全国最高協議会での名誉会長のスピーチ〔2〕


◆◆◆ 人材養成の基本は自分の養成
◆◆ 未来のために《今》を勝て!


【名誉会長のスピーチ】
 一、戸田先生は、偉大なる広宣流布の指導者であった。
 私は先生のもとで、教学をはじめ、一切の「人間学」「将軍学」を学んだのである。
 先生は言われていた。
 「大聖人の教えは過去でも、未来でもない。現在、ただ今が問題になるのだ。その上
で、未来を大きく把握する教えである」
 現当二世(げんとうにせ=現世と未来世)のための信心である。そして、未来といっ
ても現在の戦いで決まる。
 大切なのは今、どうするかだ。
 御書には、「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(231ページ)との言
葉が記されている。
 学会の永遠の発展のために、今、あらゆる手を打ちたい。この最高協議会から、新
しき前進への波動を起こしてまいりたい(大拍手)。

◆広布に尽くす人を大切に
 一、先生は、こうも語っておられた。
 「学歴がなければ駄目だというような風潮があると、その組織は駄目になる」
 学会は信心の団体である。学歴があるからといって、その人を特別扱いする必要な
どまったくない。
 むしろこれまで、一流大学を出た幹部で、慢心を起こして同志を見下し、愚かにも退
転していった人間がいた。
 大切なのは信心だ。学会のため、友のため、広宣流布のために尽くす人を大切にし
ていかねばならない。
 「焼きもちや利欲や、自分が威張りたいがために、内輪争いをしてはならぬ。最もみ
っともないことである」
 これも先生のご指導である。
 自身の虚栄や欲望のために、広宣流布の団結を破壊するようなことがあってはなら
ない。また、それを許してはならない。
 一、先生は折に触れて、経営哲学についても語ってくださった。
 ある時は、「部下を信用しすぎて、失敗することがある」と言われていた。
 企業家として、幾多の辛酸もなめてこられた先生である。一言一言に、深い経験に
裏付けられた重みがあった。
 また「重役出勤は、最もいけない」とも指導されていた。
 「商売を繁盛させるには、主人が朝いちばん早く来ることが大事だ。中心者というも
のは、何をやらなくても、どっかりと座っているだけでも、意味がある」これが先生の考
えであった。

◆絶対無事故で!
 一、きょうは、女子部の代表も参加しておられる。
 戸田先生は、女子部が夜遅くまで会合を行っていたことに対して、厳しく言われた。
 「前から会合は早く終えて、家に帰れと言っているのに、それが守られていない。女
子部は絶対に事故を起こしてはいけない」
 先生は女子部を最大に大切にされた。私もまったく同じ思いである。
 特に今は、凶悪な犯罪が増えている。帰るのが遅くなって、事件や事故にあうような
ことがあっては、取り返しがつかない。
 智慧を使い、工夫をすれば、短時間でも充実した会合を行うことはできる。女子部の
皆さんは、決して遅くまで会合を行うことがないよう、改めて確認しあいたい。
 一、「人材養成の基本は、自分を養成するにある」と戸田先生は言われた。
 非常に大事なご指導である。幹部は、つねに謙虚に自己を見つめ、精進していかね
ばならない。思い上がってはいけない。慢心があれば、成長が止まる。
 成長の止まった人間は、人に触発を与えることはできない。人を育てるには、まず自
分が戦うことだ。自分が勉強することだ。


◆◆◆ 炎の言論で正義を拡大
◆◆ つねに師と共に! 同志と共に!
     ── 「戸田先生への悪口は許さぬ!」と戦った青春時代
◆◆≪戸田先生≫ 戦いの火ぶたを切れ! 新しい道をつくれ!

◆師と過ごした夏
 一、戸田先生のもとで、先生とともに過ごした一瞬一瞬は、私にとって、すべてかけ
がえのない宝である。
 先生が亡くなられる前年(1957年)の夏の思い出は、ひときわ鮮やかに胸に刻ま
れている。
 このころ、先生のお体は、大変に弱ってきておられた。それでも先生は、命を振り絞
って、学会員の幸福のため、広布の未来のために、指導し、励まし、手を打ってくださ
った。言々旬々が、遺言の響きを持っていた。
 8月は、夏季講習会、信州での指導、北海道の第1回体育大会などがあった。
 北海道の体育大会で、戸田先生のお姿に接した青年たちは、本当にうれしそうだっ
た。戸田先生もまた、躍動する青年たちを見て、大変に喜ばれていた。弟子である私
の喜びも深かった。
 〈あいさつに立った戸田会長は、「初代の会長は、青年が大好きだった。私も青年が
大好きです。おおいにたのみとしている」と呼びかけた〉
 師弟の絆、同志の絆というものは、この世で最も尊いものである。美しいものである。

