064 学生部の使命を讃う



―― 新しき世界を諸君の力で! ――

―― “学び抜け”“戦い抜け”“勝ち抜け” ――

―― 刻苦奮闘の青春の誇り ――

 「人類に対する奉仕が目的のはずだと悟るように、若者たちには責任ある成長をしてもらいたい」

 青年を愛したアインシュタイン博士は、大学教育に携わる一人の友に語った。


 「自分の使命に背を向けてはいけない。世の中の変革を助けるべきだ」


 私には、それが、二十一世紀を担う使命をもった、わが男女学生部への熱い期待の如く感じられるのだ。


 寒風の今日も、全国のキャンパスで、向学の炎を燃やしながら、そして、学友たちと対話を繰り広げながら、若き英才が奮闘している。


 私も、君たちと同じころ、それはそれは苦学した。必死になって、学びに学んだ。


 敗戦日本の焼け野原の地獄の街で、私は、平凡な一人の貧しい青年にすぎなかった。


 古い価値観は大きく崩壊し、誰も彼も、暗闇に手探りの一日一日の生活であった。


 昭和二十二年、私が十九歳で戸田先生に初めてお会いしたころは、読んだ本から感銘を受けた個所を、ザラ紙の雑記帳に書き留めるのが日課であった。


 勝海舟、カーライル、エマソン石川啄木ヘルダーリンダーウィンプラトンモンテーニュ内村鑑三、ルソー、バイロン……。


 古今東西の名著、名作のなかから、手に入るものは片っ端から読みあさった。何から読めばいいのかと迷う前に、“嵐に揺るがぬ大樹”を求める若き魂は、精神の滋養を欲してやまなかった。


 少しずつ蓄えたお金を握っては、神田の古本屋へ飛んで行った。やっと望みの一冊を手にした嬉しさは、今なお懐かしい。


 貧しくとも、青春時代の探求心は、最高に幸福であった。


 難解な本だと、同じページを納得できるまで何度も読み返した。


 疲れ果てて帰宅した夜、本をめくるうち、そのまま引き込まれ、朝を迎えたこともあった。


 戸田先生の事業が暗礁に乗り上げた時も、向学の意欲が衰えることはなかった。


 「人は気力さえあれば、どこにいても学問を求めることができる」とは、かの周恩来総理が、若き日の日本留学中に記された覚悟である。


 「学び」は、自分自身との戦いだ。「力」は、苦闘の果てに勝ち取るものだ。


 それはまた、真の指導者に絶対的に必要な条件なのだ。


 どんなに忙しかろうが、苦しかろうが、徹して学んだ者が勝利者だ。


 頭脳も肉体も、それらをひっくるめた心も、徹して徹して強く鍛えゆくことだ。


 その刻苦奮闘のなかから、君でなければ果たせぬ、偉大な「使命」が、必ず明確な姿を現してくるにちがいないからである。

 私が若き日に愛読した文豪ゲーテは、悠然として、自分の敵の数は「一軍団ほどもある」と語っている。

 「まず第一に、無知ゆえの敵がいる」


 「つぎに、数の上では多勢いるのが、私を嫉妬する連中だ」


 「つづいては、自分の成功がたいしたものではなかったので、敵にまわった連中がいる」等々。


 正義の人は、必ず迫害の嵐を受ける。偉大な人生には、必ず卑劣な嫉妬の攻撃がある――これは、私が青春時代の読書から学んだ真理であった。


 古今の多くの偉人たちも、必ず迫害と中傷の波風を受けていた。いな、嵐のなかでこそ、偉大なる仕事を成し遂げていったのだ。


 釈尊、また日蓮大聖人も、讒言に次ぐ讒言、迫害に次ぐ迫害の御生涯であられた。


 獄死なされた牧口先生の口癖は――


 「大聖人の大難から見れば、自分の難などは九牛の一毛である」


 そして、弟子・戸田先生は、「牧口先生の獄中での死の法難から見れば、自分自身の難など、九牛の一毛に過ぎない」と、幾たびとなく声を詰まらせながら語られていた。


 ともあれ、わが師・戸田先生も、牧口先生に続いて、敢然と正法正義を叫びながら、闘争また闘争の連続であった。


 事業が破綻し、窮地に陥った時、多くの弟子が逃げた。一人去り、二人去り、恩師を支えるのは、事実上、私一人となった。


 先生に大変お世話になりながら、状況が悪くなると、都合のいい弁解をして逃げる。ずる賢き保身であり、臆病な豹変であった。


 その挙げ句、恩師を「ペテン師」「詐欺師」等と、悪口する恩知らずもいた。


 「忘恩は悪徳の内の最悪の悪徳なり」とは、私の胸の奥から離れていかない一節である。


 我が身かわいさに師匠まで平然と裏切りゆく、その忘恩の所業に、私は憤怒に震えた。


 仏法は「勝負」だ。


 この時、私は誓った。


 「師の正義を、断じて世界に宣揚してみせる!」


 師への報恩とは、弟子が勝つことだ。


 歓びの輝く勝利の無言の歌こそ、私の心に響きわたる。それが、日蓮仏法の正しさを、師匠の正義を、満天下に示しゆく道であるからだ。


 大学進学も断念し、師を守るために一心不乱の弟子を、師もまた、その生命を削って教育しようとされた。


 「俺が全部、教えてやるからな!」


 先生は、早朝の始業前のひと時、私のために、政治、経済、法律、歴史、漢文、化学、物理等々、百般の学問を、さらに教学の奥義を個人教授してくださった。


 戸田先生は、大学者であられた。その深遠な講義には驚いた。驚嘆した。


 これは、逝去なさるまで続けてくださった。日曜も祝日もなかった。


 このあまりにも崇高にして偉大な「戸田大学」が、今の私の土台となった。


 私が、「戸田大学」の卒業生の誇りを胸に、アメリカのハーバード大学など、世界の大学・学術機関で行った講演も三十一回を数えた。


 また、これまで世界の英知の殿堂から、百七十に近い知性の宝冠たる名誉称号を頂戴した。全部、恩師と私の「師弟不二」の歓びの歌を歌いながらの勝利の証なのだ。


 君たちも、青春時代を大切にすることだ。


 真剣なる勉学と精神闘争の果てに、新世紀の「師弟勝利」の勝鬨を、断じて轟かせてくれ給え!

