北海道・東北・中部・北陸・信越合同研修会〔上〕
◆◆◆ わが友を勝利へ導く広布の北極星と輝け!
◆◆ 偉大な団結で! 皆が喜ぶ名指揮を
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北海道・東北・中部・北陸・信越の合同研修会が8月20日から長野研修道場で行わ
れ、池田名誉会長がスピーチした。
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【名誉会長のスピーチ】
一、新しい歴史を開く合同研修会、本当にご苦労さまです。
シベリアのロシア・サバ共和国といえば、世界で最も寒い地域。1月の気温が、なん
とマイナス40度から50度以下にもなるという。
「私たちの言葉では、北極星のことを『天を支える柱』と呼びます」
2004年1月、サバ共和国の北極文化芸術国立大学から「名誉教授」の称号をいた
だいた折、ボリソフ総長(同国文化大臣)が、そう教えてくださった。
〈さらに総長は「きょう、池田会長とお会いし、会長こそ『民衆を支える柱』であると確
信しました」と〉
日本の北国で戦っておられる北海道、東北、信越、北陸の皆さまは「広宣流布の北
極星」と光っていただきたい。
そして中部は、広布の勝利の「一番星」「大金星」と輝いていただきたい。
この5方面こそ、全国、全世界の創価学会を支える「柱」との気概を持ってもらいた
い(大拍手)。
◆人類の境涯を高めよ!
一、戸田先生は、北海道の同志に、こう語られた。亡くなる半年前、札幌の体育大
会でのご指導である。〈昭和32年8月18日〉
「初代の会長は、青年が大好きだった。私も青年が大好きです」
「皆さんの双肩には、東洋の指導者として、人材として立っていく任務がかかってい
る。きょう、北海道の青年の姿を見て、おおいにたのもしさを感じている。
日本民衆の先駆けとして立っていくことを願って、私の訓示にかえる」
あのころ、皆、まだ貧しかった。皆、日々を生きることに懸命だった。
そういう青年たちに、先生はいつも、日本を背負い、世界に羽ばたく大望を抱けと教
えられた。
「われわれは、人間革命、宗教革命によってこそ、ほんとうの幸福をつかみ、平和な
社会を建設することができる」
これも、北海道でのお話である。
個人の境涯だけでなく、一国の境涯、人類の境涯を高めゆくことが、私たちの使命
なのである。
一、戸田先生は、私にこう言われた。
「仏法は、人類のため、全世界の民衆の幸福のための大法である。ならば、人類の
かかえる課題の一つ一つは、そのまま仏法者の避けがたいテーマとなるはずだ」
「広宣流布」とは、政治、経済、文化、教育など、人間のあらゆる活動の根幹に、生
命尊厳と人間主義の哲学を浸透させゆく運動である。
ゆえに青年は、世界の動向を見つめ、思索し、未来を展望するスケールの大きさを
もってもらいたい。
◆師が戦い抜いた道を自分も!
一、「僕は、日本の広宣流布の盤石な礎をつくる。君は、世界の広宣流布の道を開く
んだ。
構想だけは、僕がつくっておこう。
君が、それをすべて実現していくんだよ」
── 厚田の海を二人で見つめながら、戸田先生は言われた。それを私は、小説
「人間革命」に書きとどめた。
私には、この先生の書葉通り実践してきた自負がある。世界に広宣流布の道を広
げ、人類のため、文明間の対話の道を開いてきた。
師弟、師弟といっても、口ではなく、心が師匠と一体でなければいけない。行動が
「不二」であらねばならない。
私は「師弟不二の道」を貫いた。諸君も続いてもらいたい。「師弟」のほかに、創価学
会の魂はない。
戸田先生と出会ったころに読んでいた、阿部次郎の『三太郎の日記』。
そこに、鋭い一言があった。
「我等には生活の中心が必要である」(『三太郎の日記』岩波書店、現代表記に改め
た)
では、いかにして「生活の中心」を発見するか。
それは「最も自分に適しそうな人を選んで、その人の内面的発展を精細に跡付け、
その通った道を自分も内面的に通って見ることである。約言(やくげん)すれば自らそ
の『師』を択(えら)んで、自己の鍛錬をその師に托(たく)することである」(同)。
私にとっては、自己の人生を託し、生涯の「生活の中心」となった師匠こそ、戸田先
生であった。
一、南無妙法蓮華経という法があっても、それを実践し、弘める人がいなければ、法
の偉大さは分からない。
信心を深めることは難しい。そのために仏法には「師弟」がある。師弟の道を貫く現
実の行動によって、妙法への信が深まっていくのである。
◆◆ 妙法で生命力を満々と
── 安住するな! 停滞するな! 向上への気概を!
