316 栄冠輝け 使命の同志 下
富士の山 共に仰ぎて 勝利かな
嵐よ越えよ! 青年の魂に恐れなし
富士の山
共に仰ぎて
勝利かな
永遠の勝利の道を確実に築きゆく、その最大の力は青年である。
これが、わが師・戸田先生の結論であられた。
これからの広宣流布への闘争には、嵐の吹き荒れる幾多の山脈を越えていか
ねばならない。そのための先生の叱咤と訓練は猛烈であられた。耐えられずに
去っていった青年も何人もいた。
その本格的な訓練の一つとして行われたのが、広布の自覚に立ちゆく男女青
年部の精鋭五千名の総本山への結集であった。
――今となっては、宗門は、常に総本山を大事にして戦ってきた我らを裏切
った。根本が狂ってしまったことは、なんと哀れなことか。
◇
風雪を
笑い飛ばさむ
富士の山
その日は、昭和二十九年の五月九日であった。晴れ晴れとして、晴天の総本
山と思つていたが、豪雨に打たれ、皆がビショビショになってしまった。しか
し、五千の若獅子は、不動の富士の如くに、誓いのままに、富士のふもとに集
合した。今は日本一の、華麗な、あの音楽隊の初出場もこの時である。
若き獅子は走り叫び、師の号令に呼応しながら活動を開始した。観念の遊戯
など微塵も許されなかった。形式的な行動など、また、ごまかしなど一切でき
なかった。
真実の訓練であった。
真実の教育であった。
◇
無事に、盛大なる儀式は終わった。日蓮仏法始まって以来の、若き広布の戦
士の集まりである。私は、宿舎の理境坊の二階で横になっておられた先生のも
とに、様々な報告のために伺った。先生は、皆が風邪をひかぬよう細心の注意
を払ってくださった。
「新聞紙をあらゆるところから集めろ」
皆に肌着と重ねて入れさせ、風邪を防ぐためであった。
指導者は、第一にも、第二にも、皆の体を大切にすること、無事故であるこ
とを願うべきであるとの根本を示してくださったのである。
「青年たち皆からの意見もどんどん聞きたまえ」
交通費の件、宿坊の件、健康状態、家庭状態を聞いてあげること、励まして
あげること……これを忘れた幹部は、本当の指導者ではない。
「今からすぐに、『雨の中、ご苦労さま』と言いながら見送ってあげなさい」
ともおっしゃった。
それ以後、私たちは、一人ひとりの家庭状況、職場の状態、個人の願望等々、
細かい点で話し合いの指導を心がけるようになった。一つ一つのギアが、がっ
ちりはめ込まれていかなければ、完全なる大動力にはならない。
私は先生に、心から「ありがとうございます。指導者の要諦を教えていただ
きました」と申し上げた。
私は、ギリシャの詩人エウリピデスの「真実を率直に、心おきなく語れるこ
とは、すばらしいことだ」(根本英世訳)との言葉を思い出す。この理想の姿
を、戸田先生は示してくださった。同志はこうあるべきだ。師弟もこうあるべ
きだということを。
それとともに、またもう一つ、善き同志のつながり、善友の交わりほど幸福
なものはない。人生は一人では生きられない。善き友がいるかいないかで、善
き人生が送れるかどうかが決まる。
また、エウリピデスは、「つまらぬ人間はよろこんでつまらぬ人間と一緒に
なる。同類ということが人間を左右するものなのだ」(安村典子訳)とも言っ
ている。
◇
戸田先生と私の話は続いた。いな、先生は、私を離そうとしなかった。
ご自身も何かを語り、教えたいのであろう。また、弟子である私から様々な
ことを聞かれたかったようだ。師弟は、厳粛に向き合っていた。厳粛のうちに、
言葉が話された。
目標を持たぬ人間は、そしてまた、目標を持たぬ団体は、最後は敗れる。
目標があること自体が発展の道であり、勝利への道につながるからである。
先生は、私の心をご存じかのように口火を切られた。
「大作、次は一万人の青年の結集をしよう!」
