045 偉大なる才知の学生部



若き精神闘争の戦士よ!

“正義の剣”を振りかざせ  

 イギリスの詩人のシェークスピアは叫んだ。

 「いたずらに好機を逸するのは、その人間の怠慢だ」

 そして「美徳は勇敢であり、善良は恐れを知らぬものだ」と。

 リーダーには、過酷な現実を背負って、嵐の海で舵取りをしていくべき、重大なる使命と責任がある。

 「頭に立つもののいない社会というものは考えられない」との、フランスの作家モロワの言葉は有名である。

 文豪ビクトル・ユゴーも、詩人としての汝自身の使命を、血涙を絞りながら謳った。

 「憎しみや破廉恥なおこないが

 ざわめく民衆を苦しみにおとしいれているとき、

 旅仕度をして去りゆく者にわざわいあれ!」

 「役にもたたぬたわごとを吐きちらし、 町の門をあとにする思索屋に恥あれ!」 

 彼の苛烈な呵責は、時を超えて、今日の指導者たちをも叱咤してやまない。

 諺(ことわざ)にも「魚は頭から腐る」とある。

 社会をリードすべき責任ある人間が、エゴと保身の腐った性根の連中ばかりになったら、この世は闇だ。

 「民衆のために」決然と立ち上がる不動の信念と、「民衆と共に」勇敢に戦い抜く人間修行がなければ、真の指導者とはいえないのである。

 韓国独立の闘士であり、大詩人である韓龍雲(ハンニョンウン)の箴言に、「家庭、社会、国家はもちろんのこと、青年に力がなければ、それがどこであれ、健全であるはずはない」とある。

 その通りだ。

 思えば、広宣流布の未来を託して、戸田第二代会長が生涯の最後に結成された組織こそ、戦う知性・学生部であった。

 未来に生き抜く青年よ!

 偉大なる才知の学生よ!

 社会悪と戦い、あらゆる矛盾に鋭く切り込め!

 断じて、悪への批判力を、烈火の如く持て!

 偉ぶった人間の傲慢な態度や、無責任な言論に対して、その非道を厳しく打ち破りゆく、強き強き破折力を持ち続けていくのだ!

 それが青年だ!

 それが学生だ!

 そのためには――

 英知の剣を磨け!

 正義の剣を高く振りかざしゆけ!

 君よ、観念の遊戯者になるな! 

 利口ぶった人気取りの愚者になるな! 浅はかな、平々凡々たる人生を送るな!

 人生それぞれに、使命があるはずだ。その使命に生きゆく、若き精神闘争の戦士であるべきだ。

 ノーベル賞を受賞した、ドイツの物理化学者アイゲンは語った。

 「新しい大学は自分の殻の中に閉じこもっていることは許されない。外に向けて働きかけ、世界に開かれていなければならない」と。

 この通りだ。

 君たちよ、新しき広布のフロンティア(開拓最前線)への挑戦者たれ!

 わが学生部には、戸田城聖先生が、「正義の懐刀」、そして「正義の智慧の快刀」となりゆけと、深く深く期待していたことを、決して忘れてはならない。

 今年は、南アフリカの「民主化」から十周年である。

 今月、その南アフリカで、アメリカのモアハウス大学・キング国際チャペル主催の「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展が開催された。

 出席されたジョーダン芸術・文化大臣の言葉を紹介しておきたい。

 「平和という大きな理想を実現するためには、長い道のりを進みゆくことが必要です。そのためには、断じて躊躇してはならない」

 全く同感である。大事なのは、臆病を破る勇気だ。不屈の忍耐と執念だ。

 南アフリカは、マハトマ・ガンジーの非暴力抵抗運動の出発点であった。

 そしてまた、私自身、マンデラ前大統領やデクラーク元大統領、ムベキ現大統領らと、南アフリカの平和と、一人ひとりの人間の幸福を願い、思い出深き語らいを重ねてきたのだ。

 “人類への犯罪”といわれた悪夢のアパルトヘイト(人種隔離)政策。この悪政を撤廃させゆく闘争史上に、一つの重要な契機があった。

 それは、民衆に「黒人の誇り」という自覚を燃え上がらせた、学生たちの「炎の心」であった。ナタール大学の医学部生であったスティーブ・ビコらが始めた、「黒人意識運動」である。

 彼は語る。

 「物質的欠乏は十分にひどい、しかし、それは精神の貧困と一対となって人を殺すのである」と。

 精神の貧困――それは、数百年にわたる植民地支配によって植え付けられた無力感と劣等感であった。

 「人は誇りをもって生きているのでなければ、死んでいる」。だからこそ、ビコは、「彼らの希望に再び火をつけること」に生命を捧げた。

 いわば、「南アフリカの人間革命運動」である。

 それまで地面に、はいつくばっていた民衆は、決意深く立ち上がったのだ。前途に向かって、大いなる勝利と希望の瞳を、輝かせながら!

