山梨最高協議会〔上〕
◆◆◆ 広布の人生こそ最高の誉れ
── すべての労苦は福徳に=「冥の照覧」を確信せよ
◆◆ 新しい挑戦を! 「あっ」と言わせる戦いを!
── 「どうだ! 我らの躍進を見よ」と
── 突破口を開く“一石”を投ぜよ 勇気の一波が万波に!!
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山梨最高協議会が3日、山梨教学研修センターで行われ、池田名誉会長がスピー
チした。
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【名誉会長のスピーチ】
一、今、山梨をはじめ、全国、全世界で、使命深き新しいリーダーが、決意に燃えて立ち上がっている。
心から「頑張れ! 頑張れ! 」とエールを送りたい。本当におめでとう!(大拍手)
広宣流布のために働ける、皆の幸福と勝利への指揮をとれるなんて、大変なことだ。
すごいことである。
その功徳が、どれほど素晴らしいか。
たとえば、自分が目指した分野で「一番」になる。「日本一」「世界一」になっていく。
誉れの名が永遠に輝く。それが妙法の大功徳なのである。
だれが見ていなくても、御本尊がすべてお見通しである。どうか「冥の照覧」を深く確信していただきたい。
たとえ取るに足らないように見える行動であっても、妙法のための行動は、将来必ず、現実の上で、勝利の花を咲かせ、福徳の実を結ぶ。
大事なのは行動だ。いくら幹部でも、でんと座ったままで、功徳が出るはずがない。
仏法の因果は厳しい。まして、広布に尽くす同志を苦しめる人間が、大罰を免れないことは、御聖訓に照らして当然である。
富士の山 師弟の前途は 勝利かな
この一生 乗り越え 勝ち越え 富士の山
◆我らは王者だ!
一、晴れ晴れと、偉大なる山梨の輝く新出発、まことに、おめでとう!(大拍手)
皆さんの出陣を、ぜひ祝福したい。そう思って、今回、山梨を訪問させていただいた。
富士の天地で、富士を仰ぎ、富士と語りながら、富士のごとく生きる ── 山梨の友は、本当に幸福である。
なんと雄大な舞台であろうか。
戸田先生は、言われた。
「学会は、宗教界の王者である。いな、世界平和に戦う王者なのだ。
君たちよ、心を尽くして、立派に使命を果たすのだ。
断じて負けるな!
最高の王であり、最高の智慧者である富士を仰ぎながら、語りゆくのだ」
山梨の皆さんには、全国に、大いなる波動を起こしてもらいたい。
どうせ戦うならば、新しい挑戦を! そして、広布の突破口を開く“一石”を投じるのだ。
勇気の一波は、必ず、勝利の万波となろう。
他県には、「山梨は小さい」と思っている失礼な人もいるかもしれない(笑い)。そうした人たちを「あっ」と驚かせるような、新しい歴史を築いてもらいたい。
「どうだ!我らの躍進を見よ! 」と堂々と胸を張って進んでいただきたいのだ。
山梨をはじめ、新出発したすべてのリーダーの皆さまに、万感の期待を込めて、記念の旬を贈りたい。
君もまた
公明正大
富士の山
この一生
乗り越え勝ち越え
富士の山
富士の山
共に見つめむ
同志かな
富士の山
師弟の前途は
勝利かな
◆人材で勝とう!
