関西・九州・中国・四国合同研修会〔下〕



◆◆◆ さあ 広宣流布秋の陣へ前進
◆◆ 「創価の道」は「健康の道」
◆≪米国の識者≫ 友好は一対一の対話から始まる
◆≪「サウンド・オブ・ミュージック」の音楽家
         ── 信頼こそ力 不可能をも可能に!

【名誉会長のスピーチ】
 一、映画「サウンド・オブ・ミュージック」といえば、今も多くの人に愛される世界的な傑作である。「ドレミの歌」や「エーデルワイス」など数々の名曲で有名だ。
 そのモデルとなったのが、20世紀のオーストリア出身の音楽家マリア・フォン・トラップ女史の一家。
 彼女は、私が対談したアメリカの平和研究の母、エリース・ボールディング博士と親交を結んでいる。
 戦火を逃(のが)れ、明るく生き抜いたトラップ女史の確信は何であったか。
 「信頼は、新しいエネルギーを生みだす。これまで自分でも知らなかった心の深みがあらわれる。意志を堅固にし、目的にむかって焦点をあわせてくれる。さらにいえば、不可能を可能にする力をあたえてくれるのだ」(谷口由美子訳『サウンド・オブ・ミュージックアメリカ編』文渓堂)
 信じ合える人がいる。同志がいる。これこそ力だ。反対に、信頼なき社会は暗黒である。
 信頼あるところ、歓喜が生まれる。みずみずしいエネルギーが満ちてくる。皆がうらやむような、美しき信頼のスクラムを、わが地域に築いていただきたい。

◆青年を人材に!
 一、いよいよ広宣流布も「秋の陣」を迎える。
 焦点は何か。
 「人材」である。これからのリーダーを、徹して鍛え、育てゆくことだ。
 戸田先生は、人材を求めに求めておられた。
 「ますます、人材が必要である。いつでも私の手駒となる人材が輩出してほしい」
 「青年部は、みな、私の手駒となってもらいたい。いつ、いかなる大任を受けても、悠々と引き受けてもらいたい」
 師の仰せ通りに、私は広布の最前線に身を投じた。行く先々で、栄光の凱歌を轟(とどろ)かせた。
 昭和31年、大阪の戦いの大勝利に続いて、私は中国方面の大開拓を戸田先生から託された。
 その年の9月のことである。
 「大作、君が行って、指導・折伏の旋風を起こせ! やるからには、思い切って戦い、そして勝ちまくれ!」
 この山口闘争では、わずかな期間で10倍の拡大を実現した。広布の人材山脈を断じて築いてみせる! ── それが私の決意であった。
 先生は青年の成長を心待ちにしておられた。
 「私は、ただ、諸君たちが立派に育って巣立つのを、一日千秋の思いでじっと待っている」と。
 人材なくして、未来はない。だからこそ私は、命を削って青年部の鍛錬に全魂を注ぐのだ。


◆◆ 中国が拡大の旋風を 平和革命は四国から

◆新しい時代を!
 一、戸田先生は、四国にも広布の足跡を残しておられる。
 西日本三支部連合総会の前日、昭和30年1月22日に、先生は四国の高知で記念総会に出席。私もご一緒した。
 先生は叫ばれた。
 「新しい時代の平和革命は、日蓮大聖人の思想を実践する以外にない。
 高知の地から、新たな平和革命のうねりを頼む! 」
 四国には、恩師の精神が、時代とともに、ますます燃え盛っている。
 偉大な使命を帯びた四国の天地から、真実の平和の大潮流を起こしていただきたい(大拍手)。
 世界人権宣言を推進したアメリカのエレノア・ルーズベルト大統領夫人は述べている。
 「この世界に平和を創造するためには、一人の人間との理解を深めることから始めなければなりません。
 そこから、人々の集団のより良い相互理解が芽生えるのです」
 一対一の語らい ── そこから、平和も、友好も生まれる。どんなに道は遠くとも、一人また一人と、意識を変え、生命を変えていくしかない。
 これが広宣流布運動である。永遠に変わらぬ勝利の方程式である。


