとする「一回の対話」
「一人の励まし」は皆、広宣流布の決戦場である。
 ゆえに、一つ一つ、誠意を尽くすことだ。全力で勝ち取ることだ。そこに栄
光の自分自身の建設がある。
 ――あの事件から半世紀。今、福島には、後継の正義の青年が陸続と立ち上
がってくれている。特に、若い世代の活躍が目覚ましい。私は本当に嬉しい。

 磐梯山のふもと、猪苗代湖に臨む福島研修道場の近くには、世界的な医学者・
野口英世博士の生家がある。来年発行の新千円札の肖像にも選ばれた。「天才
とは勉強なり」と言われた奮闘努力の生涯は、今なお青少年に希望を与えてや
まない。
 次から次に難病の病原体の発見に取り組み、寝食を忘れて研究に打ち込んだ。
 その疲れを知らぬ精励ぶりは「ヒューマン・ダイナモ(人間発電機)」と呼
ばれたという。
 しかも、それは、単にがむしゃらな猪突猛進とは、まったく違うものであっ
た。
 友人の一人は、野口博士が常に「此の方法によれば必ず斯(かく)の如きも
のが見付からねばならぬと云ふ確固たる信念を以て研究に着手」したと回想し
ている。〈真鍋嘉一郎東京帝大教授=『野口英世第4巻回想』丹実編所収〉
 さらに、「見付かるか見付からぬか判らぬが、まあー 兎(と)に角(かく)
やって見ようなぞと云ふ不安定な考察では決して手を下さなかった」そうだ。
 できなくても仕方ないなどという、中途半端な気持ちは微塵もなかった。「必
ずやり遂げる」という執念と、「必ずできる」という確信が一体だったといえ
ようか。
 自らの仕事を果たすことにかけて、言い訳はしない、弱音もない。結果を出
すまで、努力、努力、また努力!
 この執念にしか、真の勝利の力はない。

 ある日、野口博士は友人と動物園に足を運んだ。
 博士がライオンの檻の前から離れないので、友人が早く先に行こうと促すと、
こう答えたそうだ。
 「君も獅子の活動をよく見て置け、人間も此通りである、羊の様になって人
に喰はれるな」〈宮原立太郎医学博士の回想=前掲書〉
 人生、弱いことは不幸だ。強くなければならない。
 郡山、二本松を訪問された牧口先生の口癖も、「羊千匹より獅子一匹」であ
った。
 そして広宣流布とは、鉄のごとき、師子と師子の団結によって遂行されるの
だ。
 あの歴戦の勇士ブーリバは烈々と叫ぶ。
 「ただ血縁によってではなく魂によって、固くひとつに結びつくことのでき
るのは、諸君、人間だけじゃ!」(原久一郎訳)
 我らもまた、崇高な師弟の「魂」によって固く結ばれた団結がある限り、敗
北の二字は絶対にない。
 日本第三の面積を誇る福島県は大きい。
 だからこそ、我らも心豊かに、大きく動こう。その分、功徳も福徳も大きい。
 わが福島の中央総県、会津総県、常磐総県――この満々たる力を合わせて創
ろうではないか! 誰もが憧れる正義と希望の楽土を!
 福島は美しい。信夫山(しのぶやま)を眺めて流れる阿武隈川も、磐梯山
映す猪苗代湖も、神秘の彩りの五色沼も、また鶴ケ城も、わが心に輝き光る。
 我らは、この"幸福の国"福島に妙法の花咲く、民衆の平和郷を築くのだ!
 八年前、福島研修道場に植えた歴代会長の桜は、毎年、美事な花の盛りに五
月三日を迎えると伺った。
 さあ、前進だ!
 偉大なる人材城・福島の同志よ!
 勝利の花が絢欄と咲き薫るあの栄光燦たる「5・3」へ向かって!

2003年4月3日(木)SP掲載