── まずリーダー自身が変われ
◆南無妙法蓮華経は師子吼の如し
一、残暑が続いている。これからが夏の疲れが出る季節でもある。聡明に、「信心即
健康」のリズムをつくっていただきたい。
また同志の中には、自身が病気であったり、ご家族が病気の方もおられるだろう。
牧口先生は「(病気が)治るという結果は治ろうとする自力(じりき)と治そうとする他
力(たりき)との確信をもった協同に依るものである」と言われた。
健康になるために、医学の力は、当然、必要である。
しかし、医学の力をどこまで引き出せるかは、自分自身の生命力による。
日蓮大聖人は、四条金吾の子どもが病気になったことを聞かれ、「南無妙法蓮華経
は師子吼の如し・いかなる病さはり(障)をなすべきや」(御書1124ページ)と励まさ
れた。牧口先生は、御書のこの部分に傍線を引かれている。
同じく「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(同947ページ)の御聖
訓にも傍線がある。
妙法は、生命を貫く大法則である。妙法を根本に生きる ── すなわち、妙法を信
じ、持(たも)ち、弘めることは、大聖人に連なる振る舞いである。ゆえに、生老病死の
苦しみを超えて、常楽我浄(じょうらくがじょう)の生命の境涯を楽しむことができる。
病気といっても、症状や状況はさまざまであり、一概にはいえない。
しかし、大事なことは、「断じて治す」と決めて祈ることである。また、ご家族が題目を
あげ、学会活動に励んだ功徳は必ず本人に通じていく。
生命の奥底から、生きる力を引き出して、偉大なる人間勝利のドラマをつづっていた
だきたい。
◆◆≪戸田先生≫
過去にとらわれるな! 常に大きな希望をもて
── 信長は「率先」と「スピード」で勝った
◆徹(てっ)してこそ栄光
一、前進か、後退か。どんな団体、組織であれ、それは、中心者で決まってしまう。
目下の課題と真剣に向き合う。四つに組んで戦う。そういう姿勢が中心者になけれ
ば、組織は烏合の衆(うごうのしゅう)になってしまう。
昭和30年の「小樽(おたる)問答」の時である。
その“作戦会議”に臨んで、戸田先生は厳しく言われた。
「想定されるあらゆる事態に備えて、的確な対策を立てよ。勝負は今、ここで決定す
るといってよい。智慧は今こそ必要なのだ」
ひとたび戦いを起こしたならば、万全の態勢をつくり、徹底的に戦う。押して押して押
しまくる。そして、その行動が最大の価値を生むよう、真剣に祈る。これが「勝利の方
程式」であることを知っていただきたい。
一、中部にあって力を蓄え、天下を制した織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康。
戸田先生は、3人の英傑(えいけつ)を、折に触れて比較された。毎朝の“戸田大
学”でも、よく論じておられた。
なかでも先生は、信長がお好きであった。
日本の中世を終わらせ、近世を開いた彼の実行力、決断力、常識にとらわれない進
取の気性を、高く評価しておられた。
先生は言われた。
「信長は、常に、大きな希望を持って生きていた。私は、それが好きだ。
また過去にも絶対にとらわれない。戦にも自分から率先して戦った」
「信長は、人のやらないことを、先へ先へと実行した。常に新しいものを取り入れ、自
分から試していた」
「信長は、勝敗を決する重大な要素の一つとして、スピードを用いた。そのスピード
で、敵に勝った」
◆形式主義を破れ
一、ある時は、徳川家康を通して、こう言われたこともある。
「江戸時代でも、家康のころは、形式にとらわれず、役に立つことを端的に用いてい
くというやり方だった。今の価値論である。
ところが、5、6代目あたりになると、形式だけが重んじられる政治になってくる。この
ような形式主義を破る若者が出なければならない」
