創価教育協議会

創価教育の『第二章』が始まった!!

苦しんでいる民衆が待っている
語学 人格 哲学を深めよ!
世界平和を築く指導者を
 一、真のエリートとはだれか。教育を受けた人間とは、どういう人か。大学
を出たといっても、人のことなど考えない、冷たい無慈悲な人間は、真のエリ
ートではない。いくら頭がよくても、人間として一番大事なことがわかってい
ないからだ。世界では、多くの人々が苦しみの叫びをあげている。先進国にも、
途上国にもいる。満足な教育を受けられない民衆が、悪人に欺かれ、蔑まれ、
踏みつけにされている。そういう、学校に行けなかった人々のために、人間の
中に分け入って、ともに同苦し、幸福へ平和へと立ち上がっていく――それが
本当の教育を受けた人ではないだろうか。
 一、「世界を救おうと思うなら、強烈な人格をもった教育者が必要だ」(雑賀
紀彦訳)これは、偉大な人間教育者であったアインシュタイン博士の有名な言葉
である。時代は、ますます、「人格光る教育者」を必要としている。その意味
で、創価教育の模範となるべき先生方との語らいを、私は何より大切にしたい。
 一、創価大学の講堂には、ロシアの大文豪トルストイの像が、堂々と、そび
え立つ。そのトルストイ箴言に、「教養の高い人間とは――人生における自
分の使命を心得ている人である」(小沼文彦訳)とある。わが創価教育は、崇高
な人生の使命を果たしゆく「真の教養人」を育んできた。うれしいことに、新
設の「環境共生工学科」の栄えある1期生をはじめ、今年の新入生も大変に優
秀で、積極的な意欲にみなぎっているとうかがった。創立50周年へ向かって、
いよいよ人材が出揃ってきた感を覚える。喜びにたえない。昨日(2日)も、日本
を代表する企業のトップが「環境共生工学科の開設は、時代の先端を行く取り
組みであり、感銘します」との声を寄せてくださった。知性の殿堂・本部棟と
双璧となる「新総合教育棟」の建設準備も着々と進んでいる。いよいよ、創価
教育の「第二章」の前進が始まった。「教育の世紀」である。「教育の競争」
の時代である。社会は、学歴主義から実力主義へと大きく動いている。とくに
「語学」と「読書」に力を入れながら、人格と知性光る、世界をリードする平
和の指導者を陸続と送り出してまいりたい。

万人に開かれた教育
世界的人物も通信教育が力に!

◆生涯教育の模範 創大通信教育部
 一、創大の通信教育部も、生涯教育の模範として、目覚ましく前進している。
これまで会見した世界の指導者のなかにも、通信教育で学んだ方がおられた。
南アフリカのムベキ大統領は、アフリカ学生連合の書記として活躍する一方、
ロンドン大学の通信教育で経済学を学んだ。南アのマンデラ前大統領は、獄中
で通信教育を受けた。ゴルバチョフソ連大統領は、モスクワ大学を卒業後、
故郷に戻って地域に貢献するかたわら、スターブロポリ農業大学経済学部の通
信教育で、農業経済学の学位を取得している。イギリスのメージャー前首相も、
通信教育で学んでいる。また、ゴルバチョフ氏の故ライサ夫人は、教員時代、
一人の通信教育の学生を懸命に応援し、支えた。さまざまな状況で、大学に行
きたくても行けなかった人は少なくない。しかし、通信教育ならば、それぞれ
の都合に合わせて学んでいける。激しき変化の社会を、生き抜き、勝ち抜いて
いく英知を身につけられる。働きながら学ぶ。苦労しながら、学問に挑戦する
――その人は、人間として強くなる。頭脳も心も鍛えられる。光る人生、勝利
の人生を歩んでいけるのである。
 一、トルストイは語った。「真の幸福は一挙にしてえられるものではなく、
絶え間のない努力によってえられるものなのだ」(同)これが道理である。青春
も人生も、山あり谷ありだ。だからこそ、絶え間のない真心からの励ましが大
事である。また、みずみずしい、よき刺激が大切なのである。さらにトルスト
イは、こう言っている。「よいことをすることができるのなら、いますぐそれ
をしなければならないことを思い出すがよい。なぜならば、機会は過ぎ去り二
度ともどってこないものだからである」(同)

