全国最高協議会(下)


◆◆◆【ウィルソン博士】創価学会が仏教を現代に復興

◆◆◆【ルネ・ユイグ博士】世界平和への精神の闘争に感謝

◆◆◆前進!! 『獅子王』の誇りで
【牧口先生】戦うほど強くなる。実証が出る
【戸田先生】全民族を幸福に! それが広宣流布


 一、1991年(平成3年)。
 日顕は、例年行う新年の会長、理事長とのあいさつも、またその後のいかな
る話し合いも、「『お目通り』の儀は適(かな)わない身」等と言い放って、
逃げ回った。
 大聖人は、あの良観が、臆病にも「対話」を拒否し続けた姿を、「日蓮が(佐
渡から)鎌倉に上る時は、門戸を閉じ、『内へ入ってはならない』と出入りを
禁じ、あるいは、風邪であるなどと仮病を使って避けたのである」(御書12
83ページ、通解)と書き留めておられるが、「現代の良観」も、まったく同
じであった。

■「潜聖(せんしょう)」の正体
 一、さらに御書には、この「潜聖増上慢」の正体を、こう鋭く喝破されてい
る。
 「経文を鏡(規範)として、両火房(りょうかぼう=良観房)の身に当ては
めてみよ。少しの曇りもなく符合するではないか。
 一つには、名は持戒の僧と世に聞こえるけれども、実際は放逸(ほういつ=
勝手気ままで、だらしがない)であるか。二つには慳貪(けんどん=欲が深い)
であるか。三つには嫉妬であるか。四つには邪見であるか。五つには婬乱であ
るか。この五事に尽きるではないか」(350ページ、通解)
 これが良観の本性であると、大聖人は厳然と記しておられるのである。日顕
もまた、潜聖増上慢そのものであった。
 良観は、大聖人一門に対して、ありとあらゆる圧迫を加えた。
 それと同様に、日顕は学会を弾圧し、学会を切ろうとした。
 一、「お尋ね」文書をめぐって、宗門があくまで対話を拒否したので、学会
は「回答」を送った。その中で、宗門の不当な主張に抗議し、出所不明のテー
プをもとにした、スピーチのテープ起こしの誤りを指摘した。
 すると宗門は、誤りがあったことを認めざるをえなくなり、それをもとにし
た質問項目を、全面的に取り下げてきたのである。
 これによって、宗門のもともとの言いがかりは、根底から崩れた。
 にもかかわらず、宗門は謝罪するどころか、その後、海外組織の撹乱(かく
らん)、学会員への御本尊下付の停止など、学会員をいじめ、動揺させようと
してきたのである。

■現代の良観と提婆(だいば)が野合(やごう)
 一、大聖人は、法華経に示された「悪鬼入其身(あっきにゅうごしん=悪鬼
其の身に入る)」の原理を通して、「(天魔が)良観等の愚かな法師たちに取
り付いて、日蓮を迫害するのである」(同1340ページ、通解)と示してお
られる。
 破和合の謀略の陰に、日顕自身がかつては「提婆達多みたいな人間」と忌み
嫌っていた悪知識との結託(けったく)があったことは、さまざまに立証され
ているところだ。
 御聖訓に、「悪人は、提婆のもとに集まる」(同945ページ、通解)と説
かれるままの姿であった。
 御書には、「提婆達多はまた、仏をつけ狙い、大石をもって仏の御身から血
を出し」(同ページ、通解)とも記されている。
 いうなれば、「現代の提婆」と「現代の良観」が野合して、仏意仏勅の創価
学会を壊そうとしたのである。

