第33回本部幹部会・第3回青年部幹部会


◆◆◆目標がある! 信念がある! 充実がある! 
   学会は健康と希望の広場! 

◆◆◆〔正義は妬まれる=古今東西の方程式〕
   迫害こそ人生の誉れ

◆◆◆【御聖訓】「大難なくば法華経の行者にあらじ」


【名誉会長のスピーチ】

 一、遠いところ、寒いところ、本当にご苦労さま! この1年、皆さま方の団結と力で、学会は勝ちに勝った。本当におめでとう! (大拍手)
 私も、日々、多くの友人やお客さまにお会いしている。
 そのたびに、皆さんから――“いかなる非難中傷の嵐にあっても、学会は微動だにしませんね”
 “世代を超えて結び合う学会の団結は、本当に見事です”――このような賞讃の声を贈っていただいている。
 すべては、皆さま方の勇敢なる信心と異体同心の団結の賜(たまもの)である。
 本当にありがとう! 来年も、どうか、よろしくお願いします!(大拍手)

■油断を排して絶対無事故で
 一、日本の同志も、海外の同志も、皆が地涌の菩薩の使命をもった大切な方々である。
 だからこそ、きょうは最初に「断じて油断をせず、無理をせず、無事故の活動を」と強く申し上げておきたい。
 これまでも、たびたび指摘してきたが、とくに女子部、婦人部の皆さまは帰宅が夜遅くならないよう、会合の終了時間を厳守していただきたい。
 女性を狙った残酷な犯罪が急増している。信心しているから大丈夫などと、少しでも甘く考えるようなことがあれば、それ自体、すでに信心とはいえない。
 さらに、それで、ご両親や家族に心配をかけたり、悲しませてしまっては、余りに申し訳ない。
 どうか、互いに声を掛け合いながら、絶対無事故の活動を推進してまいりたい。
 私も毎朝毎晩、尊き仏子の皆さま方の無事安穏を強く強く祈っている。
 年末年始の慌ただしい時期でもあり、万全の注意を、よろしくお願いしたい。
 一、アメリカの第35代ケネディ大統領は、多くの名スピーチを残した。そのなかの一節に、こうある。
 「新しい大建築は一夜にしてできるものではない」(ウエスレイ=ピーターセン編『ケネディの遺産』)
 広宣流布という大建築もまた、永遠の闘争である。全世界的な人間の連帯によって、つくられるのである。
 皆さま方の毎日毎日の奮闘の積み重ねによって、今、日本にも、世界にも、広宣流布という理想の大建築の「屋根」が見えてきた。「道」が見えてきた。そのことを私は強く実感する。

 一、中国の詩人・屈原(くつげん)は「世の中は乱れ、濁っていて、賢者を嫉み」と詠んだ。〈『楚辞(そじ)』の「離騒(りそう)」から〉
 賢者だから嫉(ねた)まれる。嫉妬の悪口(あっこう)をうけるのは、偉大な人間の証拠なのである。

■全同志に感謝! 
 一、ともあれ、今年1年の大勝利を祝賀する幹部会、おめでとう! 
 そしてまた、明年の完勝へ晴れやかに出発しゆく記念の幹部会にしてまいりたい。
 改めて、全国、全世界の同志の皆さま! 1年間、本当によくやってくださった。
 また、青年部の新人事おめでとう! 
 各地の新任の皆さまにも、よろしくお願い申し上げたい。
 とくに青年部の新人事は非常に重要な布石があり、意義がある。青年部は、どこまでも私と「直結(ちょっけつ)」で進んでいくのである。私もまた、一段と手作りで、「本門の時代」の後継の青年部の育成に全力を注(そそ)いでいく決心である。
 これからの50年の創価学会のために、どうしても青年部を育成しなければならない。後継の一切を担(にな)いゆく指導者をつくらなければならない。
 今まさに、その総仕上げの段階に入ったことを、全幹部が理解していただきたい。