永遠に「創立の精神」を忘れるな

◆誇り高き歴史
 一、今回、創価大学の入学式には、アメリカ・チャップマン大学のシャバー
ニ副学長も出席してくださった。副学長は、142年の伝統を誇る同大学のさらな
る発展へ、目覚ましい改革の成果をあげてこられた。改革を始めるにあたって、
副学長が取り組んだことは何だったか。その一つは、大学が大事にしてきた精
神的価値を確認し、原点から出発することであった。副学長は、学生や教職員、
理事など多くの人々とともに、大学の歴史を振り返ったという。そして「なぜ、
あなたは、他の大学ではなく、この大学に来たのか?」――こう、問いかけな
がら、我らが母校には、いかに優れた伝統があり、誇り高き歴史があるかを語
り合っていった。たとえば、チャップマン大学には、創立以来、人種や性別を
問わず、すべての人に開かれた大学という気風がある。そこに魅力を感じて、
入学してきた学生たちも多い。そこで、あらためて、「多様性」を重んじる大
学としてのビジョンを明確に掲げたのである。先日、副学長は、こう語ってお
られたそうだ。「何事も変化を求めるときは、これまでの歴史をしっかり、見
つめることが大事です。池田会長が入学式のスピーチで、『土台を築け!』と
訴えられたように、どのようなものもルーツ(根っこ)が大事なのです」私のこ
とはともかく、「創立の精神」という原点への真剣なる求心力の結集は、核融
合のごとく、巨大な変革へのエネルギーを生み出していくものだ。これは、万
般に通ずるルネサンスの方程式であろう。今、教育の改革が急務である。創価
大学も、「創立の精神」を高らかに掲げながら、はつらつと「創大ルネサンス
の時を迎えた。

◆一人立て!
 一、では、改革の成否を決定づけていく急所は、いったい、何か? その根
本は、リーダーの責任感ではないだろうか。だれかを頼るのでなく、断じて「一
人立つ」ことである。自分が先頭に立つ。自分が模範を示す。その「必死の一
人」が、勇気の波を起こす。歴史を開いていく。私は青春時代から、ドイツの
大詩人シラーの言葉が好きであった。それは、「自分の執る職分を完全に尽く
す人間は、尊敬すべきものだ。その活動範囲は、いくら小さくとも、その人は
その人なりに大きいのだ。すべてこうした観点に立てば、いかに大いなる善が
行われ、いかに人間は幸福になるだろう」(橋本忠夫訳、現代表記に改めた)
私は、全国各地で、大いなる責任を担い立って懸命に祈り、指揮を執っておら
れる同志の奮闘を心から讃えたい。
 一、有名な『ドン・キホーテ』で、作者セルバンテスは、その鋭い人間観察
の上から、「重要な地位というものが、その責務をになう人間の分別を鈍麻さ
せることもあれば、鋭敏にすることもある」(牛島信明訳)と洞察していた。上
に立つ指導者が、無責任であれば、一切が崩れてしまう。これは、戸田先生の
指導者論の要諦であった。「仲間を裏切り、多くの責務を放棄する人間が正義
を行うことがありうるだろうか」(木村健治・岩谷智訳)。これは、古代ローマ
の哲学者キケロの叫びである。これまでの卑劣な退転者・反逆者に共通するの
も、人間としての責任の放棄であったといってよい。これから、重大な使命を
担いゆく若きリーダーたちに、私は、スペインの哲学者オルテガの言葉を贈り
たい。「勇気のある人間は、つねに何かのために命をなげうつ覚悟ができてい
るものである」(鼓直訳)

◆心の錬磨を
 一、シャバーニ副学長も、決然たる責任感に立って、大学改革を推進してこ
られた。副学長は、とくに、大学が2年間の教養教育を通して、責任を持って
学生に基礎固めをさせていくことが重要だと訴えておられた。とともに、「世
の移り変わりに朽ちない教育的、文化的な価値観を教える一般教養の教育には、
人格と知性の開発が、同時に行われなければならない」と力説されていた。全
く同感である。この点、大教育者のペスタロッチは主張していた。「心の錬磨
に基礎をおかない限り、知性の開拓が人間を尊貴にすることはできない」――
と。教育の根底には、深き精神性がなければならない。民衆への熱き慈愛が脈
打っていなければいけない。それが欠けた教育は不完全である。「鋭き知性」
は「温かな心」があってこそ生かされる。どこまでいっても人間性が根本であ
る。

