全国代表会議


リーダーは 皆が「やりきった!」「楽しかった!」といえる名指揮を
誠実に同志に尽くせ
    ── 学会精神は三代の会長の中に

【名誉会長のスピーチ】
 一、きょうは、ご苦労さま!
 先日、女子部国際部の友が世界の知性の箴言集(しんげんしゅう)を作成し、届けてくださった。
 女子部国際部の方は、おられるだろうか?〈代表が「ハイ!」と元気に返事をした〉
 皆、じつによく勉強している。本当にありがとう! (大拍手)
 感謝の思いを込め、この場をお借りして、箴言集の中からいくつかの言葉を紹介したい。
 一生懸命やってくださったことには、必ずお応えする。これが私の信条である。
 例えば、いただいたお手紙にしても、私は決しておろそかにしない。遅くまでかかっても真剣に拝見している。真心で応えている。

◆限りない希望と理想を胸に
 一、16世紀の朝鮮王朝の大学者である李珥(イーイ)は述べている。
 「国主と師匠と親は一体であり、真心を尽くして仕えるべきであり、自分勝手に師匠を非難するような行動があってはいけない」
 これは400年以上も前の言葉であるが、韓国では師匠を敬うとの精神が、今も大切にされているとうかがった。
 韓・朝鮮半島の出身で、世界を舞台に活躍した20世紀の“伝説の舞姫”崔承喜(チェスンヒ)。
 彼女は恩師のもとで学んだ日々について、「私の一生を通して最も嬉しく、幸福で、愉快で、喜ばしい日々であった。つきることのない希望と限りない理想を持って全てを学んだ」(金哲央著『朝鮮近代の開拓者五十六人の肖像』朝鮮青年社)と振り返っている。
 ヨーロッパにおいても、イタリアの詩人ダンテが著した『神曲(しんきょく)』に、次のような一節がある。
 ダンテが、師匠に対する思いを述べた言葉である。
 「先生が現世でおりにふれて人はいかにして不朽の名声を得るかを教えてくださった時の慈父のような優しい面影(おもかげ)が、脳裡に刻まれていて、今、私は感動を禁じえません。
  私がいかほど先生に恩を感じているか、私は生きている限り、世に語り世に示すつもりです」(平川祐弘訳『神曲河出書房新社
 
 また、中国の古典である『詩経(しきょう)』には、「我に投ずるに桃を以てすれば、之に報(むく)ゆるに李(すもも)を以てす」と記されている。
 桃を贈られたなら、李(すもも)をもって、これにお返しをする ── 受けた恩に対しては報いていくことを教えているのである。
 簡単であるが、重要なことだ。
 仏法は「報恩」の大切さを説いている。これは人間にとって、基本であり、根本の生き方なのである。


◆◆≪戸田先生≫
   ── 女子部が教学を根幹に一段と強くなることこそ広宣流布の希望の花だ!

◆「幸福の道」を生き生きと!
 一、尊き女子部の友の活躍を讃え、三首の和歌を詠(よ)ませていただいた。ここで
紹介したい。

   美しき
    乙女の広布に
         走りゆく
   大道(みち)は幸福
          仏になる道
   私(わたくし)は
     この道 走らむ
        戦わむ
      仏になりゆく
         舞台も楽しく
   断固して
     諸天は護らむ
         皆さまを
      大聖人も
         微笑み讃えむ