■三つの誓い

 一、それは50年前。昭和28年(1953年)の12月のことであった。〈男子青年部総会が東京で行われた〉
 私は、青年部を代表して、総会の席上、戸田先生の前で宣誓(せんせい)した。
 まず第1に、「世界広宣流布の大偉業を必ず達成すること」を、御本尊に対して誓った。
 第2に、「人類の救済のために、戸田先生の手駒(てごま)となって、身命(しんみょう)を捧げて戦い抜くこと」を師匠に対して固く誓った。
 今また、人類は戦火におののいている。皆さまも、ご存じの通りだ。
 第3に、「いかなる戦野に進もうとも、絶対に同志を裏切ることなく、使命をまっとうすること」を、同志とともに誓い合ったのである。
 私は、すべて、この通りに実践してきた。
 この間、傲慢(ごうまん)になって、師匠を裏切り、同志を裏切った人間もいた。ずる賢く立ち回り、学会を罵倒(ばとう)して、去っていった人間もいた。結局、最後は皆、敗北である。
 一生涯、貫き通してこそ誓いである。そのことを青年は、断じて忘れてはならない。
 一、当時、私は25歳。
 戸田先生は、本当に、うれしそうに、私を見つめておられた。
 私は、後継の弟子の成長を願う戸田先生のお心が痛いほど分かった。
 何としても、先生にお応えしたい。先生に安心していただきたい。そう祈りに祈り、行
くところ行くところで、勝ち戦(いくさ)の歴史を開いてきた。
 戸田先生も、若き私を信頼して、「大作は、やると言ったことは、必ず成し遂げる男だ」と讃(たた)えてくださった。
 絶対の信頼で結ばれた師弟であった。
 仏法は勝負である。ならば、いかなる逆境にあっても、断じて勝つことだ。この勝利の一点にのみ、真実の師弟の証明があり、信仰の道があることを、私は、強く語り残しておきたい。
 ともあれ、厳粛なる宣誓から50年――私は、また私たちは、この誓願のままに、「世界広宣流布の大偉業」を成し遂げてきた。
 そして今度は、わが青年部の諸君!  これからの50年を、同じように、諸君に、万事よろしくお願いしたい!  (「ハイ」と会場から力強い返事とともに、大拍手が沸き起こった)

 一、日蓮大聖人は仰せである。

 「中国や日本に、智慧が勝(すぐ)れ、才能も素晴らしい聖人は、たびたび出現したけれども、いまだ日蓮ほど法華経の味方をして、国土に強敵(ごうてき)を多く呼び起こした者はいない。まず、この眼前の事実をもって、『日蓮は一閻浮提(いちえんぶだい=全世界)第一の者である』と知るべきである」(御書283ページ、通解)

 難がなければ、本当の法華経の行者ではない。ニセ者である。広宣流布の戦いにあって、法華経にある「悪口罵詈(あっくめり)」「猶多怨嫉(ゆたおんしつ)」の難が起こるのは当然である。

 この大聖人の仰せのごとく、難を受け、三類の強敵を打ち破ってきた団体は、創価学会以外には絶対にない。
 ゆえに創価学会こそ「一閻浮提第一」の広宣流布の団体なのである(大拍手)。

◆◆学界は世界第一の広布の団体

◆◆わが同志の功徳は大河と

■皆を「仏」に! 歓喜はかりなし

 一、その創価学会の一員として広布に戦う皆さまの功徳は、無量であり、無辺である。
 皆が菩薩となり、仏となりゆく偉大な方々である。
 さらに、自分だけでなく、先祖まで、また子孫末代まで仏にすることができる。大福運を送っていくことができる。絶対的な幸福を、大河のごとく滔々(とうとう)と流れ通(かよ)わしていくことができる。
 皆さまこそ、大功徳の本流である。大変な存在なのである。それを思えば、「歓喜はかりなし」である。
 皆さまを、三世十方(さんぜじっぽう)の仏菩薩が守護することは絶対に間違いない。
 大聖人は、そう断言しておられる。

 どうか満々と確信をみなぎらせ、来年もまた、勇敢に、勝利また勝利の前進をお願いしたい(大拍手)。

 〈日蓮大聖人は「法華経を信じまいらせし大善(だいぜん)は我が身(み)仏になるのみならず父母仏になり給う、上(かみ)七代・下(しも)七代・上無量生(むりょうしょう)下無量生の父母等(たち)存外に仏となり給う」(同1430ページ)と、妙法の功徳によって、あらゆる先祖と子孫を成仏させることができると教えられている。 また法華経の行者が仏菩薩から守護されることについて「三世十方の諸仏も上行(じょうぎょう)菩薩等も・大梵天王(だいぼんてんのう)・帝釈(たいしゃく)・四王(しおう)・十羅刹女(じゅうらせつにょ)・天照太神(てんしょうだいじん)・八幡(はちまん)大菩薩・山王(さんのう)二十一社・其の外(ほか)・日本国中の小神(しょうじん)・大神(だいじん)等・此の経の行者を守護すべしと・法華経の第五巻に分明(ふんみょう)に説か
れたり」(同807ページ)等と仰せである〉

