第2総東京最高協議会〔上〕


歌の力は偉大!
     男子部革命の舞を!
     女子部革命の調べを! 学会歌と共に

未来の勝利は今日にあり

―― [わが友へ] ――
   「この一日を勇敢に熱心に愉快に送れ」




【名誉会長のスピーチ】
 一、晴れやかな創立75周年の「伝統の2月」の冒頭を飾る第2総東京最高協議会、まことに、おめでとう!(大拍手)
 後世のためにも、少々、記念のスピーチを残させていただきたい。
 大聖人は、「日蓮は、第六天の魔王と敵対する者として、大兵を起こして戦うこと二十余年である。その間、日蓮は一度も退(しりぞ)く心はなかった」
(御書1224ページ、通解)と仰せである。
 この大聖人の御心を心として、わが創価学会は、75年間、3代の師弟にわたって、「退く心」なく、ただ広宣流布のために戦い抜いてきた。ここに創価
の誉(ほま)れがある。
 一、「梅咲きぬ。月ようやく美(び)なり」(『武蔵野』岩波文庫
 詩人・国木田独歩が、2月の「武蔵野」を描写した一節である。私も青春時代、愛読した。
 第2総東京のけなげな同志は、厳寒のなか、対話の花を凛(りん)と咲き薫らせている。また、冴えわたる月光のごとく、あの友、この友を誠実な心で照
らし、温かく励ましておられる。いつも、本当にご苦労さまです。
 全国的に、寒さが厳しくなっている。お互いに健康第一で、風邪に注意し、また睡眠不足にならないよう心掛けてまいりたい。

懐かしき同志
 一、きょう(3日)は21世紀の本陣・八王子の八王子平和会館を車から視察させていただいた。今年の1月3日には、あきる野市の秋川平和会館を視察
し、"勝利の1年"のスタートを切った。
 また本年は、創立55周年(1985年)の3月3日に町田文化会館を訪問して、満20年を迎える。町田が広宣流布の「特区(とっく=特別区)」とし
て出発して今年で10周年でもある。あらゆる面で大発展を遂げていると、うかがった。これほどうれしいことはない。
 町田の素晴らしい前進と団結の姿に、皆が大喝采(だいかっさい)を送っている。
 一、さらに立川文化会館は、最も頻繁(ひんぱん)に足を運んだ会館の一つである。
 初訪問は28年前(1977年)。以前から、私は、第2総東京が将来、必ず大発展し、23区と並び立つ重要な地域になると確信していた。
 そのために、先手、先手を打って、人材を育ててきた。近隣を大事にし、一人ひとりの声を聞きながら、広布の基盤をじっくりと広げ、固めてきた。
 今や第2総東京は、全国の友が仰ぎ見る平和と広布の一大拠点として発展している。その中心が立川であることを誇りとしていただきたい。
 また36年前(1969年)の7月6日、急きょ、村山会館(現・村山緑が丘会館)を訪れたことも懐かしい。
 そして、経文通りの悪口罵詈との闘争のなか、東村山文化会館、東大和文化会館を訪れ、敬愛する同志とともに過ごした日々も、わが胸中に永遠に光って
いる。
 さらに、狛江(こまえ)文化会館(現在、新・多摩川平和会館として建設が進んでいる)の初訪問からは27年、日野文化会館は20年、昭島(あきしま)
文化会館は17年、小金井文化会館は15年。行くところ行くところで、忘れ得ぬ黄金の歴史を刻んできた。皆、見事に活躍している。目覚ましい大前進を
していることが、うれしい。
 一、私は、朝も晩も、第2総東京の大切な同志のご健康と勝利と福徳を、御本尊に深くご祈念申し上げている。
 とりわけ、全国模範の第2総東京の婦人部、女子部の皆さま方のご健闘を、私も妻も、心から讃え、ねぎらいたい。
 また尊き「宝寿会(ほうじゅかい)」の方々は、高齢社会の希望のモデルとなって、若々しく、地域社会に心の交流を広げておられる。
 すがすがしい「ヤング・ミセス」の方々も、友情のネットワークを、身近な周囲から幾重にも生き生きと結ばれている。
 友の幸福のため、地域の発展のため、広布の会館に朗らかに集い合う皆さま方は、生々(しょうじょう)世々、子孫末代までも、想像もできない美しい大
宮殿に住むような境涯となる。そういう因を積んでいるのである。
 妙法とは「不思議の法」である。妙法には絶対にウソはない。そのことを確信していただきたい(大拍手)。
 