一、アメリカに新風を起こした、若きケネディ大統領の誕生のニュースを、私が聞いたのは、どこであったか。
山梨である。忘れもしない、1960年の秋、わが甲府支部が結成された折であった。
さらにまた、1985年、ゴルバチョフ氏が、ソ連の新書記長として登場した第一報も、山梨文化会館で受けた。
ちょうど、「ニュー山梨」のスタートの時であった。
ゴルバチョフ氏は、そこから冷戦終結への一歩を踏み出した。私の大切な親友でもある。
新しいリーダーが誕生し、世界に新時代を告げようとする ── その歴史的な出来事を、いずれも山梨の地で、耳にしたのである。
そして今、力ある人材が陸続(りくぞく)と躍り出た山梨の広宣流布の新出発を、こうして見守ることができる。喜ばしい限りだ。
また、うれしいことに、山梨では、創価教育の出身者の活躍も光っている。
どこまでも、山梨は、人材で勝とう! 団結で勝とう! 師弟で勝とう! (大拍手)
◆広宜流布の鉄則
一、憲政の父・尾崎咢堂(おざきがくどう)といえば、牧口先生も注目された人物である。
山梨市の「万力(まんりき)公園」に、彼がしたためた碑がある。そこには「善悪の標準」として、こう刻まれている。
「自他の幸福をます事は善事(ぜんじ)それをへらす事は悪事」(一部、現代表記に改めた)
全人類の平和と幸福の道を開きゆく広宣流布こそ、まさに「善事の中の善事」である。
広宣流布は、どうやって進むのか。戸田先生は指導された。
「一対一の折伏が、広宣流布達成の鉄則となる。これがまた、立派な民主主義のルールにかなった方程式ともいえるのだ。
地道にみえる進み方だが、最も堅実である。
この一波が二波になり、やがては千波、万波になっていって、初めて、広宣流布が達成されるのだ」
一軒また一軒、誠実に足を運ぶ。一人また一人、真剣に、粘り強く対話を重ねる。
婦人部をはじめとする、この最も地道にして崇高な仏道修行の繰り返しによって、今日の世界的な広宣流布は築かれた。
このことを、絶対に忘れてはならない。
御聖訓には「一切の仏法もまた、人によって広まる」(御書465ページ通解)と仰せである。
また、戸田先生は言われた。
「大聖人の説得力は、単なる説得力ではない。根本が慈悲から発している説得力である。だから偉大なのである。
我々には到底、そんなまねはできないが、辛抱強く戦って、理を尽くすことだ」
「勇気」が「慈悲」に通ずる。これも、先生の至言であった。
真実を語り、正義を叫び抜く。折伏の功徳は、限りなく大きい。
損得で言えば、自分が得をする。相手も得をする。
そして一家一族へ、社会へと、福運は幾重にも広がっていく。
きょうも、広宣流布のために動こう ── その心が、功徳を生む。
妙法のために行動しよう。広布の布石を打とう ── その一念が、わが生命を荘厳する。
対話の秋である。
にこやかな笑顔で、陽気に歌を口ずさむように、快活に進もう!
自他ともの幸福を広げる対話の波を、千波、万波と、広げていきたい(大拍手)。
◆敵を知らねば敵に騙される
一、創価の父・牧口先生は、歩く指導者であられた。行動する指導者であられた。
ご存じの通り、ここ山梨県にも、牧口先生は、社会貢献の足跡を留めておられる。
95年前(明治44年)、新緑の5月のことである。すでに『人生地理学』を著していた牧口先生は、農村調査の方法を研究し指導するために、道志(どうし)村を訪問された。
〈39歳の時。郷土会の一員として民俗学者の柳田国男氏らと同行〉
今、山梨の友は、「平和への大道展」など、わが地域に共感の光を大きく広げておられる。
〈名誉会長の対話の軌跡を紹介する同展は、今月6日から11日まで甲府市の山交(やまこう)百貨店で開催され、反響を広げた〉
皆さんの様子を、牧口先生も、笑顔で見守られていることであろう。
ここで、牧口先生が座右の御書に傍線を引かれた御聖訓を拝したい。
「仏法を学ぶ人は、父母の恩、師匠の恩、国土・社会の恩を忘れてはならない」(同293ページ、通解)
「特別のことがなくても、人は一度は死ぬことが定まっている。したがって、卑怯な態度をとって、人に笑われてはなりません」(同1084ページ、通解)
「大果報の人を、他の敵は破ることができない。親しい者が破るのである」(同957ページ、通解)
「法華経を信じる人は、用心に用心を重ねて、法華経の敵に対して心を引き締めていきなさい」
「なにが仏道修行の敵であるかを知らなければ、敵にだまされてしまう」(同931ページ、通解)
さらに牧口先生は、「大慢心の者は(いざという時に)敵に従う」(同287ページ、通解)との御文にしるしを付けておられる。御文の上の余白には「大慢 敵ニ したがふ」と書き込まれ、この教えを重視されている。
まさしく、近年、学会の大恩を踏みにじった大慢心の悪党は、邪宗門などに追従し、魂を売り渡した。その卑劣な姿は、皆さんがご存じの通りである。
◆リーダーの誓い
一、青春時代、私が「戸田大学」で学んだ『十八史略』に、こんな逸話がある。
── 中国古代の殷(いん)の時代、大旱魃(だいかんばつ)が7年も続いた。とうとう、“人間をいけにえとして雨乞いをするしかない”という声があがった。
その時、国王の湯王(とうおう)は毅然(きぜん)として言った。
「雨乞いするのは人民のためなのだ。人を殺すわけにはいかぬ。もしどうしても人身御供(ひとみごくう=いけにえとなる人)が必要だというなら、わたし自身が犠牲になろう」
そして、湯王は祈りを捧げつつ、自らが行ってきた政治が正しかったかどうか振り返る。
「わが政事(まつりごと)が節度を失ってはいなかったか」
「人民を働こうにも働けなくしてはいなかったか」「讒言(ざんげん)が幅をきかせてはいなかったか」
こうした反省をすると、激しい雨が降り始め、大地を潤した。
〈丸山松幸・西野広祥編『十八史略1』徳間書店を参照〉
これとは反対に、平然と、民衆を犠牲にして、保身と栄華に走る指導者のいかに多いことか。
わが身をなげうって、民衆のために!