◆◆◆後継の青年部よ 次の50年を頼む

■「愚人にほめられるのは第一の恥」

 一、大聖人は「開目抄」に仰せである。

 「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(同237ページ)
 牧口先生も言われている。「愚人に憎まれたるは第一の光栄なり」
 牧口先生という、あれだけの大哲学者、あれだけの大教育者を、日本の官憲(かんけん)は牢獄(ろうごく)に入れ、獄死させた。何という愚者(ぐしゃ)であろうか。
 さらに戸田先生も述べておられる。
 「愚人にほむらるるは、智者の恥辱(ちじょく)なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり」
 つまらない、くだらない連中からほめられることは、正義の人間にとって第一の恥である。愚人たちから憎まれてこそ、本当の正義である。これを心して生き抜け! 牧口先生、戸田先生は、そう教えておられるのである。
 正義ゆえに迫害される――これは、古今東西の歴史の方程式である。
 世間の人気や評判など、時代によって変わっていく。そんなものを追い求めても、陽炎(かげろう)のように、はかない。私たちは、どこまでも経文通り、御書通りに生き抜いてまいりたい。

■恐れるな! 大難は経文の通りだ

 一、法華経には明確に説かれている。
 「悪口罵詈(あっくめり)」――勧持品(かんじぼん)の文(もん)である。法華経の行者は、無智の者から悪口を言われ、罵(ののし)られるということである。
 「猶多怨嫉(ゆたおんしつ)」――法師品(ほっしぼん)の文である。釈尊の在世でさえ、怨嫉が多かった。いわんや末法では、より多くの怨嫉を受け、難にあうのは当然だということである 

 大聖人は、これらの文を何度も何度も繰り返し引いておられる。
 「法華経の行者有らば悪口(あっく)・罵詈(めり)・刀杖(とうじょう)・擯出(ひんずい)等せらる可(べ)し」(同1371ページ)
 「末法流布の時・生を此の土に受け此の経を信ぜん人は如来の在世より猶多怨嫉の難甚(はなはだ)しかるべしと見えて候なり」(同501ページ)
 こうして、大聖人は、「すべて経文通りの難である。驚くな! 恐れるな! 絶対に退転するな! それは愚かな人間たちのすることだ」と、何度も何度も、念を押して教えておられるのである。
 一、そして、この「悪口罵詈」等の経文こそ、法華経が、まさしく大聖人御自身のために説かれたことを示す「正文」である――そう明快に位置づけておられる。
 〈「疑って云く日蓮を正(しょう)と為す正文如何(いかん)、答えて云く『諸(もろもろ)の無智の人有って・悪口罵詈等し・及び刀杖を加うる者』等云云」(同334ページ)〉
 非常に簡単な仰せに思えるかもしれない。しかし、ここに非常に重要な核心がある。
 ここをわからない人間は、愚かにも大聖人を批判した。
 難を受けるのは、他宗の僧や為政者を、あまりに激しく攻撃しているからだ――と。
 それだけではない。
 大聖人は人気がないから、悪口を言われているから、権力ににらまれているから、ついていくのはやめよう――そうやって臆病にも、また卑劣にも、正義の信念を捨てて、退転していった人間もいたのである。

 権力者の一味は、大聖人一門が「悪事を働いている」と騒ぎたてた。
 それこそ大ウソであり、正しい人を陥(おとしい)れようとするデッチ上げであった。
 揚げ句の果てに、真実を叫ぶ大聖人を闇に葬(ほうむ)り去ろうと流罪まで行われた。まさに魔性の働きである。本当に人間の世界は恐ろしい。
 佐渡流罪中に著(あらわ)された「開目抄」には仰せである。
 「今の世を見るに、日蓮以外の諸僧(しょそう)のなかで、いったいだれが、法華経のために多くの人たちから悪口罵詈され、刀や杖などで打たれたであろうか。日蓮がいなければ、この法華経の一偈(いちげ)に示された未来の予言はウソになってしまったところである」(同202ページ、通解)

 この大確信を魂に刻(きざ)んでいただきたい。
 大聖人の仰せのまま、日本中に広宣流布してきたのは、創価学会である。

■迫害の構図(こうず)