胸に染み入る指導力を磨け
 一、学会のリーダーは、「指導力」を磨いていただきたい。
 会合での話一つにしても、原稿を棒読みするような冷たい話し方であっては、せっかく集まってくれた皆さんに申し訳ない。人間味が大事である。
 そして、指導は、誠実に、具体的に、また、胸に染み入る話をしていくことだ。
 皆が「よし、やろう」「がんばろう」、そう思えるような話をしていくことである。
 幹部は、これを常に心掛けて、研究していかないといけない。最も人間らしい世界が「妙法の世界」であるからだ。

力強く学会歌を
 一、学会歌は、力強い歌声で、力強い生命で歌っていくことだ。それが学会歌の精神である。
 こういう基本から、もう一度、男子部も、女子部も、新たな「革命」を起こしていただきたい。
 新入会のメンバーも増えている。歌を歌うことで、皆の心を一つにし、前進の歩調を合わせていくこともできる。
 はつらつとした学会歌の歌声とともに、「男子部革命」の勇敢なる舞を、「女子部革命」の爽(さわ)やかな調べを、新世紀の大舞台に敢然と広げてまいり
たい。

勝つてこそ師弟
 一、戸田先生は、青年部を、それはそれは厳しく訓練された。
 最高幹部が大勢いるなかで、ここぞという時には、いつも、青年の私を指名された。「大作、頼むぞ!」と一切の指揮を私に託してくださったのである。
 先生の絶大な信頼にお応(こた)えするために、死にものぐるいで戦った。
 そして、断固として、勝った。勝たなければ仏法はない。師弟はない。
 そのことを、未来を担(にな)う青年部に、今一度、訴えておきたいのである。
 一、戸田先生は、「学会利用の悪人、同志を裏切った卑劣な輩は絶対に許してはならない」と厳命された。
 とくに男性幹部には、「悪に対しては、仇(かたき)を討たずにはおかないというくらいの根性と忍耐と意地を持て!」と厳しかった。これが学会の伝統
である。
 悪鬼入其身(あっきにゅうごしん)の「魔物」から、同志を守り、広布の組織を守っていくのが幹部の責務(せきむ)である。
 根本は「祈りで勝つ」ことだ。諸天を揺るがす「強盛な祈り」は、全宇宙を動かしていく。いかなる敵にも断じて勝つことができるのだ。「祈り」こそ「魔
との戦い」の要諦(ようてい)である。

笑顔で感謝を!
 一、広布の同志に対しては、「信頼の灯台」となっていただきたい。
 会員から「あの人がいるから頑張ろう」「あの人の言葉に勇気づけられた」と慕われるようでなければ、幹部である意味はない。
 ツーンと偉そうに座っているだけで、何を考えているのか、さっぱり分からない。いばってはいるが自分は戦わない。ニコリともしない。そのうえ、皆を
抑えつける ―― それでは「地獄の使い」のようなものだ。かえって皆の邪魔になる。
 幹部は、いばるためにいるのではない。会員に尽くしていくためにいるのである。
 「ご苦労さまです!」「いつも、ありがとうございます!」と笑顔で、頭を下げて、広布に戦う同志に心から感謝し、賞讃を送っていくことだ。
 この「会員第一」の真心と行動が、わが身を無量の福徳で飾っていくのである。

