331 仏法は勝負 人生は戦い


勝利が使命! 君よ立て!

邪悪を打ち破ってこそ正義は拡大


 六月の六日は、初代会長・牧口常三郎先生のご生誕の日である。
 この日を記念して、一文を綴った。

 笑う者は勝手に笑え。
 批判する者は勝手に批判するがよい。
 我らは正義の中の正義の行動だ。妙法の広宣流布に立ち上がった尊き同志で
ある。
 日蓮大聖人が、そして諸天善神が、未来永劫にわたり、讃え護ってくださる
ことは絶対に間違いない。
 誇り高く立ち上がれ! 無限の勇気を出して、人生を楽しく歩め! 負ける
な!
 勝利は幸福であり、敗北は不幸である。
 妙法は、人法一箇の大法であり、その法に合致した創価の精神と行動は、永
遠の勝利のための大道である。ゆえに君よ、名誉と誇りをもって勝ちゆけ! 満
足の一日一日を飾るのだ!
     ◇
 三世まで
   勝利 勝利の
     創価
 晴れわたる昭和三十五年の五月の三日、第三代会長の就任の朝に詠んだ句で
ある。
 脇書に「全会員の誓願たる広宣流布のために」と記して、現在も、学会本部
の執務室に留めてある。
 「永遠に勝利の大道を!」
 ――これが、三十二歳の若き会長となった時に、自らに課した使命であり、
責任であった。
 わが歩みし人生の道に、一点の悔いもない。
 学会は精神で勝ち、言論で勝った。思想で勝ち、文化で勝った。社会で勝ち、
世界で勝った。そして教育で勝ち、人材で勝った。
 今、新世紀を担う若き弟子たちが立ち上がっている。
 男女青年部、白蓮グループ、学生部においても、また未来部でも、新進気鋭
のリーダーが陸続と登用された。私は、限りない期待を込め、一首を贈った。
 素晴らしき
   創価の二世の
     君たちが
  勝利が使命と
    断固と立ちゆけ
 いよいよ本格的に、人類の宝である創価学会の一切を、青年部に託す時代に
入った。
 その後継の証とは何か?
 「勝利」の二字である。
     ◇
 大聖人は、仏法の正義を立証する基準として、「文証」「理証」「現証」と
言われた。
 ことに、第三の「現証」を最も重んじられ、「いかなる証拠も現証には及ば
ない」と仰せである。
 「三障四魔」「三類の強敵」のあらゆる迫害を恐れず、「勝った!」という
実証を打ち立てることが、破邪顕正の最大の証拠になるのだ。
 「仏法と申すは勝負をさきとし」(御書一一六五ページ)とは、永遠に轟く
蓮祖の師子吼であられる。
 先師・牧口先生は、この「仏法は勝負」の御文を拝され、「これこそ宗教の
生命というべきもの」と断言された。
 師・戸田先生も、「世法は評判、国法は正邪、そして仏法は勝負」と喝破さ
れた。蓮祖も、また初代、二代の会長も、「闘諍言訟」の末法にあって、「わ
が弟子よ、断じて勝て!」と叫ばれているのだ。
     ◇
 古来、「戦いは万物の王」(ギリシャの哲学者ヘラクレイトス)等といわれ
る通り、多くの賢人が「人生は戦いなり」と結論してきた。
 前進は美しい。
 戦うことは美しい。
 戦いである以上、勝つことは人生の根本命題である。
 邪悪は不幸の根源だ。それに負けては幸福になれない。自分を不幸にし、周
囲も不幸にする。しかも放置すれば、ますます増長する。
 だからこそ、邪悪とは戦い、勝たねばならない。
 仏法では、「慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり」「彼が為に悪を除く
は即ち是れ彼が親なり」(御書二三六ページ)と説く。
 悪を打ち破った分だけ、善は勢いを増す。正義が輝く。この攻防戦が人生の
戦いなのだ。
 釈尊も、弟子に「勝て!」と教えた。なかんずく「自分自身に勝て!」と教
えた。
 「戦場において百万人に勝つとしても、唯だ一つの自己に克つ者こそ、実に
最上の勝利者である」(初期の経典「ダンマパダ」)
 仏を「勝者」とも、「戦いに打ち勝った者」ともいう意義は、あまりにも深
い。
 誰人であれ、今日は今日の戦いがある。