◆リーダーが先頭に立て
 一、先生は、「八方に戦いの火ぶたを切れ!新しい道をつくれ!」と、青年部に呼び
かけられた。
 私は、先生の言われた通りの行動を展開した。あらゆる分野に挑(いど)み、新しい
道を開いた。どんなことであっても、すべて師匠に直結して行動した。
 自分を守ろうとか、いい格好をしようとか、そんな思いなど、これっぽっちもなかっ
た。
 先生のために、泥まみれになり、傷だらけになって、阿修羅のごとく戦った。
 これが師弟不二である。創価学会の根本精神である。師弟不二とは、人間の尊極
(そんごく)の生き方である。
 先生は、よく言われていた。
 「同志は皆、厳しい現実と格闘しながら、一生懸命、広布に尽くしてくださっている。
それなのに、リーダーが先頭に立って戦わないのは、とんでもないことだ」
 リーダーは、わが身を省みて、深く肝に銘じてほしい。
 「広宣流布の戦だけは絶対に負けるわけにはいかない。民衆救済の尊い使命ある
学会は、何があろうと負けてはならないのだ」
 これもまた、先生の痛切なる叫びである。
 大聖人の仏法は、人類を根本から救いゆく大法である。広宣流布によってこそ、本
当に平和な世界を築いていける。もしも、広布の戦いに敗れれば、民衆の苦しみはや
まない。人類の未来はない。
 先生は、広布のすべてを担い、凄まじい責任感で指揮を執っておられた。あらゆる
魔性と戦っておられた。

◆不正は滅びる
 一、イタリア・ルネサンスの大詩人アリオストは言った。
 「ああ、哀れなるかな、邪悪な輩に長きに渡り、唆(そそのか)されて、苦しみに引き
ずり込まれる者たちよ」(脇功訳『狂えるオルランド(上)』名古屋大学出版会)
 トルストイは、イギリスの歴史家力ーライルの言葉を書き留めている。
 「滅びるものはただ不正なもののみであり、正しきものの負ける道理はない」(北御
門一郎訳『文読む月日(下)』ちくま文庫
 民衆の側に立ち、民衆の幸福のために戦う正義の闘争に、負ける道理はない。い
な、負けてはいけない。
 我々は勝とう! 民衆のために! 未来のために! (大拍手)
 一、私が若き日に読んだ哲学者の三木清は、こう綴っていた。
 「嫉妬こそベーコン(=イギリスの哲学者)がいったように悪魔に最もふさわしい属性
である。なぜなら嫉妬は狡猾(こうかつ)に、闇の中で、善いものを害することに向って
働くのが一般であるから」(「人生論ノート」、『三木清全集第1巻』所収、岩波書店。現
代表記に改めた)
 古今の哲人は、嫉妬がいかに人間と社会を毒するか、さまざまに論じている。
 嫉妬は善いものを害する。優れた人の足を引っ張る。偉大さを否定しようとする。
 逆に言えば、嫉妬されることは偉大な存在の証明とも言える。
 ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、次のような言葉を残している。
 「悪書は、読者の金と時間と注意力を奪い取るのである。この貴重なものは、本来
高貴な目的のために書かれた良書に向けられてしかるべき」(斎藤忍随訳『読書につ
いて他二編』)だと。
 深くかみしめるべき言葉である。
 真実の言論は、社会を正しくリードする。虚偽の言論は、社会を無秩序へと導く。
 私は青年時代、戸田先生や学会に対する虚偽の言論と真っ向から戦った。ただち
に足を運んで、真剣に対話した。
 先生は「外交の根本は誠実だ」と、よく語っておられた。
 私はその教えのままに、どこまでも誠実に語り抜き、理非曲直を明らかにしていっ
た。
 師匠が悪口(あっこう)を言われて、黙っていることなどできない。それを傍観してい
るのは、弟子として、あまりにもずるく、卑怯な態度だ。
 私は、先生が非難・中傷の嵐にあっているときこそ、先生のおそばで仕えた。先生を
守り、学会を守った。これは、わが一生の栄誉である。
 「断じて先生を守る!」「私が戦います! 先生は見ていてください」 ── これが私
の闘争だった。これが本当の学会精神である。

◆師の個人教授
 一、戦争の影響で、まともに勉強できなかった私は、戦後、思う存分、勉強したいと
いう強い願望を持っていた。
 先生の会社に入ってからも、時間をやりくりしては、夜学に通っていた。
 しかし、先生の事業が行き詰まり、社員が一人去り、二人去りするうちに、そういう
余裕はなくなっていった。
 昭和25年(1950年)1私が22歳になる年の正月、先生は私に言われた。
 「日本の経済も混乱している時代であり、私の仕事も、ますます多忙になっていくか
ら、ついては、君の学校の方も、断念してもらえぬか?」
 私は、即座にお答えした。
 「結構です。先生のおっしゃる通りにいたします」
 すると先生は、「そのかわり、私が責任をもって、君の個人教授をしていくよ」と、おっ
しゃってくださった。
 そのお言葉通り、先生はご逝去の直前まで、私にあらゆる学問を教えてくださった。
この私を、誉れの「戸田大学」で鍛え抜いてくださったのである。
 師匠というのは、本当にありがたいものである。
 私にとって、戸田先生は「ただ一人の師匠」だった。
 戸田先生にとって、私は「ただ一人の真実の弟子」だった。
 戸田先生と私は、「不二」であった。
 今も私は、毎日毎日、先生を思い、先生と対話しながら、生き抜いている。戦い抜い
ている。
 いつも師匠と一緒。いつも同志と一緒。この心があれば、何があろうと、断じて負け
ることはない。
 師弟不二の心で、晴れ晴れと栄光の人生を飾っていこう! (大拍手)

                       (2006・7・31)