即座に私は、「わかりました」と答えた。
先生は、重ねて「今年の秋を目標に、もう一度、青年の結集をして、偉大な
創価学会の底力を天下に示すのだ」と言われた。青年は必ず青年を呼ぶ。青年
の結集は素晴らしきことだと、世間は驚くであろう。多くの青年が信仰してい
るその実像は、揺るぎない広宣流布の土台となるからだ。
私は再び即座に答えた。
「はい。わかりました。すべてわかりました。必ずやります」
先生は嬉しそうであられた。弟子である私を、どこまでも信頼しきってくだ
さる、そのお心が嬉しかった。
私は後になって、大教育者ペスタロッチの言葉が、戸田先生と二重写しにな
ることがあった。
「成長する樹木の根っこにあたるもの、それは人間にとって信仰と慈愛とい
う"心の力"である。すなわち人間とは、訓練され、教育されなければならな
い、神聖にして不滅の存在なのである」
決してお世辞を使わぬ先生、決して褒めることをしない先生であられた。し
かし、深い慈愛の先生であられた。
◇
この師弟不二の決意の日から半年足らずの、十月三十一日に、晴天の秋空の
もと、あの不動にして勝利の富士の姿を仰ぎながら、一万人の大結集を成し遂
げた。
"試練は私たちの生命を拡大する"とは、かのヘレン・ケラーの言葉である。
広宣流布とは、仏意仏勅の使命であり、人類史のロマンである。ゆえに、自
ら新たな波を起こし、より高き山をめざして進むのだ。
この偉大なる歴史の舞台となったのも、静岡であった。創価の青年たちの鍛
錬と育成の舞台は、静岡の天地を離れて語ることはできなかったのである。
◇
君よ立て
君よ勝てよと
富士の山
ともあれ、我らの学会は、永遠に「若き学会」「青年の学会」の決意を魂と
することを忘れては絶対にならない。
これが不老不死の妙法を抱いている証拠なのだ。若きがゆえに、前途に恐れ
るものはない。若きがゆえに、いかなる障害も突き破る闘魂がある。
青年でなければ、人類史に残る大偉業は遂行できない。これは古今東西の歴
史が明確に証明している通りだ。
現在の学会も、この方程式通りに、青年の勇気と活力が原動力となり、エン
ジンとなり、スクリューとなり、波濤を乗り越えながら、一年ごとに大発展を
している。
我ら青年の魂には停滞がない。そして逡巡もない。恐れなく、「前進」とい
う二字があるだけだ。怒濤の如く勝利のための攻撃があるのみだ。
この広布の青年たちが中核となって、今日の栄光の創価の世紀は始まったの
だ。
思えば十二年前、浜松を中心会場として、青年を先頭に全県で、学会の正義
を声も限りに歌った合唱友好祭も、美事であった。幾千、幾万の男女の天使と
健児の歌声は、おとぎの国まで響き渡った。
また昨年の夏も静岡の若き友は、四千三百人の闘士が集まり、天にも轟く力
強き静岡青年部の総会を開催した。
その心意気は「勝利は我らの手で!」。我らは勝ちて、富士の如く堂々と――
まさしく新世代の登場を告げゆく、嬉しき壮挙であった。
◇
ただ一人
何も恐れず
富士の山
本年の七月六日、牧口初代会長が、国家権力の弾圧で伊豆・下田で逮捕され
た法難から六十周年を迎える。
その死身弘法の大偉業を後世に留める下田牧口記念会館も、来春のオープン
をめざし、建設が始まった。
大聖人は、駿河国の門下に送られたお手紙で、常に変わらぬ献身の姿を讃え
て、こう仰せである。
「雨ふり・かぜ(風)ふき・人のせい(制)するにこそ心ざしはあらわれ候
へ」(御書一五四八ページ)
雨が降ろうが、風が吹こうが、誰かに悪口されようが、断固と進もう、戦お
う!
戦う皆様を、あの威風堂々の富士が見守っている!
いな、大静岡の勇者である皆様の胸には、そして、全国のわが同志の胸には、
師子王の不滅の生命が、富士の如くそびえ立っているのだ!
嵐にも
断固と勝利の
君と富士
2003年4月11日(金)掲載