■登山止めは仏からの勲章
 一、宗門は、「添書(てんしょ)登山」、つまり末寺を通した登山しか認め
ないと通知し、大石寺への登山を恫喝(どうかつ)の手段にしようとしたが、
これも、まったく徒労に終わった。
 そもそも宗門は、戦時中、牧口先生、戸田先生が、軍部政府の弾圧で逮捕さ
れるや、卑劣にも「大石寺への登山止め」「末寺参詣(さんけい)禁止」の処
分を決めたのである。
 さらに戸田先生に対しては、昭和27年、青年部が悪僧を糾弾した"狸祭り"
の時にも、宗会が「大講頭罷免(ひめん)」「登山停止」を決議したことがあ
った。
 この決議の時、戸田先生は、聖教新聞の「寸鉄」に次のように書かれている。
 「忠義を尽して謗法を責めて御褒美あるかと思ったに、おほめはなくて『登
山まかりならん』とおしかりさ。弟子共一同『俺達も一緒に登らんわい、フン』
だってさ」
 「寸鉄居士会長先生に御伺いをたてたら『あんまり騒ぐなよ、こんな目出度
いことを』とニヤリさ」
 「三類の悪人の仕業(しわざ)の中に『遠離塔寺(おんりとうじ)』と言っ
て寺から追い出すやり方がある、悪人共がさ。
 さて我等が会長に折伏の大将としての一大名誉を贈ったのさ『遠離塔寺』と
云う仏様からの勲章なんだ」
 「寸鉄居士ニヤリとして曰く 宗会議員の諸公は三類の敵人中 第二類か第
三類か、ニヤリ」
 戸田先生が悠然と達観されていたごとく、今回の登山止めもまた、まさしく
「大聖人からの勲章」であったといってよい。
 一、私たちは、登山会にあたって、絶対に事故が起きないよう、毎日毎日、
祈りに祈って、運営してきた。のべ7000万人にもおよぶ登山会の勝利の歴
史を残した。
 しかし、あのまま続いていれば、いつかは大事故があったかもしれない。
 大聖人は、常に門下の身の上に心を砕いておられた。四条金吾に対しては、
道中の安全を第一義として、危険な時は身延へ来ないようにとも言われていた。
(御書1185ページ)
 あらゆる意味から見て、どれほど深い御仏智、大聖人の御計らいであったこ
とか。
 登山会の運営で苦労なさった皆さま方は、歳月が経つとともに、より深く実
感されるところであろう。

■世界1625万人が「退座」要求
 一、1991年11月、宗門は学会に対して「解散勧告書」(7日付)を送
付。さらに、11月28日付で「破門通告書」を送りつけてきた。
 陰険極まる恫喝(どうかつ)であったが、学会員は、むしろ堕落した宗門か
らの「魂の独立」の象徴として、欣喜雀躍(きんきじゃくやく)と、この「破
門」の日を祝したのである。
 翌12月の27日、ちょうど、総講頭罷免から1年後のこの日、学会は、日
顕に対して「退座要求書」を送った。
 この「退座要求書」には、なんと全世界の約1625万人が署名したのであ
る。
 むしろ日顕自身が、1625万の地涌の陣列から「破門」を宣告されたのだ。
 心ある僧侶も、広宣流布の同志として、立ち上がった。宗門から離脱した寺
院は30カ寺、僧は53人を数える。

◆◆◆学会は「日本の柱」「世界の光」と大発展
◆◆アメリカの宗教学者
  「日顕宗は『現代の化石』 日夜奮闘する人の心が分からぬ」
ハーバード大学 ヤーマン教授】 
     学会の『宗教改革』は仏教史に輝く大運動
デラウェア大学 ノートン教授】 
     「近視眼」で『盲目』の日顕宗 「嫉妬」がそうさせるのだ

■世界の支持の声
 一、世界の識者からも、学会を擁護(ようご)し、支持する声が、澎湃(ほ
うはい)と、わき起こった。
 今、感謝を込めて、その一端を振り返っておきたい。
 ハーバード大学のヌール・ヤーマン教授は、文化人類学の世界的権威である。
 ヤーマン教授は、10年前の9月、私のハーバード大学での2度目の講演へ
の講評の中で、並みいる大学者を前に、次のように明晰(めいせき)に語って
くださった。
 「現在、創価学会が展開している"宗教改革"は、かつてプロテスタント革命が
キリスト教史を画(かく)したように、仏教史において大きな意義をもつ運動
であります。
 この目覚ましい革新運動は、仏教ばかりでなく他の宗教にも大きな影響を与
えるでありましょう。まさに、宗教史の新しい出発点であり、新しい建設であ
ります」
 アメリカ・デラウェア大学の高名な哲学の教授で、今は亡きデイビッド・ノ
ートン博士も、遺言のごとく、力説してくださっていた。
 「平和と文化の輪を日本、ないし世界へと広げる創価学会の活動を批判する
宗門は、近視眼的であり、盲目的であるとさえ言うほかありません。
 何が、宗門を盲目にさせるのか、と聞かれたら、私は"それはジェラシー(嫉
妬)が、そうさせるのだ"と答えざるをえないでしょう」
 「宗門の"破門通告"は、すべての人間に仏性がある、その豊かな可能性を閉ざ
したり、切ったりしてはならないという日蓮大聖人の教えに、全く逆行したも
の」であると。
 世界の知性の透徹した眼には、宗門の暴挙、愚行が、かくも明快に映し出さ
れていたのである。