世界には賢明な女性が必要!
ヘンダーソン博士》
  仮定や人間関係や政治に愛情を注ぎ込むのは女性

女性は革新者(かくしんしゃ)!
 一、私が対談集を発刊した、アメリカの未来学者ヘンダーソン博士は語っておられた。
 「いろいろな意味で、女性は"革新者"です」
 「世界の女性たちは『愛情』と『勇気』を、家庭や周囲の人間関係、さらには企業の経営や政治の場に注ぎ込んでいます。
 この女性のもつ力が、二十一世紀にとってどれほど重要なものであるか、計り知れません」(対談集『地球対談 輝く女性の世紀へ』主婦の友社)と。
 ヘンダーソン博士をはじめ、世界の知性から創価の女性スクラムに寄せられる信頼と期待は、一段と深い。
 一、フィリピンの名高い「教育の母」で、名門キャピトル大学の創立者であられるロサレス先生も、創価世界女性会館を訪問された際、芳名録にこう綴ら
れた。
 「混迷する世界には、創価の女性の皆さま方の存在が必要なのです。SGIの連帯が世界中に拡大していかれることを祈ります」と。
 <ロサレス女史は、創価世界女性会館で、こうも語った。「池田博士の平和の理念を広げる『創価の女性』が増えれば、世界は、よりよい場所になるでし
ょう」と>
 理解と共感の輪を大きく深く広げゆく、「女性広報部」の活躍も、第2総東京が最先端を進んでおられる。まことに素晴らしい前進である。
 一、カナダの女性作家モンゴメリーは名作の主人公「アン」に、こう語らせている。
 「いつもだれかが、なくてはならない人だと思ってくれるような人間になりたいわ」(掛川恭子訳『アンの幸福』講談社
 まさに、わが婦人部、女子部の皆さまは、そういう存在として輝いておられる。
 アメリカの女性詩人ディキンスンは喝破(かっぱ)した。
 「信仰の放棄が/ いつか行動を小さくしてしまう」(中島完訳『自然と愛と孤独と』国文社)と。
 正しき信仰を持って行動する人生が、どれほど大きな境涯を開いていくことができるか。
 その模範が皆さま方である。
 イギリスの女性詩人アン・ブロンテも、「信仰とともにあるあいだは私は幸せです/信仰は私のもっとも暗い夜を昼に変えてくれます」(『ブロンテ全集
10』所収「アン・ブロンテ」森松健介訳、みすず書房)と高らかに謳(うた)い上げている通りである。

トルストイを恩師と語り合う
 一、第2総東京は、青年部の成長も目を見張る勢いである。
 青年部は、さらにさらに、力をつけていっていただきたい。良書にも接し、大いに学んでいただきたい。
 ある時、戸田先生が私に「トルストイは読んでいるか」と尋ねられた。
 私は、「読んでおります」とお答えした。
 「トルストイの文学は膨大(ぼうだい)だから、全部、読むのは大変だろう」
 こう言われる先生に、私は申し上げた。
 「おっしゃる通りです。しかし、トルストイの全集の中の有名な作品は、大体、目を通したつもりです」
 すると先生は、「その中から、心に残った一節、また今、読んでいる一文をあげてみてくれ」と命じられた。
 私は間髪(かんはつ)を入れず、記憶するトルストイ箴言(しんげん)を、紹介させていただいたのである。
 戸田先生は本当に厳しかった。徹底して私を鍛錬してくださった。
 師匠に対して、いい加減なことは言えない。だからこそ、私は真剣に勉強した。
 さまざまな報告も、正確に、慎重に行わねばならない。嘘や間違いを言えばそこから狂いが生じてしまう。
 私は、師匠に対して、そういう姿勢で臨(のぞ)んできたのである。
 ここで、トルストイの言葉を、わが青年部の皆さんに贈りたい。
 彼は記している。
 「幸福は、己れ自(みずか)ら作るものであって、それ以外の幸福はない」
(『トルストイ全集第18巻』所収「我等は何の為めに生きるか」深見尚行訳、岩波書店
 その通りである。では、幸福をつくるためには何が大切か。トルストイは綴った。
 「善を行なうことこそ、間違いなくわれわれに幸福を与える唯一の行為である」
 「真の幸福は、けっして一挙に獲得されるものでなく、不断の努力によってのみ獲得される」(北御門二郎訳『文読む月日』ちくま文庫
 善を為すことだ。忍耐と持続が大事である。
 
何のために 生きるのか?
 一、さらにトルストイは、「誤った信仰」は人間に害毒をもたらすと述べ、
こう断じていた。
 「人々が邪悪な生活を送るのは、彼らが真理を信じないで、虚偽を信ずるからにすぎない」(同)
 虚偽は不幸の元凶である。
 そして、トルストイは結論している。
 
 「もしも生が幸福であるならば、生の必然的条件である死もまた幸福と言わねばならない」(同)
 仏法は「生死不二(しょうじふに)」であり、「生も歓喜、死も歓喜」と教えている。
 悔いなき勝利の「生」があってこそ、安穏な「死」が訪れる。「死」は新たな「生」への準備期間となる ―― 。
 世界文学の巨匠もまた、こうした哲学を志向していたのであろう。
 そこで大事なのは「何のために生きるのか」という一点である。
 トルストイは論じている。
 「貴方は訊(たず)ねる、『人生の目的如何(いかん)、何のために人間は生くるや、換言(かんげん)すれば、何のために私は生きて居るか?』と」「宗
教、真実の宗教は、この問題に対する解答に外ならないのである」(前掲「我等は何の為めに生きるか」)
 トルストイが学んでいた、古代ローマの哲学者セネカは、こう洞察している。
 「生きているというのは、多くの人々の役に立つ人のことであり、自分自身を役に立てる人のことです」(茂手木元蔵訳『セネカ 道徳書簡集』東海大学
出版会)
 妙法という人間主義の哲学を掲げ、多くの友の幸福のため、社会のために日々、献身の行動を続ける。
 このセネカの言葉の通り、最高に栄えある青春の道を進んでいるのが、青年部の皆さんなのである。