 全国・全世界の広宣流布の若き指導者の皆さまに贈りたい(大拍手)。

 一、戸田先生は言われた。
 「女子部が教学を根幹に、一段と強くなることこそ、広宣流布の希望の花である」
 教学が大事だ。教学を真剣に学んでいけば、確固たる哲学が身につく。見事な人格を築いていくことができる。
 そうすれば人からも尊敬される。悪い人間にだまされたり、バカにされることもない。
 女子部国際部の友が作成した箴言集には、次の言葉も収められている。
 「女性たちが主張の声を発していくことこれが変化を確保する唯一の道である」
 これは、アフリカの女性人権活動家であるメァザ・アシェナフィ氏の訴えだ。
 女性が声を上げることだ。それも、小さな声ではない。大きな声を上げていくことだ。
 それが社会を変革していくことになる。
 また、女性がはつらつとしていれば、周りも元気になる。明るくなる。
 19世紀から20世紀初頭にかけて、女性の権利向上に尽力したアメリカのメアリー・シーモア・ハウエルは綴った。
 「今日の世界の運命は、女性たちの心と頭脳にかかっている。この世界は、女性たちが進歩を遂げる足取りよりも速く進むことはできないのだ」
 その通りだ。21世紀の今、世界における女性の役割の重要性は、いや増して高まっている。
 どうか、女子部、そして婦人部の皆さまは、“女性の世紀”の偉大なリーダーとして、朗らかに、生き生きと前進していっていただきたい(大拍手)。


◆◆ へいわへ! 心を結ぶ対話を
    ── アイスランド レイキャビク  米ソ首脳会談から20周年

アイスランド語で対談集が発刊
 一、我らの舞台は世界である。
 世界最北の島国であるアイスランドでも、SGI(創価学会インタナショナル)の同志が生き生きと活躍している。
 このほど、私とゴルバチョフソ連大統領の対談集(邦題『20世紀の精神の教訓』)が、新たにアイスランド語版で発刊された。
 世界9言語目の出版となる(大拍手)。
 1986年10月、このアイスランドの首都レイキャビクで、ゴルバチョフソ連書記長(当時)とレーガン米大統領の首脳会談が行われた。
 今月で、ちょうど20周年となる。
 〈東西冷戦の渦中にあって、池田名誉会長は一貫して米ソ首脳会談を提言してきた。
1981年にはソ連のチーホノフ首相に直接、スイスなどでの開催を提案。
 85年にはスイス・ジュネーブでのゴルバチョフレーガン会談が実現した。86年の会談はそれに続くもの〉

 今月12日、米ソ首脳会談20周年を記念したアイスランド大学での講演会でも、ゴルバチョフ氏は私との対談集について、誇らかに語ってくださったとうかがった。
 ゴルバチョフ氏は私の大切な友人である。本当に、うれしく思う。
 〈ゴルバチョフ氏は、次のように語った。
 「この対談集がアイスランド語で翻訳・出版されたことを、私は心からうれしく思っています。 この本は池田大作氏との対談を収めたものです。氏は、平和というものを現実世界の中で実践している方です。平和のための偉大な啓発を与える、素晴らしい人物です。
 氏が指導する創価学会は平和を推進する仏教団体です。この対談集は、私が本日、講演で述べた対話の重要性を証明する内容を持った書といえます」〉

◆「大変なところから始めよ」
 一、私は、これまで世界の指導者と対話を重ね、友情のネットワークを広げてきた。
 南伝(なんでん)仏教の国であるタイのプーミポン国王とは3度、会見をした。長時間にわたって親しく語り合ったことが懐かしい。
 その他の東南アジアの国々とも、友好を広げてきた。
 中国、ソ連などの共産圏をはじめ、お隣の韓国とも、友情を結んできた。悩みながら、一つ一つ手を打ってきた。
 とりわけソ連は戦後、多くの日本人が「冷たい」というイメージを持ち、抵抗感のある国だった。互いに反目しあっていた。
 その中を、あえて訪問し、平和・文化・教育交流の流れをつくったのである。
 一番大変なところから始めよ ── これが戸田先生の指導だった。私はその通りに実践した。
 多くの人から非難され、迫害を受けながら、地道に対話を進めてきた。
 世界中に平和への布石を打ってきた。
 中国との友好も、多くの中傷の中で取り組んできた。
 どれも決して簡単なことではない。日本と世界のため、未来のため、そして多くの友のため、熟慮(じゅくりょ)を重ねて命がけで行ってきたのである。

