各部合同研修会での名誉会長のスピーチ〔上〕


◆◆◆ 戦う人を讃えよ そこに無眼の発展が
◆◆◆ 報恩の人が人生の勝者
◆◆≪御聖訓≫ 「仏弟子は必ず恩を知り 恩に報いよ」
◆◆≪戸田先生≫ 「忘恩の獅子身中の虫は叩き出せ!」




【名誉会長のスピーチ】
 一、「一騎当千」という言葉は、どこからきているか。
 それは「一人当千(いちにんとうせん)」という言葉からである。
 釈尊が入滅する直前に説いた涅槃経に、如来の力を讃えた「一人当千」という言葉
がある。
 「大力士(だいりきし)有らん。其の力 千に当り、更に能く之を降伏する者有ること無
し。故に此の人を一人当千と称す」(岩野真雄編『国訳一切経印度撰述部 涅槃部
一』大東出版社、現代表記に改めた)
 すなわち、だれ人たりとも倒すことのできない、千人力の偉大な力士を「一人当千」
という。
 その大力士のごとく、はかりしれない智慧で四魔を降(くだ)す無敵の存在こそ、仏で
あるというのである。
 まさに「一人当千」「一騎当千」の力を発揮しゆく源泉こそ、仏法なのである。
 広宣流布を成し遂げゆく仏法の師弟に、この「一人当千」「一騎当千」の力が涌現し、
具足しないわけがない。
 牧口先生は、「羊千匹より、獅子一匹たれ」と叫ばれた。
 いわんや、リーダーの皆さま方は、この創価の師弟の道に直結して、一人が「一千」、
否、「一万」にも匹敵する師子王の大力を出し切っていくことだ。その生命の勢いと気
迫が大事である。
 新しい人材を、新しい青年を、きら星のごとく育て、新しい広宣流布の圧倒的な勝利、
勝利の時代を断固とつくろう! そのための各部合同研修会である(大拍手)。


◆◆ 青年よ 鍛えの夏を! 一騎当千の大力士に!

◆広布に戦う人は誰なのか?
 一、法華経の法師品に、「仏を讃嘆すれば、無量の功徳を得るであろう。法華経
受持する者を讃嘆すれば、その福徳はまた、それ以上であろう」とある。
 末法の悪世において「法華経を受持する者」とは、いうまでもなく、別しては、末法
御本仏たる日蓮大聖人であられる。
 総じては、日蓮大聖人と「同じ心」で、広宣流布に進みゆく、地涌の菩薩の我々なの
である。
 本当に広宣流布のために戦っている人は、だれなのか。
 その人を、どこまでも大切にせよ! 最大にほめ讃えよ! その功徳は無量無辺で
ある ── それが法華経の心である。

◆婦人を大切に! 陰の人に光を!
 一、大聖人は、この法華経の文を引かれた「国府尼(こうあま)御前御書」の中で、
大難にも屈せず、懸命に大聖人をお守りし、けなげな信心を貫いてきた女性門下を最
大に讃えておられる。
 わが学会も、「創価婦人学会」といってもいいくらい、婦人部の皆さんが、広布の一
切を担ってくださっている。本当に頭が下がる思いである。
 男性幹部は、心して、婦人部、そして女子部の皆さんを、尊敬し、大切にし、讃嘆し
ていかねばならない。
 さらに学会は、警備や設営、救護、整理・誘導など、陰の立場で奔走してくださって
いる多くの方々に支えられている。
 仏法の指導者は、そういう方々の労苦をきちんと賞讃し、それに報(むく)いていくこ
とだ。その心が幹部にあれば、学会は、今の10倍の力を発揮することができる。

◆水滸会の思い出
 一、今の季節になると、「水滸会」の野外研修を思い出す。
 第1回の野外研修は、奥多摩の氷川(ひかわ)のキャンプ場であった。キャンプファ
イアーをして、恩師と語り過ごしたひとときは永遠に忘れられない。
 この師弟有縁(うえん)の天地に立つ氷川東京青年研修道場では、この夏も、はつ
らつと研修や見学会などが行われている。
 また、全国の会館や研修道場の役員の皆さま方にも心から感謝申し上げたい(大
拍手)。
 一、「水滸会」では、毎回、古今東西の名作などを読み合った。
 その一つに、会の名前の由来ともなった『水滸伝』がある。
 その中で、ある登場人物が、古人の言葉を引いて、こう語る。
 「恩を知って返さぬは人でない」(吉川幸次郎・清水茂訳、岩波文庫)と。
 まったく、その通りである。
 大聖人の「聖愚問答抄(しょうぐもんどうしょう)」の一節を拝したい。
 「世に四恩あり之を知るを人倫となづけ知らざるを畜生とす」(御書491ページ)
  ── 世の中には、四つの恩がある。これを知る者を人倫(じんりん=人の道に適
った人間)と名づけ、知らない者を畜生というのである ── と。
 恩を知るのが、人間である。恩を知らないのは、畜生である。
 これは大聖人の御金言である。恩知らずは、人間を名乗る資格はないのである。
 私たちは、絶対に恩知らずになってはならない。御書に仰せの通りに実践していか
なければいけない。これが根本である。

