全国最高協議会での名誉会長のスピーチ〔3〕



◆◆◆ 勝利の指揮を 舞うがごとく!
◆◆ 民衆こそ王者なり
    ── 皆に尽くすのが真の指導者
    ── 《貞観政要》 国は人民をもって本となす



【名誉会長のスピーチ】
 一、連日の協議会、ご苦労さまです。きょうも少々、スピーチをさせていただきたい。
 お会いすることはできなくとも、私のスピーチを待ってくださっている方々がいる。多
くのお便りもいただく。
 そういう皆さんの思いが、ひしひしと伝わってくる。そのためにも、私は語りたい。


◆◆ 異体同心の堅塁城(けんるいじょう)を!

◆鉄の団結で!
 一、もったいなくも、私は、世界中の著名な大学や国際機関から多数の講演の要請
をいただいている。〈これまで名誉会長は、海外の大学や学術機関などで、31回の
講演を行っている〉
 時間がなくて、なかなか、お応えできないが、仏法の人間主義に対する信頼と共感
は、皆さんの想像を超えて、世界に根を張り、大きく広がっていることを知っておいて
いただきたい。
 すべては、師匠の戸田先生のご指導通りにやってきた結果である。
 戸田先生の時代、私たち青年は、先生の指導を必ず実践した。
 広布に戦う師匠のもとに、皆が一致団結していた。役職が上だとか下だとか、経験
が長いとか短いとか、そういう次元を超えて、「師匠の夢」を実現しゆく弟子として、皆
が平等であった。心を合わせて進んだ。
 そこに本当の異体同心ができた。広布に進む鉄の団結が生まれた。
 だから強かった。
 不可能と思えることまでも、成し遂げることができたのである。
 「心こそ大切」(御書1192ページ)である。これが創価学会なのである。
 一、戸田先生は「道をつくれ」と言われた。(会場に飾られた「ウィンザーの道」の写
真を見ながら)一本の道がある。どの人にも、進むべき道がある。
 私は「師弟不二」の道を歩んできた。ただ、ひたすらに、まっすぐに進んできた。それ
が、私の一生の誇りである。
 〈創価の師弟について、ブラジル・北パラナ大学名誉博士号の授与式(1998年)の
際、ラフランキ総長は語っている。
 「私たちは、池田博士が成し遂げたこの偉業と、池田博士の師匠に対する『師弟不
二』の一念に心より感動しております」「私たちの大学にとって、師弟の関係は大変に
重要であります。師匠が計画し、弟子が実行する。師匠が成功の道を指し示し、弟子
が人生をかけてその道を行く。私たちはまた、『一人の人間革命が、やがては一国の
宿命をも転換する』ということを信じています」〉

◆「道」の一字
 一、道といえば、中部において、「道」の一字を、毛筆で一気にしたためたことが思い
出される。場所は、私も何度となく訪れた、懐かしき三重研修道場であった。
 本年は、「中部の日」が制定されてから、30周年ともうかがっている。〈「中部の日」
は7月27日。1976年のこの日、中部の記念幹部会が開催され、名誉会長から「堅
塁」と刺繍された中部旗が授与された〉
 この30年間、私とともに、「誓願」の誉れ高き北陸の同志とともに、偉大なる歴史を
築いてくださった。師弟の魂が光る大中部となった。
 本当におめでとう!
 日蓮大聖人は「大悪大善御書」で仰せである。
 「迦葉尊者にあらずとも・まい(舞)をも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立ってを
ど(踊)りぬべし」(同1300ページ)と。
 戦いは、困難であればあるほど、舞を舞うがごとく、喜び勇んで進んでいくのであ
る。
 大変だからこそ、勝つ喜びも大きい。功徳も無量無辺だ ── そのくらいの気持ち
で、明るく楽しく、心を一つにして、大中部の「新しい勝利の道」を切り開いていってい
ただきたい。よろしく頼みます!(大拍手)

帝王学の書
 一、中国の『貞観政要(じょうがんせいよう)』から、指導者のあり方について、いくつ
か学んでおきたい。
 『貞観政要』は、唐の第2代皇帝・太宗が臣下と交わした問答をまとめた書である。
 父の高祖(こうそ)を継いで、626年に即位した太宗は、年号を「貞観(じょうがん)」
改元。多くの人材を用い、「貞観の治(ち)」と呼ばれる繁栄の時代を実現させたこと
で知られる。
 古来、中国や日本で、帝王学の書として読み継がれ、徳川家康も愛読した。
 大聖人は、この『貞観政要』を、しばしば参照され、自ら書写もされている。流罪地の
佐渡にあっても、『貞観政要』を送るように、弟子に申しつけられている。

◆民衆を愛せ!  指導者革命を
 一、『貞観政要』に「国は人民を本(もと)とし」(原田種成著『新釈漢文大系第95巻』
明治書院)とある。
 物事は、根本を見誤ってはいけない。
 国の根本は「民衆」である。その根本の民衆を大切にし、民衆が豊かに栄えてこそ、
国の発展があり、繁栄がある。
 大聖人は「王は民を親とし」(御書1554ページ)と記されている。
 「権力者が上」「民衆は下」ではない。
 民衆が主役である。民衆が王者である。為政者とは、民衆に奉仕していく存在なの
である。
 「もし、天下を安泰にしようとすれば、必ずぜひとも先ず君主の行いを正しくしなけれ
ばならない」(同)
 これも『貞観政要』の一節である。

 民衆を愛し、民衆に尽くし、民衆のために死にものぐるいで働く指導者を、民衆の中
から育成していかなければならない。
 それが創価の「指導者革命」の戦いである。
 戸田先生は厳しく戒められた。
 「皆、今は新しい気持ちで張り切っている。しかし、下手をすれば、すぐに精神が毒さ
れ、私利私欲に狂ってしまう者が出ないともかぎらない」
 「民衆のため」 ── この一点を忘れれば、必ず慢心となり、堕落する。そういう人
間を絶対に許してはならないし、出してもならない。これが戸田先生の痛烈な叫びで
あった。

