関西・九州・中国・四国合同研修会〔中〕


◆◆◆ 君よ 広布栄光の歴史を綴れ
◆◆◆ 連戦連勝の人生を
     ── 青年と「一緒」に戦い 「一緒に」成長を!
◆≪男女平等を進めた識者≫  
     ── 女性こそ平和を創(つく)る担い手


【名誉会長のスピーチ】
 一、戸田先生は叫ばれた。
 「一緒に、戦おう!  一緒に、大聖人の仏法を広めよう!  一緒に、不幸の人を救おう! 一緒に、連戦連勝の人生を生き抜こう!」
 「一緒に!」 ── これが、青年部育成の合言葉である。
 恩師自ら、その範(はん)を示してくださった。先生は励ますときも、怒るときも、常に全力であった。共に泣いてくださったこともあった。
 手を抜いて、人材が育つわけがない。共に折伏に励み、共に学会活動のど真ん中で、戦い抜く。そこに成長がある。
 さあ、きょうも、私と「一緒に! 」、偉大な勝利への一歩を刻もう! 広布栄光の歴史を綴りゆこう!(大拍手)

◆青年は生命力を旺盛に戦い抜け
 一、戸田先生は、私に託された。
 「関西の勝利で、50年先、100年先の学会が決まる。絶対に負けてはならない!
 大作、関西に広宣流布の一大拠点をつくってくれたまえ!」
 当時、.私は20代。
 師の構想に、断じて蹉跌(さてつ)をきたしてはならないと、猛然と自分を奮い立たせた。それが弟子の道である。
 本年は、その「大阪の戦い」から50年の節目である。
 関西こそが、これからの50年の勝利を牽引(けんいん)していただきたい(大拍手)。
 一、九州は、戸田先生が東洋広布を託された天地である。
 昭和32年10月、福岡での九州総支部結成大会に先生は出席された。生命を振り絞るように、こう叫ばれた。
 「九州男児、九州婦人の健康なる姿と心を見て、私はまことに嬉しい」
 「民衆救済の大責務は創価学会の肩にかかっている」
 「願わくは、今日の意気と覇気(はき)とをもって、日本民衆を救うとともに、東洋の民衆を救ってもらいたい」
 九州の友は戦い抜いた。「九州男児、よろしく頼む! 」との恩師の遺言を胸中深く刻み、大九州の建設に命を捧げた。
 私も、恩師と全く同じ気持ちで、今再び、「九州青年部よ、よろしく頼む!」と心から申し上げたい(大拍手)。
 戸田先生は、青年をこよなく愛された。
 「青年よ、生命力を旺盛にせよ! そして、一日も早く、日本中に、妙法を受持する人間を充満せしめようではないか!」
 日本中に! 世界中に!  ── その気概亡くして青年とはいえない。

◆「新リーダーを大胆に抜擢せよ」
 一、西日本の4方面の皆さんは上半期、見事な模範の戦いをされた。
 女子部拡大も、全国の約半分を占めている。おめでとう! (大拍手)
 これも、婦人部と女子部が、麗しく一体となって築いた金字塔である。
 中国人民の母であり、周恩来総理の夫人である?頴超(とうえいちょう)女史は、生涯、女性の向上とリーダーの育成に取り組まれた。
 「偉大な事業を成し遂げるためには、女性の組織を強くし、充実させ、拡大させていくことが、絶対に必要である」
 これが?(とう)女史の確信であった。
 そして、「女性の組織を強くしていくためには、新しいリーダーを大胆に抜擢し信頼し、実際の戦いのなかで、忍耐強く育てていくことである。そうやって、民衆のなかで成長していった女性リーダーは、幾百万の広大な女性たちを率いていくことができる」と訴えておられた。
 21世紀の広宣流布を決定づける最も大事な存在は、今の女子部の方々である。新しいリーダーを全力で育てたい。学会活動こそ、生命を鍛え磨きゆく、最高の希望と友情の広場である。
 日本国憲法の草案に携(たずさ)わり、「男女平等」条項の誕生に貢献したベアテ・シロタ・ゴードンさんは、聖教新聞のインタビューで語っている。
 「女性が幸福でない社会は、平和ではありません。そして平和主義者である女性が世界の平和を創る担い手になることは間違いありません」
 すべての女性が輝く社会を! ── この信念で、私どもは、勇気の対話を広げてきた。

