第8回 デリー大学 ネルー大学

インドは21世紀の人材大国
「民衆に尽くす精神」を文明の土台に


 わが師・戸田城聖先生に、私が初めてお会いした、その夜、ニューデリーの国会議事堂では、インドの独立が厳かに宣言されていった。
 それは、一九四七年(昭和二十二年)八月十四日に刻まれた歴史である。
 あのマハトマ・ガンジーは、弟子となることは「第二の誕生」であると言った。
 奇しくも新生インドの独立と時を同じくして、戸田城聖の愛弟子としての私の誕生があった。
      ◇ 
 デリー大学から頂いた、一枚の宝の写真がある。
 ガンジーが、百数十人の学生らに囲まれて写っている。
 それは、麗しき大家族のようであり、一つの目的に向かって進む同志のようであり、そして強い絆で結ばれた師弟の集まりのように見える。
 写真は一九一五年の四月、デリー大学の源流であるセント・ステファン・カレッジで撮られた。ガンジー南アフリカから二十二年ぶりに帰ってきて間もなくであった。
 大歓迎する学生たちに、ガンジーは、あえてヒンディー語で語り始めた。「今、私は、インドの状況を学ぶために帰ってきました。これからは、インドで生き、インドに骨を埋めます!」
 祖国の民衆解放のため、インドの自治・独立のため、新たな戦闘開始の宣言である。
 校舎の壁に、「虚偽ではなく、真理こそが永遠に勝利する」との句が刻まれていた。ガンジーは、この言葉を引いて訴えていった。
 「いかなる邪悪も、真理のサーチライトに耐えることはできない」
 「アヒンサー(非暴力)こそが、私たちの信ずべき道であり、古のインドの聖哲からの偉大な賜物であることを忘れてはなりません」(英語版『ガンジー全集』から)
 共感の拍手がガンジーを包んだ。そして彼は、ルードラ学長や学生たちと共に記念のカメラに納まったのである。
 学生は、この原点の出会いを後世に伝えんと、学内誌に綴り残した。写真は、永遠の宝として、現在も学長室に大切に飾られているという。
 ――大学は民衆に支えられている。学生は誰よりも民衆に恩がある。ゆえに学生は、民衆に奉仕して恩返しするために、生涯を捧げていくのだ。
 この敬愛するガンジーの魂の叫びに応えて、学生たちは勇んで独立運動に加わり、そして凛然と戦ったのである。
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 私が、インド最大にして、最高峰の学府、デリー大学を訪問したのは、一九七九年(昭和五十四年)の二月六日。
 未明にパラム空港に到着し、その日の午後、真っ先に向かうと、メヘロトラ副総長、スリバスタバ図書館長らが温かく迎えてくださった。
 現在、学生数は二十五万人。カレッジ数は八十を超える。
 校章には繁栄の象徴である「象」と、知識の象徴である「本」が描かれ、サンスクリット語で「真理に身を捧げよ」と刻印されていた。
 図書館長は、歴史の秘話を語ってくださった。
 ――昔、インドのナーランダの仏教大学に、中国からの仏教者が学んだ。留学を終えて、幾多の貴重な書籍を携えて帰国することになった。
 大学は十人の同行者をつけた。途中、困難な川を渡る折、船が沈みかけたため、中国の留学生は本を捨てて荷を軽くしようと言った。その時、インドの同行者たちが次々と飛び込んで、自らは泳ぎながら、本を護り抜いたというのだ。
 「仏教の東漸」も、命を惜しまぬ無数の勇者たちによって成し遂げられた。
 私の訪印には、関西の大学会の代表も合流していた。「将来、共にインドへ」と、七年前に交わした約束を果たしてくれた誉れの友である。
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 三日後の二月九日には、名門ジャワハルラル・ネルー大学を表敬した。最優秀の英才が集う大学院大学である。
 女子学生の有志が、日本語の歌声で歓迎してくれた。「さくら」「春が来た」……あの真心の響きは、今もって私と妻の心から離れない。
 「今日は『一日教授』でいてください」。こう言って、満面の笑みを浮かべられたのは、ナラヤナン副総長である。
 「いや、私は『一日学生』です」と申し上げると、明るい爆笑が広がった。
 ナラヤナン副総長が、インドの第十代の大統領に就任されたのは、それから十八年後のことである。大統領府にもお招き頂くなど、四度の語らいを重ねた。温厚にして確固不動の大人格が懐かしい。
 若き日、ガンジーネルー首相との出会いが、ナラヤナン大統領の人生行路を決めたという。
 ネルーは独立前夜、未来は不断の努力で決まると訴え、こう叫んだ。「インドへの奉仕は、苦悩する数百万の人びとへの奉仕である」
 すべての虐げられてきた人びとから、悲しみの涙をぬぐい去りたい。そのために、釈尊が示した宗教的な慈悲の精神、奉仕の精神を、現実の政治のなかに具現化していくのだ――これが、アソカ大王から、ガンジーネルーへ、さらにナラヤナン大統領へと受け継がれてきた信念である。
 だからこそ、同じ哲学で行動を続ける創価の民衆運動に、インドの学識者たちは賞讃を惜しまないのである。