ここに指導者の重大な責務がある。真実の魂が光る。
創価の三代の会長を貫く誓願も同じだ。
尊く健気(けなげ)な仏子を護り抜くために、一切の法難を一身に受け切る。一人たりとも、犠牲にはしない。断じて幸福にするのだ。
この決心で、私は祈りに祈り、人知れず、あらゆる手を打ってきた。
リーダーは、自身に厳しく間うべきである。
謙虚に、皆に奉仕しているか。
礼儀正しいか。
威張ったり、傲慢になっていないか ── 。
自分では気づかない場合もある。皆、遠慮なく注意すべきである。
牧口先生は「いばって、信用をなくすのも、法を下げることになる」と叱咤された。
人間として立派であってこそ、皆が安心し、信頼を寄せてくれる。
とくに、戸田先生は、報恩の大切さを教えてくださった。
「恩に報いる心がけは、人間として、当然、持つべきである」「不知恩の人間だけには、断じてなってはならない」
「うぬぼれと非常識は皆から嫌われ、暗い人生の方向に追いやられてしまう」
厳しくも温かき先生の声が、今も耳朶(じだ)から離れない。
◆なぜ悪と戦うか
一、大聖人は、ここ甲斐(かい)の国(山梨)の人々に思いを馳せながら、お隣の駿河(するが)の国(静岡の中央部)で勇敢に戦う門下に、最後まで信心を貫き通せと教えておられる。その際、こう仰せである。
「大魔がとりついた者たちは、一人を教訓して退転させたときは、それをきっかけにして、多くの人を攻め落とすのである」
「いいかげんな人が、信ずるような格好をしながら、おかしなことを言い出すと、そのほかの人の信心をも破ってしまうのである」(御書1539ページ、通解)
広宣流布の清浄無比なる和合僧を撹乱(かくらん)し、破壊せんとする輩は、絶対に許してはならない。これが、大聖人の厳命であられた。
中国の大文豪・魯迅(ろじん)は述べている。
「人間は、まちがった風説でも、聞きなれると、たわいもなく迷わされてしまう」(松枝茂夫訳「寡婦主義」、『魯迅選集』第5巻所収、岩波書店)
だからこそ、真実は繰り返し、また繰り返し、語り続けなければならない。
牧口先生は、「仲間の大多数に平和な生活を得しめんが為にはあくまで悪人を排除しなければならぬ」と訴えられた。
邪悪と戦い抜くのは、正義を打ち立て、多くの人を守るためである。
◆◆ 日々、朗々たる勤行から出発
── 〔獅子のように力強く〕〔白馬のように生き生きと〕
◆生命力を満々と勢いよく前進!
一、勝利の人生、幸福な人生のために、何が大切か。
それは、日々、瞬間瞬間、生命力を満々とたたえていくことである。
そのカギこそ、信心である。真剣なる祈りである。
とくに、朗々たる声、すがすがしい声で、勤行・唱題を行いたい。
日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経は師子が吼えるようなものである」(御書1124ページ、通解)と仰せである。
弱々しい声ではいけない。師子が吼えるように力強く、そしてまた、白馬が駆けるように生き生きと、勤行・唱題を実践したい。
そして、魔を破り、無量無辺の仏力・法力を引き出しながら、勇んで行動に打って出たい。
若々しく!
はつらつと!
我らは、堂々と、勢いよく前進しようではないか! (大拍手)
(〔下〕に続く)