317 誇り高き群馬の前進
勇気と執念で開け! 民衆の新時代
広宣流布の人生こそ最高の幸福
中国の周恩来総理は、青年たちに叫び語った。
「青年諸君、未来は君たちのものである。努力して前進しよう」(森下修一
訳)
アメリカの人権運動家キング博士も烈々と訴えた。
「私は闘い続け、その闘いを通してわれわれは暗黒の昨日を輝かしい明日に
変えることができることを、希望していくだろう」(梶原寿訳)
勝利するか、敗北するか。これが人生だ。
勝利には、勇気と執念が必要である。不満と臆病は敗北に決まっている。
とともに、今や、一部の権力者の時代は終わった。民衆の新時代が到来した
のだ。
この「民衆中心」の信念に、我らの思想があり、実践がある。ゆえに我らの
戦いは正義であり、必ずや勝利すべき戦いなのである。
◇
高崎藩士の家に生まれた、思想家の内村鑑三は、「余の好む人物」として、
次のような人間像をあげている。
第一に「常識の人」、第二に「快活の人」、第三に「公平の人」、第四に「ノ
ーブル(高気・高潔)なる人」、第五に「独立の人」、第六に「労働の人」で
あると。
ことに「高気の人」とは、偉大なる目的のために一心不乱になれる人、「時
には猛進(ダッシュ)する人」だとも言っている。
こうした人びとは、いずこにいるか。内村は断言する。
「余は余の好む人を最も多く平人の中に発見する」
要するに、普通の庶民こそ、民衆こそ、最も偉大にして最も人間らしい魂の
宝をもっているというのだ。
ゆえに民衆が尊いのだ。
民衆が絶対の力を持っているのだ。民衆の力が国の将来を決定するのだ。
民衆が国家の宝だ。
それを知らぬ権力者は愚昧の輩だ。
自らも一国の宰相を務めた文豪ゲーテも言った。
「国家の最も尊い成員は誰か? 実直な市民だ。どんな形ででも、市民こそ
はつねに最も高貴な材だ」(関泰祐訳)
すべての為政者が心すべき箴言であろう。
◇
昨年六月、私は、名門モスクワ大学から、かのゲーテも受章した「名誉教授」
の称号をいただいた。
同大学からは二十八年前の「名誉博士」に続く、二つ目の知性の宝冠となっ
た。
創価大学記念講堂で行われたその授章式には、はるばる群馬からも千五百人
もの同志の方々が集われ、学生たちと共に祝福してくださった。
日々、自他の幸福と平和のために奮闘しゆく、偉大なる市民の皆様である。
式典の謝辞のなかで私は、モスクワ大学でも学んだ大詩人レールモントフの
「誇りたかい魂は、疲れもしない」(村井隆之訳)等の言葉を紹介した。
広宣流布という大理想に生き抜き、人生の勝鬨をあげるその日まで、戦って
戦って、戦い抜いて、なお疲れを知らぬ高貴な魂の英雄こそは、わが嬉しき創
価の同志たちのみである。
◇
戦後まもなく、戸田先生は第一回の地方指導で、栃木に続いて、群馬の桐生
市を訪問され、民衆の大地に妙法の種を深く植えられた。
同じころ、桐生市にほど近い笠懸村(当時)で、日本の考古学界の通説を覆
す大発見がなされようとしていた。
有名な「岩宿遺跡」の発見である。
それまでの定説では、日本最古の人類の痕跡は五、六千年前の縄文文化とさ
れ、一万年以上前の旧石器時代の遺跡はないと考えられてきた。
しかし、岩宿遺跡の発見によって、一気に旧石器時代という未知の歴史世界
が開かれたのだ。
その端緒を開いたのは、学者でも、教員でもなく、行商をしていた、貧しき
一青年の相沢忠洋氏であった。〈以下、相沢忠洋著『「岩宿」の発見』等を参
照〉
赤城山を仰ぎながら発掘・研究に没頭するなかで、彼は一つの疑問にぶつか
った。それは、ふだん歩いている切り通しの赤土の崖から見つけた、小さな「石
片」のことであった。
この赤土の層が「関東ローム層」で、数万年前から一万年前までに火山灰が
堆積してできたとされる。つまり縄文時代以前の地層であり、専門家たちの発
掘でも、赤土にぶつかると、「地盤が出た」と言って、それ以上掘ることをや
めていたという。
だが、相沢氏は、そこからもう一歩踏み込んだ。何も出るはずがない地層か
ら、人工物と思しき石片が出てきた。しかも、いつもなら一緒に出るはずの土
器(縄文土器)が出てこない。"なぜなのか……"彼は、来る日も来る日も、
その疑問に挑み、赤土の観察調査に通い続けた。
そして、昭和二十四年、ついに槍先形をした、間違いなき"旧石器"を発掘
したのである。
誰もが「ない」と決めつけていた場所に、歴史を変える宝は眠っていた! 駄
目だとあきらめて、掘り起こそうとしなかっただけなのだ!
