創価教育代表者会議〔下〕



◆◆◆ 青年は ほめて伸ばせ
      ── 父母に安心を! 子らに励ましを!
      ── 「欠点」よりも「いいところ」を見つけよ

◆◆ 教育は魂を磨く芸術
  ◆≪中国の歴史学者
       「教師の労働は平凡なようでいて 実は ずば抜けている」



 一、人に教えるには、まず自分が、どんどん吸収することだ。
 人類の智慧の泉は無尽蔵である。
 東西の英知に学んでいきたい。

◆誇りうる職業
 一、中国を代表する歴史学者の一人である、華中師範大学の章開ゲン(サンズイ+元)(しょうかいげん)教授(同大学元学長)は語っておられる。
 「教師は、人の世における最も偉大な職業であります。また人の世における最も艱難辛苦(かんなんしんく)に満ちた職業です。ゆえに最も誇り得る職業なのであります」
 「教師の任務は知識の伝授にとどまらず、より重要なのは、魂をかたちつくることであります。教師の労働は平凡なようでいて、実はずば抜けており、いかなる大学者もかなわない『最先端の学問』に関わっています。それは、一種の総合的な科学であり、また総合的な芸術でもあります」
 教師という仕事が、いかに大事か。それを忘れないでいただきたい。
 また、湖南(こなん)大学の王耀中(おうようちゅう)・常務副学長は、同大学の指針について述べておられる。
 「湖南大学は976年に創設された岳麓(がくろく)「書院に端を発しています。
 250年ほど前に『18条の学則』を定めましたが、その第1則に掲げたのが親孝行でした。
 親を愛せない人間に人民を愛することはできません」(「パンプキン」7月号、潮出版社
 親孝行のできる人間に育て! ── 私もあらゆる機会に訴えている。
 どのような時代にあっても、この根本は変わらない。教育者の皆さんは、人として生きゆく根本の道を、教えていっていただきたい。

◆慈愛の手紙綴つたペスタロッチ
 一、スイスの大教育者ペスタロッチは、生徒の親に対して、多くの手紙を綴った。
 「すべての点で彼はひじょうに立派な進歩を遂げ、自分の成長と、自分の知識と技能とを喜んでいます。(中略)彼がどんなに立派になってくれるかを予感してわれわれは心から元気づけられます」(虎竹正之訳「親と教師への手紙」、『ペスタロッチー全集第13巻』所収、平凡社
 文面から、ペスタロッチの心の温かさを感じる。
 子どもは、勉強であれ何であれ、最初は“できなくて当たり前”だ。
 それをできるようにするのが、教育の役割である。
 私も、未来に伸びゆく青年たちに話をする際には、さまざまな角度から研究し、準備をする。勉強を重ねて臨んでいるつもりである。
 一、教師は、保護者の方々とつながっていく姿勢が重要である。
 当然、決まったかたちはないが、保護者の皆さんに安心していただくために、知恵を尽くし、動くことだ。
 ペスタロッチは、ある生徒の親に対して、「彼は張りきって努力し、(中略)われわれは彼を得たことを喜び、彼がご両親のお喜びとご満足とに値する成長をしてくれることを確信して」いると伝えている(同)。
 日本の教育では、何かにつけて、「欠点」を見つけ、指摘することが多い。
 そうではなく、「ほめる」ことである。いいところを見つける努力をするのである。
 またペスタロッチは、ある生徒の父親に、次のように述べている。
 「教師や補導者たちが彼に関して述べている愛すべき心情と不屈の勤勉との見あげた態度についての証言を、わたしは尊敬すべきあなたにお伝えします。それはきっとあなたの父としてのお心を喜ばせるでしょう。
 彼の成長は仕合せな静かな、しかし確かな歩みを進めています」(同)このような手紙を受け取った親は、どれほど安心し、心強く思ったことだろうか。
 保護者の方々を不安にさせてはならない。いろんな方法で心を通わせていくことだ。
 ペスタロッチの手紙は、大事なことがらを、現代の教育者に教えているように思う。
 創価教育の先生方もまた、ペスタロッチのごとく、相手の心に残る誠実な振る舞いで、立派な歴史を残していただきたい。決して安直(あんちょく)に考えてはならない。

◆知恵を増やせ!
 一、夏なので、暑くて、なかなか頭に入らないかもしれない(笑い)。角度を変えて、イギリスの哲学者ラッセルの言葉を紹介したい。
 「知識は力である。しかし、それは善に導く力であると同時に、悪に導く力でもある。
したがって、人間の知識が増すと同じだけ知恵が増さなければ、知識の増大は不幸の増大になる」(正田義彰・荒井良雄編『ラッセル名言集』原書房
 よく咀嚼(そしゃく)すべき一言だ。知恵を忘れ、知識のみに偏(かたよ)る流れは、非常にこわい。21世紀に入って、その傾向は強まっている。
 牧口先生とも親交のあった新渡戸稲造(にとべいなぞう)博士は、海外のある大碩学(だいせきがく)と語り合った際、その高い学識と謙虚な態度に、深い感銘を受ける。
 そして日本の学問の世界を振り返って、「なぜ日本の学者の学問は、体の内部にしみ込まないで、鼻の先にぶら下げるのであろうか」と嘆いた(『偉人群像』実業之日本社。現代表記に改めた)。
 現代にも通じる、鋭い指摘であると思う。そうした悪しき伝統を変革するのが、創価教育の使命である。

