324 「大学新聞」の使命
学び抜け 叫び抜け 若き言論王よ
民衆の世紀へ 魂の炎の表現を
この三月、私は創価大学で、創立者として、初めて「文化講座」の教壇に立
った。
第一回の講座のテーマは、私が青春時代より愛読し、恩師・戸田先生とも幾
度となく語り合った、ドイツの大文豪ゲーテであった。
卒業式を間近に控え、受講者には、学生時代の"最後の授業"となったメン
バーも多かった。皆、喜んでくれたようで安心した。
「有能な人は、常に学ぶ人である」
「文化講座」の終わりに、私は、このゲーテの言葉を学生たちに贈った。
学ぶ人は偉大である。
学ばない人は卑しい。
そして、学ぶ人は"表現する人"でもある。充電と放電の関係といってもよ
い。貪欲に学ぶからこそ、沸騰するがごとく表現を欲する。
ともあれ、何かを叫びたくて表現したくて仕方がないというぐらい、胸に滾
り立つマグマを抱えているのが、青春の特権かもしれない。
正義と真実を求める情熱。
邪悪と不正への激怒。
高き理想に燃え立つ魂。
そうした胸中のマグマは、やがて、やむにやまれぬ叫びとなって、轟音とと
もに炎を噴き上げる。
だからこそ、ゲーテは「ほんとうに肺腑から出たものでなければ、けっして
心から心へはつたわらぬ」と厳しく叫んだ。
その生命からほとばしる特権の魂の炎こそが、人の心を揺さぶり、敵をも粉
砕しゆく力となるのだ。
◇
先日、創価大学の学生自治会の友が、紙面刷新された真新しい「創大学生新
聞」を届けてくれた。
入学式の直前に発行された最新号では、私の「文化講座」の模様が特集され
ていたが、平和とは、人生とは、学間とは――と真剣に考え、行動する学生た
ちの熱気が紙面から伝わってきた。
言論戦のなかで、知識を磨き、知恵を磨き、実力をつけて、あらゆる正義の
信念の筆の力を高め、強めることは、非常に重要なことだ。いな、絶対に必要
なことだ。
創大には、このほか新聞会刊行の「創価大学新聞」、学
生平和推進委員会の会報をはじめ、数多くの新聞が刊行されていると伺った。
たとえ粗削りであっても、理想に燃える学生の正々堂々たる言論は、若き
読者の心を揺さぶり、キャンパスを活性化する。ひいては時代や社会を動かす
力ともなろう。
私自身、少年時代に、将来なりたいと思った職業は新聞記者であった。それ
だけに、若き正義の論陣を張る、銃弾ともいうべき紙面をもった今の英才の諸
君は頼もしい。
歴史的には、最初期の大学新聞は、アメリカ東部の大学で誕生したとされる。
ダートマス大学の「ザ・ダートマス」は、一七九九年の創刊。また、十九世
紀後半に生まれた工ール大学の「エール・デイリー・ニューズ」、コロンビア
大学の「コロンビア・スペクテーター」等も有名である。
以来、俊英の"学生記者"や"学生論説委員"たちが、正義のペンを思う存
分、振るって戦っていった歴史はまことに尊い。
◇
米国の人権運動家・キング博士も、母校モアハウス大学の学生の時、大学新
聞「マルーン・タイガー」に「教育の目的」と題する論文を発表している。
そこで博士は、多くの学生が教育の目的を思い違いし、「大衆を永久に踏み
つけることができるような」搾取の手段を提供するものと考えていると、鋭く
理路整然と批判した。
むしろ教育は、手段よりも「崇高な目標」を与えるべきであり、徹して考え
抜くことを教えるものだ。「知性プラス品性――これこそ、真の教育のゴール
である」と。
まったく、その通りだ。
高等教育によって得た知識や力を何のために用いるのか――そうした根本の
品性を養わなければ、私利私欲にまみれた、浅はかな「才能ある畜生」に落ち
てしまうことを、私たちは憂える。
指導者やエリートが民衆を侮蔑し足蹴にする、そういう"裏切り"は、もう
たくさんであるからだ。一部のエリートにいばらせる時代は終わった。いな、
断じて終わらせなければならぬ。
そして、善良な人びとが幸福と平和のために勝利する時代を開く、新鮮なる
紙面を、必ず我らが創り出しゆくことだ!