■「時代錯誤の宗門 革新的な学会」
 一、日本でも、上智大学の名誉教授だった故・安斎伸(あんざいしん)先生
は、こう語ってくださった。
 「近年、創価学会は宗門と離れ在家教団としての道を歩み始めましたが、開
放的、革新的な学会と、閉鎖的、保守的な宗門とを比べれば、これは避けがた
い必然的な結果であったと私は見ております。
 平和・文化・教育の価値も理解できず、伝統に固執し、権威と力で信徒を押
さえ付け、時代錯誤に陥った宗門。
 そこから独立しなければ、創価学会もやがては独善的、閉鎖的な教団として
終わってしまい、未来性も世界性も絶たれていたことでしょう。
 この事実を日本の識者、ジャーナリストらは知らなければならないのですが、
全く理解していない。宗門も然りですが、私はそこには一種の嫉妬心があるか
らではないかと見ております」
 また、金沢経済大学の荒牧(あらまき)哲郎名誉教授も、「衆生を救済すべ
き宗門が、信徒の集団である学会の解散を勧告するなど、およそ宗教団体には
似つかわしくない無慈悲な行為である」との声を寄せてくださった。
 さらに、朝日大学の鴨野(かもの)幸雄教授(金沢大学名誉教授)は、「『破
門通告』との話を聞き、一般的に言って、一方的で極端な措置という感じがし
ました。何の話し合いもせず、一片の通知で『破門』する。これは法手続き論
的にみて、常軌を逸しています」と論じておられた。
 そして、同志社女子大学の故・武邦保(たけくにやす)教授は、「世界の民
衆の魂の解放に尽くしている信徒集団(学会)になぜ解散を迫るのか。宗門が、
"自爆"行為に走っているのを傍観できないのです」と訴えてくださった。
 いずれも、永遠の歴史に光り輝く、知性の先生方の勇気あるご発言であった。

■人生肯定の宗教
 一、また、国際宗教社会学会の初代会長で、私と対談集『社会と宗教』を発
刊したオックスフォード大学名誉教授のブライアン・ウィルソン博士は、論じ
ておられた。
 「創価学会の国際社会・文化に対する広い理解と貢献に対して、宗門は閉じ
られた宗教的カースト性に内在する醜い偏狭さをもって反応した」
 「これまでの創価学会の努力がなかったならば、日蓮正宗は海外では無名の
宗派のままであったろうし、日本国内でさえもその存在意義はおぼつかなかっ
たであろう。
 創価学会の運動が、仏教を人生肯定の宗教として現代に蘇らせ、日本の葬式
仏教から救ったのである」
 さらにウィルソン博士は、「(大石寺への)登山会中止」についても、世界
宗教の上から、積極的に意義づけてくださった。
 「信仰はそうした特定の場所を神聖視する地域主義的シンボリズムを克服す
べきである」
 「日常生活のなかでの信仰実践と、よりよい人間社会を建設していく努力を
続けていくことこそ、本来の宗教の使命であるはずである。
 ある宗教の形成期には、特定の建物や場所を特別視することもあるが、この
特殊な地域主義は、社会のなかで影響を与えるような普遍的精神に場を譲るべ
きなのである」
 そしてまたウィルソン博士は、「歴史は在家の味方をするであろう」とも断
言してくださった。
 今、その達見は、見事に証明されている。