 一、なぜ大聖人が、権力から迫害されるのか?
 なぜ、批判されるのか?
 まず、第六天の魔王が大聖人の身に入ろうとした。しかし、大聖人は、まったく寄せつけない。厳然としておられた。
 天魔は、大聖人には力及ばないので、権力者をはじめ、愚かな坊主どもに取りついて、大聖人をあだみ、悪口罵詈等の迫害をさせた――そのように御書に記(しる)されている。

 〈第六天の魔王とは、他化自在天(たけじざいてん)、天子魔(てんしま)のこと。正法を信ずる者に迫害を加え、仏道修行を妨げる働きである〉
 大聖人は仰せである。
 「予(よ)日本の体(てい)を見るに第六天の魔王智者(ちしゃ)の身に入りて正師(しょうし)を邪師(じゃし)となし善師(ぜんし)を悪師(あくし)となす、経に『悪鬼入其身(あっきにゅうごしん)』とは是なり、日蓮智者に非ずと雖(いえど)も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼(かね)ての用心深ければ身によせつけず、故に天魔力及ばずして・王臣(おうしん)を始(はじめ)として良観等の愚凝(ぐち)の法師原(ほっしばら)に取り付いて日蓮をあだむなり」(同1340ページ)〉
 大聖人は、こう宣言された。
 「如説修行(にょせつしゅぎょう)の法華経の行者には三類の強敵打ち定(さだ)んで有る可し」(同504ページ)  「大難なくば法華経の行者にはあらじ」(同1448ページ)
 法華経の行者には、三類の強敵が、必ず競い起こってくる。三類の強敵がなければ、法華経の行者ではない――こう断言されているのである。
 “どうして非難されるのか”と思う人間は、まず、経文を知らない。それに、古今東西の英雄、賢人の生きた軌跡(きせき)を知らない。浅はかな人間の胸の内であり、愚かな行為というほかない。

◆◆◆長寿の秘訣は「人と会い」「人と語る」

■強敵がいるから「仏」になれる

 一、御書には、こうも記されている。
 「三類の強敵が来ることをもって『現世安穏(げんせあんのん)』の経文は現れる。(三類の強敵を呼び起こした人が)法華経の行者であることは疑いない。法華経の行者は、このような大難にあうと(経文に)書かれている。大難にあうことをもって『後生善処(ごしょうぜんしょ=未来の世に必ず幸せな処に生まれてくる)』の成仏が決定したのである。
これこそ、まさに現世において安穏であることではないか」(同825ページ、通解)
 “三類の強敵が来ることが現世安穏”と言われると、「随分、矛盾する話だな」と悩むかもしれない(笑い)。きょうは結論だけ申し上げるが、三類の強敵がいるから、仏になれる。永遠に、何があっても微動(びどう)だにしない、安穏(あんのん)の大境涯となっていくのである。
 ゆえに、「難来(きた)るを以(もっ)て安楽と意得可(こころうべ)きなり」(同750ページ)――これが日蓮仏法の柱である。
 学会は、大聖人の仰せの通りに前進しているのである。


■難は幸(さいわい)の中の幸
 一、大聖人は、経文に説かれている通りの「悪口罵詈(あっくめり)」等の難にあわれたことに対して、「このような目にあうことこそ、まさに法華経を身で読むことであろうと、ますます信心も起こり、後生(ごしょう)のことも頼もしく思われる」(同891ページ、通解)と述べられている。
 大難の中、御自身の波乱万丈(はらんばんじょう)の人生を悠然(ゆうぜん)と振り返られての大確信であられる。
 さらに、大聖人は、妙法を弘めたゆえに難を受けたことを「幸(さいわい)の中の幸」(同1371ページ)――これ以上の幸福はないとまで言われている。
 “難は、法華経の行者にとって、最高の誉れなり! ”――この御本仏の魂の叫びを、どうか皆さまも、きょう、深くわが胸に刻んでいただきたいのである。
 一、大聖人は、あの大動乱の時代にあって、「国を助け給えと祈る日蓮が控(ひか)えていればこそ、(日本は)今までは安穏であった」(同919ページ、通解)と厳然と仰せである。
 また御書には、「国に聖人がいれば、天は必ず守護する」などの経文を引かれて、「聖人が国にいることは、日本の国にとって大いなる喜び」(同850ページ、通解)とも書かれている。

 そして今、世界において、また日本において、心ある知性が、わが学会の存在自体を「大いなる喜び」であると賞讃する時代に入った。
 正視眼(せいしがん)の人は、きちんと見ている。
 創価の同志の皆さまが、どれほど尊い存在であるか。
 法華経の精神を日本に最初に正しく伝えた伝教大師は、道を求める人を「国宝」と呼んだ。まさに、皆さま一人ひとりが「国の宝」なのである。

◆◆◆さあ出発!! 新しい生命で! 