「英知を磨くは何のため」――それは、人類の平和である。人類の幸福であ
る。
創価大学は、その理想の達成のための学びの城である。その新しき、夢に見
た世紀を担いゆく若人のために創立した大学である。
ゆえに、傲慢なる指導者になるのではなく、無名の庶民たちを守りゆく、知
性と信念の正義感のみなぎる人間主義のキャンパスであるのだ。
◇
中国の周恩来総理が、若き日、まず学生新聞の編集長として革命運動を推進
していったことは有名である。
一九一九年の五月、北京で始まった抗日の「五・四運動」は、急速に全国へ
波及していった。日本留学から帰国し、直ちに運動に身を投じていた
周青年は、六月下旬、学生の新聞「天津学生連合会報」の発刊を任された。
"周編集長"は七月十二日に「会報」発刊の趣旨を発表し、二十一日には早く
も創刊号を世に送り出した。
社会の"革新"を実現するには、まず学生自身の"革心(心の変革)"から
始めよとの、自ら書いた社説も大反響を呼び起こした。
学生新聞とはいえ、論調は既に第一級であった。学生はもちろん、資本家や
労働者、主婦も相争って読んだ。友人の一人は、これは何千人もの前で演説す
るよりも効果があると絶賛したのである。
"周編集長"は言った。
「我々はみんな国家の間題に関心を持たなければならない。なぜなら(祖国
を救う責任は我々の世代が担っているのだから」ゆえに、祖国を蹂躙せんとす
る卑劣な勢力が、民衆を弾圧すると、電光石火、痛烈に反撃した。この"暗黒
勢力"を倒せ! 国民よ目覚めよ! 今がその時だ、と。
まさに、力ある言論とは、邪悪を撃つ、正義の弾丸であった。策謀の闇を破
る、真実の太陽の剣であった。民衆の勇気と誇りを奮い起こす進軍ラッパであ
った。
周青年は、皆が叫びたかったことを表現した。民衆の声なき声が、そのペン
先から、獅子吼の炎となってほとばしっていったのだ。
わが「創大学生新聞」なども、そうあってもらいたい。そうでなければ、発
刊の意義はないだろう。
◇
「これからは言論の時代である。新聞が第一の武器だ」
かつて、わが師・戸田先生が言われた鋭き言葉が、今も私の耳朶を離れない。
それは、一部の権力者やエリートたちではなく、「無名の庶民の声」「民衆
の正義の言論」が社会を動かし、歴史を動かす時代が必ず来るという予見であ
った。
その先生と私の手づくりで創刊した「聖教新聞」も、今や堂々たる「正義の
言論城」となった。本当に嬉しい。これからも永遠に発展させていく決意であ
る。
ともあれ、若き日に、言論の力をつけることは、自身の成長のために、どれ
ほど大きな訓練となることか。
私も二十代の時、戸田先生のもとで、様々な編集作業に携わりながら、あら
ゆる書物を読み、思索を重ね、書いて書いて書きまくった。
あの「大阪事件」の前後、嵐の渦中にあっても、同志を励ましたいと、聖教
新聞にバイロンやべートーベンの随筆を綴ったことも懐かしい。
七十五歳になった今も、私は、懸命に戦っている。何倍、何十倍、いな何百
倍も、書き、叫び、正義の言論で戦い続けている。
ゲーテは七十五歳の時、自らの人生を振り返って、こう語った。
「苦労と仕事以外のなにものでもなかったのだよ。七十五年の生涯で、一月
でもほんとうに愉快な気持で過ごした時などなかった」と。
戦った人間の言葉である。偉大な人生は、苦闘であり、死闘である。それで
あって、しかも、生き抜いた生命は明るく、朗らかだ。
◇
本来、言論の戦いは、自分のいる、その場所でできる。ペンと紙、たったそ
れだけで、権力者さえ震え上がらせた言論の闘士は少なくない。
ユゴーがそうだ。ゾラがそうだ。魯迅がそうだ。ソクラテスに至っては、ペ
ンさえ持たず、ただ対話、対話、対話のみの戦いだった。
さあ! 自分の頭で戦い、口で戦い、字を書く手で戦うのだ。息ある限り、
声をあげ続けるのだ。
根本は、正義を叫ぶ勇気と情熱があるかどうかだ。
わが学生諸君もまた、若き真実の言論王たれ! 民衆を守る正義の雄弁王た
れ! と私は熱願する。
アメリカの哲人エマソンは言った。
「廃れることのないことを語り、書く方法は、本気で語り、書くことだ」