■「賞讃すべき事に足伽(あしかせ)をはめるな」
 一、私と対談集『闇は暁を求めて』を発刊した、フランスの「エスプリ(精
神)の闘士」である美術史家の故ルネ・ユイグ氏も語ってくださった。
 「創価学会が、仏教の深遠な価値とその世界性を宣揚し、精神の向上に基づ
く平和主義を、仏教の名において世界にもたらそうとして闘っていることに対
し、我々は感謝しなければなりません。
 権威と物質的な利害からの低劣な争いが、この賞讃すべき高揚と輝かしい成
功とに足枷をはめようとするのなら、だれの目にも嘆かわしいことでありまし
ょう」
 そしてまた、アメリカの宗教学者であるハワード・ハンター博士は述べてお
られた。
 「ごく少数の僧侶のグループが一千余万の人々を破門することによってどの
ような結果が、正統を唱える少数のグループにもたらされるのか、についても、
その行く末の"実証"を見守りたいと思います。それは、世にも奇怪な現象である
からです」
 「教義を社会化、現実化しようと日夜、献身する人々の"心"がわからなくなっ
てしまったら、その宗団は現代の"化石"の道をたどるしかないのです」

■「いよいよ・はりあげてせむべし」
 一、「破門通告」より12年。仏法勝負の証(あかし)は、あまりにも厳然
としている。皆さまが、ご存じの通りだ。
 大聖人は、良観等にたぶらかされた有力者の一門が滅んでしまったことを述
べられ、「両火房(良観房)を信じている人が、栄えているとお思いになりま
すか」(御書1093ページ、通解)と厳しく仰せである。
 日顕一派の峻厳な仏罰の姿は、まさしく、大聖人から「破門」され、断罪さ
れた末路と見てよいだろう。
 今や、日顕宗の「広布破壊の陰謀」も、「法主信仰の邪義」も、「誤った血
脈観」も、「化儀の悪用」も、「僧俗差別」も、「腐敗堕落」も、すべてが暴
かれ、破折された。
 一方、学会は、「日本の柱」として、そしてまた「世界の光明」として、1
86カ国・地域の広がりをもって、未曽有(みぞう)の上げ潮の勝利のなか、
創立73周年を飾ることができた。
 御本仏・日蓮大聖人が、私たちを最高に賞讃され、笑みをたたえられながら、
諸天善神に、厳護を命じておられるに違いない。

 一、この学会の勝利の姿を、牧口先生も、どれほど喜んでくださっているこ
とか。
 先生は言われた。
 「上流に立って害毒を流す僧侶神官の罪悪は、更に更に重大である。たとえ
小悪でも最大の罪となり、極悪の果報を結ぶ。いわんや、大善に反対し、大悪
に加担するをや。大悪に迎合し、大善を怨嫉するにおいてをや」
 この通りであると、私も思ってきた。
 現実に、大善であるわが学会に対して怨嫉したのが、日顕一派の大悪である。
 その陰謀に対して、正義の我らは、断固として打ち勝ったのである。
 さらに、牧口先生は言われた。
 「法華経は、憎まれれば憎まれるほど、幸福になる。戦いには、必ず勝つ。
変毒為薬(へんどくいやく)の法門を、身をもって読んでいくのだ」
 「戦えば戦うほど、こちらが強くなればなるほど、仏法勝負の実証は早く出
てくる」
 この創立の父の教えのままに、学会は戦ってきた。だから勝っている。
 「反逆者の末路は、苦悩と醜態の歴史を、醜く残すだけだ」とも、牧口先生
は、厳しく見通しておられた。
 その通りである。反逆者の末路の実態は、皆さまがご存じの通りだ。
 戸田先生も叫ばれた。
 「学会への反逆は、大聖人への師敵対だ。その仏罰の最後の姿を見ればわか
る」
 また、「佐渡御書」を拝して戸田先生は言われた。
 「悪い僧侶が、悪い王様に味方して、正法を立てる者をいじめる時に、師子
王のような心をもって、敢然とそれと戦う者が、仏になるのだというのです」
 「学会精神というものは、日本の国、世界の国を救わんがためにやっている
のです」「全民族が幸せに暮らせるようにするための広宣流布です」
 「われわれの精神は師子王のごとく誇りをもっていてもいいのです。そうし
たら仏になれるそうです。『例せば日蓮が如し』です」