■一粒の米が何万粒にも

 一、きょうは、海外19力国・地域から、わが愛する同志が参加しておられる。遠いところ、寒いところ、また旅費を工面(くめん)されて、ようこそ、お越しくださった。ありがとう! (大拍手)
 稲が、一粒の米から何万粒にも広がっていくように、たとえ少人数であっても、皆さまは大変に重要な方々である。
 フランスの皆さん! 
 イタリアの皆さん! 
 韓国の皆さん! 
 台湾の皆さん! 
 そして、アメリカの皆さん! 
 尊い求道の研修、本当にご苦労さま! (大拍手)

■世界広布の中心 アメリカが前進

 一、このたび、アメリカSGI(創価学会インタナショナル)に、役員会議の議長という役職が新設された。理事長と一体となって広布へ戦っていく立場である。
 ナガシマ理事長も立派な方である。勇気の人であり、正義の人である。世界広布の中心地・アメリカの原動力である。
 そして今回、新議長に、ハサン壮年部長の就任が決まった(大拍手)。
 ハサン議長は、カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得された秀才中の秀才である。
 8人ものノーベル賞学者を出した、世界的な情報通信会社の研究所のリーダーとしても、大活躍をされている。
 アメリカは、ナガシマ理事長を中心として、再び、目覚ましい発展が始まった。
 青年部も新体制で出発した。全米各地の大学1000会場で仏法セミナーを行っていくなど、大変に前進している。
 また、きょうは、アメリ創価大学の学生の代表も出席しておられる。本当にうれしい!(大拍手)

 アメリカに栄光あれ! 
 学生に栄光あれ! と申し上げたい。

■社会に関われば健康・長寿に! 

 一、先日、たまたま見たテレビ番組で、「健康と長寿の秘訣(ひけつ)」が取り上げられていた。
 そのなかで、「町内会の会合に進んで参加する」のと、「理由をつけて断る」のと、どちらが長寿につながる行動パターンなのかが、問われていた。
 答えは明快で、「積極的に会合に参加する」ほうが “健康的であり、長生きできる”であった。
 これ一つとっても、創価学会の行き方は正しい。時代が、だんだん学会に近づいてきているともいえよう。
 番組では、こうも紹介されていた。
 役職を引き受けて、社会に積極的に関わる――そういう開かれた生き方は、脳に刺激を与え、脳を活性化していく。また体の免疫力(めんえきりょく)を高めて、長寿にも通じていく。
 要するに、「閉じこもるよりも、人生は、打って出よ」「そのほうが健康にいい」――こういう結論であった。
 人と会い、人と語ることが大事だ。そこに、本当の人間らしい生き方がある。
 私たちの学会活動は、健康の次元からも、完壁に、生命のリズムにかなっているのである(大拍手)。
 私はかつて、カナダのモントリオール大学のシマー前学長、ブルジョ教授と「健康と人生」をめぐって語り合った。その対談集は現在、海外でも大きな反響を広げている。〈『健康と人生――生老病死を語る』は日本では潮出版社から発刊。また英語版とフランス語版がモントリオール大学出版局等から発刊されている〉

 そのなかでも、私は、社会に「対話」や「交流」を広げる学会の座談会のような場が、どれほど重要な,“健康と希望の広場”であるかを論じた。
 世界の多くの知性が、こうした学会の運動に共感を寄せてくださっている。
 一、古代ローマの哲学者セネカは綴(つづ)っている。
 「哲学は人を晴れやかにし、肉体がどんな状態にあっても人を強くし、かつ喜ばしくし、またたとえ肉体は衰えても、人を衰えさせることはありません」(茂手木元蔵訳)
 その通りである。
 いわんや妙法という「不老不死」の大哲学に生き、戦いゆく我らの人生は、三世(さんぜ)永遠に「晴れやかな旅」である。「幸福の旅」である。人間にとって極致(きょくち)の「人生の旅」なのである。
 “晴れやか”といえば、きょうは本当に素晴らしい天気である(大拍手)。富士山も美しい。朝起きると、すべてが神秘的に輝いて見えた。おめでとう! (大拍手)