◆さあ明日だ!
 一、昭和24年(1949年)のきょう10月25日 ── 。
 この日、戸田先生の事業の経営不振のため、若き私が編集長を務めていた『少年日本』の休刊が発表された。皆が意気消沈した。
 しかし、私は、この日、日記にこう記した。
 「先生の指示のもと、私は、再び、次の建設に、何でも、お尽くししてゆけばよい。そう思えば、社員の、あわてふためいている姿は、滑稽にみえる」
 「戸田先生の人格は、嵐や、波浪で、押し流されるようなものでない。最終の事業によって、その偉大な、人格の勝利は、決定されるものだ。
 浪(なみ)を越え、嵐を越え、最後に、その力と、高貴なる感化は、満ち溢れ、万人の尊敬と、渇仰(かつごう)の金字塔となることだろう」
 「さあ、明日だ。希望の明日だ」
 これが創価学会の師弟である。
 何ものも切れない。
 何ものも壊せない。
 戸田先生と私は、金剛の「生命の絆」で結ばれた師弟であった。

◆言論の剣(つるぎ)で!
 一、もしも、戸田先生の中傷・批判を悪意で書き立てるような人間がいれば、どこにでも、すぐに飛んで行って抗議をした。言論の剣で猛然と戦った。
 師匠や学会を貶(おとし)める嘘や作り話を、私は、断じて許さなかった。
 先ほどの箴言集には、ガンジーの次のような言葉もある。
 「たった一滴の毒がミルクをだめにするように、ほんの些細(ささい)な嘘であっても人を滅ぼすものである」(インド政府発刊の『ガンジー全集』から)
 人を害するデマとは、徹して戦わなければならないのだ。

◆嫉妬は悪の元凶(げんきょう)
 一、16、17世紀に活躍したスペインの作家セルバンテスは綴っている。
 「おお、数限りない悪の元凶にして、もろもろの美徳を蝕(むしば)む害虫たる嫉妬よ!」
 「嫉妬というやつは、ただただ不快、恨み、いらだちしかもたらさないのじゃ」(牛島信明訳『新訳ドン・キホーテ岩波書店
 嫉妬というものは本当に怖い。人間を根本から狂わせる。
 27年前、私が第3代会長を辞任したのも、どす黒い嫉妬の陰謀のゆえであった。
 つまり、私に焼きもちを焼いた宗門と反逆者が結託し、陰で密談を重ねて、私を追い落としにかかったのである。
 あまりにも恩知らずな畜生のごとき所業(しょぎょう)であった。
 辞(や)めろと言うならば、辞めても構わない。
 しかし、大切な学会員を、だれが守るのか。
 仏意仏勅の広宣流布を、だれが成し遂げるのか。
 私に代わって、だれが、それをやってくれるというのか。
 中国の大文豪・魯迅先生は叫んだ。
 「所詮、いつも人を苦しめ、こき使う英雄気取りたちは、少しもその民の苦しみや辛さを理解できない人間なのである」(『編年体魯迅著作全集六』福建教育出版社から)
 人の上に立って、ただ威張りたいだけ、私利私欲を貪(むさぼ)りたいだけそういう連中の非道な迫害を一身に受けながら、私は、会長辞任後も、盾になり、屋根になって、愛する学会を守り抜いてきた。
 学会本部に私の居場所はなく、小さな管理者室で友への激励のペンを執り続けた日々もあった。それが学会と私の真実の歴史である。