 朝起きるのも戦いである。あと五分、勉強しようというのも戦いである。
 「策ではない、まず真剣に祈ろう!」と御本尊に向かうことも戦いだ。
 「祈ったら行動だ!」と、雨空を突いて決然と飛び出すことも、人間革命の
戦いなのである。
     ◇
 万有流転――。この宇宙は、すべてが動いている。
 我らの地球も、自転しながら、秒速三十キロで太陽の周りを公転し続けてい
る。
 その太陽系も、天の川銀河の星の渦巻きと共に、秒速二百二十キロという猛
スピードで公転し、二億五千万年かけて銀河を一周する。
 ゆえに、我らは皆、地球と一緒に、宇宙空間の途方もない距離を旅している
のだ。
 そのロマンを、私は、世界的な宇宙飛行士・セレブロフ博士と語り合ってき
た。
 ともあれ、人生もまた、正しき生命の軌道を、たゆむ心なく前進することが、
勝利の法則といってよい。
 学会活動は、その完壁なリズムに則っている。
 いうなれば「人間革命」は自転であり、「広宣流布」は公転である。
 妙法を弘め、立正安国を進めゆく学会の組織は、御書に寸分違わぬ和合僧で
ある。
 この学会と共に、広布の旅に生きゆく人生には、人法一箇の蓮祖の大生命が
赫々と輝きわたるのだ。
 御書には、仏典を引いて、「法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊し」
(一五七八ページ)と説かれている。偉大な「法」の光に照らされて、「人」
も輝く。
 「法」を中心とせず、「自分」を中心として、仏意仏勅の学会に敵対するこ
とは、幸福の正道から永劫に外れてしまうことである。
 「始めは事なきやうにて終にほろ、ぴざるは候はず」(御書一一九〇ページ)
学会を軽賤した邪道の輩が、例外なく悲惨な敗北の末路をたどっていることは、
周知の事実だ。
     ◇
 戦には「時」がある。
 歴史の流れを決する勝負時がある。
 五十年前(昭和二十八年)の年頭、私は、男子部の第一部隊長の任命を受け
た。二十五歳、今の"ヤング男子部"の年代だ。
 あの恩師の七十五万世帯の弘教の誓願より二年――学会は、広宣流布の加速
度的な前進を必要としていた。
 この時、師が、私たち男子部に示された目標は、年末までに各部隊一千人へ
の拡大であった。
 当時、わが第一部隊は三百三十七人。つまり三倍増への出発である。
 わが師のもとに雲集せよ、若き戦士よ! 躍り出よ、地涌の大人材よ!
 私は真剣に祈りに祈り、戦闘を開始した。
 折伏を進めるなかで、私と心を一つに戦ってくれる十人の勇将を、さらに百
人のリーダーを育てることに心血を注いだ。
 戦う人材の布陣と流れさえできれば、その先に千人の連帯は見えてくるから
だ。
 わが部員の多くは、今の江東・墨田・江戸川方面に居住していた。
 私は自分が縁した同志を励まし、励まし、また励まし続けた。
 会合も、個人指導も、御書講義も、一回一回が真剣勝負だった。
 疲れて、ペンを握ることさえ辛い夜もあった。だが、必死に書いた激励の手
紙ほど、同志は奮い立ってくれた。
 勝利は突然やってくるものではない。
 日々の、懸命な「小勝利」の積み重ねの上に「大勝利」があるのだ。
 五十年前の六月、私は日記に、「何事も、戦い抜く者が、最後の勝利者なり」
と記した。
 年末の総会に、私たちは、堂々、一千名を超える人材大結集を成し遂げた。
 この熱と力の勝利が、今の青年部をつくり、広宣流布の常勝の土台となった
のだ。
     ◇
 「勝負を試みれば、人の真価が分かるもの」とは、ギリシャの大詩人ピンダ
ロスの言葉である。
 勝つことは幸福だ。
 勝つことは愉快だ。
 勝つことは、わが生命に、「自分は苦難に負けない!」という、永遠不滅の
金字塔を築くことである。
 本年の一月二日の朝、堂々たる勝利の姿の富士を仰ぎつつ、私は詠んだ。
 晴れ晴れと
   今日も 今年も
     勝ちゆかむ
  偉大な創価
    同志の力よ
 わが弟子たちよ、最愛の後継ぎの青年たちよ!
 勝って、勝って、勝ちまくれ!

2003年(平成15年)6月7日(土)掲載