 一、大聖人は厳しく仰せである。
 「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀(しだん)ともに無間地獄は
疑いなかるべし」(御書1056ページ)
 「如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(同24ページ)
 「此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、い
よいよ・はりあげてせむべし」(同1090ページ)
 いずれも、牧口、戸田両先生が、よく拝されていた御書である。
 この御聖訓の通り、断固として、追撃の手を緩めずに戦い抜いてまいりたい。

◆◆最後の勝利は正義にある
◆【中国の文豪・巴金先生】 さあ 新たな「第一歩」を!
◆嘘は砂上の楼閣 長続きしない 大衆こそが審判者

■真実を語れ! 虚偽を消し去れ
 一、きょう11月25日、中国の大文豪で、私も4度の語らいを重ねた巴金
(ぱきん)先生が、100歳の誕生日を迎えられた。私は祝電を送らせていた
だいた。
 巴金先生のますますのご長寿を祈りつつ、迫害と戦った「ペンの戦士」の魂
の叫びを、胸に刻みたい。
 先生は「正義は必ず勝つ」と信じておられた。
 「私が邪(じゃ)は正に勝てないと言うのは、どんな社会にも是と非、光明
と暗黒の闘争があり、最後の勝利は当然、正義にあり、光明にあるからです」
(石上韶訳)
 また「砂上の楼閣が堅固なはずはなく、うその上に築き上げた権力も長続き
するはずがない」「人は、うそで自分を欺(あざむ)くことはできない」(同)
と。
 先生は、民衆が強く賢くなることを待望しておられた。
 「人民大衆こそ最もすぐれた審判者である」(同)
 「はっきりと言えることが一つある。
 それは、多くの人々が、確固として自立した思想を持ち、唯々諾々(いいだ
くだく)と従うことをせず、真実を語り、真理を信ずるならば、一切の醜悪、
虚偽は、必ずや、大いに減っていくであろうということだ」
 先生は、「一人立つ」信念の大切さを、命に刻んでおられた。
 「たくさんの人物の運命が、私の確固不抜(かっこふばつ)の信条を強めて
くれた。その信条とは、生命の意義はこれを差し出すこと、何かに献(ささ)
げることにあり、受け取ること、獲得することにはない――これである」(石上
韶訳)
 「ひとたび口火が切られれば、それについで前進する人が出るはずである。
 第一歩を踏み出せば、第二歩はたやすく踏み出せる。誰かが先頭に立てば、
これに続く人にこと欠かないはずである。
 こうして道行く人は、一層ふえるに違いない」(同)
 「世界の平和と幸福の道」の先頭に立ちゆく大切な皆さま方のさらなる健闘
を、私は祈りたい。

■未来の勝利を今 大胆に、誠実に!
 一、最後に、私が青春時代から好きだった言葉を贈らせていただきたい。
 アメリカの詩人・ホイットマンは「草の葉』で謳った。
 「ぼくは宇宙の一番大胆で一番誠実な存在になる」(鍋島能弘・酒本雅之訳)。
 宇宙で一番大胆に! 
 宇宙で一番誠実に! 
 我らも、そのように生きたい。
 古代ギリシャの詩人・ソフォクレスは、「言葉に真実があれば、常に最大の
力を持つものだ」(木曾明子訳)と述べている。真実に勝る武器はない。
 そしてまた「韓国のガンジー」と讃えられた独立の父・安昌浩(アンチャン
ホ)先生の信念は、「人が『一つ』行う間に、『十』行う気概を持とう! 」
であった。
 人間は、決意した分、いくらでも大きくなれる。力がわいてくる。
 有名な仏典に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知
らんと欲せば其の現在の因を見よ」(御書231ページ)とある。
 今、決意の戦いを起こすことが、次を「希望と幸福への勝利」とすることだ。
 結論するに、「現在を勝つこと」が、「未来を勝つこと」なのである。
 信心は、勝つための原動力である。
 ゆえに私は、「この一生を、師子となりて走り抜け! 生き抜け!」と申し
上げたい。
 「創価完勝の年」へ、皆さま方が、ますます、健康であり、希望に燃えて前
進されゆくことを、私は祈っています。
 大勝利への力強い第一歩を決意しあい、約束しあって、記念のスピーチとし
たい(大拍手)。
 (2003・11・25)