◆◆ 大聖人が病の友に
     ── 妙法で乗り越えられぬ試練はない

◆苦悩に打ち勝つ「最高の良薬」
 一、この夏、猛暑が続いている。秋への季節の変わり目は、悪天候も多い。なかには、体調を崩している方もおられるかもしれない。
 大切な大切なお体である。私は、妻とともに、皆さんの健康と無事安穏を祈らぬ日はない。健康第一で、賢明な日々を送っていただきたい。
 日蓮大聖人は、病床の身の富木尼御前(ときあまごぜん)に励ましを送っておられる。
 「何よりも気がかりなことは、あなたのご病気です。心して、言われた通りに、まず3年間は、初めにやっていたように灸治(きゅうじ)をしなさい」(御書975ページ、通解)
 途中で挫(くじ)けず、病気と闘い続ける。そして、絶対に治してみせる! ── その強い祈りと一念が病魔を打ち砕く。
 また、病気の家族を抱える南条時光には、こう仰せである。
 「あなたの家の内に、病気の人がいるというのは、まことでしょうか。
 (もし、それが本当であったとしても)よもや鬼神の仕業(しわざ)ではないでしょう。
十羅刹女(じゅうらせつにょ)が、信心のほどを試しておられるのでしょう」(同1544ペ
ージ、通解)
 病気は信心を深めるチャンスなのである。
 まっすぐに信心を貫けば、重い宿業も、軽く受ける。必ず「転重軽受(てんじゅきょうじゅ)」「変毒為薬(へんどくいやく)」の実証を示していける。
 妙法で乗り越えられない試練などない。
 高橋六郎兵衛入道(たかはしろくろうひょうえにゅうどう)が病気にかかった時も、大聖人は、渾身(こんしん)の激励をされている。
 「あなたのご病気が重くなられたことは、嘆かわしいことです。ただし、剣(つるぎ)は敵を討つため、薬は病気を治すためのものです」「法華経は全世界の人々の病気の良薬と説かれています」「どうして、あなたが助からないわけがありましょうか」(同1462ページ、通解)
 大聖人が、門下をどれほど、温かく気遣われたか。御本仏の大慈悲が胸に迫ってくる。
 いかなる大苦悩にも打ち勝つ「最高の良薬」こそ、妙法なのである。

◆報告は直ちに!
 一、ある弟子には、こうも仰せである。
 「あなたが、この病気にかかったことを、ある人から聞いたので、私(大聖人)は、あなたの病気の平癒(へいゆ)を日夜、朝暮に法華経に申し上げ、朝暮に青天(せいてん)に訴えておりました。病が治ったことを、きょう聞きました。これ以上、うれしいことはありません」(同1298ページ、通解)
 病気の友の報告が入れば、すぐに手を打つ。希望と勇気を直ちに送る。祈る。それが広布のリーダーである。その電光石火の励ましに、友も奮い立つのである。
 大切な会員のために、真剣に祈り、守り抜く。その姿勢を忘れたならば、もはや、リーダー失格である。
 また、病気のために、山にこもろうとする、弟子の最蓮房(さいれんぼう)には、こう決意を促しておられる。
 「たとえ、山や谷に、籠(こ)もられたとしても、ご病気が治り、都合も良くなれば、身命を捨てて妙法を弘通していきなさい」(同1357ページ、通解)
 病気だからといって、「戦う心」を弱めたら、病魔に負けてしまう。
 広布のために戦う! その強き一念を失ってはならない。
 長い人生である。体を大事にして、断じて健康になるのだ。
 使命を自覚すれば、病魔は退散する。
 「創価の道」は「健康の道」である。

◆「言行一致」のリーダーたれ
 一、私の大切な親友であり、人類の頭脳・ローマクラブの名誉会長であるホフライトネル博士は語っておられた。
 「私たちはもはや、言っていることと行動が一致しない善人や博愛家、正義漢、幻想家であってはなりません。言葉を行動、努力に、他者への貢献にと移していかなければなりません」(名誉会長との対談集『見つめあう西と東』第三文明社
 口先だけのリーダーには、だれもついてこない。
 「言行一致」の勇者であっていただきたい。
 明年は、昭和32年7月17日、大阪・中之島の中央公会堂で開かれた「大阪大会」から50年になる。
 あの日 ── 無実の罪で囚(とら)われ、出獄してきた私を、多くの西日本の同志が勇み集まり、迎えてくださった。今も私の胸に鮮明である。片時も忘れることはない。
 私は、西日本の同志とともに宣言した。
 「最後は、正しい仏法が、必ず勝つという信念で、やろうではありませんか!」と。
 その信念を今再び、燃えたぎらせ、西日本のわが友は、永遠に「師弟不二」の真髄を示し、「異体同心」の団結を示し、そして「人材育成」「仏法勝負」の模範を示しきっていただきたい。
 西日本が健在である限り、学会は盤石である。
 各方面、各県、各地の大切な大切な同志の方々に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 下半期も、西日本から爆発的なスタートをお願いします!
 また、お会いしましょう!(大拍手)

                   (2006・8・9)