◆◆ 生き生きと朝に勝て
    ── 旭日(きょくじつ)の如く爽(さわ)やかな勤行から出発

◆なぜ五老僧は背いたのか?
 一、「なぜ、五老僧は大聖人の御心に背いてしまったのか」との質問に答えて、戸田先生は、こう指導されたことがある。
 「第一に五老僧は、大聖人のおそばでの常随給仕(じょうずいきゅうじ)が足りなかった。ゆえに、師弟としての深い境地の一致に欠けたからだ」
 結局は、「師匠が中心」ではなく、「自分が中心」であったのである。
 仏法の真髄の継承は、弟子の「常随給仕」、すなわち身・口・意の三業(しん・く・い)のさんごう)をもって、広宣流布の師匠に「信伏随従(しんぷくずいじゅう)」することによって、成し遂げられてきた。
 戸田先生は、牧口先生に常随給仕された。牢獄にまで、お供されたのである。
 私は、戸田先生に常随給仕した。
 私が、どれほどの思いで、戸田先生にお仕えしたか。学会の土台をつくったか。
 体が弱かった。お金もなかった。そのなかで、全生命をたたきつけて、学会のため、戸田先生のために戦った。
 火の中に入って。
 氷の中に入って。
 ただ一人である。
 一人で立ち上がったのである。
 そんな私を、諸天善神が見るに見かねて守ってくださった。まさに御仏意(ごぶっち)
によって、今の学会ができあがったのである。
 一、ただひたすらに、命をかけて、広宣流布のため、学会員の幸福のために戦い抜いたのが学会の三代の会長であった。
 本当の学会精神は、牧口先生、戸田先生、そして私の中にある。三代の会長に脈々と流れている。
 これからの学会を担(にな)っていく皆さん方は、この「三代の精神」を断じて守り抜いていっていただきたいのだ。
 自分のことを言うのはいやだけれど、学会の未来のために、あえて明快に言い残しておきたい。

◆永遠不滅の学会をつくれ
 一、幹部のための学会ではない。会員のための学会である。
 断じて、学会員を苦しませてはいけない。
 そのためにも、おかしな幹部がいれば、皆で声をあげていくのである。
 「学会の指導と違うではないか! 」「師匠の言っていることに反しているではないか! 」と。
 そうやって皆が強く叱咤・激励して、立派な指導者をつくっていけばいいのだ。
 「下」から「上」を動かしていけ! ── それが牧口先生のご指導であった。
 ともあれ、私は、同志の皆さん方から、「素晴らしい創価学会だな」 「学会員で本当に良かったな」と心から喜んで満足してもらえるように、すべてを総仕上げしてまいりたい。
 私が先頭に立ってやっていく。ともどもに力を合わせて、永遠不滅の創価学会をつくりあげていこう!(大拍手)

◆「人生の総仕上げが飾れたよ」
 一、昭和31年(1956年)7月、「大阪の戦い」の大勝利を、戸田先生は大変に喜んでくださった。
 ふだんは、私のことを決してほめない先生であった。怒られたときなど、遠くに飛ばされそうなほど、厳しく怖い先生だった。
 戸田先生の時代に比べれば、今は遊びのようなものである。先生の厳しさは、私と妻が、一番、よく知っている。
 その先生に、大阪の勝利をご報告したときは、「大作、ありがとう! 大作、ありがとう! 東京は負けた。関西は勝ったな。俺は嬉しいよ。これで、俺の人生の総仕上げが飾れたよ」と言ってくださったのである。
 昭和31年の参院選地方区。学会は東京と大阪に候補者を立てた。
 東京は、だれもが「勝てる」と思っていた。
 大阪は、だれもが「きっと負ける」と見ていた。
 戸田先生は、その大阪の総責任者を、あえて私に命じた。
 最も厳しく大変なところ、だれもがいやがるところ、そういうところで先生は私を戦わせたのである。
 私は28歳。先生のお心に、命がけでお応(こた)えした。そして、師弟不二の真髄と、厳然たる勝利の実証を満天下に示した。
 この勝利には、学会も世間も騒然とした。「“まさか”が実現」と大新聞は報道した。
 「大作は、私が言ったことは、すべて実現してきたな。冗談さえも本気になって実現してしまった。私は、口先の人間は信じない。実際に何をやるかだ」と先生が言われたことがある。