 学生の使命は、すべてにわたって先駆だ。これが、世界の歴史であった。

 偉大なる社会変革の烽火(のろし)が上がる時、そこに、必ずといっていいほど、理想に燃えた学生の活躍があった。


 一九一九年の五月四日――当時、中国は、列強諸国や日本による侵略を受け、軍閥政府や官僚たちは、自己の権益を守ることに腐心していた。


 その時、中国の学生たちが澎湃(ほうはい)と立ち上がった。有名な「五四運動」である。


 この学生たちの運動に、留学先の日本から帰国したばかりの、二十一歳の周恩来青年が飛び込んだ。


 運動に疲れが兆し始めたころ、周青年は連帯の中核となる学生組織「覚悟社」を結成する。そのなかに、十五歳の?穎超先生(後の周総理夫人)もいた。


 結成当初は男女各十人の学生からなる、小さな小さな組織であった。


 だが、彼らの胸中には、「断じて勝利してみせる!」という、来るべき新時代を喜び迎えゆく、運命に輝き光る確信があった。


 「新時代は、必ず我らが達成してみせる!」


 「陰気であった長い長い歳月、奴隷の如く、圧政に支配されたこの鎖を、木っ端微塵に断ち切ってみせる!」


 「苦悩の魂」は、栄光輝く「勝利の魂」と変わった。


 若き革命児・周青年や、女性リーダー・?先生たちのめざすものは、何であったか。


 その第一は「革心」――自らの思想と精神の革命であった。


 そして、もう一つは「革新」――あらゆる悪を打ち破り、社会を一新していくことであった。


 彼らは、討論会や学習会で新思想を貪欲に吸収した。共に本を持ち寄っては、次々と懸命に読破し、学び合った。


 また、自分たちの力で小冊子『覚悟』を発刊し、正義の言論戦を強く勇敢に繰り広げていった。


 権力の弾圧にも屈せず、街頭や農村で演説会等を行い、人びとの“精神の覚醒”のために走り抜いた。


 「覚悟社」のメンバーの燃えたぎる情熱と英知は、わずかの間に、同世代の多くの友を糾合していった。


 それは「小さき明星」とも呼ばれ、社会に歴史転回の希望を広げていったのである。


 まるで、わが学生部のグループ座談会や、女子学生部の少人数の懇談会、また日々の友との真剣なる対話のようである。


 数は少なくともいい。相手が一人でもいい。


 正義の哲学をもつ若人が、天空に輝きわたる一番星の如く、燦然と光を放っていけば、新しき時代の夜明けは必然的に開かれるのだ。


 まして、偉大なる妙法の学徒が立ち上がるならば、その“勇気の波動”はどれほど大きいか。


 大聖人は、佐渡流罪が決まった命にも及ぶ大難のなか、こう仰せである。


 「本より学文し候し事は仏教をきはめて仏になり恩ある人をも・たすけんと思ふ」(御書八九一ページ)


 苦労を重ね抜いてきた父や母たちのため、そして、健気な民衆の幸福と勝利のために、断固として戦うのだ! そして断固として勝つのだ!

 君たちには、無限の可能性がある。そのことを絶対に疑ってはならない。

 フランスの女性思想家シモーヌベーユは言った。


 「未来は待つべきものではない、作り出さなければならないのだ」


 未来を作り出すその力とは、人間の不屈の意志であり、みずみずしい創意だ。


 私たちの立場でいえば、大いなる広宣流布への誓願といってよい。


 君よ! 貴女よ!


 自分自身の可能性を信じ、決意と挑戦の連続に身を投じるのだ。


 大願が偉大な行動を生む。


 大願が偉大な自分を作る。


 ゆえに、広宣流布の大願に生ききるなかで、君の無限の可能性も開かれるのだ。


 君が生き抜き、戦った分だけ、広宣流布は進む。


 不思議なる使命を帯びて、今、躍り出た逸材たちよ!


 断じて負けるな! 堕落や安逸の泥などに、足を取られるな!


 不屈の革命児であれ!


 多少のことで、へこたれるな! 自信満々と、強気で、朗らかに青春を勝ち抜け!


 平然と、大胆に、すべてを乗り越えて進め!


 仏法の定理である三障四魔も、三類の強敵も、完膚なきまでに打ち倒せ!


 世界百九十カ国・地域の友も、君たちを見つめている。君たちが、新たな広宣流布の歴史の大局を開きゆくのだ。


 蓮祖は、「諸法実相抄」をこう結ばれた。 「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(同一三六一ページ)


 新世紀の先頭を走りゆく、誉れ高き学生時代である。


 「私はここまで戦い抜いた」「ここまで学び切った」と誇れる、闘争と学問の金字塔を打ち立ててくれ給え!


 わが本門の男女学生部よ、「次の五十年」を、私と君、私と貴女で創ろう!


 君たち、貴女たちの成長と勝利こそ、新しき「人間主義の世紀」の到来を晴れ晴れと告げる鐘なのだ!






2005年(平成17年)1月21日(金)掲載