◆人間味あるアインシュタイン
 一、「教育改革」の鍵を握るのは、「教員革命」である。ドイツの社会学
ジンメルは、こう論じている。「教師は生徒の中にある知的、道徳的、文化的
諸領域のすべての可能性を、陶冶のために用いることの出来るあらゆる方法を
使駆して、最大限にまで発展せしめ、最も価値多き軌道へと導くべきものであ
る」(伊勢田耀子訳)確かにその通りであろう。世界的名門、モスクワ大学のサ
ドーヴニチィ総長は、私との対談で、本当によい人材の出る学校とは「『建物』
としての学校ではなく、『教える人の人格』の周りにできる学校なのです」と
述懐されていた。ここに、人間大学の実像がある。あのアインシュタイン博士
も、だれよりも話しやすい教授であり、「理解の深い、人間味にあふれた友好
的な大変特別な微笑み」を浮かべていたと言われる。博士は、「わからないこ
とがあればいつでも講義をさえぎってかまわない」と言った。学生に気軽に声
をかけた。「授業とは、そこで提供されるものが、つらい義務ではなく、貴重
な贈り物として受けとめられるようなものであるべきだ」「教育のもっとも重
要な方法は、いつの場合にも、生徒に実際にやってみよう、という気持を起こ
させる方法」――これが、博士の教育哲学であった。牧口先生も言われた通り、
教育は技術である。芸術である。「学生のもつ可能性を最大限に引き出す」芸
術である。学生の心をつかみ、意欲を引き出す名講義をお願いしたい。
 一、こうしたアインシュタイン博士の分け隔てのない振る舞いは、一部の権
威的な教員たちからは非難された。"教授としての特権的な地位を脅かすもの
だ"というのである。しかし博士は、そうした雑音など超越しておられた。学
生時代、博士のもとで学び、のちにノーベル賞をとった物理学者は、感謝を込
めて回想している。――アインシュタイン博士の考え方は「人間の知能はかぎ
られている。誰だって一人では何も発見できない。全員で貢献しよう」という
ものだった。そして「彼(アインシュタイン)のおかげで、私はおそらく研究会
で一度も不安にならずにすんだのだろう。アインシュタインのおかげで、自分
も必要なのだと感じることができた」と。こうした人間としての大きさは、ア
インシュタイン博士の友人で、私が交友を結んだ、ライナス・ポーリング博士
も同じであった。
◆近所から変えよ 毎日行動せよ
 一、人類の破滅を防ぎ、平和を実現していくためには、何が大事か。アイン
シュタイン博士は、まず我々自身の心を変えて、勇気をもって語り、人の心を
変えていくことだと提唱された。では、それを、どこから始めるか。「家庭や
近所から始める」――ここに博士の着眼点があった。しかもその行動は、「日
曜だけじゃなくて毎日」すべきだと博士は言うのである。そして、人の心を変
えるという希望を、断じてあきらめなかった。青年と連帯せよと訴えた。まさ
に、われわれ創価の民衆運動が、毎日毎日、たゆみなく展開していることであ
る。とくに今、わが同志が自発的に一段と力強く平和を祈り、真剣な対話を繰
り広げている様子が、日本全国、そして世界の各地から伝わってくる。これほ
尊い実践はない。声は力である。声は希望である。正義を、真実を、人間主
義の信念を、語って語って語り抜く。ここに歴史を動かす勝利の劇が生まれる。
 一、人間革命――それが平和への直道である。大聖哲は叫んだ。「大悪は大
善の来るべき瑞相なり、一閻浮提うちみだすならば閻浮提内広令流布はよも疑
い候はじ」(御書1467ページ)世が乱れ、人々が苦しんでいる。社会を幸福の方
向へと導きゆく広宣流布の時である。人間革命の哲学が光り輝く時である。断
じて平和を!――これが、人間主義の烈々たる宣言であった。戦争であれ、疫
病であれ、飢えであれ、あらゆる不幸の根底には、人間の生命の無明がある。
ゆえに、いかなる動乱にも微動だにせず、生命の根源から希望の光明を輝かせ
ゆく「非暴力の言論闘争」を貫いていく以外にない。日蓮大聖人は、荒れ狂う
乱世のなかで、「一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦」(同587ページ)と
断言された。ここに仏法者の祈りがあり、誓願があり、大確信がある。創価
我らは、人類の揺るぎなき「恒久平和への柱」として、「世界市民教育の眼目」
として、そして「平和の文化の大船」として、断固として貢献していく。フラ
ンスの歴史家ミシュレは語った。「革命は外的な表面上のものであってはなり
ません」「心の革命、道徳的かつ宗教的な変革とならねばならないのです」(大
野一道訳)その最も本源的な革命に挑んでいるのが、私たちである。