戦いは、形式になってはいけない。実質が大事である。戦いが、どういう効果を生み、
どこまで前進したのか、その実質を見ることだ。
「われわれがやることではない」とか「前例がない」などとへ途中の方法や手続きに
こだわりだしたら、組織が衰退の方に向かっている、と厳しく見なければならない。
中国の唐代(とうだい)の名君・太宗(たいそう)の発言にこうある。
「富貴に慣れるところから驕奢(きょうしゃ)の心が生じ、物事をゆるがせにするところ
から禍乱(からん)の種が芽生える」(『十八史略IV』花村豊生・丹羽隼兵編訳、徳間
書店)
時代は動いている。
現代の経済界を見ても、その栄枯盛衰は驚くほど早く、激しい。熾烈(しれつ)な生
存競争である。
私が対談したアメリカの経済学者、レスター・サロー博士はそのことを詳しく分析さ
れ、警鐘を鳴らしておられた。
「昨日うまく機能したものが、明日もまたうまく機能するという保証は全くない」
「最も重要な問題は、自分自身を作り変え続けることができるか、ということである」
(『経済探検未来への指針』島津友美子訳、たちばな出版)
これは他人事ではない。戸田先生は言われていた。
「常識というものは、往々にして、時代の流れとともに変わるものだ。これは、学会で
もそうである。いつまでも同じ考えでは、現実に合わなくなることがある」
◆悪は放置するな
一、組織を内から腐らせる「師子身中の虫」は、形式主義、油断、停滞の空気の中
で、はびこっていくものである。
反対に、前進の勢い、真剣さのみなぎるところには、悪い人間はいられなくなるもの
だ。
また、「一番、小利口で臆病な人間はやがて学会から逃げる」とも、戸田先生は言わ
れていた。
「種種御振舞御書(しゅじゅおふるまいごしょ)」には、こう仰せである。
「邪悪な僧の実態を明らかにする人がいなければ、未来永劫までも、そのまま通っ
てしまい、仰がれ続けるであろう」(御書924ページ、通解)
悪人を放置すれば、大勢の人々が、長きにわたってだまされ、不幸になってしまう。
ゆえに、悪を責めて、その実態を世に知らしめていくべきである。
ヴォーヴナルグというフランスの思想家に、こんな言葉がある。
「悪人は善人に手腕があるのを見てとると、いつも不意を打たれる」(『省察と箴言』
内藤濯訳、創元社)
悪人は、放置すればするほど、つけあがっていく。悪人に、断じて、なめられてはな
らない。
「悪を放置してはならぬ。前へ前へ攻めて出よ! 敢然と打ち破っていけ! 」
「仏敵を許すな! 祈り、打ち勝っていけ!」
これが戸田先生の厳命であった。
悪人には、広宣流布の清浄な世界に指一本たりとも触れさせない! ── この気
迫を持っていただきたい。
◆覇気をもて! 強気で進め!
一、戸田先生は、覇気のない幹部の姿を見つけると、容赦しなかった。
「何だ! 敗北者みたいな顔をするな! 」と一喝された。
「“強気の存在”となれ! そうでなくては、人はついてこない」と言われていた。
ともあれ、大事なのは「行動」である。
役職という位は方便であり、「信心の位」がどうであるかで一生成仏は決まる。
そして、信心は「行動」にあらわれる。
繰り返しになるが、特に男性の幹部は、絶対に女性を怒ってはいけない。
また、女性を最大に尊敬するのはもちろん、広布の庭に送り出してくださる、ご主人
はじめご家族の方々にも、最大の真心を尽くしていくべきである。
また、「団結」を呼びかける場合にも、それが、押しつけのようにとられてはいけな
い。
人には個性がある。桜梅桃李(おうばいとうり)である。
大聖人は「異体」にして「同心」と仰せなのである。
一人一人の意見をよく聞き、仏子として最大に尊敬しながら、「偉大なる団結」を築
いていただきたい。皆が喜んで「異体同心」で進めるよう、勝利の名指揮をお願いした
い(大拍手)。
(2006・8・20)