 民衆の背中に乗っていた権力者は慌てふためいた。

 ビコら学生の勇気が人びとに伝染し、やがてアパルトヘイト政策の撤廃へと、社会を動かしていったのだ。

 いつの時代でも、学生の革命の力は、社会を生き生きと覚醒させ、大変革させゆく力となっている。これが、歴史であった。

 日蓮大聖人は、「心こそ大切なれ」(御書一一九二ページ)と仰せである。

 急所のなかの急所の御指南をなされている。

 その一切の原点である「心」が、戦う正義の炎と燃えてこそ、民衆の心に飛び火していくのだ!

 ともあれ、未来をめざし、情熱に燃える知性の学生部の雄々しき姿を見ると、わが同志たちは、先輩も、後輩も、心から安堵する。希望をいだく。誇りを感じる。勇気が燃える。

 ゆえに、全同志から期待され抜いている君たちよ、庶民の川に、民衆の海の中へ、身を投じるのだ!

 そして、あの人と、この人と、共々に手を取り合って、我らが正義を、真剣に叫び抜いてくれ給え!

 「学は光」であり、「知は力」である。

 学理、道理には、国境を超えて、万人を納得させる普遍の光がある。暴君さえも屈服させる正義の力がある。

 世界の広宣流布は、「普賢菩薩の威神の力に依る」(同七八○ページ)と、蓮祖は明言された。

 「普く賢い」英知が、絶対に必要なのである。

 濁世の末法だ。「才能ある畜生」の如き似非(えせ)インテリの悪事は、ますます多くなっていくであろう。

 しかし、だからこそ、その悪を断じて許さぬ真正の英知の英雄、無限の力である戦う知性が、涌出しなければならないのだ!

 「智者と申すは国のあやうきを・いさめ 人の邪見を申しとどむるこそ智者にては候なれ」(同一一五六ページ)と、蓮祖は断言なされている。

 これまた、知性の学生部が心すべき、重要な一節である。

 大聖人は、民衆を幸福の王道へ導かんと、「日本第一の智者たらん」との大誓願を立てられた。そして、その根本の法を求めて諸国を遊学され、一切経を学びに学ばれた青春であられた。

 学ぶのだ、民衆のために!

 学ぶのだ、勝利のために!

 「悩める一人を幸福にするため」に、貪欲に学ぶのだ。

 いかなる苦悩の闇夜をさまよっても、君よ、この「何のため」という、動かぬ北極星を見失ってはならない!

 戸田先生は、荷車を引いて働きながら、苦学の時代を過ごされた。その時の写真を関西の青年に贈り、“行く手に逆巻く、風や嵐を恐れずに進め!”と励ましてくださったこともある。

 私も苦学した。働きながら夜学に通った。恩師を支えるために、途中でその夜学も断念した。だが、学ぶ戦いは、絶対にやめなかった。

 そして、わが師の個人教授「戸田大学」という稀有の大学で学び通した。

 一点の悔いもない、最高に幸福な青春だった。私には、師弟勝利の使命の光が輝いていたからだ。

 尊い使命の君たちだ。

 一にも二にも、自身を鍛えねばならぬ。“鉄は熱いうちに打て”だ。心も、頭脳も、今こそ鍛え抜くのだ。

 今や、学生部の連帯は、全世界に広がっている。

 南北アメリカでも、ヨーロッパでも、アフリカでも、アジアやオセアニアでも、妙法を持った学徒が、大仏法の哲理を学び、正義の対話を広げている。

 また、日本では、これまで優に三百を超える「大学会」が結成。大情熱のスクラムを燃えたぎらせている。

 諸君には、貴女たちには、誇り高き母校がある。そしてまた、一生涯を貫く「学生部出身」「女子学生部出身」の原点がある。

 さあ、広布に走れ!

 君たちは「次の五十年」を担いゆく、二十一世紀の広布責任世代だ!

 ゆえに君たちよ、快活に、また勇敢に、友情の輪を幾重にも、世界中に拡大し抜いていくことだ。

 それが、必ず広布の大波となり、夢に見た人間主義の人類史に輝き残る勝利となっていくことを忘れまい。

 自身、苦学の青春を生きた歴史家ミシュレは、学生たちに烈々と訴えた。

 「あなた方、若い人々なのです! 未来への責任を担うべきなのは。世界はあなた方を必要としています」

 使命深き、妙法の学生部の諸君よ、偉くなれ! 強くなれ! 勝ち抜け!

 そして、人のために、平和のために、邪悪を倒しながら、一生を大きく高く築き上げ、笑みをたたえて飾りゆけ!

 君たち、貴女たちが勝利へ、また勝利へと乱舞しゆく姿を、私は祈り見つめている。

 ――8・31「学生部の日」、9・9「女子学生部の日」を記念して。