国木田独歩
  難苦にも忍ぶべし 難苦はわれをして一段の進歩あらしむる推進器なり

人生は戦い! 困難から進歩が
 一、私は若き日、国木田独歩の名文を読書ノートに書き留めた。
 特に読み親しんだのは、独歩の日記として刊行された『欺(あざむ)かざるの記』であった。
 きょうは、その中から、いくつかの言葉を皆さんに贈りたい。
 「理想も実行も、将来も過去も、希望も後悔も、悉(ことごと)く今日に在り」
 「われをして此の一日を高尚(こうしょう)に勇敢に熱心に、愉快に送らしめよ」(引用は潮文庫版『欺かざるの記』から、以下同じ)
 きょうという日が、真剣勝負の「時」である。
 いかなる英雄の生涯においても、一日の行動の積み重ねが一年の事業となる。そして十年の事業となり、一生の事業となるのである ―― 独歩は、そう訴え
ていた。
 ゆえに、朝日とともに新鮮な空気を心に吹きこみながら、一日一日、悔いなく戦い切ることだ。
 一日一日、何かを学び取りながら、自分自身を強く賢く向上させていくことだ。
 そして、一日一日を、断固として勝ち抜いていくことだ。
 「吾(われ)実に一歩一歩行かんとぞ思ふ」
 「一歩の確実堅固ならんことを希(ねが)ふ」
 これも、独歩の一文である。
 一歩一歩、前へ前へ、道を切り開いていく以外にない。一つ一つ、「わが陣地」を固め、「わが城」を築き上げていくことである。
 さらに独歩は綴った。
 「人生は戦なり。これ如何(いか)に繰り返へしたる言葉なるぞ。鳴呼(ああ)人生は戦なり」
 「如何なる難苦にも忍ぶ可し。難苦はわれをして一段の進歩あらしむる推進器(すいしんき)なり」
 「われ遂に勝つ可し。決して失望する勿(なか)れ。強かれ、強かれ。け破(やぶ)りて進む可きのみ」
 「われ遂に何人(なんびと)、何もの、何事にも勝つ可し」
 わが青年部もまた、「断じて勝つ」との不屈の闘志を燃え上がらせて、自らの使命の天地に、青春の「勝利の旗」を晴れ晴れと打ち立てていただきたい。


―― 各地で各国で『創価の大文化運動』に喝采! ――
芸術とは人間を蹂躙(じゅうりん)する者との戦い

輝く希望の歌声
 一、先日、婦人部の「銀の道合唱団」の方々が、素晴らしいCDを届けてくださった。「春が来た」と「野に咲く花のように」の美しい合唱が収められて
いた。
 妻と二人で、感謝をこめて、何度も聴かせていただいている。
 この「銀の道合唱団」や、年頭の本部幹部会を飾ってくださった「白ゆり合唱団」など、わが婦人部の合唱団の方々は、全国各地で希望の歌声を響かせて
いる。ここ第2総東京の婦人部の合唱団も、見事な活躍をしておられる。
 皆、組織の第一線を走りながら、練習に取り組んでいる。聖教新聞を配達してくださっている「無冠の友」も少なくないとうかがった。
 尊き皆さまの活躍と、気高く力強い歌声に対し、この席をお借りして、心から賞讃申し上げたい(大拍手)。