≪戸田先生≫  信長の勝利の秘決
 ・明確な目標を持て
 ・一致団結して進め

◆隅から隅まで最前線を駆けた
 一、「大阪の勝利」は「団結の勝利」だった。
 戸田先生はよく、「桶狭間(おけはざま)の戦い」で織田信長が敵の大軍を打ち破った歴史を例に挙げ、「どんなに多勢でも、団結がなければ戦(いくさ)には負ける。信長軍は少数であったが、『敵の大将を討つ! 』という明確な目標に向かって団結したから勝ったのだ」と言われていた。
 先生の示された指針通りに私は指揮を執った。
 当時は皆、貧しかった。生活も大変だった。
 しかし、愛する関西の同志は、私とともに、喜び勇んで、手をつないで、一致団結して戦ってくれた。
 最前線の「組長」や「班長」までが、学会を代表する“会長”の自覚と責任で、生き生きと動きに動いた。
 「『一糸乱れず』という言葉があるが、これこそ学会の勝利の姿を表現したものではないか」とは先生のお言葉である。
 多彩な個性の人を調和させ、それぞれの長所を引き出しながら、皆が「やりきった! 」「楽しかった! 」と言える指揮を執る。それがリーダーの役割である。
 “本当にすごい戦いだった。しんどいこともあった。でも、本当に楽しかった” ── 「大阪の戦い」を共に戦ってくれた同志は、皆、こう言って当時を振り返る。もう50年も経つが、今も語りぐさである。
 あのとき私は、大阪中を隅(すみ)から隅まで駆け回った。末端から末端に足を運んだ。“こんなところにまで”というような地域にも行って、一人一人と握手し、語り合い、波動を起こしていった。
 これが「大将」の戦いである。
 戸田先生は、なぜ私たちに、織田信長の歴史を教えたか。なぜ『三国志』を読ませたか。
 先生は、私たち青年に言われていた。
 「これからは青年の力で決まる。君たちの若さでやるのだ。君たちに任せるよ」
 師匠の教えを、すべて実践に生かす。師匠の言葉を、一言一句たりとも無駄にしない。それが、本物の弟子である。

◆偉いのは現実に仏法を弘める人
 一、日蓮大聖人は、“人の使いには、3種類の人間がいる”と仰せになられた。
 「一人は非常に賢(さか)しい。一人は愚かでもないがまた賢しくもない。一人は極めて愚かであるが確かである」(御書1591ページ、通解)
 このなかで、最も悪い使いは、だれか。
 それは2番目の、愚かでもないが賢くもない人間だと、大聖人は指摘されている。
 なぜか。
 それは、「少し賢いので、主人の言葉に自分の言葉を添えるから最も悪い使いとなる」といわれるのである。
 これに対して、3番目の「極めて愚かだが確かな人」は、「自分の言葉を交えず極めて正直であるから、主人の言葉を違えず、第2の使いよりもよい使いとなり、どうかすると第1の使いよりも勝れた使いとなるのである」と ── 。
 この3番目の使いとは、愚かだが正直に仏法を弘めゆく末法の凡夫のことだと仰せである。
 広げて言えば、最も正しい勝れた教えを、そのまま伝え、実践する人が、尊い
 たとえ学校を出ていない人であれ、学歴や知識量がどうあれ、教え通り、「現実に仏法を弘める人が偉い」のである。それが仏法の世界である。学会の世界である。
 この点を幹部は絶対に忘れてはならない。