◆民衆の連帯を
 一、南米アルゼンチンの大芸術家であり、「人権の闘士」としてノーベル平
和賞を受賞されたエスキベル博士と私は、現在、対談集の準備を進めている。
50年先、100年先のために、私は世界の知性との対話をさらに続けていく決心
である。博士は言われた。「SGIの皆さんは、異質のなかに互いの『価値』を見
いだし、人類共存の『希望の光』を世界各地で輝かせている。崩れざる平和の
礎となるのは、こうした相互理解のなかではぐくまれる民衆間の広範な『連帯』
ではないだろうか」博士は、昨年の私のモスクワ大学「名誉教授」称号の受章
にも温かな祝福の声を寄せてくださった。〈その際、博士は次のように述べて
いる。「(池田)博士は、あらゆる民族と連帯しながら、教育のため、人々の意
識を目覚めさせるために、命を捧げておられる。ここに、"すべての人にとっ
て、より公正で、より人間的な世界"を築きゆく根本の道があるのです」「世
界中の悲劇的な状況を変えるのは、不可能なように見える。しかし池田博士は、
自らの振る舞いを通し、これまでの人生の足跡を通して、こう教えてくれまし
た。一人ひとりが他者と力を合わせ、人々の間に、諸民族の間に、友情と理解
の絆を築き上げるなら『人類が求めてやまない変化をもたらすことができる』
ということを。その模範を示してくださったのです」〉
 一、創価の前進は、あまりにも時代の先端を行っている。ゆえに、反動の勢
力からは、嫉妬され、虚偽の悪口を浴びせられるのだ。私が対談した、南米・
チリの民主化の英雄エイルウィン前大統領は言われた。「虚偽は暴力に至る控
室であり、平和とは相容れない」「いかなる共生においても、真実の尊重が基
本であります」真実が勝利する、平和と共生の民主社会を築き上げるための私
たちの戦いである。フランスの思想家ルソーは言った。「私は自分の宗教につ
いて公然と語りましょう。私はそれを語る勇気をもっており、またそれが人類
の宗教であることは人々の幸福にとって望ましいことであるだろうから」(西川
長夫訳)我らも、我らの信念を、胸を張って、恐れなく、堂々と語り抜いてまい
りたい。

中国の傘歪鏡萓・
私たちの戦いは後に続く 何千何万の姉妹のため!

◆酸萓犬硫源佞・愎誉乎詫・悄戮・
 一、きょうは、創大・女子短大を厳然と守ってくださっている女性の教員・
職員の代表も出席してくださっている。明年、生誕100周年を迎える中国人民
の母・傘歪鏡萓・ぢ周恩来総理夫人)も、若き日、小学校で教鞭を執られた教育
者であった。常々「私が再び職業を選ぶとしたら、教師を選ぶでしょう」と語
っておられた。「私たちは、今、自分のために戦っているのではない。後に続
く何千何万の姉妹たちが平等の権利を勝ち取っていくために戦っているので
す」――これが、酸萓犬寮験兇魎咾・・阿任△辰拭A和隋γ斬腓領錣靴?佶・
もまた、「創価女性の世紀」の模範と仰がれ、輝きゆくにちがいない。
 一、今回、創大の高橋強教授が、日中を結ぶ歴史の縁について、新たに報告
してくださった。傘歪鏡萓犬・慶鼎猟称貘莪貊・匯嬌呂乏悗个譴浸・硫源佞・
白眉初先生。この方は、中国を代表する地理学者であった。じつは、この白先
生の研究書では、牧口先生の『人生地理学』(中国語版)が種々、引用されてい
た。牧口先生が『人生地理学』で示された世界市民の精神を、白先生も深く呼
吸されていたのである。また、このほど、中国の名門・深せん大学の蔡徳麟前
学長が執筆された『東方の智慧の光――池田大作研究論集』が上梓された。光
栄にも、私の思想と行動について光を当てていただいた研究書である。多くの
識者の方々からも、さっそく、反響が寄せられている。伝統を誇る安徽大学の
哲学部にも、このほど、学部長を中心に「池田大作研究会」が結成されたとい
う、ご連絡もいただいた。今後、この安徽大学でも、私の人間主義の思想や理
念、歴史観などの研究を進められ、出版される予定という。大中国の良識の先
生方が、どれほど深く、創価智慧に理解を寄せてくださっているか。謹んで
ご報告させていただいた。