人生の戦いも、また同じである。
不可能の壁は、どこにあるのでもない。「自分は、もうこれ以上できない」
というあきらめ、「これは駄目だ」という固定観念が、自分自身の前進を止め
てしまう。壁を打ち破り、新しい突破口を開く秘訣は何か。
それは「夢を求める執念」と「あくなき追究」であると相沢氏は結論してい
る。
足下を掘れ! 勇気をもって、最後まで掘り抜け!
御聖訓には仰せである。
「法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やす(休)みぬれば火をえず」
(御書一一一七ページ)と。
◇
相沢氏の大発見までの道程には、幾多の苦難があり、敵があった。
彼の情熱の結晶である研究成果を横取りし、自らの名声に利用しようとする
卑劣な連中もいた。
「行商人のやっていることなど学間ではない」と、邪魔をする輩もいた。
彼らは、"学歴もない素人が何を言うか"と傲慢に見下し、さげすんでいた。
だが、専門家ぶった嫉妬と傲慢の連中がなんだ!
歴史の審判は、周囲の雑音など歯牙にもかけず、真摯に学び続け、努力を続
けた相沢氏に軍配をあげた。
わが創価学会も、「病人と貧乏人の団体」と侮蔑され、御書の通り、経文の
通りに、迫害され、非難され、中傷されてきた。
しかし、「民衆を侮蔑する浅薄な輩」と、「民衆の幸福のために献身する勇
者」と、どちらが人間として正しいか。正義は明らかだ。
ゆえに我らは、何ものをも恐れなかった。怒濤の嵐を突き抜け、決然として
戦い、断固として勝った!
この民衆の勝利の歴史は、永遠に不滅である。
◇
本年六月は、私と群馬の皆様との忘れ得ぬ佳節である。
私たちが、美しき伊香保の高原で、共に汗を流し、共に写真に納まった、記
念の出会いから三十周年だ。
また昭和六十一年、国連の「国際平和年」を記念して、前橋の市民体育館で
行われた青年平和文化祭は、今も私の胸に鮮やかである。群馬といえば、雷、
空っ風、生糸、コンニャク……。ローマ字で書くと、頭文字が"K"になるも
のが数多い。
あの日の文化祭でも、"群馬のK"という演目で、郷土の誇りを謳い上げて
くれたことが懐かしい。
では、今、わが群馬の同志が誇りとする"K"は何か。
それは――
「確信(かくしん)ある祈り」だ!
「歓喜(かんき)の前進」だ!
「敢然(かんぜん)たる行動」だ!
そして、「広宣流布(こうせんるふ)の雄々しき大闘争」だ!
ロシアの文豪ドストエフスキーの作中人物は言う。
「新しい世界へ、新しい場所へ、あともふりかえらずに入って行こう!」(原
卓也訳)
さらに、インドの初代首相ネルーは決然と叫んだ。
「今、われわれを招くものは未来なのだ。その未来は、安楽や休息の未来で
はなく、間断のない努力の未来なのだ」(黒田和雄訳)
我らは断固、戦う! 人びとのため、社会のために。そこにこそ、人生の無
上の幸福と歓びがあるからだ!
2003年4月14日(月)掲載