■自己管理をし価値ある日々を

 一、スイスの思想家ヒルティは述べている。
 「不断(ふだん)に更新(こうしん)される健康な力は、大きな目的のために非利己的に活動することから湧いてくる」(秋山英夫訳)
 学会員の皆さまは、広宣流布という大目的に向かっている。これだけの激しい大闘争にあっても、生き生きと活動しておられる。
 不思議なことである。素晴らしい、尊いことである。
 皆が「目標」を持っている。「信念」を持っている。法のため、人のため、社会のために尽くしながら、「生きがい」と「充実」をつくっている。
 そして、根本において、絶対の「勝利」の人生を歩んでおられる。
 ただし、生身(なまみ)の肉体である。自分自身の体力を、よく知っておかねばならない。
 特に寝不足はいけない。病気や交通事故のもとであるし、だんだんと体を弱めてしまう。
 暴飲暴食を避け、きちんと毎回の食事を取ることも大事だ。自己管理をし、年齢に応じて、常識的に、十分な睡眠と休息、そして調和の取れた栄養を取ることが大切である。
 健康は「智慧」から生まれる。「信心即生活」である。生き生きと顔色も良く、価値ある毎日であっていただきたい。
 一、大聖人は、病人を抱えた家族を励まして、こう仰せである。
 「この病(やまい)は仏の御はからいであろうか。そのわけは、浄名(じょうみょう)経、涅槃(ねはん)経には病がある人は仏になると説かれている。病によって仏道を求める心は起こるものである」(御書1480ページ、通解)
 たとえ病気になっても、それを機に、いよいよ信心に励んでいくことが大事だと大聖人は教えておられる。
 病気にならないよう、注意していくことは当然である。
 しかし、病気になったとしても、妙法に生きる人生は、すでに絶対に安心の「幸福」と「成仏」の軌道(きどう)に入っている。私たちには、大聖人がついておられる。
 無数の諸仏も、菩薩も、諸天善神も、永遠に、厳然と守護する。何も恐れることはない。
 私も、病気と闘う同志の平癒(へいゆ)を、妻とともに日々、真剣に祈り続けている。
 妙法は、一切を「無病息災」「無事安穏」の方向へ回転させる原動力である。
 すべてを転重軽受(てんじゅきょうじゅ=重きを転じて軽く受く)の方向へ、幸福の方向へ、そして健康長寿、絶対勝利の方向へ回転させる推進力である。
 戸田先生は、わかりやすく言われた。
 「御本尊は、大宇宙の生命を最も強く結集された当体である。その御本尊と感応(かんのう)するから、こちらの生命力も最も強くなるのだ」と。
 明年も、妙法とともに、学会とともに、同志とともに、健康で若々しく、広宣流布のため、令法久住のために、ともどもに戦い、働いてまいりたい。

◆◆〔ガンジー〕人の偉大さを決めるのは富や地位ではなく「行動」

■使命に生きる心に名誉は輝く! 

 一、きょうは、1年の掉尾(とうび)を飾る集(つど)いである。皆と、心ゆくまで対話したい。労をねぎらってさしあげたい。
 ドイツの詩人シラーは、戯曲の中の人物に、こう語らせている。
 「人に名誉を与えるのは、心であって、評判などではありませんぞ」(新関良三訳、現代表記に改めた)
 真の名誉とは、信心である。心である。「広宣流布のため」――この心に、究極の名誉は輝く。
 評判や肩書ではない。崇高(すうこう)な使命に生きる「心」が、その人を輝かせるのである。

 一、堕落した教会制度を糾弾(きゅうだん)した、イギリスの詩人ミルトンは断言した。
 「妬みは地獄におち、たくらみと悪意とは挫(くじ)かれるであろう」(原田純・新井明・田中浩訳)
 「嫉妬」と「謀略」を痛快に打ち破りながら、私たちは堂々と、完勝の歴史を築いていきたい。
 最後に、インド独立の父マハトマ・ガンジーの言葉を贈りたい。

 「人の偉大さは、富でも社会的位地でもなく、只(ただ)全く彼の生活と行為に因(よ)る」(高田雄種訳、現代表記に改めた)
 平和と幸福の連帯を広げゆく、皆さまの地道な行動と人生こそが、最も尊く、最も偉大なのである。

 1年間、本当にありがとう! 
 お帰りになったら、わが同志たちに、わが友に、くれぐれも、深い御礼の言葉をお伝えください。
 どうか全員が、よいお正月を! 
 健康で、希望に燃えた、新しい生命の、自分自身の出発をお願いします。
 ありがとう! (大拍手)

 (2003・12・9)

※編集部として、名誉会長の了承のもと、衛星中継された内容に加筆(かひつ)して掲載
しました。