◆「青年桜を伐ってはいけない」
 一、今、東京の桜(ソメイヨシノ)は満開となり(1日、気象庁発表)、学会本部
もまた、周辺の約170本の桜に色鮮やかに包まれている。特に、接遇センター
前の「青年桜」は、訪れる全国、全世界の同志を見守りながら、本年もまた見
事に咲き薫っている。この桜は樹齢80年とも、100年とも言われており、50年
前(1953年11月)に戸田先生のもと、学会本部が信濃町に移転した時には、すで
にこの地に植わっていた。かつて、この桜の傍らにあった旧第一青年会館を改
築する時、この桜を伐採する話が出た(青年会館の新装開館は69年8月)。会議
では、伐採の方向で決定しようとしていた。しかし、私は一人、反対した。「自
然を大事にしていきたい。あとになって、必ず"残してよかった"と思う時が
来る」と。最終的にこの桜を残す形で、青年会館は新装され、その後(72年)、
私はこの桜に「青年桜」と命名したのである。今、広宣流布に躍動しゆく青年
部のシンボルとして、爛漫と、そして堂々と、威容を誇っているのである。何
事においても、全体の意向を尊重していくことは当然であろう。その上で、先
を見通した一人の主張が大事である場合がある。指導者は、全体の合意と少数
の主張、その両者を的確に考慮しながら、指揮をとっていくことが望まれる。
ともあれ、一番、大事なのは、人間である。生命である。皆が、希望と歓喜
燃えて前進していくことだ。その一点に立って祈り抜き、祈りきっていくなら
ば、智慧は必ずわいてくる。
 一、政治の分野にも、大いに貢献したゲーテは、新しい社会の建設のために、
人材を渇望する真情を吐露して、こう語った。「若い人を私は欲しい。――し
かしそうはいっても、明晰で、精力的で、同時に、最善の意志とこの上なく高
貴な性格をそなえた逸材でなければならないよ。そうなれば、政治を行い、国
民を進歩させるのがたのしみなことだろう?」(山下肇訳)人類の進歩――その
理想の実現のために、私たちは挑戦を続けている。着々と新しい逸材を育て、
世界のために送り出してまいりたい。

◆執念ある人が最後に勝つ!
 一、かつて創価大学を訪問し、サッカー部を激励してくださったイタリアの
ロベルト・バッジョ選手の自伝が、各国で大変好評であると聞いた。私も、友
人として序文を寄せている。〈日本語版は潮出版社刊『天の扉』〉このバッジ
ョ選手も、かつて、「常勝カンサイ(関西)」の友との交流を通して、勝利への
自信を深めることができたと感謝している。バッジョ選手は、「絶対に勝って
みせる」という一念が勝利をもたらす原動力であると語る。「あるレベルまで
いくと、技術的な差はない。どれだけ集中できるか、自分の力を最後まで出し
きる気迫があるかという精神面での差が、非常に大きく出る。『勝利』への執
念の強い者が競り合いに勝つ」これが、サッカーの帝王の勝負哲学であった。
社会も勝負、人生も勝負、一切は勝負である。勝利への執念を燃え上がらせて、
栄光大勝の5月3日を晴れやかに飾りゆくことを約し合って、私のスピーチと
したい。どうか、お体を大切に! (大拍手)
(2003・4・3)