日本一の「勝利の曲」、万歳! 
 一、凛々(りり)しき音楽隊の活躍も目覚ましい。
 先月、日本武道館で行われた「マーチングバンド・バトントワリング全国大会」では、「創価ルネサンスバンガード」が2年連続8度目の日本一(内閣総
理大臣賞)に輝いた。
 この全国大会では、中部、岡山、鹿児島の音楽隊も健闘した。<創価中部ファーストスターズ、創価鹿児島サザンブレイズ、創価岡山レインボーサウンズ
が出場>
 「創価中部ファーストスターズ」は、3月に開幕する「愛・地球博愛知万博)」のイベントにも参加する予定である。
 昨年10月に行われた「全日本吹奏楽コンクール」でも、「創価グロリア吹奏楽団」(3年連続5度目)と「関西吹奏楽団」(9度目)が、そろって「金
賞」に輝いた。
 このコンクールで音楽隊の2団体が同時に「金賞」を受賞するのは、結成以来、初の快挙である。また「創価山梨リード吹奏楽団」も「銅賞」を受賞した。
 皆、それぞれの仕事や学会活動を地道に、誠実にやり抜きながら、誇り高く青春の"勝利の曲"を轟(とどろ)かせておられる。私は、若き楽雄(がくゆ
う)たちの活躍を最大に讃えたい(大拍手)。
 一、"平和の天使"鼓笛隊の活躍も素晴らしい。先ほど紹介した「マーチングバンド・バトントワリング全国大会」では、わが鼓笛隊のカラーガードチー
ムも、初出場で見事に「金賞」の栄冠に輝いた。私も妻も、心からの喝采を送った。
 1月23日に開かれた、「関東バトントワリングチームコンテスト」にも、鼓笛隊の3チームが出場し、そろって「金賞」を受賞。昨年9月の「ジャパン
カップ・マーチングバンド・バトントワリング全国大会」では、「創価シャイニングスピリッツ」が4年連続の優勝を飾った。
 鼓笛隊が結成されて、明年で50年。今や、鼓笛隊は、韓国、香港、フランス、メキシコなど、世界26力国・地域で活躍している。
 地球の反対側のブラジルでも、鼓笛隊が音楽隊とともに独立記念日の行事に参加するなど、素晴らしい社会貢献をしておられる。
 音楽を愛する人生は、生き生きと躍動している。反対に音楽を軽んじ、芸術を否定する人間は、生命が淀んでいく。
 あのベートーベンの「歓喜の歌」を「謗法」呼ばわりして、世界の物笑いになった日顕宗は、その典型といえよう。
 一、 「奇(く)しき歌の力の支配する限り、あらゆる苦悩の襞(ひだ)は消え去るべし」 ―― 。
 ドイツの大詩人シラーの詩「歌の力」の一節である(逸見廣編『正義の書』所収、金星堂)。
 今年は、シラーの没後200年に当たる。
 シラーは強調した。
 「あらゆる芸術は人に喜悦(きえつ)を与へるためのものである。而(しか)も、人間を幸福ならしめることこそ、最高のそして最も厳粛(げんしゅく)な
仕事なのである」(『シラー選集2』所収「悲劇に於ける合唱団の使用について」菅原太郎訳、冨山房
 芸術を通して友に喜びを与え、勇気を贈る ―― まさしく、わが創価の"妙音菩薩(みょうおんぼさつ)"たちの英姿(えいし)である。

「文化の花」「平和の花」を爛漫(らんまん)と
 一、きょうも、創価国際友好会館で、総東京芸術部の皆さまが、さっそうと大会を行っている。
 シラーは「歌の力」の中で、こう謳った。
 「あらゆる虚偽なるものもまた、真理の力強き勝利の前には消え去るべし」
(前掲『正義の書』)
 芸術は人間性の花である。芸術には、人間を蹂躙(じゅうりん)する蛮性(ばんせい)や獣性(じゅうせい)に打ち勝つ力がある。
 文化を大切にすることは、平和へと通じる。
 一人ひとりの生命を耕(たがや)し、幸福の花園を広げていく。文化の興隆と平和の発展に尽くしていく。
 広宣流布は、"文化の花""平和の花""幸福の花"を世界に爛漫と咲き薫らせゆく大民衆運動なのである。

○新たなドラマを
 一、日蓮大聖人は、有名な「大悪大善(だいあくだいぜん)御書」に、こう仰せである。
 「わが門下の者よ、おのおの、何を嘆いておられるのか。迦葉尊者(かしょうそんじゃ)でなくとも舞をも舞いなさい。舎利弗(しゃりほつ)でなくても、
立って踊りなさい。上行菩薩が大地から出現された時には、踊って出現されたのである」(御書1300ページ、通解)
 妙法に生き抜く人生に、悲観はない。感傷もない。愚痴もない。停滞もない。
 何があろうと、希望に燃えて、喜び勇んで、わが「使命の舞」を舞っていくことだ。
 そこに新たな「勝利のドラマ」が生まれていくのである。

                      (〔下〕に続く)