◆勝利の9項目
 一、戸田先生から教わった、広布と社会の「勝利の9項目」がある。
 1、朝早く来た人は、勝ち
 朝の「勢い」が大事である。
 昇る朝日のように、真っ暗闇を明るく照らしていくのである。
 朝寝坊していて、偉くなった人間は、私が見てきたなかでも、一人もいない。
 2、勤行する人、題目をあげる人は、勝ち。
 3、健康で生き生きと仕事をする人は、勝ち。頑健になろうと工夫して、すべてを成し遂げようとする人は、勝ち。
 4、調和して、チームワークをとれる人は、勝ち。
 5、後輩を大事にする人は、勝ち。
 6、後輩や女性を、怒鳴ったり、いじめたりする人は、幹部の資格なし。理解し、包容し、励ます人が、勝ち。
 7、智慧のある人、力のある人、努力をする人を大事にする人は、勝ち。
 8、外交の天才たれ!いずれの会社でも、団体でも、その人がいれば、勝ち。
 9、曖昧(あいまい)な態度は、敗北。『良い人は良い人』、『悪人は悪人』として、見
極めていく人が、勝ち。要領のいい人間、卑怯な人間は、厳しく見ていかなければいけない」
 
 また先生は、「学会幹部の原点」として、「広宣流布のため! 」「師弟不二の勝利のため!」「会員の幸せのため! 」と言っておられた。
 「学会幹部の精神」として、次のようにもおっしゃっていた。
 「ただただ『誠実』の二字で『師匠にお仕えする』『会員を護る』。
 そして、『師子王の心』で『敵と戦う』」
 さらに、「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」「死身弘法」こそが、「広布の指導者の一念」であらねばならないと強調されていた。

◆幹部は偉ぶるな
 一、戸田先生は、最高幹部に対して言われていた。
 「何でも、私に聞きなさい。お前たちが知ったかぶりをして、『(戸田先生に)何も聞か
なくともよい』という顔をしていると、後輩が伸びなくなるよ」
 また、こうも厳しく言われた。
 「自分には何の力もないくせに、車で迎えられたり、食事をごちそうになって平気でいるなどというのは、とんでもない心得違いだ。学会には、堕落した人間はいらない」
 幹部は、断じて偉ぶってはならない。
 これまで全国、全世界を回ってきたが、私は全部、真剣だった。
 家庭は、決して経済的に豊かではなかった。働きに働き、すべてを捧げて、同志を守り、学会を支えた。
 会長になってからも、当時住んでいた小林町(大田区)の自宅は質素なままであった。
 訪れた人が、“まさかここではないだろう”と、わが家の前を通り過ぎてしまうこともあった。
 一切の私心を交えず、ひたすら広布のために戦ってきた。
 一、戸田先生の指導を続けたい。
 「書く」ということについて、先生は教えておられる。
 「見栄や体裁で書く格好だけの文章は、邪悪を断つことはできない。
 正法正義(しょうほうしょうぎ)のため、民衆のために、命がけで書いてこそ、ペンは剣に勝つことができるのだ」
 聖教新聞の使命は大きい。
 また、ある一つの事故が起きたとき、先生は言われた。
 「これを契機に、事故など絶対に起こさないという決意を固めることだ。今は大事な時だけに魔も強いのだ。わずかでも油断があってはならない」
 これから寒くなるが、「絶対無事故」の前進を、くれぐれもお願いしたい。
 一、戸田先生は若き日の手記に、“「艱難(かんなん)汝を玉にす」という。苦しみや難儀を避けてはならない”と綴られた。
 朗らかに進もう!
 「勇気」の人は、朗らかである。
 「信念」の人は、愉快である。
 きょう集(つど)われたなかには、ご家族が病気を患っておられる方もいると思う。
 私は日々、皆さんの健康と勝利を祈っている。
 そして、皆さんのお母さま、お父さまの健康と勝利を、ご家族全員の健康と勝利を、さらに、皆さんの友人の、そして同志の健康と勝利を、真剣に祈っている。
 きょうはありがとう!
 ご苦労さま! どうかお体を大切に。
 私もお会いしたイギリスのサッチャー首相は、「人生は65歳から始まる」と言った。
 年配の方も、よく休息をとりながら、若々しく、ともに生きて生き抜こう! (大拍手)

                 (2006・10・25)