◆世代を超え団結一、?穎超女史は、職務を引退する同志に、こう述べている。
 「役職は退いても、“心は退かず”ですよ。後輩や青年、さらに新しい同志を助けていくのです。そして、自分の経験を伝えていくのです」
 その通りだ。最後まで皆に恩返しをしていくことである。
 周総理も、こんな言葉を残している。
 「老年だけでは、豊かな経験をもっているから間違いをおかすことはないけれども、しかし、進歩で発展という点では不十分だ。青年だけでは、新しいことをどんどんやるけれども、しかし、どこへ進むのかわからないから危なくて、やはり青年だけでは駄目だ」(周恩来記念出版刊行委員会『日本人の中の周恩来』里文出版)
 老年と壮年と青年 ── それらが絶妙のバランスをもって、最大の力を発揮していくには、やはり壮年がカギとなろう。
 婦人部・女子部のスクラムに負けない、一体となった男性の躍進に期待したい(大拍手)。


◆◆≪戸田先生≫
    ── 未来は関西の勝利で決まる
    ── 九州の覇気で民衆を救え!

◆「3日会わねば1年ぶりのように」
 一、大阪・中之島の中央公会堂は、私にとって権力との闘争を誓った忘れ得ぬ会場である。
 いつごろから、わが同志が、この公会堂を使うようになったか。
 それは、昭和30年1月23日の「西日本三支部連合総会」が最初である。
 当時、大阪で屈指の収容能力を誇る同公会堂で会合を開くことが、皆の大きな夢であった。総会には、西日本から1万余の同志が続々と集い、場外にも人があふれた。
 私も、戸田先生とともに出席し、輝く西日本の未来に思いを馳せた。
 先生は講演された。
 「(牧口先生とは)私の21の年から、45歳で先生が亡くなるまでお供いたしました」
「東条内閣の圧迫を受け、東京拘置所にはいるまで、先生と3日会わなければ、1年も会わないような気持ちでお仕えしてまいりました」
 戸田先生は、まず「師弟」の精神を教えられた。それが学会の魂であり、一切の発展の原動力であるからだ。
 師弟というのは、師匠に弟子が仕えきっていくことだ。弟子が力をつけ、立派になり、偉くなって、師匠にお応(こた)えするのだ。そして師匠に報告するのだ。牧口先生に対して戸田先生は、そうされた。私も、戸田先生に対して、そうしてきた。
 これからのリーダーが、その実践を貫いていけるかどうかで、学会の未来は決まる。
 総会で、戸田先生は宣言された。
 「ここに、ひとつの覚悟をもって会長になった以上は、つらいも悲しいもあるものか。
私のからだは皆さまの前に投げ出して、広宣流布の大闘士として、私は戦います」
 大師子吼であった。
 わが身をなげうつ覚悟がなければ、どうして幾千万の同志を守り、広布の道を開けるか。
 不惜身命。死身弘法。(ふしゃくしんみょう ししんぐほう)
 この大聖人直結の実践こそ、広宣流布の指導者の永遠の軌道でなければならない。
 一、ともあれ、時代は、大きく変わった。西日本の新しい時代が到来した!
 今回の4方面とも、新しい人材が光っている。新しい前進の息吹が漲っている。うれしい限りだ。頼もしい限りである。
 思えば、牧口先生も、西日本から広宣流布の波を起こされた。
 戸田先生も、西日本が広宣流布の命運を担うと定めておられた。
 先駆の九州、人材の中国、正義の四国、そして常勝の関西 ── いずこも「創価の三代」と直結である。だから強い。だから負けない。
 どうか、皆さんこそが、全創価学会の中核中の中核であるとの誇りと自覚、責任をもって、私と一緒に断固として、新しい創価学会を築いていただきたい(大拍手)。

                     (2006・8・8)