◆真剣に丁寧に!  一つ一つ実行!
 一、国が乱れ、滅ぶのは、なぜか?
 「それは、安らかなときに危険になることを思わず、治まっているときに乱れることを
考えず、存立しているときに滅亡することを心配しない、ということが招いたもの」(同)
と『貞観政要(じょうがんせいよう)』には記されている。
 指導者は聡明でなくてはいけない。常に未来を見つめ、今、どこに手を打つべきか。
それを明確にし、迅速に手を打っていくことだ。
 だが、決して焦る必要はない。一つ一つでいい。あっちも、こっちもでは、結局、なに
もできないまま終わってしまう。
 一つ一つ真剣に丁寧に取り組んでいく。そこに未来の勝利がある。

◆小事から大事が
 一、また『貞観政要』には、次のように述べられている。
 「すべて大事というものは皆小事から起こるものである。小事を問題にしないで捨て
て置けば、大事のほうはどうにも救うことができないようになるであろう。
 国家が傾いて危険となるのは、すべてこれが原因でないものはない」(同)
 小さなことが大切である。指導者は、ささいな問題にも気を配っていくことだ。
 「これぐらいはいいだろう」という、いい加減な姿勢が、大きな事故や大間題をもたら
すことになる。
 『貞観政要』には、こうも記されている。
 「道徳心のある君子(くんし)は、人から受けた恩徳を、いつまでも忘れずに心に持っ
ているが、心がねじけた小人は、御恩を忘れずに持っていることができないものであ
ります」
 「(これが)古人が、君子を貴び、小人をさげすんだ理由であります」(同)
 「忘恩」は小人の特徴である。
 これまでも、学会のおかげで偉くなりながら、大恩ある同志を見下し、裏切った人間
が出た。
 そうした卑しい人間が、最後は哀れな末路をたどっていることは、皆さまがご存じの
通りである。


◆◆◆ 宗教は社会変革の力
◆◆ 臆病になるな 大勇妙心を奮い起こせ
     ── <ドイツの哲人大統領> 一人一人が不正を厳しく監視せよ

◆賢明なる民衆の連帯を!
 一、仏法は、全宇宙を貫く法則である。
 仏法が説く原理は、あらゆる組織や団体にも通じていく。一切の思想をも包含しゆく、
最高峰の哲理である。
 私は、この仏法哲学を胸に、世界の指導者や識者と対話を重ねてきた。
 イデオロギーや文化の違いを超えて、率直に意見を交わし、平和の建設へ力を尽く
してきた。
 キューバカストロ議長とも語り合った。
 また、統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領と会見したことも、忘れ得ぬ思い出
である。
 大統領とは、ドイツの大統領官邸でお会いした。深き信念の哲人政治家であった。
 新しき時代を展望し、二人で約1時間にわたって語り合ったことが懐かしい。
 大統領は述べている。
 「宗教のほうから平和を生み出すために働きかけていくことが非常に重要です。そ
れがグローバリゼーションの進んでいる社会における宗教の課題です」(『「平和への
対話」ワイツゼッカー氏 来日全発言』毎日新聞社招致大阪実行委員会)
 平和のために積極的に行動していく。社会を、よりよい方向へと変革していく。そこ
に宗教が果たすべき一つの使命がある。
 大統領は、こうも指摘しておられる。
 「あらゆる不正行為に対して、我々は厳しい監視の目を注いでいかなければなりま
せん」(永井清彦訳『ヴァイツゼッカー日本講演録 歴史に目を閉ざすな』岩波審店)
 悪は見逃すと増長する。本当に、ずる賢い。だからこそ、どんな小さな不正も見逃さ
ず、その芽をつみ取っていかねばならない。
 大統領はまた、民主主義について、こう発言している。
 「民主主義が機能するのは、民衆全体のなかに政治に責任をとる強い気持ちが生
まれてくるときに限ります」(同)
 民衆が賢明になり、政治を鋭く監視していってこそ、民主主義は発展していくのであ
る。

◆死身弘法に真の仏法の実践が
 一、人間を苦しめる悪を許すな! 権力の魔性とは断固、戦え! ── 戸田先生
も、常々、このことを叫んでおられた。
 庶民の真心に支えられて政治家になった人間に対して、先生は厳しく言われた。
 「決して気取るな! 威張るな! 見栄っ張りになるな!」と。
 民衆とともに語る。民衆のために戦う。そして、民衆のなかで死んでいく ── これ
が真の政治家であるというのが、戸田先生の信念であった。
 一、戸田先生は「学会は第3代の会長で決まる」と繰り返し語っておられた。
 その言葉のままに、私は、何十年にもわたって、ありとあらゆる悪口、非難中傷に耐
え抜き、全世界に人材を育ててきた。
 ただ一人、「防波堤」となって、学会を守りに守ってきた。
 これが真実の歴史である。
 この厳粛なる事実を忘れ、現在の学会の大発展を当たり前のように考える幹部が
いるとすれば、それは恐ろしいことだ。
 法華経の行者に迫害があるのは当然である。
 三障四魔・三類の強敵を呼び起こし、それを打ち破っていく。
 この死身弘法の闘争に、真実の仏法の実践がある。
 戸田先生は、「何でもビクビクして、臆病な兎のような奴は人間として最低だ」とまで
言われていた。
 どうか、リーダーの皆さまは、大勇猛心(だいゆうみょうしん)を奮い起こして、一切
の闘争の指揮を執っていただきたい(大拍手)。

                              (2006・8・1)