◆「嫉(ねた)みは全ての良いものを抑える」
 一、現代文明に鋭い批評を浴びせた20世紀スペインの哲学者オルテガは言う。
 「恩しらずな人間は、彼の所有するものの大部分が自分で作りだしたものではなく、
それを創りだしたり、手に入れるために努めた人びとから譲り受けたものであることを
忘れている」(桑名一博訳「観念と信念」、『オルテガ著作集8』所収、白水社
 本質を突いた言葉である。
 学歴や肩書の虜(とりこ)となって、人の恩に気がつかない者もいる。社会的に偉く
なり、増上慢になって、お世話になった人の恩を忘れる者もいる。
 さらには、最も大切にすべき恩人に嫉妬し、憎悪して、恩を仇で返す大悪人もいる。
 「嫉みは最も危険な悪徳である」「嫉みがすべてのより良きものを抑えようとする」
(飯島宗享・細尾登訳『ヤスパース選集16 現代の政治意識(下)』理想社)とはドイ
ツの哲学者ヤスパースの至言であった。
 こうした醜い嫉妬と忘恩の輩に、清らかな学会の世界を断じて汚させてはいけな
い。
 恩知らずの者が、学会を利用し、信心を利用して、学会員を踏みつけにしたり、苦し
めたりするのを絶対に放置してはならない。
 不知恩と戦うのが信心の指導者である。
 戸田先生は、恩を忘れた者には厳しかった。
 ある時など、「忘恩の師子身中の虫は、叩き出せ! 」と激怒して叫ばれた。
 大聖人は、「不知恩の人なれば無間地獄に堕ち給うべし」(御書895ページ)とも仰
せになっている。
 これまで私も多くの人間を見てきたが、忘恩の者の末路は、例外なく御聖訓通りの
哀れな姿であった。だからこそ厳しく戒めていくのである。

◆報恩の心が向上の力に
 一、御書には「仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし」(192ページ)と
ある。
 戸田先生は、「恩を返すのが最上の人間だ」とも言われた。
 報恩の人生は美しい。お世話になった人に恩返しをしていこうという心が、一番、自
分を成長させる。限りない向上のエネルギーとなっていく。
 報恩の人こそ、人生の勝利者である。
 そしてまた、広宣流布に生き切ることが究極の「報恩の道」となることを忘れてはな
らない。
 一、「最蓮房御返事」には「師弟契約(していけいやく)御書」との別名がある。
 このなかで大聖人は、法華経の「もし仏の教えを説く師に親しみ近づくならば、すみ
やかに菩薩の道を得るであろう。この師に随順して学ぶならば、ガンジス川の砂の数
ほど多くの仏を拝見することができるであろう」との一節を引かれている(同1340ペ
ージ)。
 いかなる師につくのか。それで、すべてが決まる。ゆえに、正義の師に随順せよ。悪
師は遠ざけよ。それが大聖人の厳命である。

◆正義の師匠を断じて守れ!
 一、正義の師匠を守ることが、弟子である私の戦いであった。
 戸田先生の事業が破綻し、一人、二人と去っていった時も、私は、ただ一人、先生
のもとで働いて働いて働き抜いた。
 先生が75万世帯の願業を掲げられた時も、幹部の中には、「戸田先生はずいぶん
長生きをされるのだな」と他人事のように思っている者もいた。
 ただ一人、私が猛然と立ち上がった。
 「断じて先生を守るのだ!」「先生のご指導のもとに一致団結するのだ!」「先生と一
緒に広宣流布をするのだ!」
  ── この強き一念で、同志を糾合(きゅうごう)し、先生を中心とした完壁な異体同
心の団結を作り上げた。そして怒濤のごとく前進したのである。
 戸田先生はしみじみと言われた。
 「私の心を分かってくれるのは、大作一人だな」と。
 その言葉だけで、私は幸せだった。先生に信頼していただける戦いができたことが、
私の青春の誇りであった。
 この「師弟の闘争」があったから、学会は勝った。世界的になった。
 もしも、この心がなくなれば、衰亡(すいぼう)は避けられない。
 だからこそ、「師弟に生き抜け! 」とリーダーの皆さんに訴えたいのである。

         (〔下〕に続く)