原点に立ち返れ
 一九九九年の一月、デリー大学のメータ副総長一行を、八王子の東京牧口記念会館にお迎えした。恐縮にも、私への名誉文学博士の学位贈呈式のために、来日してくださったのである。
 大学創立七十五周年の意義が込められた、私と同期の受章者には、アジア人初のノーベル経済学賞のセン博士、アメリカ最高峰の政治哲学者ロールズ博士、代表的知識人サイード博士らがおられた。
 式典で、高名な政治学者のメータ副総長は言われた。
 「日蓮大聖人は――『人生と社会に価値を創造する能力が、一人一人の人間の中に具わっている』『正しい哲学と動機づけがあれば、自身と環境の間に調和と安定を築いていける』と確信しておられました」
 「創価学会は、座談会やセミナー、展示会、さまざまな文化交流や学術機関を通して、世界のあらゆる世代、あらゆる背景を持つ人びとが、教育と哲学を得ることができる偉大な教育機関なのです」と。
 副総長と私は、世界の重大な危機を乗り越えていくために、二点を確認しあった。
 一つは、偉大な先哲たちの「原点」に立ち返ること。
 そして、もう一つは、その「原点」から出発して、現在の社会と人間と生活に智慧を応用し、平和の方向へ、幸福の方向へ、繁栄の方向へ、価値創造していくことである。
 欲望を追求した近代機械文明は一方で、貧富の差を広げ、倫理の低下や地球環境の悪化を招いた。ゆえにガンジーは、文明の土台に「他者に尽くす精神」を置いたのだ。
 副総長は語られている。
 「一人一人の生命は、小宇宙であり、私たちには、あらゆる資質が備わっている。
 それを開花させる偉大な方法の一つは、『自分のため』でなく、『他者のため』に苦労することです。ガンジーは、人生にとって『他の人のために苦労する』以上の満足はない、と教えました。小宇宙である人間は、その営みを通して、道徳、慈愛と冥合し、大宇宙に融合するのです」
 「我即宇宙」「宇宙即我」――その真髄は、来る日も来る日も、労苦を厭わず菩薩行を為しゆく、わが創価の友の生命に脈動しているのだ。
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 独立から六十周年を迎えようとしているインド。今年は「日印交流年」でもある。
 今、その目覚ましい発展に世界の注視が集まる。文明の中心地が変わりつつある。
 その牽引力が青年だ。インドは、青年大国であり、人材大国である。家族を救うため、故郷の発展のため、母国の未来のために、勉学に励む学生の情熱があふれている。
 「青年諸君は明日の指導者」とは、ネルーの万感の期待であり、信頼であった。
 インド創価学会の青年部も、各界で活躍している。
 未来部出身のディーパ・ハズラティさんは学部トップ、全学生中の五番に輝く最優秀の成績でデリー大学を卒業した。現在、ネルー大学で環境科学の研究を続ける。
 「環境問題のエキスパートになり、インド、そして世界に貢献していきたい!」と。
 インドの勝利は、民衆の勝利、教育の勝利の証しである。
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 二月十一日は、恩師・戸田城聖先生の誕生日である。一九七九年(昭和五十四年)、私はインドの同志と、ガンジスの畔で、この日を迎えた。
 ご存命であれば先生は七十九歳。夕暮れ、大日天と大月天が寿ぐように、ガンジスをはさんで輝き冴えていた。
 邪宗門の陰謀の渦中であった。しかし、訪印中、インドの知性は、わが師が「命より大切」と言われた創価学会を正しく評価し、また厳然と支持してくださった。舎利弗の如く、普賢菩薩の如く、文殊師利菩薩の如く――。
 万人の幸福と平和を願う法華経の心を共有する連帯が、そこに生まれつつあった。
 月氏の国を、こよなく敬愛なされた師の会心の笑顔が、私の心に大きく光った。
 
 ※ネルーの最初の言葉は坂本徳松訳(『世界大思想全集22』河出書房新社)。次の言葉は宮西豊逸訳(『アジアの復活』文芸出版社)。