◆正邪を見極める力を育てよ
 一、近代教育学の父と言われ、牧口先生も敬愛していたコメニウスは、「人類の破滅を救うには青少年を正しく教育するより有効な道はほかにはない」と訴えた(鈴木秀勇訳『大教授学1』明治図書出版)。
 また、「他人の道案内を買って出る者からして 他人を迷わせ その道を誤らせているのです。他人の光明でなくてはいけない者が かえっていちばん闇をひろげているのです」と、人間精神の荒廃に警鐘を鳴らした(同)。
 どんな社会であれ、指導者層の堕落が「一凶」となる。その社会の「根本的な間違い」につながる。
 ゆえに、正邪を見極める力を育てる教育が必要である。民衆奉仕の指導者を育成する教育が求められているのである。
 インドの詩聖タゴールは言った。
 「われわれの教育は、経済的、知的、美的、社会的、精神的なあらゆる面をふくむところのわれわれの完全な生活と十分に接触をしなければならない。そして教育施設は、われわれの社会の中心そのものでなければならない」(松本重治編訳、P・C・マハラノビス「タゴールのメッセージ」、『インドの心』所収、中央公論社
 学会は、もともと「創価教育学会」からスタートした。
 私は、精神面でも、施設面でも、あらゆる次元において、ますます教育に力を入れていくつもりである。
 そして、立派な創価教育の殿堂を共々につくってまいりたい(大拍手)。

◆≪「昆虫記」のファーブル≫
     子どもの眠っている能力を呼び覚ます名授業を!

◆「人間」への興味を燃え立たせよ
 一、さらに東西の先哲の箴言に耳を傾けたい。
 アメリカ・ルネサンスの巨人エマソンは論じている。
 「教育の深遠な目的は、生活の目的とよく均衡のとれたものでなければならない。その目的は道徳的なものでなければならない。
 すなわち、それは自己信頼を教え、青少年自身のうちに興味と彼自身の本性に関わる好奇心を鼓吹(こすい)し、さらに青少年に彼の精神の根源を会得させ、彼にはあらゆる力がそなわっていることを教え、彼が生活するところに宿る崇高なる精神にたいする敬虔の念を燃えたたせることにある」(市村尚久訳『人間教育論』明治図書出版
 いい言葉である。軍国主義の時代に、“教育の目的は児童の幸福である”と高らかに提唱した牧口先生の信条と深く響き合う。
 『昆虫記』で名高い博物学者ファーブルは、「授業において大事なこと」を語っている。
それは、「なにを教えたか、多少ともうまく理解させたか、ということではなく、生徒の眠っている能力を呼びさますことだ。隠された爆発力を解き放つ点火火花であることだ」
というのである(渡辺広佐訳、マルティン・アウアー『ファーブルの庭』NHK出版)。
 このような名授業が、いつもできるとは限らないと思うが(笑い)、常に、「少しでもよい授業を! 」との挑戦を、頼みます。
 一、人間は、教育で育つ。
 私は、戸田先生から毎朝、学問の万般にわたる個人授業を受けた。
 そして、44歳の時には、イギリスの歴史学者トインビー博士と対談を行った。世界的な大歴史学者の博士と深い対話ができたのも、すべて戸田先生から受けた薫陶のお陰である。
 当時80歳の博士から、直接会って語り合いたいとの丁重なお手紙をいただいた(1969年)。
 大乗仏教の可能性に注目されていた博士は、その若き実践者である私との対談を希望されたのである。
 博士の自宅は、赤レンガのアパートの5階。エレベーターの扉が開くと、博士夫妻が笑顔で迎えてくださった。忘れられない場面である。
 対談では、日本文学の古典である『万葉集』や『源氏物語』も話題になった。2年越しで延べ10日間、40時間。全力で対話した。
 そして対談の終わりには、ローマクラブの創始者であるペッチェイ博士をはじめ、一流の知性の方々との、さらなる対談を勧めていただいたのである。
 トインビー博士との対談集は今、世界各地の大学などで、教材として使われている。

◆教育は子どもが根を張る「大地」
 一、仏典には、“弟子は草木の如く、師匠は大地の如し”との原理が説かれている(「華果成就御書(けかじょうじゅごしょ)」)。
 師匠という大地に、弟子は生き生きと根を張って、大きく育っていく。
 創価教育の教職員の方々は、子どもたち、学生たちの「大地」になっていただきたい。
 そして、色とりどりの花や果実を、見事に咲かせ、実らせていただきたいと念願し、私のスピーチとします。
 くれぐれも体調に気をつけて。ありがとう! (大拍手)

                (2006・8・3)